日常におかえり
俺は思った。
今この瞬間も、自分はひまりに助けてもらっている。
剣聖の攻撃が飛んでくるたびに結界で守られ、致命傷になるはずだった攻撃を何度も防いでもらっている。
そして傷を負えばみことが治癒魔法をかけてくれる。
由眼を助けるためだと言いながら。
由眼を救うためにここまで来たのだと叫びながら。
結局俺自身は何も出来ていないじゃないか。
守られてばかりだ。
支えられてばかりだ。
なのに俺だけが。
俺だけが何も出来ていない。
そんな情けない現実が玲司の胸を締め付けた。
「倒さなきゃ。」
自然とその言葉が口から漏れる。
歯を食いしばる。
剣を握る手に力が入る。
震える腕を無理やり持ち上げながら、玲司は目の前の剣聖を睨みつけた。
「君を倒さなきゃいけないんだ!!」
その叫びに対して恒一は静かに頷いた。
驚くほど落ち着いた表情だった。
「そうだ。」
その返事はあまりにも冷静だった。
まるで教師が生徒へ当然の答えを教えるような。
あるいは親友の覚悟を認めるような。
そんな静かな声だった。
「なら来い。」
その言葉を聞いた瞬間、玲司は地面を強く蹴り飛ばした。
今まで以上の速度で。
今まで以上の気迫で。
今まで以上の覚悟を込めて。
焦りがある。
怒りもある。
悔しさもある。
何も出来ない自分への苛立ちもある。
だが、その全ての感情が玲司の剣を鋭く研ぎ澄ませていた。
カンッ!!
聖剣と剣がぶつかる。
激しい衝撃が腕に走る。
だが止まらない。
続けてもう一撃。
カンッ!!
再び金属音が響く。
今までとは違った。
ほんの少し。
本当に僅かだったが。
玲司の剣が恒一へ届き始めていた。
剣筋が洗練されていく。
無駄な動きが消えていく。
絶望の中で。
限界の中で。
玲司の剣は確実に成長していた。
「へぇ。」
恒一が小さく呟く。
その目が細められる。
そこには驚きがあった。
そしてほんの少しだけ感心したような色もあった。
今まで圧倒的な実力差しかなかった相手が、ようやく自分へ届こうとしている。
そんな変化を感じ取ったのだろう。
その瞬間だった。
玲司は全身全霊を込めて剣を振りかぶる。
これで終わらせる。
この一撃に全てを賭ける。
そう思った。
だが次の瞬間には恒一の姿が消えていた。
「なっ!?」
玲司の目が見開かれる。
見失った。
そう思った時にはもう遅かった。
恒一は既にみことの目の前へ移動していた。
速いなどという言葉では表現できない。
移動したようにしか見えない。
瞬間移動と呼ばれても納得してしまうほどの速度だった。
みことが目を見開く。
「えっ──」
反応する暇もなかった。
ドゴッ!!
容赦のない蹴りが横腹へ叩き込まれる。
「きゃっ!!」
みことの身体が吹き飛ぶ。
地面を転がる。
その悲鳴にひまりが反応した。
「みことちゃん!!」
だが、それこそが剣聖の狙いだった。
ひまりの意識が玲司から離れる。
ほんの一瞬。
本当に一瞬だけ。
結界の制御が乱れる。
普通の相手なら見逃すような隙だった。
しかし相手は剣聖だった。
その一瞬で十分だった。
気付けば恒一は玲司の目の前へ戻っている。
速すぎる。
理解が追いつかない。
目で追うことすら出来ない。
恒一は聖剣を振り上げなかった。
斬ろうともしなかった。
代わりに柄を握り直す。
そして。
ドンッ!!
