LOG.16 電子遺跡観測基地――ディスクライター起動確認
――騎士ハルト検証ログ:起動前
壊れた機械を前にした時、人間は二種類に分かれる。
ゴミだと判断して捨てる者と。
まだ記録が残っているかもしれないと考え、ネジ一本、配線一本、接点ひとつにまで執着する者だ。
もちろん、俺は後者である。
黒zip。
一一二KB。
ディスクシステム疑惑。
そして、故障したディスクライター。
普通なら繋がらないはずの単語が、今、俺のガレージで一本の導線になろうとしている。
仕様か。
バグか。
裏技か。
乱数か。
開発者の悪意か。
答えはまだ出ていない。
だが、ひとつだけ分かっている。
壊れているなら、直せばいい。
読めないなら、読めるまで検証すればいい。
消えた記録なら、まだ戻せる可能性がある。
ならば、この俺がやるしかない。
ガレージに戻ってきてからというもの、俺の脳内では複数のログが同時に走っていた。
まず第一に、差出人不明のメール。
件名なし。本文一行。《お前をみている》。それだけなら、古いオカ板の釣りレス、都市伝説チェーン、閉鎖済み個人サイトの掲示板へ深夜に投下された意味不明コメント、あるいはブラクラへ誘導するための雑な前振りとして処理できたかもしれない。
だが、問題は文面ではなくタイミングだった。昼休みにミコから届いたメッセージが、こちらの会話内容と妙に噛み合いすぎていたこと。俺とナギカが監視や盗聴の可能性について話した直後に、まるでその疑念へ返答するようなメールが来たこと。
そして今、俺たち三人が《有栖川ガレージ》という俺の領域へ入ったこの瞬間、俺がいつものように2xchを開く前に、まずシャッター、窓、郵便受け、床の埃、工具箱の位置、ディスクライターの背面、電源タップ、ルーター周辺を見てしまっていること。
つまり俺は、無意識に「侵入痕跡」を探していた。
これは俺の領域ではない。
俺の専門は、ジャンクPC収集、フロッピー復旧、DAT解析、ROM吸い出し、CRT修理、古いBBSログ復元、失われたゲームの検証である。壊れた媒体、読めなくなった記録、404になったページ、dat落ちしたスレッド、閉鎖済み攻略Wiki、誰も覚えていない未発見イベント。そういうものは俺の戦場だ。
しかし、現実の侵入、監視、通信経路、認証、ログ改竄となると、それは久羅木ナギカの領域に近い。だからこそ腹立たしかった。俺のガレージで、俺の記録保管庫で、俺が他人の土俵に立たされている。
ナギカはそれに気づいていた。
ミコも気づいていた。
ナギカは口に出さないだけで、俺の視線移動と行動順の異常を読んでいる。普段の俺なら、帰宅から三十秒以内にPC前へ座り、専ブラを起動し、《SIREN_CITY》関連スレと人生終了ゲーム情報交換スレの新着レスを確認し、必要ならログをローカル保存し、レス番号、ID、投稿時間、文体、句読点、改行位置を照合する。
俺にとって2xchは単なる掲示板ではない。ログの集積地であり、誰かが消す前に拾うべき記録の流域である。にもかかわらず、今の俺はPCではなく部屋の隅を見ている。これは明らかに挙動がおかしい。
ミコはミコで、俺の変化を別の方向から読んでいる。あいつは通信経路や侵入痕跡ではなく、感情の残響を見る。俺が本当に怖いものを見た時、くだらない高笑いで誤魔化そうとすることも、普段なら大げさに語るところで妙に言葉が減ることも、全部知っている。幼馴染というだけではない。ミコは、俺が消えたゲームや古いログへ執着する理由そのものを、たぶん俺より柔らかい言葉で理解している。
だから俺は、あえて両手を広げた。
「フハハハハハ! 見るがいい、久羅木ナギカ! ここが俺の電子遺跡観測基地、《有栖川ガレージ》だ! PC-98、X68000、MSX、CRT三台、ROM吸い出し環境、DAT解析機材、復旧待ちフロッピー、スキャン待ち古雑誌、そして昨日回収したディスクライター! 普通の人間がゴミと呼ぶものを、俺は記録と呼ぶ!」
声量は出した。
言葉もいつもの俺に寄せた。
だが、自分でも分かる。これは盾だ。俺は昔から、理不尽なものを笑い飛ばし、攻略対象へ変換することで自分を保ってきた。だから高笑いする。だから騎士を名乗る。だから、意味不明イベントにぶち当たった瞬間、恐怖ではなく「仕様か? バグか? 裏技か? 乱数か? 開発者の悪意か?」と分類する。そうしなければ、現実側から伸びてくる得体の知れない手を、まともに見てしまうからだ。
ナギカはガレージを見渡し、心底嫌そうな顔をした。
「……うわ。想像以上に電子呪物の保管庫なんだけど」
「褒め言葉だな」
「褒めてない。ていうか、何でCRTが三台もあるのよ。普通の人間は一台でも持て余すのに、三台って何。目でも増設してるの?」
