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Gl1tch//RaidERs  作者: 時任 理人


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LOG.04 遅刻確定の二日目と、通信圏外から来た女

――騎士ハルト検証ログ:起動前


 現実世界には、リセットボタンが存在しない。


 寝落ちしたら寝落ちしたまま朝になるし、目覚まし時計が裏切れば、登校イベントは容赦なく崩壊する。しかも、入学二日目という、本来ならまだ“普通の高校生”を演じられるはずの貴重な初期フェーズでそれをやらかした場合、被害は単なる遅刻では済まない。


 クラスメートの視線。


 教師の怒り。


 別クラスにいる幼馴染からの通知弾幕。


 そして、前夜に拾った未確認ログの残響。


 それらを抱えたまま、俺は電ノ原工業学園へ向かった。


 普通の人間なら、ここで反省するのだろう。


 だが、俺の頭にはまだ、黒箱、CD-R、実写素材、そして日付の情報が残っていた。


 何も確定していない。


 だが、何かが繋がりかけている気配だけはある。


 これは、入学二日目にして高校生活の通常ルートから盛大に外れた俺が、教室という新しい観測点へたどり着くまでのログである。


 全力疾走という行為は、人間というハードウェアに対して明らかに負荷が高すぎる。


 まず肺が悲鳴を上げる。次に太腿が発熱する。さらに喉が乾き、心拍数が上がり、視界の端がわずかに白くなる。おまけに学生鞄という外付け重量物が、走行時の重心制御を執拗に妨害してくる。


 つまり、登校とは本来、移動イベントではない。


 持久力、判断力、装備重量、心理的焦燥、そして前夜の睡眠時間を参照する複合ステータス判定である。


 俺、有栖川ハルトは、その判定において完全に失敗していた。


「くっ……貴様ァ、現実世界……! 何故ファストトラベルを実装していない……!」


 住宅街を駆け抜けながら、俺は歯を食いしばった。


 電ノ原工業学園へ向かう道は、昨日の入学式ではそこそこ輝いて見えた。新しい制服。新しい校舎。歯車型の校章。電子工作棟。旧情報棟。制御工学演習室。校内ネットワーク実験設備。青春の皮を被った工業系ダンジョン。


 だが、入学二日目の午前十時過ぎに全力疾走している人間にとって、そんなものは一切輝かない。


 ただの距離である。


 ただの坂である。


 ただの理不尽なマップ配置である。


 しかも、俺のスマホは走っている間も震え続けていた。


《ハルトくん、今どこ?》


《ねぇ》


《もう一時間目終わるよ?》


《本当に大丈夫?》


《まさかまだ家じゃないよね?》


《既読つけてぇ》


《ハルトくん?》


《怒ってないよ?》


《怒ってないけど心配してるよ?》


《でも怒ってるよ?》


《どっちだよって思ったでしょ》


《正解、両方です》


 宵崎ミコ。


 別クラスにいる幼馴染。


 距離感バグ持ち。


 心配と怒りを同時に高速連射してくる、通知欄の弾幕STGである。


「くっ……! ミコ、貴様、朝から通知弾幕を張るな……! こちらは現実世界の移動フェーズ中だぞ……!」


 返信したい気持ちはあった。


 いや、正確には返信しなければ後で面倒なことになるという経験則はあった。


 だが、今の俺には物理的に余裕がない。


 しかも、頭の中ではまだ《SIREN_CITY》の断片が回っている。


 黒箱。


 CD-R。


 差出人不明。


 実写素材。


 学校らしき部屋。


 放送スピーカー。


 小型の箱。


 そして日付、2024年4月8日。


 電ノ原工業学園ではない可能性が高い。少なくとも、昨日俺がいた体育館のスピーカーとは一致しなかった。だが、昨日の入学式で俺が聞いた放送ノイズは、まだ耳の奥に残っている。


 右後方だけ、わずかに遅れて返った反響。


 高域の潰れた校歌。


 あれは本当に設備不良だったのか。


 まだ結びつけるな。


 証拠不足。


 雑な陰謀論は検証を殺す。


 そう自分に言い聞かせながらも、俺の脳は勝手に分類を始めていた。


 仕様か。


 バグか。


 偶然か。


 演出か。


 開発者の悪意か。


 あるいは、ゲームの外側にある何かか。


「……チッ。朝から考えることじゃないな」


 息が上がる。


 心臓がうるさい。


 肺が燃える。


 だが、そこで立ち止まるわけにはいかない。何故なら、俺は既に遅刻しているからだ。遅刻している人間が途中で休憩するのは、デスゲーム中にセーブポイントを探して素通りするくらい愚かである。


