LOG.21 セーブポイントのない幼馴染ルート
――騎士ハルト検証ログ:起動前
失われた記録を追う時、問題になるのは媒体だけではない。
フロッピー、zip、古い攻略雑誌、閉鎖済みサイト、そして幼馴染の部屋。
……最後だけ明らかにジャンルが違う気がするが、気にするな。
今回は、記録保存と資料確認の話である。
断じてラブコメイベントではない。
ないはずだ。
たぶん。
玄関に踏み込んだ瞬間、俺は理解した。
ここは安全地帯ではない。
普通の住宅。
普通の玄関。
普通の幼馴染の家。
そう見える。
だが、それはあくまで見た目の話だ。
ゲームにおいて、本当に危険なエリアほど、序盤は安全そうな顔をしている。村人が優しい。BGMが穏やか。セーブポイントがある。宿屋がある。店もある。だが一歩奥へ進むと、実は村全体がラスボスの眷属だったり、宿屋の主人がイベントフラグ管理NPCだったり、何気なく渡された回復アイテムが後半で呪い装備化したりする。
つまり、油断してはいけない。
宵崎家の玄関は、そういう類のマップだった。
しかも厄介なのは、ここがホラーゲームの危険地帯ではなく、恋愛ゲームの危険地帯だという点である。
ホラーゲームなら、暗い廊下、血痕、壊れたラジオ、妙なノイズ、開かない扉、振り返ると立っている何か、そういう分かりやすい危険信号がある。だが恋愛ゲームは違う。危険信号が甘い匂いをしている。柔らかい声で呼んでくる。手を繋いでくる。頬を赤くして振り返る。しかも選択肢が表示されない。
欠陥である。
恋愛ゲームは、プレイヤーの認知能力に対してあまりにも不親切である。
「ハルトくん、こっちだよぉ♡」
ミコが俺の手を引く。
柔らかい。
温かい。
逃げられない。
手を繋がれているだけなのに、なぜか状態異常《拘束》を受けている気がする。いや、物理的には振りほどける。だが振りほどいた瞬間、幼馴染好感度が何ポイント下がるのか分からない。数値が見えない。分岐条件も見えない。好感度確認画面もない。攻略Wikiも存在しない。セーブロードもできない。
恋愛ADVの設計者は、なぜこの辺りを可視化しないのか。
プレイヤーに優しくない。
クソゲーである。
少なくとも俺にとっては。
「待て、ミコ」
「なぁに?」
「まず確認する。攻略雑誌片はどこだ」
「私の部屋だよぉ♡」
「なるほど。つまり目的地は二階か」
「うん♡」
「そして両親は不在」
「うん♡」
「夕飯はお前が作る」
「うん♡」
「俺は資料確認に来た」
「うん♡」
「以上だな」
「うん♡」
すべて肯定している。
なのに不安が消えない。
なぜだ。
俺は今、論理的確認を行ったはずだ。目的、場所、同行者、環境条件、時間帯、家人の有無、食事イベント発生可能性。観測条件は揃っている。にもかかわらず、イベントの正体が不明瞭なまま残っている。
つまり、これは隠しフラグだ。
確実に何かが仕込まれている。
しかもミコは、こちらの警戒を見越した上で、全部肯定してくる。これは危険だ。恋愛ゲームにおいて、ヒロインが質問へ素直に答えている時ほど危ない。素直な回答の中に別の意味が混ざっている。表面上は《はい》なのに、内部処理では《期待値上昇》《距離接近》《イベント進行》《逃走不能》が同時に走っている可能性がある。
「ハルトくん、そんなに警戒しなくても大丈夫だよぉ」
「警戒しているわけではない。検証しているだけだ」
「それ、ハルトくんが怖い時に言うやつだよぉ」
「怖くはない」
「ほんとに?」
「……恋愛イベントは少し怖い」
言った瞬間、ミコが足を止めた。
そして、振り返った。
その顔が、あまりにも嬉しそうだった。
「そっかぁ♡」
「なぜ嬉しそうなんだ」
「だって、ハルトくんが私のこと、イベントとして見てくれてるんだもん」
「そこを喜ぶな。普通は怒るところだろう」
「怒らないよぉ。ハルトくんにとって、怖いものって大事なものなんでしょ?」
「…………」
まただ。
宵崎ミコは、こういうことを平然と言う。
俺がクソゲーを笑う理由。
理不尽を攻略対象へ変換する理由。
怖いものを「仕様か、バグか、裏技か、乱数か、開発者の悪意か」と分類しようとする理由。
