LOG.02 検証ログ:黒箱に入った街と、放送ノイズ
――騎士ハルト検証ログ:起動前
深夜二時の通話は、たいてい碌な方向へ進まない。
眠気で判断力は鈍り、画面の光だけが妙に鮮明になり、普段なら流してしまう小さな違和感が、妙な質量を持ち始める。
その夜、俺は《絶叫!! 呪音学園》の検証を終えた直後だった。
真エンドには到達した。ログも取った。入力条件も記録した。普通なら、そこで寝るべきだったのだろう。
だが、宵崎ミコからの電話が来た。
距離感の近い幼馴染。
やたら甘い声で話すくせに、妙な都市伝説をさらっと持ち込んでくる女。
彼女が口にした《人生終了ゲーム》という名前は、まだ輪郭すら持っていなかった。
現物はない。画像もない。攻略記事もない。ただ、古いネットの底に名前だけが残っている。
だから俺は、それを保留した。
焦って踏み込むべきではない。
まずはログを取り、分類し、観測条件を揃える。
そう思っていた。
少なくとも、2xchのスレが動くまでは。
ミコの向こう側で、電子音が鳴った。
『あっ』
小さな声。
その直後、電話越しの空気が少しだけ揺れた。
通知音。
いや、ただの通知にしては軽い。
ゲーム内の周回完了音。
スタミナ回復通知。
ログインボーナス切り替え。
あるいは別端末。
俺は即座に分類した。
仕様か。
バグか。
通知か。
別端末か。
オタクの生活音か。
結論。
最後だ。
ミコは「あぅ〜……」と、少し甘えるみたいに息を漏らした。
『ごめんねぇ、ハルトくん』
「なんだ?」
『ゲームの周回止めるの忘れてたぁ……』
「おい、深夜にソシャゲ自動周回してる女子高生、かなり終わってるぞ?」
『えへへ』
笑う。
柔らかい。
だが、妙に生活感がある。
宵崎ミコは、外側だけ見ればふわふわしている。
声も甘い。
雰囲気も柔らかい。
たぶん普通の男子なら、電話越しに名前を呼ばれただけで好感度ゲージが暴発する。
だが、俺は知っている。
あいつの部屋は、机の上だけ終わっている。
ヘッドホン。
古いゲーム機。
限定版パッケージ。
同人誌。
サービス終了告知画面。
積まれたBlu-ray。
未開封のアクリルスタンド。
謎の特典CD。
イベント配布冊子。
充電ケーブル三本。
用途不明のUSBハブ。
そして、たぶん本人すら把握していないシリアルコード付き紙片。
オタクの巣。
砂糖菓子の箱を開けたら、中に基板とレシートと交換コードが詰まっているタイプの女である。
『でもぉ』
ミコが少し声を落とした。
『人生終了ゲームの話、また今度ちゃんとするね?』
「“ちゃんとする”の時点で嫌な予感しかしないんだが……」
『ふふっ……私もだよ?』
一瞬だけ、ミコが静かになった。
普段の柔らかい甘さではない。
声の温度が少し下がる。
その沈黙で分かる。
ミコ自身も、まだ整理できていない。
ただの都市伝説として流せない何かを掴んでいる。
だから俺に尋ねてきた。
『ねぇ、ハルトくん』
「なんだ」
『明日も電話していい?』
「ああ、別に構わんが」
『ほんと?』
「何故そんなに嬉しそうなんだ?」
『だって、ハルトくんと話すの好きだもん』
「…………」
くっ。
何だそのド直球ストレート攻撃は。
俺の脳は現在、未発見イベント検証モード中である。
恋愛フラグ解析機能は未実装だ。
『もっと話したいしぃ』
「そうか」
『そうか、だけ?』
「他にどう返せと?」
『えー……そこはさぁ、“俺もだ”とかぁ』
「俺もだ」
『わぁ、棒読み』
「要求された選択肢を実行しただけだが?」
『そういうところだよぉ、ハルトくん』
「どういうところだ」
『ふふっ、内緒』
内緒。
出た。
情報を出し渋るタイプのNPC台詞。
フラグ管理が面倒なやつだ。
「ミコ」
『なぁに?』
「その“内緒”は後で回収される伏線か?」
『えっ』
「それとも単なる感情表現か?」
『もう、ほんとそういうところぉ』
「だから何がだ!」
『ハルトくんってさぁ』
「なんだ」
『私が“好き”って言っても、たぶん攻略情報だと思うよねぇ』