 もっとも、既に二時間目にも間に合っていない時点で、どこまでダメージを軽減できるのかは不明だった。


     *


 電ノ原工業学園へ到着した時、スマホの時計は十時三十六分を示していた。


 入学二日目。


 登校時刻、十時三十六分。


 普通なら終わりである。


 いや、普通でなくても終わりだ。


 校門の前で息を整える俺の姿は、どう見ても青春の一ページではなかった。汗だく。髪は乱れ、鞄は斜めになり、制服の襟は曲がっている。歯車型の校章だけが、無駄に朝日を受けて輝いていた。


「……フッ」


 俺は息を吸った。


「この程度で俺を止められると思うなよ、電ノ原工業学園……!」


 誰も聞いていない。


 門の横にいた用務員らしき人だけが、少し怪訝そうな顔をした。


 俺はその視線を無視し、校舎へ向かった。


 廊下は既に授業中の静けさに包まれていた。


 昨日は騒がしかった廊下も、今は別物に見える。床に反射する蛍光灯、壁に貼られた注意書き、電子工作部の勧誘ポスター、校内ネットワーク利用規約、旋盤室使用時の安全確認表。どれも工業高校らしい情報量を持っている。


 だが、今の俺にとって最大の問題は、それらではない。


 クラスへどう入るか。


 そこだった。


 普通に入れば怒られる。


 こっそり入ればもっと怒られる。


 堂々と入れば当然怒られる。


 つまり、どの選択肢でも怒られる。


 クソゲーか?


 だが、怒られることが確定しているなら、せめてこちらの精神的主導権だけは維持すべきである。


 俺は教室の前に立ち、深く息を吸い、扉を開けた。


「遅れてすまん。現実世界の起床イベントが想定外の接触不良を起こした」


 教室が止まった。


 本当に止まった。


 教師のチョークも止まり、黒板へ向いていたクラスメートたちの視線が一斉にこちらへ向く。


 昨日の入学式で見た顔。


 まだ名前を覚えていない顔。


 初期パーティ候補の顔。


 その全部が、俺を見ていた。


 そして教壇の先生が、ゆっくりと眉間に皺を寄せた。


「有栖川、今、何時だと思っている」


「十時三十六分だ」


「分かっているなら、まず謝りなさい」


「遅れてすまん」


「その言い方は何だ」


「遅延理由の説明を含めた正式なログ提出が必要なら、後で時系列を整理して提出する。発生原因は、深夜ログ検証による睡眠不足、ジャンク目覚まし時計の接触不良、スマホアラーム停止後の再起動失敗、以上の三点が複合したものだ」


