黒髪の少女は、俺をみる
恒一と病院の前で合流したが、互いに顔を合わせた瞬間、恒一はどこか気まずそうに視線を逸らし、何かを言いたそうにしながらも最後まで口を開こうとはしなかった。
あの戦いで剣を交えたこと、国の命令に従い玲司たちの前へ立ちはだかったこと、そして由眼を救えなかったこと、その全てが今でも恒一の胸に重く残り続けているのだろう。
玲司はそんな恒一の表情を見て、小さく苦笑しながら肩を軽く叩く。
「仕方ないことだ。そんな顔するなよ。」
せめて少しでも空気を軽くしたかったし、これ以上誰かが自分を責める姿なんて見たくなかった。
恒一は小さく笑おうとしたものの、その笑顔は最後まで形になることはなく、ただ静かに頷くだけだった。
四人は何も話さないまま病院の中へ入り、真っ白な廊下をゆっくり歩いていくが、消毒液の匂いと静かな空気だけが辺りを包み込み、誰もが胸の奥に同じ不安を抱えていた。
由眼が入院している病室の前まで来ると、不思議なくらい全員の足が止まり、誰一人として扉へ手を伸ばそうとはしなかった。
扉を開ければ、記憶を失った由眼という現実を受け入れなければならない。
頭では分かっている。
覚悟も決めた。
それでも、その一歩だけがどうしても踏み出せなかった。
玲司は静かに深呼吸すると、皆の気持ちを背負うようにゆっくりドアノブへ手を掛け、静かに病室の扉を開ける。
ガラッ。
穏やかな陽射しが窓から差し込み、白いカーテンを優しく揺らしている病室の中、その窓際に置かれた椅子へ腰掛けながら静かに外を眺めている黒髪の少女がいた。
あれほど綺麗だった白銀の髪はすっかり元の黒髪へ戻り、病衣姿で座るその後ろ姿は、どこか以前よりも小さく、そして儚く見えた。
「ゆめっち!」
ひまりは嬉しそうに駆け寄るが、その声には再会への喜びと、本当に覚えていてくれるのだろうかという不安が入り混じっていた。
その声に気付いた由眼はゆっくりと振り返り、四人を見つめながら柔らかく微笑み、小さく首を傾げる。
「どなたでしょうか。」
その一言だけで病室の空気が凍り付き、誰も言葉を返すことができなくなった。
分かっていた。
こうなることは全員が理解していた。
それでも実際に本人の口からその言葉を聞いてしまうと、胸の奥でわずかに残っていた希望が静かに崩れ落ちていくようだった。
ひまりは一瞬だけ悲しそうな顔を浮かべるが、それを悟られないよう無理やり笑顔を作り、いつも通りの明るい声を出そうとする。
「あっ!そ、そうだったね!私はひまり!ゆめっちと同じ学校なんだ!」
無理に作ったその笑顔は少しだけ引きつっていて、声もいつもより震えていた。
由眼は安心したように笑みを浮かべる。
「ひまりちゃんですね。よろしくお願いします。」
その丁寧な言葉遣いも、落ち着いた雰囲気も、以前の由眼とはまるで別人だった。
前の由眼なら、きっと少し呆れたような表情で「うるさいわ。ここ病院よ。」と返しながらも、その声にはどこか優しさが混じっていたはずで、その何気ないやり取りさえ、もう二度と戻ってこないのだと思うと玲司の胸は締め付けられるように痛んだ。
みこともゆっくり前へ出て、小さく微笑みながら自己紹介をする。
「私はみことです。由眼さんとは……友達でした。」
“でした”と口にした瞬間、自分でもその言葉が悲しく感じてしまい、みことは少しだけ目を伏せる。
しかし由眼はそんなことも知らず、優しい笑顔のまま答えた。
「みことさんですね。よろしくお願いします。」
玲司も前へ出るが、由眼を目の前にすると喉が詰まり、思うように言葉が出てこなかった。
付き人だったことも、一緒に笑い合った日々も、喧嘩したことも、命を懸けて戦った時間も、伝えたい思い出は数え切れないほどあるのに、その全てを話したところで由眼には伝わらないと思うと、ただ名前を名乗ることしかできなかった。