「いや、“好き”という言葉は対象が不明確だ。ゲームが好きなのか、会話が好きなのか、俺の検証ログが好きなのか、文脈を――」
『はいはい、そういうところ』
「む……」
何故か呆れられた。
解せぬ。
『でも、そういうハルトくんだから、私は好きなんだけどねぇ』
「……今の“好き”は何に係っている?」
『ハルトくん』
「俺か」
『うん』
「なるほど」
『なるほど?』
「情報として受領した」
『受領で終わらせないでよぉ!?』
電話越しに、ミコが頬を膨らませているのが分かった。
見えていない。
だが分かる。
昔から、ミコはそういう反応をする。
怒っているようで怒っていない。
拗ねているようで少し楽しそう。
仕様か。
バグか。
幼馴染補正か。
分類不能。
『ハルトくんって、ほんと昔から変わらないよねぇ』
「一貫性は大事だ」
『小学生の時もさぁ、私がバレンタインにチョコ渡したら』
「おお、あったな」
『“糖分補給として優秀”って言ったんだよ?』
「事実だろう」
『違うのぉ!』
「違うのか?」
『違うよぉ! あれはイベントだったの!』
「イベント?」
『そう! 幼馴染ヒロインによる好感度上昇イベント!』
「なるほど。だが当時の俺は《魔界踏破伝グルグルロード》のノーコン検証中だった。恋愛イベントを処理するメモリ容量はなかった」
『今もないでしょ』
「失礼な。今なら多少はある」
『じゃあ、今なら分かる?』
「何を?」
『私がハルトくんと、まだ電話切りたくないなぁって思ってること』
「……」
処理が止まった。
電話越しのミコの声は甘い。
眠そうで、柔らかくて、耳に近い。
深夜二時。
誰かの声が、部屋の中のCRTノイズと混ざっている。
普通ではない。
だが、俺は結論を出した。
「それは、その、さっきの人生なんちゃらゲームの話題がまだ未消化だからだな」
『違うよぉ!?』
「違うのか?」
『違うけど、もうそれでいいやぁ……』
ミコは、くすくす笑った。
『ほんと、ハルトくんは手強いなぁ。クソゲー並だよぉ』
「俺をクソゲーと同じ扱いにするな……!」
『えへへ。攻略難易度高いもん』
「誰がだ」
『ハ〜ルトくん』
「俺を攻略対象みたいに言うな」
『だって、攻略したいし』
「……」
また処理が止まった。
危険だ。
この通話、妙にCPU負荷が高い。
《人生終了ゲーム》という未確認ワード。
宵崎ミコのラブコメ的発言。
《絶叫!! 呪音学園》真エンド後のノイズ差分。
情報量が多すぎる。
『ねぇ、ハルトくん』
「なんだ」
『明日、学校で会ったら、一緒に帰ろ?』
「別に構わんが」
『やったぁ♡』
「ただし、旧情報棟に寄るかもしれん」
『いいよぉ』
「あと、ジャンク家にも寄る可能性がある」
『うん』
「さらに、人生終了ゲーム関連のログが見つかったら放課後は検証に回す」
『それも一緒に見たい』
「ミコ」
『なぁに?』
「お前、普通の女子高生としての危機感が薄いぞ」
『ハルトくんに言われたくないなぁ』
「それはそうだが」
『でもねぇ』
ミコの声が、ほんの少し柔らかくなった。
『ハルトくんが変なもの見つけた時、ひとりでどこまでも行っちゃうの、昔から知ってるから』
「……」
『だから、たまには私も横にいたいなぁって』
「ミコ」
『うん』
「それは観測補助か?」
『もうっ』
電話越しに、ミコが笑った。
『そういうことにしてあげる』
「助かる」
『助かってないよぉ、もう』
その声は呆れているのに、嬉しそうだった。
なんだこの感情ログ。
俺は少しだけ口を開きかけた。
その時だった。
スピーカーから、2xchの更新音が鳴った。
ポン。
古い専ブラに設定していた、間抜けな通知音。
俺は反射的に画面を見た。
『……ハルトくん?』
「待て。スレが動いた」
『えー』
「今の速度で単発長文だ。何か来た」
『私と話してる途中なのにぃ』
「ミコ、これは重要ログの可能性がある」
『私の話も重要ログだよぉ』
「受領済みだ」
『受領じゃなくてぇ』
ミコの声が、少しだけ拗ねた。