 教室がざわついた。


「ジャンク目覚まし……?」


「深夜ログ検証って何……?」


「こいつ、昨日の入学式で音響の話してた奴だろ」


「やば」


「でもなんか堂々としてる」


「いや堂々とする場面じゃない」


 先生の眉間の皺が深くなる。


「言い訳をするな」


「言い訳ではない。原因解析だ」


「それを世間では言い訳と言う」


「世間の分類精度に問題がある」


 空気が変わった。


 俺は言ってから、少しだけまずいと思った。


 だが、遅い。


 先生の顔が完全に怒った人間のそれになっている。


「有栖川」


「なんだ」


「なんだ、ではない」


「では、何だ」


「先生に対する態度を改めなさい」


「了解した。以後、最低限の通信プロトコルを調整する」


「通信プロトコルじゃない!」


 教室から笑いが漏れた。


 最初は小さく。


 それから、あちこちで肩が震え始める。


 女子の一人が口元を押さえ、男子の一人が机に突っ伏し、後ろの方から「通信プロトコルw」と聞こえた。


 俺は悟った。


 これは、怒られている。


 間違いなく怒られている。


 だが同時に、クラス内の俺の初期印象が、普通の遅刻者から“なんか変な奴”へ変質した瞬間でもあった。


 良いのか悪いのかは分からない。


 いや、普通に悪い。


 だが、完全なマイナスではない。


 匿名掲示板文化圏で言えば、初手でコテハン認識された状態である。


「有栖川、席に着きなさい。話は後で聞く」


「了解した」


「だからその返事を普通にしなさい」


「分かった」


 俺は席へ向かった。


 視線が刺さる。


 好奇。


 困惑。


 軽い笑い。


 ドン引き。


 その全部が混ざっている。


 だが、不思議と嫌な感じではなかった。


 昨日、入学式で遠戸アラタと出会った時もそうだったが、この学校には“普通のイベントを普通に受け取れない奴”が一定数いる気配がする。


 だからだろう。


 俺みたいな異物が入っても、完全には排除されない。


 むしろ、観測される。


 良くも悪くも。


 俺は席へ座った。


 スマホが震える。


 机の下で見る。


《ハルトくん!?》


《今どこ!?》


《え、もう学校着いた?》


《先生に怒られてる?》


《怒られてるよね!?》


《ちゃんと謝って!》


《変なこと言わないで!》


《絶対“通信プロトコル”とか言わないで!》


「…………」


 言った。


 既に言った。


 完全に読まれている。


 俺はそっとスマホを伏せた。


 恐ろしい女だ。


 宵崎ミコ。


 俺の行動パターンを読みすぎている。


     *


 授業は、半分も頭に入らなかった。


 理由は二つある。


 一つは寝不足。


 もう一つは、《SIREN_CITY》の件が頭に残っていたからだ。


 黒箱のCD-Rが複数人に届いているという話。


 差出人不明。


 ディスクごとに異なる実写動画。


 学校らしき場所。


 スピーカーへ取り付けられる小型の箱。


 もしあれが単なる創作なら、撮影者は相当嫌なセンスをしている。


 もしあれが創作ではないなら、話はもっと悪い。


 だが、現時点では断定不能。


 証拠不足。


 ログ不足。


 現物不足。


 俺はノートの端に、教師の説明とはまったく関係ないメモを書いた。


《SIREN_CITY》

《黒箱》

《CD-R》

《配布型?》

《学校素材》

《2024.4.8》

《電ノ原とは不一致》

《別学校?》

《人生終了ゲームとの関連:保留》


 その時、斜め後ろから、小さな声が聞こえた。


「フン、バカじゃない?」


 冷たい声だった。


 俺は振り返った。


 そこにいたのは、見覚えのない女子だった。


 いや、昨日も同じクラスにいたはずだが、まともに認識していなかったのだろう。寝不足の視界でも分かるくらい整った顔立ちで、目つきは鋭く、表情は冷めている。肩までの髪は少し乱れているようでいて、どこか計算された無造作さがあり、机の上には教科書よりも薄いノートPCと、妙に頑丈そうな小型端末が置かれていた。


 普通の女子高生が持つ端末ではない。


 まず、ステッカーが異常だ。


 鍵マーク。


 謎の16進数。


 パケットキャプチャ系のロゴ。


 それから、自作らしき小さな黒いUSBデバイス。


 俺の脳内分類UIが反応した。


 こいつ、ただ者ではない。


「誰だ貴様」


 俺がそう言うと、彼女は心底嫌そうな顔をした。


「は? 先にお前が名乗れよ、遅刻してきた電子呪物」


「電子呪物だと?」


「だってそうでしょ。入学二日目に十時半登校、先生に通信プロトコルとか言い出して、机に座ったら今度は謎のゲーム名をノートに書いてる。普通に気持ち悪いし、生活態度が終わってるし、存在がブラウン管」


