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Gl1tch//RaidERs  作者: 時任 理人


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23/24

LOG.23 ミコルート――恋愛の迷宮にセーブポイントはない

 ――騎士ハルト検証ログ:起動前


 《人生終了ゲーム》の記録は、まだ閉じられない。


 だが、人間には食事が必要である。

 睡眠も必要である。

 風呂も必要である。


 これは当たり前の話だ。


 ただし、宵崎ミコの家でそれらを実行する場合、当たり前では済まない。


 紙資料の検証。

 手料理。

 風呂イベント。

 そして、幼馴染の過去ログ。


 今回の敵はクソゲーではない。


 好意である。


 俺は雑誌を閉じることができなかった。


 いや、正確には閉じるべきだった。


 人間には食事が必要である。睡眠も必要である。風呂も必要である。現代医学的にも、長時間の集中作業は認知機能を低下させ、判断ミスを誘発し、結果としてクソゲー攻略における入力精度、記録精度、分岐検証能力、そして何よりも「これ以上進むべきではない」という境界認識を鈍らせる。


 分かっている。


 分かっているのだ。


 だが、目の前に《人生終了ゲーム》の紙面がある。


《開発:(有)夕闇フラワー》

《先行版発売日:昭和58年11月18日》

《販売場所:影都デパート特設売場》

《同日夜、市内暴動による火災により影都デパート全焼》

《推定流通数:約200本》

《ジャンル:脱出学園パニック推理ADV》

《想定クリア時間:不明》


 この情報列を前にして、冷静に「今日はここまで」と言える人間がいたら、そいつはたぶん健康的な人生を送っている。


 俺には無理だ。


 昭和五十八年。


 影都デパート。


 市内暴動による火災。


 全焼。


 そして、同じ市内暴動と火災の記録を内包していた《SIREN_CITY》。


 こいつらは別々のゲームではない。


 少なくとも、同じ地層に埋まっている。


 片方は、暴徒八〇〇人、警察突入、サイレンの鳴り響く街を、二十四時間カウントと強制巻き戻しで追体験させる異常なディスクシステム風ゲーム。


 もう片方は、影都デパートの火災で流通ごと焼け落ちた、推定二百本の脱出学園パニック推理ADV。


 偶然?


 馬鹿を言え。


 そんな都合のいい乱数があるなら、俺は今頃すべての鬼畜クソゲーで真エンドを初見到達している。


「ハルトくん」


 後ろからミコの声がした。


「何だ」


「ご飯、冷めちゃうよぉ」


「あと一項目だけ」


「それ、さっきも言ってたよぉ」


「今度こそ本当だ」


「三回目だよぉ」


「三回目までは実質一回だ」


「その理屈、だめぇ」


 ミコの声は甘い。


 だが、甘いだけではない。


 この声には、食事イベントを進行させる強制力がある。古いRPGで言うなら、村の長老が「まずは休むのじゃ」と言って宿屋送りにしてくるタイプだ。拒否しても無駄。話しかけ直しても同じ台詞。外へ出ようとすると「今はまだ行くべきではない」と表示される。


 つまり、イベントロックである。


「ミコ、これは重大な局面だ」


「ハルトくんのお腹も重大局面だよぉ」


「空腹など精神力で」


「だめ」


「だが」


「だめ」


「せめて先生イベントの入力不能コマンドについて」


「だーめ」


 ミコは俺の前に回り込むと、雑誌の上へそっと手を置いた。


 ただし、紙面には触れない。


 クリアファイルの上から。


 ちゃんと保存状態を気にしている。


 そこがまた厄介だった。


 雑な人間なら「触るな!」と怒れる。だがミコは、俺が大事にしているものをちゃんと大事に扱う。だから強く出られない。恋愛ゲームにおいて「こちらの専門領域を理解している幼馴染」は最強クラスの敵である。いや、敵ではない。敵ではないから余計に厄介なのだ。


「ご飯食べたら、また一緒に読も?」


「……一緒に?」


「うん♡」


「その言い方は危険だ」


「何がぁ?」


「一緒に読む、という平和な文面の裏に、密着、肩寄せ、後方抱きつき、耳元音読などの追加イベントが隠れている可能性がある」


「えへへぇ♡」


「否定しろ!!」


 ミコは否定しなかった。


 完全にしなかった。


 俺は悟った。


 このルートは危険である。


 だが、空腹も事実だった。


 結局、俺は雑誌を一度テーブル脇へ避難させた。もちろん、ページの位置、クリアファイルの角度、照明の向き、スマホで撮影した紙面画像の保存確認、赤ペンのメモ部分の拡大撮影、全部終えてからである。検証者として当然だ。