だが俺の目は、もうスレッドの新着レスに釘付けになっていた。
*
2xchの《理不尽クソゲー総合 Part92》は、深夜二時十七分という、匿名掲示板文化圏における最も濃度の高い時間帯に突入していた。
昼間は、知識自慢とエアプが殴り合い、夕方になると仕事帰りの古参が昔話を始める。そして深夜二時を超えると、本当に頭のおかしい奴だけが残る。つまり、この時間のログは濃い。ノイズも多いが、妙に生々しい証言や、昼間なら流されるような異常値が浮かび上がることがある。
俺は、その更新されたレスを見ていた。
その時点では、まだ音声通話だった。スマホは耳元にあり、スピーカー越しに、宵崎ミコの甘く眠たげな声が流れている。
『ねぇ、ハルトくん』
「なんだ」
『明日さぁ、ほんとに一緒に帰るよねぇ?』
「言っただろう。別に構わん」
『“別に構わん”じゃなくてぇ。もうちょっと嬉しそうにしてほしいなぁって』
「嬉しいかどうかで言えば、情報共有相手が近くにいるのは効率が良い」
『効率ぅ……。私、効率で誘われてるのぉ?』
「違うのか?」
『違うよぉ。普通はね、幼馴染の女の子が“一緒に帰ろ?”って言ったら、もうちょっとイベントっぽい反応するんだよぉ』
「イベント?」
『そう。放課後イベント。帰り道イベント。もしかしたら寄り道イベント』
「なるほど。フラグ連鎖か」
『フラグじゃなくて気持ちぃ。気持ちをフラグ管理しないでほしいのぉ』
ミコは、むぅ、と拗ねた声を出した。この女は、昔から距離感の設定がおかしい。会話の温度が近く、言葉が柔らかく、しかもこちらが何も返さなくても勝手に懐へ入ってくる。
普通の男子高校生なら、ここで恋愛イベント判定を出すのかもしれない。だが、残念ながら俺の脳は現在、《人生終了ゲーム》と《絶叫!! 呪音学園》真エンド後ノイズ差分と、2xchログ保存の三系統処理で埋まっている。恋愛フラグ解析機能は、今夜も未実装だった。
『ねぇ、ハルトくん。今、私どんな格好してると思う?』
「音声通話でそれを問うのは観測条件が足りない」
『じゃあ、想像して』
「寝る前なら部屋着だろう。髪はほどいている可能性が高い。ベッドか床に座っている。周辺には充電器、スマホ、ゲーム機、飲みかけの何か、あと回収し忘れた限定グッズ」
『なんでそこは当たるのぉ!?』
「お前の部屋の運用傾向だ」
『運用傾向って言わないでよぉ』
ミコが笑った。その笑い方は、少しだけ照れているようにも聞こえた。
『じゃあさ、ビデオにしたらちゃんと見てくれる?』
「何を」
『私』
「今はスレを見ている」
『だからぁ。スレじゃなくて、私を見てって言ってるの』
数秒、処理が止まった。だが、その直後、古い専ブラに設定していた間抜けな更新音が鳴り、俺の視線は条件反射でモニタへ戻った。
『あーっ、今そっち見たぁ』
「待て。スレが動いた。今の速度で複数レスだ。何か来た」
『もぉ……。じゃあ、私も見る』
「何を」
『そのスレ。ハルトくんがそんな顔するなら、私も一緒に見る』
「顔は見えていないだろう」
『じゃあ、今から見えるようにするねぇ』
通話が一瞬途切れ、画面が切り替わる。ビデオチャットになったスマホを、俺はCRTモニタ横に立てかけた。画面の向こうでは、宵崎ミコが頬杖をつきながらこちらを見ていた。ゆるい部屋着に、少し崩れた髪、眠そうな目。だが、その目だけは、ずっと俺を観測している。
『はい。これで私も見てるからねぇ』
「見るなら黙って見ろ」
『ひどぉい。せっかくハルトくんのために顔出したのに』
「顔を出すこととログ解析に何の関係がある」
『そういうところぉ』
ミコが頬を膨らませたが、俺はすでに2xchへ意識を引っ張られていた。スレ速度が異様に速い。嫌なタイプの加速だった。祭り、燃料投下、あるいは“知っている奴”が現れた時の流れ。
1:名無しの影
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2:名無しの影
立て乙
3:名無しの影
騎士ハルトまだ起きてる?