「存在がブラウン管……?」


 何だその悪口。


 妙に刺さる。


 だが、同時にセンスがある。


「貴様、名を名乗れ」


「だからお前が先に名乗れって言ってんの。会話の認証順序も分からないわけ?」


「認証順序?」


 俺は眉を上げた。


「今、認証と言ったか」


 彼女の目が、わずかに動いた。


 しまった、というほどではない。


 だが、余計な反応を拾われたことに少し苛立ったような顔だった。


「言ったけど、それが何?」


「貴様、通信系か?」


「何その雑な分類。キモい」


「質問に答えろ」


「やだ」


「何故だ」


「お前がキモいから」


 容赦がなかった。


 斬撃である。


 だが、俺は怯まない。


 クソゲーにおける理不尽罵倒NPCなど珍しくもない。


 むしろ、こういうタイプほど重要情報を持っている可能性が高い。


「俺は有栖川ハルト。2xchでは《騎士ハルト》と呼ばれている」


 彼女の顔が、明らかに歪んだ。


「うわ」


「何だ」


「自分で言った」


「何を」


「騎士ハルトって、自分で言った」


「そうだが」


「キモ……」


「貴様、初対面で失礼だな」


「遅刻して教室の空気破壊した奴に礼儀を説かれたくない」


 正論ではある。


 だが、俺は聞き流した。


「で、貴様は」


「久羅木ナギカ」


 彼女は短く言った。


「久羅木ナギカ……」


「復唱すんな、気持ち悪い」


「では、久羅木」


「距離詰めるな」


「まだ物理距離は詰めていない」


「会話距離の話。お前のテンション、近いだけで不快」


「酷いな」


「酷くない。正確」


 久羅木ナギカ。


 名前を脳内メモへ保存する。


 彼女は頬杖をついたまま、俺のノートへ視線を落とした。


「それ、何?」


「何がだ」


「その《SIREN_CITY》ってやつ」


 俺の指が止まった。


「何故そこを読む」


「見えたから」


「覗くな」


「机の上に書いておいて覗くなは無理でしょ。セキュリティ意識ゼロかよ」


「ノートにセキュリティも何もあるか」


「ある。視認性も情報漏洩経路。お前、パスワードを付箋で貼るタイプ?」


「貴様、言うな」


 ナギカはふんと鼻で笑った。


 その笑い方が妙に冷たい。


 だが、興味がないわけではない。


 むしろ目が違う。


 冷笑しているようで、観測している。


 俺のノートを。


 単語を。


 文字の並びを。


「黒箱、CD-R、配布型、学校素材、2024.4.8、別学校。何その気持ち悪いメモ」


「気持ち悪いとは何だ。これは未確認自作ゲームに関する検証ログだ」


「自作ゲーム?」


「ああ。実写ADV系と思われる」


「実写ADV……」


 ナギカの顔から、ほんの少しだけ毒が消えた。


 代わりに、低温の解析者の目になる。


「配布媒体は?」


「CD-Rらしい」


「らしい?」


「俺は現物を持っていない。2xchのスレ情報だ」


「ソースが掲示板とか終わってる」


「匿名掲示板の未整理ログは神託だ。正確ではないが、現象の端を掴んでいることがある」


「言い方がいちいち宗教」


「電子遺跡への礼儀だ」


「キモい」


 即答だった。


 だが、ナギカはそこで会話を切らなかった。


「で、何が変なの?」


 俺は一瞬だけ迷った。


 話すべきか。


 まだ、こいつが何者か分からない。


 だが、彼女の端末と、言葉の選び方と、ノートを読む視線からして、単なるクラスメートではない。


 通信。


 認証。


 情報漏洩。


 セキュリティ。


 そのあたりに敏感な人間だ。


 ならば、反応を見る価値はある。


「差出人不明の黒箱にCD-Rが一枚。中身は実写ADV風の自作ゲームらしい。複数人に届いていて、ディスクごとに動画素材が違う可能性がある。問題は、その素材に事件性がありそうな点だ」