 ミコはそれを見て、嬉しそうに笑った。


「ハルトくん、本当に丁寧だねぇ」


「雑に扱うと記録は死ぬ」


「うん。そういうところ、好き」


「だから直球を投げるな!!」


「ご飯中も言うよぉ?」


「食事中はやめろ。誤嚥する」


 階下へ降りると、台所から温かい匂いがした。


 そこで俺は、ようやく自分が今日、まともに食事をしていなかった事実を肉体レベルで理解した。


 朝。


 缶コーヒー。


 昼。


 購買で買う予定だったパンを、黒zipの解析ログ確認で忘れた。


 夕方。


 ディスクライター起動、SIREN_CITY実機確認、暴徒八〇〇人、幼馴染士気システム、強制巻き戻し。


 人間の食事タイミングではない。


 完全に失敗チャートである。


「ハルトくん」


「何だ」


「今日、何食べたの?」


「コーヒー」


「それ飲み物」


「糖分はある」


「ご飯じゃないよぉ」


「あと、昼に水を」


「ハルトくん」


「何だ」


「だめ」


 ミコの笑顔が消えた。


 やばい。


 これは怒っている。


 ふわふわした幼馴染が静かに怒るイベントである。


 こういう時の選択肢は慎重に選ばねばならない。


《ごめん》

《仕方なかった》

《検証が忙しかった》

《コーヒーは食事》


 最後は即死。


 三番目も危険。


 二番目は火に油。


 つまり。


「……悪かった」


 俺は素直に言った。


 ミコは少しだけ目を丸くした。


 それから、ふにゃっと笑った。


「うん。じゃあ、いっぱい食べてね」


「了解した」


 テーブルに並んだ料理を見た瞬間、俺は固まった。


 和風ハンバーグ。


 だし巻き卵。


 きんぴら。


 味噌汁。


 炊き立ての白米。


 小鉢。


 野菜の彩り。


 完璧だった。


「…………」


「どうしたのぉ?」


「これは、店か」


「私が作ったよぉ」


「嘘だ」


「ほんと」


「いや、これは店だ」


「違うもん」


「お前、メイド喫茶で何をしている」


「普通にお給仕と、あとキッチンも少し」


「少しのレベルではない」


 俺は箸を持った。


 食う。


 一口。


 そして、理解した。


 これはイベント料理ではない。


 ガチだ。


 現実に美味い。


 胃袋を掴むという表現があるが、あれは比喩ではないのかもしれない。脳が一瞬で黙った。紙面の《人生終了ゲーム》も、《SIREN_CITY》の二十四時間も、ナギカの罵倒ログも、アラタの未返信も、全部ほんの数秒だけ後景へ下がった。