それを、こいつは妙に柔らかく理解している。
だから厄介なのだ。
ナギカの毒舌は分かりやすい。殴ってくる。刺してくる。燃やすぞと言ってくる。存在がブラウン管だの電子呪物だのキモ騎士だの、言語弾幕が目に見える形で飛んでくる。だからこちらも反撃できる。
だがミコは違う。
抱きしめるように追い詰めてくる。
しかも本人は本気で優しい。
これが危険だ。
悪意あるトラップなら解除できる。敵意ある攻撃なら防御できる。だが好意による包囲は、攻略方法が分からない。いや、もしかすると攻略するものではないのかもしれない。だが、それはそれで困る。ジャンルが違う。俺の専門外だ。
「……ふん。よかろう。ならば進むぞ」
「うん♡」
階段を上がる。
一段。
二段。
三段。
妙に足音が大きく聞こえる。
俺の脳内では、まだ《SIREN_CITY》のサイレンが薄く鳴っていた。影村学園旧校舎。暴徒八〇〇人。閉じ込められた幼馴染。二十四時間。強制巻き戻し。
そして今、俺は別の幼馴染に手を引かれている。
偶然か。
乱数か。
開発者の悪意か。
いや、考えすぎだ。
ここはミコの家だ。
暴徒はいない。
警察もいない。
サイレンも鳴っていない。
だが、俺の心拍だけがうるさい。
しかもミコは、階段を上がるたびに、こちらをちらちら見てくる。距離が近い。手を離さない。むしろ少しずつ指を絡めてくる。これは通常の移動モーションではない。明らかにイベント用モーションである。
「ミコ」
「なぁに?」
「その手の繋ぎ方は何だ」
「え?」
「さっきより拘束力が上がっている」
「そうかなぁ?」
「そうだ。初期状態では単純接触だった。今は指が絡んでいる。これは入力受付なしで状態異常が進行している」
「えへへ。ハルトくん、よく見てるねぇ」
「見ているのではない。観測している」
「それ、見てるってことだよぉ♡」
「ぐっ……!」
言い返せない。
恋愛ゲームの恐ろしいところは、こちらが観測しようとすると、それ自体が好意判定に変換される点である。見ている。気にしている。反応している。つまり意識している。そう処理される。プレイヤー側に逃げ場がない。これは悪質だ。
「ここだよぉ」
ミコが自室の扉の前で立ち止まった。
扉には、小さな猫のステッカーと、ハート形のマグネットが貼られていた。そこまではいい。問題は、その横に小さな手書きの札があったことだ。
《記録保存室》
「……待て」
「うん?」
「今、何と書いてあった」
「記録保存室♡」
「貴様、自室を何だと思っている」
「好きだったものを残しておく場所だよぉ」
ミコは当然のように言った。
それは、俺のガレージに対する定義とよく似ていた。
俺は壊れた媒体を保管する。
ミコは消えかけた感情を保管する。
俺は読めなくなったディスクを直す。
ミコは誰も読まなくなったコメント欄を保存する。
俺は未発見イベントを探す。
ミコは忘れられた好きの痕跡を探す。
違うようで、かなり近い。
だからこそ、少しだけ怖い。
「入ってぇ♡」
扉が開いた。
そして俺は、完全に固まった。
部屋は、想像以上にミコだった。
黒とピンク。
ぬいぐるみ。
同人誌。
イベントパンフ。
古いゲーム雑誌。
閉鎖済みサイトをプリントしたファイル。
サ終ゲームの告知文をまとめたバインダー。
配信アーカイブを保存した外付けHDD。
過去ログの印刷束。
コメント欄のスクショ。
メイド服。
コスプレ衣装。
小さなアクリルスタンド。
推しの缶バッジ。
デスク横には、配信用と思われる小型マイクとリングライト。
棚には、更新停止した個人サイトのスクリーンショットを年代順に並べたファイル。
ベッド脇には、サ終したソシャゲの最終日スクショをプリントした小さなアルバム。
そして、壁の一角に。
俺の写真があった。
「…………」
「えへへぇ♡」
「待て」
「うん♡」
「なぜ俺の写真がある」
「幼馴染だから?」
「疑問形で返すな」
「だって、ハルトくんも私のこと、昔の写真とか持ってるでしょ?」
「家族アルバムにはある」
「私は個人アーカイブしてるだけだよぉ」
「言い方を専門的にしても内容は変わらん!!」