4:名無しの影
寝ろ
5:名無しの影
寝るわけない
6:名無しの影
人生終了ゲームの続きまだ?
7:名無しの影
その名前やめろって
8:名無しの影
空気変わるんだよ
9:名無しの影
で、騎士ハルトどこまで掘った?
10:騎士ハルト
現時点では未分類。確定情報不足だ
11:名無しの影
来た
12:名無しの影
真面目モードだ
13:名無しの影
でも絶対掘るんだろ
14:騎士ハルト
当然だ。ただし順序がある
15:名無しの影
順序?
16:騎士ハルト
現物が先だ。ログだけ追うのは三流の陰謀論者がやることだ
17:名無しの影
言い方ァ!
18:名無しの影
でも分かる
19:名無しの影
人生終了ゲームは名前だけなんだろ?
20:名無しの影
知ってる奴が少なすぎる
21:名無しの影
検索しても変なのしか出ないって話
22:名無しの影
件数だけあるやつな
23:名無しの影
開くと404
24:名無しの影
魚拓も死んでる
25:名無しの影
だから嫌なんだよ
26:名無しの影
そういや変なの来てるぞ
27:名無しの影
何
28:名無しの影
自主制作ゲーム
29:名無しの影
また始まった
30:名無しの影
今度は実写ADV系
「……実写?」
『うわ、食いついた。その“食いつき方”の時、絶対ロクなことにならないんだけど』
「待て。まだ分類段階だ」
『分類って言いながら目がキラキラしてるぅ』
「知的好奇心だ」
『オタク特有の破滅前進だよぉ、それ』
31:名無しの影
CD-Rで送られてきた
32:名無しの影
作者不明
33:名無しの影
ケース無し
34:名無しの影
箱が怖い
35:名無しの影
黒い箱?
36:名無しの影
ミステリーボックスみたいなやつ
37:名無しの影
中にCD-R一枚だけ
38:名無しの影
タイトル手書き
39:名無しの影
《SIREN_CITY》
40:名無しの影
うわ
41:名無しの影
絶対ヤバい
《SIREN_CITY》という露骨すぎるタイトルを見た瞬間、俺の指が止まった。安直で、厨二で、いかにも自主制作ホラーという感じがする。だが、こういう“安直すぎるタイトル”は、逆に危険な場合がある。作者が“売る気”ではなく、“届かせる気”で作っている可能性があるからだ。作品ではなく、記録。あるいは実験。俺は即座に、仕様か、バグか、演出か、模倣か、開発者の悪意かを整理し始めていた。
『ハルトくぅん、顔こわい』
「していない」
『してるぅ』
ミコはスマホへ顔を寄せた。かなり近い。白い肩が画面へ映り、鎖骨と少し緩んだ襟元まで見える。普通の男子高校生なら、ここで脳が爆発してもおかしくない。
だが俺は、そんなことより“実写ADV系”という記述の年代感が気になっていた。
「待て。この“実写ADV系”って記述、年代が妙だ」
『そこじゃないのぉ!?』
「何がだ」
『いやもういいよぉ……』
ミコが完全に呆れた。
『ハルトくんってさぁ、私が今どんな体勢か、一ミリも見てないでしょ』
「見ているぞ。部屋着。灰色。たぶん猫。あと、後ろの棚に未開封Blu-rayが三段。左上のぬいぐるみが落ちそう」
『そこじゃないのぉ!?』
「違うのか?」
『違うよぉ!!』
ミコが顔を覆った。何故だ。ちゃんと観測しただろうが。しかも高精度で。
だが、ミコが深いため息を吐いた瞬間、スレの空気が変わった。
42:名無しの影
追加スクショ来た
43:名無しの影
は?
44:名無しの影
ちょっと待て
45:名無しの影
それスクショじゃなくて動画コマじゃね?
46:名無しの影
数秒だけ動いてる
47:名無しの影
やばい
48:名無しの影
消した方がよくね?
49:名無しの影
いや待て待て待て
50:名無しの影
騎士ハルトいるか?