 美味い。


 激烈に美味い。


「……ミコ」


「なぁに?」


「これは、まずい」


「えっ」


「美味すぎてまずい」


「ふふ。なにそれぇ」


「人間はこういう飯を継続的に供給されると、生活の基準値が破壊される。今後、コンビニおにぎりと缶コーヒーで一日を乗り切る俺の標準チャートが崩壊する」


「崩壊していいよぉ」


「いいわけがない。検証者は簡易補給に強くなければ」


「ちゃんと食べて」


「だが」


「ちゃんと」


「……はい」


 負けた。


 完全に負けた。


 ミコはにこにこしながら、俺の茶碗へ白米を追加した。


「もっと食べる?」


「食べる」


「素直でよろしい♡」


「くっ……」


 悔しい。


 だが美味い。


 俺は無言で食べた。


 途中から、ミコが妙に楽しそうにこちらを見ていることに気づいた。


「何だ」


「ハルトくん、美味しい時、静かになるんだねぇ」


「今は攻略中だ」


「ご飯を?」


「そうだ」


「じゃあ、これは?」


 ミコが小さなスプーンで小鉢をすくい、こちらへ差し出した。


「…………」


 来た。


 あーんイベントである。


 恋愛ゲームにおける定番中の定番。


 だが、実際に発生すると非常に困る。


 拒否すれば好感度低下。


 受ければ羞恥値上昇。


 周囲に誰もいないとはいえ、俺の精神ログには残る。


「ミコ」


「なぁに?」


「自分で食える」


「知ってるよぉ」


「ならばなぜ」


「食べさせたいから♡」


「理由が強い!!」


 俺は数秒悩んだ。


 そして、腹が減っていた。


 料理は美味かった。


 ミコの圧は強かった。


 俺は敗北した。


「……一口だけだ」


「うん♡」


 食べた。


 美味い。


 悔しいほど美味い。


「……美味い」


「よかったぁ」


 ミコの笑顔が、あまりにも嬉しそうだった。


 その瞬間。


 俺は何を血迷ったのか。


 気づけば、ミコに軽く抱きついていた。


「…………」


「…………」


 時間が止まった。


 いや、止まっていない。


 俺の脳内処理が落ちただけだ。


 ミコの体が固まる。


 俺も固まる。


 数秒後、俺は自分の行動を理解した。


「すまん!!」


 俺は即座に離れた。


「テンションが上がりすぎた!! 料理があまりにも美味かったため、感謝表現プロトコルが暴走した!! これは意図的なイベント進行ではなく、入力ミスだ!!」


 ミコは。


 赤くなっていた。


 ものすごく赤くなっていた。


 だが、嫌がってはいなかった。


 むしろ。


 浮かれていた。


「ハルトくんから……」


「待て、ログに残すな」


「抱きついてくれた……」


「保存するな」


「永久保存だよぉ……」


「やめろ!!」


 ミコは手元のスプーンを見た。


 さっき俺が口をつけたスプーン。


 そして、なぜか。


 それを小さくひと舐めした。


「…………」


「…………」


「ミコ」


「なぁに?」


「今の動作は何だ」


「えへへぇ♡」


「説明しろ」


「秘密♡」


「秘密ではない!! 今のは明確にイベント進行度が上がる動作だ!!」


「上がった?」


「上がった!! 俺の混乱度が!!」


 ミコは顔を赤くしたまま、幸せそうに笑っていた。


 まずい。


 これはまずい。


 こいつは今日、完全に攻める気だ。


 しかも、攻め方が直接的でありながら、どこか柔らかい。逃げ道を塞ぎつつ、こちらが本当に嫌がるラインは踏まない。だから危険だ。こちらが拒絶する理由を見つけにくい。


 恋愛ゲームとしては、イージーに見える。


 ヒロイン側の好感度が最初から高い。


 イベントも勝手に起きる。


 料理も出る。


 資料も出る。


 甘やかしてくる。


 だが、実際は最強クラスだ。


 なぜなら、こちらの選択肢が全部試されるからである。


 受け入れるのか。


 逃げるのか。


 茶化すのか。


 真面目に向き合うのか。


 どれも怖い。


「ハルトくん」


「何だ」


「今日、もう遅いよねぇ」


「まだ二十一時台だ」


「でも、明日も学校だよぉ?」


「それはそうだが」


「ハルトくん、昨日も今日もかなり寝不足でしょ?」


「否定はしない」


「それで明日遅刻したら、三連ちゃんじゃない?」


「…………」


 痛いところを突かれた。


 遅刻。


 連続。


 まずい。


 学生としての社会的HPが削れる。


「起こしてあげるよぉ」


「何?」


「だから、泊まったら? 朝、私が起こしてあげる」


「待て」


「うん?」


「なぜそうなる」


「帰って寝るより、ここで寝た方が早いでしょ?」


「合理性を盾にするな」


「ハルトくん、合理的なの好きでしょ?」


「ぐっ……!」


 これは卑怯だ。


 合理性で押してくる幼馴染は強い。


 しかも、本当に一理ある。


 だが、このまま泊まるという選択肢は、恋愛ゲーム的には個別ルート確定演出に近い。セーブ確認も出ていない。警告もない。戻れないかもしれない。


 俺はスマホを見た。


 時間は21時18分。


 そして、ナギカからのメッセージが大量に来ていた。


《ねえ》

《トイレどこ》

《シャワーある?》

《冷蔵庫開けていい?》

《このゲーム頭おかしくない?》

《二時間消えた》

《許さん》

《コロス》

《暴徒の配置が変わった》

《放置したら襲撃》

《入力しても襲撃》

《何しても襲撃》

《設計者出てこい》


「…………」


 俺は無言で画面を見た。


 ミコが横から覗く。


「ナギカちゃん?」


「ああ」


「元気そう?」


「元気ではないが、生きている」


 こいつ。


 まさか本当にガレージに泊まる気か。


 トイレどこ。


 シャワーある?