「俺は……玲司。」
それだけ言うのが精一杯だった。
由眼は柔らかく微笑み返す。
「玲司さんですね。よろしくお願いします。」
その何気ない一言が、玲司の胸を深く抉った。
最後に恒一がゆっくり前へ出る。
「恒一だ。よろしくな。」
その短い挨拶には、謝罪も後悔も、言葉にできないほど多くの感情が込められていた。
「よろしくお願いします。」
由眼は何も知らない笑顔で返し、その笑顔を見た恒一は耐え切れず小さく目を逸らした。
しばらく五人の間に穏やかな時間が流れていたが、由眼はふと自分の目元へ触れ、不思議そうな表情で首を傾げる。
「あの、一つ聞いてもいいですか。この目に描いてある模様って、一体何なんでしょうか。」
その質問を聞いた瞬間、四人は誰も答えることができなかった。
その魔法陣は由眼が世界最強の魔法使いだった証であり、時間魔法を完成させた証であり、そして全てを失ってもなお残った、たった一つの奇跡だったからだ。
重くなった空気を変えようと、ひまりが無理に笑顔を作る。
「私、それ消せるよ!消してあげようか!」
もちろん本心ではない。
あの魔法陣だけは、誰よりも消えてほしくなかった。
由眼は少しだけ考えたあと、静かに首を横へ振る。
「いえ、このままで大丈夫です。」
そう言って目元へ優しく触れながら、小さく微笑む。
「理由は分からないんですけど、この模様を見ていると何だか安心するんです。きっと昔の私は、この模様をとても大切にしていたんじゃないかなって思うので、思い出せなくても、このまま残しておきたいです。」
その言葉を聞いた四人は、誰一人として返事をすることができなかった。
記憶は失った。
魔法も失った。
それでも由眼の優しさだけは、何一つ変わっていなかった。
「皆さん、本当に同じ学校なんですか?」
由眼が少し不安そうに尋ねると、ひまりがすぐに身を乗り出すように答えた。
「うん!同じ学校だよ!しかもね、みんな結構仲良いんだよ!」
「そうなんですね……なんだか安心しました。」
由眼はほっとしたように微笑む。
「私、まだ何も覚えていないので……ちゃんとやっていけるか不安で。」
その言葉に、みことが静かに首を横に振った。
「問題ありませんわ。学校は知識だけではありませんから。」
「えっと……優しいんですね。」
由眼は少し照れたように笑う。その様子を見ながら、玲司は胸の奥が締め付けられるのを感じていた。
「(そんな言い方じゃなかっただろ……)」
そう思っても、口には出せない。ひまりが明るく話題を変えるように言った。
「ねぇねぇ、ゆめっちってさ、学校行ったら何したい?」
「やりたいこと……ですか?」
由眼は少し考え込む。
「友達とか……作ってみたいです。」
「もういるよ。」
ひまりが即答する。
「え?」
「ここにいるじゃん。」
由眼はきょとんとした顔で四人を見る。
「皆さんが……友達、ですか?」
その言葉に一瞬だけ沈黙が落ちる。みことが優しく頷いた。
「ええ、そう思っていただければ嬉しいです。」
「はい……ありがとうございます。」
由眼は嬉しそうに笑った。その笑顔があまりにも自然で、だからこそ苦しかった。恒一が小さく咳払いして言う。
「まあ、変に遠慮しなくていい。普通に接してくれればいいさ。」
「普通に……ですか?」
「そう。今みたいにな。」
由眼は少し安心したように頷いた。
「分かりました。じゃあ……頑張ってみます。」玲司はその言葉を聞いて、少しだけ目を伏せた。
ひまりがまた明るく笑う。
「ねぇ、学校ってさ、授業以外にも色々あるんだよ!部活とか!」
「部活……ですか?」
「そうそう!運動とか、文化系とか!」
由眼は目を輝かせる。