51:騎士ハルト
いる。貼れ
52:名無しの影
躊躇ゼロで草
53:名無しの影
怖いもの知らずかよ
54:騎士ハルト
怖いかどうかは見てから判断する
『その台詞、毎回死亡フラグなんだけどぉ……』
ミコが半目になるが、俺はもう画面しか見ていなかった。投稿されたのは、静止画ではなく、数秒のコマ割り動画だった。GIFではない。粗い連番画像を繋げただけのような、古い実写ADV特有の疑似動画で、低解像度、圧縮ノイズ、日付表示、古いデジカメ特有の黄色い色味が乗っている。
そして、俺は止まった。
『ハルトくん?』
「待て」
映っていたのは、暗い部屋だった。学校の放送室か、機材室か、あるいは体育館裏の音響設備室に近い。壁には吸音材らしきパネルがあり、床にはケーブルが這い、天井付近には校内放送用と思われるスピーカーが設置されている。そこへ、ひとりの男が忍び込んでいた。
顔は見えない。帽子を被り、黒い上着を着て、脚立に乗り、手袋をしたその男は、スピーカーの裏へ何かを取り付けていた。小型の箱、配線、基板、テープ。普通に見れば、盗聴器か、発信機か、音響機材への細工に見える。だが、形だけなら、爆弾に見えなくもなかった。
『え……なに、これ』
ミコの声が、明らかに震えた。
「まだ断定するな。爆発物とは限らない。小型アンプ、無線送信機、録音装置、遠隔スイッチ、単なる演出用プロップ、可能性はいくらでもある」
『ハルトくん、声が怖い』
「俺も嫌な気分だ」
動画の右下には、デジタル日付が入っていた。
《2024.4.8》
昨日。正確には、俺たちの入学式の日。
その数字を見た瞬間、俺の脳内で、昨日の体育館の音が再生された。校長の声、拍手、右側スピーカーだけが微妙に潰れていた高域、さらに右後方だけ反響が0.08秒遅れて返っていた音響のズレ。あの時、俺はDSP同期ズレか、アンプ設定ミスだと思った。新設校あるあるだと笑っていた。
だが今、画面に映っている男は、スピーカーの裏へ何かを設置している。日付は2024年4月8日。俺は一瞬、電ノ原工業学園の体育館を思い出した。入学式の音響ノイズ。右後方スピーカー。あの、ファミコン後期ホラーADVの疑似PCMみたいな校歌。
だが、すぐに違和感が勝った。
「……違う」
『え?』
「電ノ原じゃない」
俺は動画を停止し、背景の壁、スピーカーの形、天井梁、配線ラックを確認した。俺の記憶にある電ノ原の体育館とは違う。もちろん、俺が見ていない別室の可能性はある。だが、少なくとも、入学式会場のスピーカーとは型が違う。
「これは電ノ原の体育館じゃない。少なくとも昨日俺がいた会場とは一致しない」
『じゃあ、別の学校……?』
「その可能性はある」
『でも日付、昨日なんだよね……?』
「ああ」
俺は動画の一コマを保存し、次のコマへ進めた。男の手元には、黒い小箱、細いコード、スピーカー端子付近へ取り付けられる何かが映っている。最後の方で、男が一瞬だけ振り返る。顔は映らないが、左腕に何かを巻いていた。
「腕章……か?」
『なに?』
「ぼやけているが、左腕に何か巻いている。ノイズと圧縮崩れで文字は読めないが、腕章のように見える」
つまり、侵入者ではない可能性がある。あるいは、“侵入者に見えない格好”をしている可能性がある。
55:名無しの影
これガチでヤバくね?
56:名無しの影
犯罪写真じゃん
57:名無しの影
いや動画だろ
58:名無しの影
コマ送りしたらスピーカーに何か付けてる
59:名無しの影
爆弾?
60:名無しの影
言うな
61:名無しの影
爆弾はさすがにないだろ
62:名無しの影
でも見た目それっぽい
63:名無しの影
盗聴器とかじゃね
64:名無しの影
発信機?
65:名無しの影
これ学校だよな?
66:名無しの影
日付昨日じゃん
67:名無しの影
2024.4.8
68:名無しの影
昨日何かあった?
69:名無しの影
入学式シーズン
70:名無しの影
やめろ
71:名無しの影
これゲーム素材にしていいやつじゃないだろ
72:名無しの影
演出だろ?
73:名無しの影
でも演出ならもっと見せる構図にするだろ
74:名無しの影
隠し撮りっぽい
75:名無しの影
騎士ハルトどう思う?