 冷蔵庫開けていい?


 この三連コンボは、完全に長期滞在者の質問である。


 しかも二時間消えた。


 許さん。


 コロス。


 完全にSIREN_CITYに焼かれている。


 俺は少し笑った。


「久羅木、意外とクソゲー適性があるな」


「そうなの?」


「ああ。普通の人間なら初回の強制巻き戻しで投げる。だがこいつは怒りながら続けている。キレているが、ログを取っている。これは適性だ」


「ハルトくんと似てるねぇ」


「似ていない」


「似てるよぉ」


「似ていない!!」


 俺はナギカへ返信した。


《トイレはガレージ奥の扉》

《シャワーは母屋側だが勝手に使うな》

《冷蔵庫は飲み物だけ可》

《食料棚のカップ麺は左から二番目まで》

《右端の箱は触るな。そこは保存用パッケージだ》

《二時間飛ばしたのは貴様の判断ミスだ》

《SIREN_CITYに負けるな、通信の魔女》


 すぐ返事が来た。


《うるさい》

《二時間飛んだのはゲームが悪い》

《あと通信の魔女って呼ぶな》

《でもトイレ助かった》

《シャワーは?》

《使っていい?》

《汗かいた》

《このゲーム精神衛生に悪い》


「…………」


 俺は天井を見た。


 こいつ、本当に長期戦に入る気だ。


 俺がミコの家で人生終了ゲームに捕まり、ナギカが俺のガレージでSIREN_CITYに捕まっている。


 何だこの分岐並行処理は。


 パーティ分割イベントか。


「ハルトくん」


「何だ」


「ナギカちゃんも泊まりそうなの?」


「俺のガレージにな」


「じゃあ、ハルトくんも泊まれば?」


「なぜ対抗する」


「対抗じゃないよぉ。安全管理だよぉ♡」


「その言い方が既に安全ではない」


 ミコはにこにこしている。


 完全ににこにこしている。


 そして言った。


「お風呂、入る?」


「…………」


 来た。


 風呂イベントである。


 恋愛ゲームにおける高危険度イベント。


 これを軽々しく発生させてはいけない。


「着替えがない」


「あるよぉ」


「なぜある」


「お泊まり用に、前に買っておいたの」


「いつの間に!?」


「ハルトくん、たまにうちで寝落ちしそうになるから」


「俺は寝落ちなど」


「したことあるよぉ」


「……あるかもしれん」


「下着とかも、新品あるよぉ」


「準備が良すぎる!!」


「記録保存室だからねぇ」


「保存するな!! いや、新品なら保存ではないが!!」


 俺は頭を抱えた。


 だが、冷静に考えろ。


 俺は今日、ガレージで埃と機械油と古い基板臭にまみれた。ディスクライターも開けた。SIREN_CITYで精神的にも汗をかいた。食事もした。風呂に入ること自体は合理的である。