「事件性?」


「学校らしき部屋で、男が放送スピーカーへ小型の箱を取り付けているコマ割り動画があった。日付は2024年4月8日」


 ナギカの表情が止まった。


 毒舌が止まる。


 ほんの一瞬。


 通信が切れたみたいに。


「……それ、どこで見たの」


「2xchだ」


「画像は」


「保存してある」


「見せて」


「貴様、急に食いつくな」


「いいから見せろ、キモ騎士」


「キモ騎士ではない。騎士ハルトだ」


「そこ訂正するの、本当に無理」


 俺はスマホを出し、保存した静止画を開いた。


 ナギカはそれを見た瞬間、表情を変えた。


 驚きではない。


 恐怖でもない。


 解析者の顔だった。


 彼女は画像を拡大し、男の手元、スピーカー端子、黒い小箱、配線、壁の素材、天井、腕章のようなものを次々と確認する。


 見る速度が速い。


 しかも、視線が無駄に動かない。


「……これ、元動画は?」


「数秒のコマ割り動画だった」


「ファイル形式は」


「俺が見たのは投稿された断片だ。元データは未確認」


「ハッシュは」


「スクショのハッシュなら取った」


「元じゃないと意味ない」


「分かっている」


「なら偉そうにするな」


「貴様も大概偉そうだろう」


「私は実際偉いから」


「ほう?」


 ナギカは一瞬だけ、しまったという顔をした。


 承認欲求が漏れた。


 分かりやすい。


 だが、すぐに冷笑へ戻る。


「調子乗んな。私は、お前みたいなクソゲーに話しかける人類のバグとは違う」


「何故知っている」


「昨日の時点でクラスの一部が言ってた。ジャンク屋帰りの変な奴が、古いゲームに向かって『貴様の怨念ROMを踏破する』とか言ってたって」


「情報伝達が早すぎる」


「お前の異常行動が目立ちすぎるだけ」


 俺は少しだけ傷ついた。


 だが、ナギカは画像から目を離さない。


「この動画、通信経路が気持ち悪い」


「通信経路?」


「貼った奴、消えたんでしょ」


「ああ」


「それに複数人へ黒箱。差出人不明。中身違い。ゲーム形式。実写素材。こういうの、単なるホラー演出として見るより、配布経路と受信者選定を見た方が早い」


「受信者選定……」


「誰に送ったのか、どうやって住所を得たのか、何故その相手なのか。そこを見ないと、ゲームかどうか以前の問題」


 俺は、少しだけ黙った。


 その通りだった。


 悔しいが、正しい。


 俺はゲームの挙動として見ていた。


 ナギカは接続の挙動として見ている。


 世界の読み方が違う。


「貴様、やはり通信系だな」


「その雑分類やめろ」


「では何だ」


「侵入解析、通信傍受、暗号解読、閉鎖ネットワーク観測、ログ修復、電子痕跡追跡、認証突破、旧式プロトコル解析、キャッシュ残留調査、削除済みデータ復元。ざっくり言えば、その辺」


「ざっくりが広すぎるだろ」


「お前に言われたくない。ジャンクPCとクソゲーとフロッピーに人生捧げてる奴が」


「フロッピーは文化財だ」


「話しかけるな」


「読めるかもしれない媒体には敬意が必要だ」


「キモ……」


 ナギカは本気で引いていた。


 だが、その目はまだ画像を追っている。


 そして、ふと指を止めた。


「……これ、腕章じゃないかも」


「何?」


「文字じゃなくて、QRっぽいノイズがある」


「QR?」


「低解像度で潰れてるけど、腕章に見える部分、規則的な黒白パターンが残ってる。人間が読む腕章じゃなくて、機械に読ませるタグかもしれない」


「つまり」


「認証用。あるいは撮影後に検出させるためのマーカー」


 教室の音が、少し遠くなった。


 授業中。


 教師の声。


 チョークの音。


 クラスメートの気配。


 だが、俺とナギカの机周辺だけ、別の通信圏に落ちたみたいだった。


「……ゲーム素材として?」


「まだ分からない」


 ナギカの声が低くなる。


「通信か、侵入か、偽装か、ログ改竄か、AI由来か、人間の操作か。そこを分けないと何も言えない。けど、もしこの黒箱が複数人に届いていて、中身が個別に違うなら、ただの自作ホラーじゃない」