俺は壁を見た。
小学生の俺。
中学生の俺。
文化祭で変な顔をしている俺。
ジャンク屋の前で目を輝かせている俺。
古いゲーム機を抱えて高笑いしている俺。
何かのフロッピーを掲げている俺。
CRTを運んで腰をやられかけている俺。
中古ショップのジャンク箱の前で完全に終わった笑顔をしている俺。
そして、ミコと一緒に写っている写真。
量が多い。
いや、多すぎる。
「ミコ」
「なぁに?」
「これは何年分だ」
「えっとぉ……小一から?」
「小一から!?」
「うん♡」
「なぜそんなに保存している!!」
「だって、ハルトくんって昔からすぐ変なもの見つけて、すぐ嬉しそうにするから。残しておかないともったいないでしょ?」
「もったいない?」
「うん。消えたら嫌だもん」
その一言で、俺は少し黙った。
消えたら嫌。
ミコにとって、それは軽い言葉ではない。
サ終ゲーム。
閉鎖サイト。
更新停止した個人ページ。
誰も来なくなった掲示板。
最後のコメント。
忘れられた推し。
そういうものを愛する彼女にとって、「消えたら嫌」は祈りに近い。
俺の写真も、その保存対象なのだ。
そう考えると、むやみに怒れなくなる。
非常に厄介だ。
「……ふん。まあ、記録保存の姿勢としては理解できる」
「ほんと?」
「ああ。ただし、俺の写真が多すぎる」
「厳選したんだよぉ?」
「これで厳選後だと?」
「うん♡」
恐ろしい。
完全版アーカイブはどこにある。
いや、聞くな。
聞いたら終わる。
恋愛ゲームでは、こういう時に不用意な選択肢を選ぶと、隠しギャラリーが解放される。解放された結果、こちらの精神にダメージが入るタイプのギャラリーだ。
「ちなみにねぇ」
「ちなみに、何だ」
「ハルトくんフォルダ、ちゃんと年代別に分けてるよぉ」
「聞いていない!!」
「あと、表情差分もあるよぉ」
「俺をキャラクター素材みたいに扱うな!!」
「だってハルトくん、表情差分多いんだもん。クソゲー見つけた時の顔、壊れた機械が動いた時の顔、フロッピーが読めた時の顔、ナギカちゃんにキモいって言われた時の顔、全部違うよぉ」
「最後の差分はいらん!!」
「いるよぉ。かわいいもん」
「かわいいと言うな!!」
俺は頭を抱えた。
これが恋愛ゲームなら、今の会話だけで大量のフラグが立っている気がする。幼馴染部屋イベント。写真保存イベント。過去回想フラグ。好感度初期値高め。個別ルート突入済み。しかも俺は、どの選択肢がセーフなのか分かっていない。
極悪である。
《SIREN_CITY》とは違う方向で、極悪である。
俺は部屋の中央に置かれた低いテーブルを見た。
そこには、すでに数冊の古い雑誌と、透明なクリアファイルが用意されていた。
紙。
古い紙の匂い。
インク。
経年劣化。
折れ跡。
保存袋。
俺の脳が一気に切り替わる。
「これか」
「うん。《人生終了ゲーム》って名前を見たの、多分この中だと思う」
ミコの声が少しだけ変わった。
甘さが残っている。
だが、そこに研究者の温度が混ざる。
「おじいちゃんの家にあった古い攻略雑誌の切り抜き。ちゃんとした記事じゃなくて、読者投稿とか、怪しいゲーム紹介コーナーみたいなやつだったと思う。私、小さい頃に見て、名前だけ妙に覚えてたの」
「よく覚えていたな」
「だって、変な名前だったし。それに、ページの端に誰かの手書きメモがあったの」
「手書きメモ?」
「うん。『これは遊ぶな』って」
俺の中のサイレンが、一瞬だけ強くなった。
「……何だと?」
「赤ペンで書いてあった。子供の字じゃなかったと思う。大人の字。だから怖くて、それ以上読まなかったの。でも、ハルトくんが《人生終了ゲーム》って言った時、思い出した」
「ミコ」
「うん」
「それは先に言え」
「ごめんねぇ」
「いや、責めているのではない。重要情報だ」
「ハルトくん、怒ってない?」
「怒っていない。むしろ、よく覚えていた。貴様の記憶ログは優秀だ」
「えへへぇ♡ 褒められたぁ」
「褒めた。だが寄るな」
「なんでぇ?」
「近いからだ」
「近い方が見やすいよぉ」
「紙資料を見る距離の話ではない!!」
ミコは俺の隣にぴったり座った。