 問題は、ここがミコの家であることだ。


 それだけだ。


 いや、それが全てだ。


「……借りる」


「うん♡」


「ただし、普通に入るだけだ」


「普通に?」


「そうだ」


「ふふ。分かったぁ」


「今の笑いは何だ」


「なんでもないよぉ」


 なんでもなくない。


 だが俺は追及しなかった。


 追及すると、イベントが進む。


 風呂場へ案内された俺は、脱衣所で深く息を吐いた。


 見知らぬ天井。


 いや、まだ天井ではない。


 脱衣所だ。


 俺は用意された着替えを見た。


 新品。


 畳まれている。


 タオルもある。


 完璧。


 完璧すぎる。


「……宵崎ミコ、恐るべし」


 浴室に入る。


 湯気。


 白い壁。


 女性用のシャンプーとソープ。


 甘い匂い。


 俺は天井を見上げた。


「フ……フハハ……」


 笑いが漏れた。


「これが……見知らぬ天井か……」


 その瞬間。


 脱衣所の向こうから声がした。


「ハルトくん? どうしたのぉ?」


「何でもない!!」


「笑ってたよぉ?」


「風呂場の反響テストだ!!」


「なにそれぇ」


「音響解析だ!!」


「ハルトくんらしいねぇ」


 危なかった。


 風呂場で高笑いする男。


 客観的に見ると終わっている。


 俺はシャワーを出し、髪を濡らした。


 そこで気づく。


 見事に、女性用のソープしかない。


 匂いが甘い。


 これはまずい。


 使えば俺がミコの匂いになる。


 いや、何を考えている。


 ただの石鹸だ。


 だが恋愛ゲームでは、この手の共有匂いイベントは危険である。あとで「ハルトくん、私と同じ匂いだねぇ」と言われる未来が見える。完全に見える。


「……罠だ」


 俺は呟いた。


「何がぁ?」


 扉の外からミコの声。


「聞くな!!」


「タオル足りてる?」


「足りている!!」


「背中、洗おうか?」


「いらん!!」


 即答した。


 即答したが。


 数秒後。


 浴室の扉が、こつん、とノックされた。


「ハルトくん」


「何だ」


「ほんとに大丈夫?」


「大丈夫だ」


「無理してない?」


「していない」


「疲れてるでしょ?」


「疲れてはいる」


「じゃあ、少しだけ手伝おうか?」


「大丈夫だと言っている!!」


「えへへぇ」


「笑うな!!」


 ミコは扉を開けなかった。


 そこは越えてこなかった。


 だが、扉の向こうにいる。


 それだけで十分に破壊力が高い。


 俺は頭から湯をかぶった。


 落ち着け。


 クールダウンだ。


 ここでテンパるな。


 俺は資料を追っている。


 人生終了ゲーム。


 夕闇フラワー。


 影都デパート。


 SIREN_CITY。


 アラタ。


 ナギカ。


 そしてミコ。


 ……ミコが強すぎる。


 風呂から上がり、脱衣所で着替えた。


 用意された服は妙にサイズが合っていた。


 なぜだ。


 なぜサイズが合う。


 怖い。


 俺が脱衣所から出ると、ミコが廊下で待っていた。


 メイド服のまま。


 黒いニーハイ。


 圧倒的な絶対領域。


 風呂上がりの俺には刺激が強すぎる。


「似合ってるねぇ」


「俺がか?」


「うん♡」


「男物の部屋着がなぜお前の家にある」


「準備してたから」


「だからその準備が怖い!!」


「嬉しくない?」


「……助かったのは事実だ」


「えへへぇ♡」


 ミコは嬉しそうに笑った。


 それから、少しだけ真面目な顔になる。


「ハルトくん」


「何だ」


「どうしてここまでするのか、気になってる?」


 俺は言葉に詰まった。


 それは、確かに気になっていた。


 料理。


 資料。


 写真。


 着替え。


 風呂。


 距離の近さ。


 好意。


 全部が強い。


 強すぎる。


 俺は、からかわれているだけだと思いたかった。


 その方が処理しやすいからだ。


 だが、ミコの表情は違った。


 ふざけていない。


 甘さはある。


 だが、その奥に静かなものがある。


「……気になっている」


 俺は正直に言った。


「どうしてここまでしてくれる」


 ミコは少しだけ笑った。


 それは、いつものふわふわした笑みではなく、どこか懐かしいものを見るような笑みだった。


「ハルトくん、覚えてない?」


「何をだ」


「小さい時、私を助けてくれたこと」


「…………」


 俺は黙った。


 記憶を掘る。


 小学生。


 ミコ。


 助けた。


 何かあったか。


 古い記録は、外部媒体だけではない。


 人間の中にもある。