「楽しそうですね……!」
その純粋な反応に、ひまりは一瞬だけ言葉を詰まらせたあと、無理に笑顔を作った。
「でしょ?だから絶対楽しいよ!」
みことが静かに続ける。
「もし分からないことがあれば、私たちが教えますわ。」
「ありがとうございます。心強いです。」
由眼は深く頭を下げる。それを見て玲司は思わず口を開いた。
「……頭、下げなくていい。」
「え?」
由眼が顔を上げる。玲司は少しだけ間を置いて、静かに言った。
「そういうの、気にしなくていいから。」
「そうなんですか?」
「ここにいる時くらいはな。」
由眼は一瞬きょとんとしたあと、柔らかく笑った。
「分かりました。」
その笑顔に、誰も強く何かを言えなかった。しばらく沈黙が続く中、由眼がふと思い出したように尋ねる。
「あの……一ついいですか?」
「ん?」ひまりがすぐ反応する。
「私、みなさんのこと、ちゃんと名前で呼んでもいいんでしょうか。」
その言葉に四人が一瞬止まる。恒一が小さく笑った。
「好きにすればいい。」
みことも頷く。
「構いませんわ。」
ひまりは嬉しそうに手を叩く。
「もちろんいいよ!むしろ呼んで!」
由眼は安心したように微笑んだ。
「じゃあ……皆さん、これからよろしくお願いしますね。」
その言葉は“再会”ではなく、“始まり”だった。そしてその違いが、四人には痛いほど分かっていた。
「じゃあ、始業式で会おうね!ゆめっち!」
「はい!皆さんと学校へ行けるの、楽しみにしています!」
由眼は満面の笑みでそう答え、四人も笑顔で手を振り返した。
病室の扉が静かに閉まり、廊下へ出た四人はしばらく誰も言葉を発さなかったが、玲司は静かに前を向き、たとえ思い出が消えてしまっても、また最初から友達になればいい、また最初から笑い合えばいいと心の中で強く誓いながら、仲間たちと共にゆっくり病院を後にした。
4月。
春の柔らかな陽射しが窓から差し込み、制服に袖を通す。鏡の前で軽く身だしなみを整え、鞄を手に取ると教科書や筆箱をもう一度確認し、忘れ物がないことを確かめた。ガチャン。玄関の扉を開け、外へ出る前に小さく呟く。
「いってきます。」
返事はない。それでも、この一言だけは昔から変わらない習慣だった。コツ、コツ、と通学路を歩きながら玲司は空を見上げた。今日から、高校生活最後の一年が始まる。そして、新しい日常もまた、今日から始まろうとしていた。
桜が散るのも鬱陶しく感じる季節。俺は、一人の少女を見かけた。長い黒髪。道のメモをもったその少女は、校門脇の桜の木を静かに見上げている目には、異質な魔法陣。風が吹くたび、淡い花びらが彼女の髪へ降り積もった。綺麗だ――そう思った。
校門の前には、すでに玲司たち四人が集まっていた。満開の桜が春風に揺れ、舞い落ちる花びらが新しい一年の始まりを祝福しているようだった。
「ゆめっちー!」
ひまりが大きく手を振る。
「由眼さん!」
みことも穏やかに微笑みながら声を掛ける。
「由眼。」
恒一は少し照れくさそうに短く名前を呼んだ。
その声に気付いた由眼は足を止め、四人の方へゆっくりと振り返ると、嬉しそうに笑顔を浮かべながらこちらへ歩いてきた。
「おはようございます!」
その笑顔は、以前と変わらないほど眩しかった。
玲司はそんな由眼を見つめ、小さく息を吐いてから優しく笑う。
「由眼、おかえり。」
その一言に、由眼は少しだけ不思議そうな表情を浮かべおれの事を見つめる
「ただいま……ですか?」
「ああ。」
玲司は静かに頷く。
「おかえり。」
ここまで読んで頂きありがとうございました。
皆さんが見てくれたお陰でここまで書けました。全てに感謝ー。今後番外編をちょんちょん投稿するかもしれないです。今後の作品に期待ー!