「では何だ」


「配布対象ごとに素材を変えてる可能性がある」


「何のために」


「反応を見るため」


 その言葉で、俺は息を止めた。


 俺がクソゲーに対して考えていたことと、似ていた。


 開発者がプレイヤーへ仕掛ける電子的実験。


 人間はどこで怒るのか。


 どこで諦めるのか。


 どこで恐怖を笑いに変えるのか。


 それと同じ構造を、ナギカは通信と配布の側から見ていた。


「……なるほど」


「何その顔」


「貴様、使えるな」


 ナギカの眉が跳ねた。


「は?」


「いや、正確には、非常に有用な解析視点を持っている」


「べ、別にお前に評価されたくないし」


「そうか」


「たまたま分かっただけ。調子乗んな、キモオタ騎士」


「褒められて照れているのか?」


「殺すぞ」


「物騒だな」


「お前の存在が物騒」


 言葉は鋭い。


 だが、耳が少し赤かった。


 分かりやすい。


 この女、承認欲求が強い。


 自分の技術を評価されると機嫌が良くなるタイプだ。


 だが、絶対に素直には受け取らない。


 ツンデレ型天才ハッカー。


 面倒なNPCである。


 しかし、重要情報を持つNPCでもある。


「久羅木」


「何」


「この件、少し見てもらえるか」


「嫌」


「即答か」


「お前と関わるのが嫌」


「なら何故ここまで見た」


「画像が気持ち悪かったから。あと、お前が雑に踏み込みそうだったから」


「俺は慎重だ」


「十時半に遅刻して通信プロトコルとか言う奴の慎重さ、信用できるわけないでしょ」


 反論不能だった。


 ナギカはため息をつき、俺のスマホ画面をもう一度見る。


「元データがないなら、現時点で私が言えることは少ない。けど、もし次に何か来たら直開きするな。隔離して、コピーして、ハッシュ取って、ネットワーク切った環境で見ろ」


「当然だ」


「当然とか言いつつ、興奮して開きそうだから言ってる」


「失礼な」


「お前、理不尽イベント引いて嬉しそうなタイプでしょ。普通の人間は怒るか逃げるんだよ。お前だけ“攻略だァ!!”って目キラキラしてるの怖いから」


「理不尽とは攻略対象だ」


「ほらキモい」


「だが、逃げればログは失われる」


「死んだらログも残せない」


 その言葉だけ、妙に静かだった。


 毒がなかった。


 俺はナギカを見た。


 彼女はすぐに顔を逸らす。


「……別に心配してるわけじゃない。こんなキモい奴でも、教室で変な死に方されたら後味悪いだけ」


「なるほど。貴様なりの親切か」


「違う。管理上の警告」


「誰が管理対象だ」


「お前。人類のバグ」


「酷い」


「正確」


 教師の声が飛んできた。


「有栖川、久羅木、授業中だぞ」


 俺とナギカは同時に前を向いた。


 クラスメートの何人かがこちらを見ている。


 その目は、先ほどの遅刻劇を見た時とは違っていた。


 好奇。


 警戒。


 面白がり。


 そして少しの期待。


 俺は悟った。


 入学二日目。


 遅刻。


 教師への反発。


 クラスでの変人認定。


 幼馴染からの通知弾幕。


 そして、通信圏外から現れたような毒舌天才ハッカー、久羅木ナギカとの遭遇。


 普通の高校生活は、完全に初期化に失敗している。


 だが。


 悪くない。


 普通のチュートリアルは、もうとっくに破綻している。


 ならば、ここからは俺のやり方で進めるしかない。


 仕様か。


 バグか。


 裏技か。


 乱数か。


 開発者の悪意か。


 そして、通信か。


 侵入か。


 偽装か。


 ログ改竄か。


 まだ接続しているのか。


 俺はノートの端へ、新しい名前を書いた。


《久羅木ナギカ》


 その横に、少し考えてから付け足す。


《危険人物。通信系。口が悪い。だが解析視点は本物》


 それを横目で見たナギカが、即座に小声で言った。


「勝手に記録すんな、キモ騎士」


「重要ログだ」


「そのノート燃やすぞ」


「文化財への放火は重罪だ」


「存在ごと燃えろ」


 俺は少しだけ笑った。


 この女は面倒だ。


 かなり面倒だ。


 だが、たぶん。


 この先のログには必要になる。


 ――騎士ハルト検証ログ:保存後


 入学二日目のログとしては、あまりにも最悪だった。


 遅刻。


 教師への弁明失敗。


 クラスメートからの奇妙な注目。


 ミコからの怒りと心配の通知。


 そして、教室の中で見つけた新しい違和感。


 普通の高校生活というチュートリアルは、この時点でほぼ破綻したと言っていい。


 だが、破綻したルートには、破綻したルートなりの発見がある。


 俺は、クソゲーでそれを何度も学んできた。


 正規ルートから外れた先にだけ残るイベント。


 誰も見ない選択肢の奥に埋まったフラグ。


 攻略本に載らなかった導線。


 消えたログの隙間に残る、まだ復元できるかもしれない記録。


 今回、俺が拾ったものも、おそらくその類だ。


 まだ分類はできない。


 味方か、敵か、単なる厄介者か。


 あるいは、その全部か。


 ただ一つだけ分かる。


 この教室にも、普通ではない接続がある。


 そして俺は、またひとつ、保存すべきログを見つけた。


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