俺は数秒黙り、考えをまとめてから書き込んだ。
76:騎士ハルト
現時点では断定不能
77:名無しの影
珍しく慎重
78:騎士ハルト
爆発物かどうかは分からない。小型アンプ、録音装置、送信機、遠隔起動装置、演出用プロップの可能性がある
79:名無しの影
遠隔起動装置って言うな怖い
80:騎士ハルト
ただし、“実写素材の空気”が演出としては異常に生々しい
81:名無しの影
わかる
82:騎士ハルト
自主制作ゲームにしては、撮影者と被写体の距離感が近すぎる
83:名無しの影
うわ
84:名無しの影
それさっきも言ってたな
85:騎士ハルト
普通の創作写真は“見せる構図”になる。だがこれは違う。“記録する構図”だ
86:名無しの影
記録する構図って嫌すぎ
87:名無しの影
ゲームじゃなくて証拠じゃん
88:名無しの影
言うな
89:名無しの影
これ貼った奴どこ行った?
90:名無しの影
スレ主反応しろ
91:名無しの影
おい
92:名無しの影
消えた?
93:名無しの影
怖い怖い怖い
『ハルトくん、今、すごく嫌な顔してる』
「していない」
『してるよぉ……』
ミコが小さく言った。ビデオチャット越しにこちらを見る目が、不安そうだった。
俺は、動画をもう一度だけ確認した。男、脚立、スピーカー、小型の箱、2024.4.8、別の学校の可能性。だが、俺の記憶の中で、電ノ原の放送ノイズがまだ鳴っている。右後方だけ0.08秒遅れた反響。あれは本当に、ただの設備不良だったのか。それとも、何か別の原因があったのか。
そこまで考えて、俺は意識的に思考を止めた。
まだ結びつけるな。観測条件が足りない。雑な陰謀論は、検証を殺す。俺は陰謀論が好きだ。大好きだ。だが、だからこそ分かる。証拠なき接続はただの妄想だ。
今あるのは、映像の断片、日付、スピーカー、不審な設置行為、そして俺の記憶に残る音響ノイズだけ。まだ線ではない。点だ。点を線にするには、ログがいる。媒体がいる。現物がいる。
その時、新しいレスが流れた。
94:名無しの影
待って
95:名無しの影
このゲーム送られてきた奴、他にもいるっぽい
96:名無しの影
は?
97:名無しの影
マジ?
98:名無しの影
しかも送り主全部違う
99:名無しの影
でも箱は同じ
100:名無しの影
黒箱
101:名無しの影
CD-Rだけ入ってる
102:名無しの影
差出人不明
103:名無しの影
怖
104:名無しの影
届いた奴、全員別の場所の動画入ってるって
105:名無しの影
は?
106:名無しの影
それゲームじゃなくね?
107:名無しの影
やめろ
108:名無しの影
写真素材がランダム?
109:名無しの影
いやディスクごとに違う?
110:名無しの影
チェーンメールの物理版みたい
俺は静かに息を吐いた。
「……チェーン型か」
『チェーン?』
「都市伝説配布形式だ。90年代末期から2000年代初頭、オカ板とテキストサイト文化圏で流行った、“見るな”“やるな”“消された”“届いた”をセットにして感染させるタイプだ。昔はURLで届いたものが、これはCD-Rと黒箱で届いている」
『うわぁ……』
「だが問題はそこじゃない」
俺は、スピーカー動画の停止画を見たまま言った。
「このゲーム、たぶん“遊ばせる”ことが目的じゃない」
『……え?』
「見せることが目的だ」
部屋が静かになる。CRTノイズだけが鳴り、ミコが少しだけ唇を噛んだ。
『……ハルトくん。それ、もうゲームじゃなくない?』
俺は答えなかった。答えられなかった。何故なら、俺も同じことを考えていたからだ。
――騎士ハルト検証ログ:保存後
今回のログで分かったことは、まだ少ない。
《人生終了ゲーム》は、相変わらず名前だけが残る未分類の情報でしかない。
そして《SIREN_CITY》も、現時点ではゲームなのか、記録なのか、あるいは誰かが意図的にばら撒いた何かなのか、断定できない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
あの映像は、ただのゲーム素材として片づけるには、少しだけ生々しすぎた。
実写写真。
コマ割り動画。
学校らしき部屋。
放送スピーカー。
日付。
そして、俺の記憶に残っていた入学式の音響ノイズ。
まだ線ではない。
点だ。
だが、点が増えれば、やがて形になる。
俺は、恐怖を信じない。
だが、違和感は記録する。
仕様か。
バグか。
裏技か。
乱数か。
開発者の悪意か。
まだ答えは出ない。
だから保存する。