肩が触れる。
髪が少しだけ腕にかかる。
甘い匂いがする。
これは危険だ。
資料確認に集中しなければならない状況で、隣接ヒロインによる集中力デバフが発生している。
ゲームとして最悪である。
「ミコ、少し離れろ」
「やだぁ」
「なぜだ」
「一緒に見るんだもん」
「資料は離れても見える」
「でも、ハルトくんの反応も見たいし」
「俺は資料ではない」
「ハルトくんも大事な記録だよぉ」
「その分類をやめろ!!」
俺はテーブルの前に座り直した。
ミコも隣に座る。
近い。
近いが、今は資料だ。
資料確認だ。
脳を切り替えろ。
「まず、手で直接触るな。指紋、皮脂、紙の破損が怖い。クリアファイル越しに確認する。照明は斜めから当てる。紙面の凹凸、筆圧、赤ペンのインク滲みを見る。可能なら後でスキャン。だが古い紙ならフラットベッドに押しつけると折れる可能性がある。撮影優先だ。撮影するなら斜光と正面の二種類。メモの筆圧を見るなら、影が必要になる」
「うん♡ ハルトくん、かっこいい」
「今の説明のどこにかっこいい要素があった」
「好きなものを大事にしてるところ」
「…………」
また処理が止まった。
こいつは隙あらば直球を投げてくる。
危険だ。
非常に危険だ。
「ミコ」
「なぁに?」
「貴様はもう少し、発言にワンクッション置け」
「どうして?」
「俺の処理が乱れる」
「乱れてほしいなぁ」
「なぜだ!!」
「だって、ハルトくんっていつもゲームとか機械とかログにはすぐ夢中になるのに、私のことになるとすぐ逃げるんだもん」
「逃げてはいない。処理保留しているだけだ」
「それ、逃げてるって言うんだよぉ」
「違う。判断材料が足りないだけだ」
「じゃあ、もっと材料あげるね♡」
「待て!! 今は紙資料だ!!」
ミコは楽しそうに笑った。
完全に遊ばれている。
だが、ミコはただからかっているだけではない。たぶん、真剣でもある。だから余計に難しい。好意の演技なのか、本音なのか、冗談なのか、誘導なのか、全部が混ざっている。恋愛ゲームで言えば、通常会話に本命ルートの台詞が混ざっているタイプだ。見逃すと後悔する。拾いすぎると自爆する。
どちらにせよ、難易度が高い。
俺は咳払いした。
「とにかく、資料を見る」
「うん♡」
ミコがクリアファイルを開く。
紙片が現れる。
古いゲーム雑誌の一部。
ページの端。
タイトル欄のような場所。
小さな紹介コーナー。
印刷は荒い。
紙は黄ばんでいる。
周囲には、他の怪しいタイトルが並んでいる。
《深夜校舎》
《首なし番長》
《百円墓場》
《人生終了ゲーム》
あった。
確かにあった。
俺は息を止めた。
活字。
印刷。
ネットではなく紙。
誰かが昔、これを印刷した。
誰かが読んだ。
誰かが保存した。
誰かが赤ペンで書いた。
《これは遊ぶな》
俺は、ゆっくりと呟いた。
「……見つけたぞ」
ミコが俺の横で、静かに微笑む。
「うん」
「《人生終了ゲーム》だ」
「うん」
「紙に残っていた」
「消えてなかったねぇ」
その声が、妙に優しかった。
俺は画面ではなく紙を見ている。
だが、頭の奥ではまだ《SIREN_CITY》の白い文字が点滅していた。
《激突まで残り24時間》
そして今、紙の上には別の警告がある。
《これは遊ぶな》
俺は笑った。
小さく。
そして、だんだん大きく。
「フ……フハハ……」
「ハルトくん?」
「フハハハハハハハハハ!! 来たぞ!! ついに来た!! ネットから消えた名前が、紙の墓標から蘇った!! 《人生終了ゲーム》!! 貴様、やはり存在していたな!! 誰も覚えていないゲーム!! 誰も遊ぶなと書いたゲーム!! この騎士ハルトが、貴様の記録を掘り起こしてやる!!」
「うん♡ でもね、ハルトくん」
「何だ!」
「遊ぶなって書いてあるよぉ?」
「だからこそ検証する!!」
「そう言うと思ったぁ」
ミコは困ったように笑った。
それから、俺の肩にそっと頭を寄せた。
「でも、無茶はしないでね」
「……分かっている」
「ほんと?」
「分かっている」
「じゃあ、今日はここで一緒に調べよ?」
「うむ」
「ご飯食べて」
「うむ」