 だが俺は、自分の記憶の整理があまり得意ではない。


 消えたゲームのログは拾えても、自分が誰かに何をしたかというログは、案外抜けている。


 ミコは言った。


「私ね、昔、みんなが好きだったものを集めてたら、ちょっと変って言われたことがあったの」


「……」


「終わったアニメのチラシとか、誰も使わなくなった掲示板の印刷とか、閉鎖するサイトの最後の画面とか。そういうの、大事にしてたら、気持ち悪いって言われて」


 俺は息を止めた。


「でも、ハルトくんだけは笑わなかったよ」


「俺が?」


「うん。ハルトくん、言ったの」


 ミコは俺を見る。


「消えたら終わりじゃない。誰かが残してたら、まだ続いてるって」


「…………」


 覚えていない。


 だが、言いそうではある。


 非常に俺が言いそうだ。


「それからね、ハルトくんは私のヒーローなんだよ?」


「ヒーロー……」


「うん♡」


「俺が?」


「うん」


「ジャンクPCを拾い、フロッピーを復旧し、クソゲーにキレ散らかす男だぞ」


「そこも含めて」


「含めるな」


「含めるよぉ」


 ミコは一歩近づいた。


 今度は、強引ではなかった。


 ただ、まっすぐだった。


「ハルトくんは、みんながいらないって言ったものを、いらないって言わないでしょ」


「……」


「だから、私の好きだったものも、私自身も、消えないで済んだ気がしたの」


 俺は何も言えなかった。


 クソゲーなら怒れる。


 理不尽なら叫べる。


 古い媒体なら修理できる。


 だが。


 こういう好意は、攻略できない。


 攻略していいものでもない。


 俺は、少しだけ目を逸らした。


「……それは、買い被りだ」


「そうかなぁ」


「そうだ。俺はただ、消えたものが嫌いなだけだ」


「うん」


「消えた記録を見ると、腹が立つ」


「うん」


「誰かが勝手に終わったことにするのが嫌いだ」


「うん」


「だから拾う。それだけだ」


「それが、私には嬉しかったんだよぉ」


 ミコはそう言った。


 柔らかく。


 だが、確かに。


 俺は深く息を吐いた。


「……分かった」


「何が?」


「少しだけ分かった」


「私のこと?」


「少しだけだ」


「えへへぇ♡」


「笑うな」


「嬉しいもん」


 ミコは、いつもの調子に戻るように笑った。


「じゃあ、続き読もっか」


「ああ」


「それとも、もう寝る?」


「まだ読む」


「泊まる?」


「話を飛ばすな!!」


「えへへぇ♡」


 俺は頭を抱えた。


 結局、ミコはミコだった。


 甘くて、柔らかくて、近くて、怖い。


 だが。


 さっきより少しだけ、怖さの種類が変わっていた。


 未知のイベントではなくなった。


 まだ攻略不能だが、少なくとも理不尽ではない。


 いや。


 やはり理不尽ではある。


 好意の火力が高すぎる。


 初期装備で受けるダメージではない。


 俺は思った。


 《SIREN_CITY》は、プレイヤーに後悔を選ばせるゲーム。


 《人生終了ゲーム》は、助けたい相手を助けられないゲーム。


 そして宵崎ミコは。


 俺に、忘れたままだった自分の過去ログを突きつけてくる幼馴染だ。


 これは、別種の迷宮である。


 恋愛の迷宮。


 ただし。


 少なくとも今夜は。


 逃げるより、少しだけ進んでみてもいいのかもしれない。


 俺はミコの部屋へ戻る階段を上がりながら、そう思った。


 直後、スマホが震えた。


《キモ騎士》

《SIREN_CITY、また24時間に戻った》

《許さん》

《あとシャワー借りる》

《絶対に覗くなよ》


「…………」


 俺は足を止めた。


 ミコが振り返る。


「どうしたのぉ?」


「ナギカが、俺のガレージで風呂を借りるらしい」


「へぇ」


 ミコの笑顔が、少しだけ圧を帯びた。


「ハルトくんは、こっちにいてね?」


「……はい」


 今夜のマップは、どこまでも危険だった。


 セーブポイントは、まだ見えない。


 《人生終了ゲーム》と《SIREN_CITY》の謎は、さらに深く繋がり始めた。


 だが、それ以上にハルトを揺さぶったのは、ミコの言葉だった。


 消えたら終わりじゃない。

 誰かが残していたら、まだ続いている。


 その何気ない一言が、ミコにとってどれほど大きかったのか。


 クソゲーなら怒れる。

 理不尽なら叫べる。

 だが、まっすぐな好意は攻略できない。


 そして今夜も、ナギカはガレージで《SIREN_CITY》に焼かれている。


 ――騎士ハルト検証ログ:保存後


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