鈍く重い衝撃が玲司の腹部へ突き刺さった。
「ぐあっ!!」
息が止まる。
肺の空気が一瞬で押し出される。
胃がひっくり返るような激痛。
全身から力が抜ける。
足に力が入らない。
立っていられない。
そのまま玲司は地面へ倒れ込んだ。
視界が揺れる。
耳鳴りがする。
呼吸が苦しい。
痛い。
苦しい。
強い。
強すぎる。
視界の先には倒れたひまりがいた。
必死に起き上がろうとしている。
吹き飛ばされたみこともいる。
それでも治癒魔法だけは途切れさせまいとしている。
そして、その二人を見下ろしている剣聖の姿があった。
圧倒的だった。
あまりにも圧倒的だった。
努力。
根性。
覚悟。
そういったものでは埋まらない差がそこにはあった。
才能。
それも世界最高峰の才能。
剣聖。
国最強。
白聖恒一。
いくら強くなろうと。
いくら努力しようと。
いくら前へ進もうと。
届かない。
そう思わされるほどの差だった。
玲司は地面に倒れたまま拳を握り締める。
悔しい。
悔しくて仕方がない。
だが、それ以上に認めたくなかった。
ここで終わりだなんて。
由眼を助けられないまま終わるなんて。
そんな結末だけは絶対に認めたくなかった。
その時、恒一はぽつりと呟いた。
「ごめん、ごめんね。」
その声は今にも消えてしまいそうなほど小さかった。
戦場の喧騒の中なら聞き逃してもおかしくないほど弱々しい声だった。
だが不思議と玲司の耳にははっきり届いた。
それは勝者の声ではなかった。
英雄の声でもなかった。
ただ友達を止めなければならなかった一人の少年の声だった。
玲司の視界は徐々に暗くなっていく。
遠くではひまりが何かを叫んでいる。
みことも立ち上がろうとしている。
だがその姿も少しずつ霞んでいく。
耳鳴りが酷い。
意識が沈んでいく。
まるで深い海の底へ引きずり込まれるように、ゆっくりと、しかし確実に闇へ沈んでいく。
終わった。
そう思った。
結局何も出来なかった。
由眼を助けると決めたのに。
由眼のために戦うと決めたのに。
ひまりやみことが必死に支えてくれていたのに。
俺は最後まで守られてばかりだった。
悔しい。
悔しくて仕方がない。
そんな感情を抱えたまま、玲司の意識は完全に闇へ沈もうとしていた。
だが、その瞬間だった。
どこかで聞いたことのある声が聞こえた気がした。
懐かしい声だった。
何度も聞いた声だった。
朝起きた時も。
学校へ行く時も。
くだらないことで喧嘩した時も。
いつも隣にいた声だった。
「全く、弱いわねあなた達。」
その一言を聞いた瞬間、沈みかけていた意識が無理やり引き上げられる。
玲司はぼやける視界の中で目を見開いた。
聞き間違えるはずがない。
あの声を。
あの話し方を。
あの呆れたような口調を。
「……由眼?」
掠れた声が自然と漏れる。
すると静かな足音が聞こえ始めた。
カツ。
カツ。
カツ。
ゆっくりとした足音だった。
だが、その音が響くたびに周囲の空気が変わっていく。
風が止まる。
誰も喋らない。
いや、喋れない。
ひまりも。
みことも。
そして剣聖である恒一でさえ、その足音に意識を奪われていた。
広場の向こう。
巨大なビルの入り口。
そこに一人の少女が立っていた。
白い髪。
見慣れた制服。
手には白杖。
そして閉じられた両目。
見間違えるはずがなかった。
諏訪由眼だった。
「ば、馬鹿な……」
恒一が信じられないものを見るように呟く。
ひまりは涙で濡れた顔のまま固まっていた。
「ゆめっち……?」
震える声が漏れる。
無理もない。
由眼は死刑判決を受けたはずだった。
今頃は拘置施設にいるはずだった。
少なくともこんな場所に立っていていい人間ではない。
だが、由眼はそこにいた。
まるで何事もなかったかのように。
いつも通りの不機嫌そうな顔で。
いつも通りの呆れたような態度で。
「そんな顔しないで頂戴。」
由眼は小さくため息をついた。
「まるで私が死んだみたいじゃない。」
「いや死刑判決受けてただろ!?」
玲司が思わず叫ぶ。
すると由眼はわずかに首を傾げた。
「受けたわね。」
「じゃあなんでここにいるんだよ!」
その問いに対し、由眼は少しだけ笑った。
それはいつもの意地悪な笑みではなかった。
どこか諦めを含みながらも、それでも前を向こうとするような不思議な笑みだった。
「簡単よ。」
そう言うと、由眼は白杖をゆっくりと地面につく。
コツン。
たったそれだけの音だった。
だが、その瞬間だった。
周囲の空気が変わる。
玲司は息を呑んだ。
ひまりも。
みことも。
そして恒一も。
誰もが同じ感覚を覚えていた。
魔力だ。
だが普通の魔力ではない。
剣聖の持つ圧倒的な魔力とも違う。
熱田のレールガンのような破壊の魔力とも違う。
世界そのものが歪み始めるような感覚。
空間が軋むような感覚。
時間そのものが揺らいでいるような異質な気配だった。
恒一の表情が変わる。
今まで余裕を崩さなかった剣聖が初めて目を見開く。
黄金の瞳がわずかに震えた。
「まさか……」
その言葉に由眼は静かに笑う。
「間に合って良かったわ。」
そう言いながら、ゆっくりと閉じられていた両目を開く。
その瞳には無数の魔法陣が浮かんでいた。
一つや二つではない。
幾重にも重なり合った膨大な数の魔法陣が瞳の中で回転し、まるで世界そのものを見透かしているかのような光を放っていた。
そして由眼は真っ直ぐ恒一を見つめる。
「久しぶりね、恒一。ま、私は久しぶりじゃないけど。」
その言葉を聞いた瞬間、恒一は苦しそうに目を伏せた。
まるでずっと会いたくなかった相手と再会してしまったかのように。
「……由眼。」
二人の間に流れる空気が変わる。
もう友達同士ではなかった。
もう学生同士でもなかった。
国の剣として立つ剣聖。
そして国に反逆した最強の魔法使い。
本当の戦いが、今まさに始まろうとしていた。
あっついですねー、