「ナギカちゃんにもちゃんと返信して」
「うむ」
「それで、帰るの遅くなったら泊まってもいいよぉ♡」
「うむ……ん?」
今、何か混ざった。
俺はミコを見た。
ミコはにこにこしていた。
「何と言った」
「泊まってもいいよぉ♡」
「なぜそうなる!!」
「遅くなったら危ないでしょ?」
「それはそうだが!」
「パパとママいないし」
「それは理由にならん!!」
「お布団もあるよぉ♡」
「完全にイベントを進める気だな貴様!!」
「資料確認だよぉ♡」
「その万能ワードを使うな!!」
俺は頭を抱えた。
目の前には《人生終了ゲーム》。
ガレージには《SIREN_CITY》。
スマホにはナギカ。
未返信のアラタ。
そして隣には、俺を完全に恋愛ゲームの迷宮へ引きずり込もうとしている幼馴染。
俺は理解した。
今日という日は、終わらない。
終わる気がしない。
そして、このルートには。
セーブポイントがない。
しかも最悪なことに、ミコは俺の反応を見て、少しだけ嬉しそうに目を細めていた。
「ハルトくん」
「何だ」
「そんなに困ってる顔、久しぶりに見たかもぉ」
「困ってはいない。状況を整理している」
「じゃあ、整理できた?」
「できん!!」
「えへへぇ♡」
「笑うな!! このイベント、分岐条件が不明すぎる!! 資料確認、夕飯、両親不在、宿泊提案、肩寄せ、手繋ぎ、写真アーカイブ、全部同時発生している!! 普通の恋愛ゲームなら、これは個別ルート終盤のイベント密度だ!! 序盤でぶつける量ではない!!」
「序盤じゃないよぉ」
「何?」
ミコは、俺の肩に頭を預けたまま、少しだけ小さな声で言った。
「私にとっては、ずっと前から始まってたもん」
「…………」
やめろ。
その台詞は駄目だ。
完全にルート確定演出ではないか。
背景が夕方で、部屋に二人きりで、古い紙資料を挟んで、幼馴染がそんなことを言うな。
俺の中の何かが、派手に処理落ちした。
「ハルトくんはさ」
「……何だ」
「消えたゲームとか、読めなくなったフロッピーとか、誰も覚えてないログとか、そういうのを見つけると、すごく嬉しそうにするでしょ?」
「ああ」
「私はね、それを見てるハルトくんが好きだったんだよぉ」
「…………」
「みんなが忘れても、ハルトくんだけは忘れないで拾いに行くんだなぁって。誰も見なくなった場所に、ちゃんと行くんだなぁって。だから、ハルトくんのことも残しておきたかったの」
ミコは笑っている。
だが、その声はいつものふわふわした甘さだけではなかった。
少しだけ静かだった。
誰にも思い出されなくなることを本気で怖がる女の声だった。
「だから、写真も残したのか」
「うん」
「小一から?」
「うん♡」
「多すぎる」
「えへへぇ♡」
俺はため息を吐いた。
怒れない。
こんなもの、怒れるわけがない。
ミコの好意は重い。
しかし、雑ではない。
彼女なりの保存であり、祈りであり、愛情なのだろう。
俺にはそれを、ゲームの仕様としてだけ処理することはできなかった。
だから、少しだけ声を落として言った。
「……まあ、保存される側の許可は今後取れ」
「じゃあ、これからも撮っていい?」
「限度による」
「一緒に写ってくれる?」
「状況による」
「今日も?」
「資料確認が終わったらな」
ミコがぱっと顔を上げた。
「ほんと?」
「ただし一枚だけだ」
「三枚」
「一枚」
「じゃあ、間を取って十枚♡」
「増えている!!」
ミコは笑った。
俺も少しだけ笑ってしまった。
悔しい。
完全にペースを握られている。
《SIREN_CITY》が理不尽な時間管理ゲームなら、ミコルートは理不尽な好感度管理ゲームである。
だが、少なくとも今この瞬間。
俺は、少しだけこのクソゲーを嫌いではなかった。
いや。
かなり危険な発言なので、ログには残さないでおく。
《人生終了ゲーム》の痕跡は、ネットではなく紙に残っていた。
そして俺は理解した。
古いゲームの検証も、幼馴染の好意も、軽率に踏み込むと戻れない。
特に後者はセーブ不可である。
次回、資料確認はさらに深部へ。
……いや、本当に資料確認だからな?
――騎士ハルト検証ログ:保存後