「甘いな久羅木!! 中央がメイン検証用、右が映像比較用、左が開腹中だ!! ブラウン管は単なる表示装置ではない!!古いゲームを検証する場合、液晶では拾えない遅延、滲み、走査線、色の沈み方、表示タイミングがある! 特にクソゲーの1フレーム入力や、画面端の微妙な当たり判定、特定フレームでだけ出るメッセージバグを検証するには、当時環境に近い表示系が必要になるからな!」
「うわ、また始まった。生き物として無理」
「黙れっ! 生き物ではない。検証者だ!」
「そこ否定しないのが一番キモい」
毒舌はいつも通りだったが、ナギカの視線は止まっていなかった。棚の上の古いフロッピーケース、ラベルが日焼けした五インチディスク、SCSI接続の外付けドライブ、埃を被ったDATデッキ、机の隅に置かれたROM吸い出し機、そしてガレージ中央に鎮座するディスクライター。本人は「キモい」と言いながら、完全に興味を持っている。通信解析屋にとって、ネットワークから切り離された物理媒体は苛立ちの対象であると同時に、未踏領域でもあるのだろう。
ミコは、そんなナギカを見てくすくす笑っていた。
「ナギカちゃん、嫌そうな顔してるけど、ちょっと楽しそうだねぇ」
「たっ、楽しくない! こんな電子廃墟、普通に怖いし」
「でも見てるよぉ?」
「危険物確認してるだけ!」
「ふふ。ハルトくんの部屋、危険物多いもんねぇ」
「おいミコ、そこは否定しろ……!!」
「えへへぇ♡」
ミコはふわふわ笑いながら、古い雑誌の棚へ指を伸ばしかけて、途中で止めた。その止め方に少しだけ感情が出ていた。ミコにとって、古い雑誌や閉鎖サイトやサ終コンテンツは「終わったもの」ではない。そこには、誰かが好きだった痕跡が残っている。ページの折れ、付箋の跡、読者投稿欄の熱量、サービス終了告知文の言い回し、誰も見なくなったコメント欄の最後の一言。あいつはそういうものを、データではなく感情の残響として見る。
「ここ、前より増えてるねぇ」
「当然だ。最近、五インチ系の復旧棚をメーカー別、磁気劣化状態別、ラベル情報の信頼度別に再分類した。さらに右奥へ“復元待ち媒体ゾーン”を移動し、未検証のジャンク媒体は隔離棚へ置いた。未知フロッピーを不用意にメイン環境へ突っ込む奴は三流だ。古い媒体には古いウイルス、壊れたFAT、謎のブートセクタ、持ち主不明のセーブデータ、場合によっては人生を狂わせる未発見イベントが眠っている」
「人生を狂わせる未発見イベントって何よ……」
「今まさにそれを掘っているだろうが」
ナギカが黙った。
その瞬間、ガレージ内の空気が一段だけ締まった。
黒zip。
一一二KB。
ディスクシステム疑惑。
ディスクライター。
《人生終了ゲーム》。
《SIREN_CITY》。
差出人不明メール。
全部が別々のログに見えていたものが、少しずつ同じフォルダへ移動し始めている。俺はそれを感じていた。こういう時、クソゲーは必ず「まだ序盤ですよ」という顔をする。だが実際には、最初の村にいた何気ないNPCの台詞が真エンド条件だったり、開始直後に拾える石ころがラスボス戦で必要だったりする。理不尽なゲームほど、序盤の些細な記録が後で牙を剥く。
その時、スマホが震えた。
俺の手がわずかに止まった。
自分で腹が立つほど、反応が速かった。さっきの差出人不明メール以降、通知音に対して余計な警戒が混ざっている。ログを拾う人間が通知を怖がるなど本末転倒だ。だが、身体は正直だった。
画面を確認する。
遠戸アラタ。
俺は、ほんの少しだけ息を吐いた。
「なんだ、アラタか」
ナギカが反応する。
「例の現場バカ?」
「現場観測員だ」
「二日目から学校サボって廃墟っぽいところ見に行くやつをカッコよく呼ぶな!」
「その探究心は評価する」
「サボりを褒めるな! 教育に悪い!」
「教育される側が言うな。貴様も昨日、匿名掲示板で俺を煽り散らしていただろうが」
「そっ、それは情報収集!」
「俺への罵倒が情報収集なのか?」
「お前の反応ログは取れる」
「貴様ァ……!!」
俺はメッセージを開いた。
アラタの文章は相変わらず軽かった。だが、軽い文面の奥にある情報密度は高い。映像解析屋らしく、結論だけでなく、壁材、窓枠、放送機材の配置、天井の吸音板、夕方の光の入り方、画面右端に一瞬だけ映った掲示物のフォント、反射に残った建物外観の歪み、そういう細かい要素を拾っていた。あいつは普段「いや草」とか言うが、映像になると急に目が変わる。光源、影、反射率、フレームノイズ、音響遅延、熱源残留、被写界深度、シャッター速度、EXIF情報。そういうものから「現実と記録のズレ」を読む。
メッセージには、こうあった。
《映像、影村学園旧校舎の放送室っぽい。ほぼ確定》
《LRADっぽい装置、実際にあった》
《ただ旧校舎含むエリア、電気通ってない。廃線側も死んでる》
《なのに映像の中では設置作業っぽい画がある。時系列が変》
《あと旧校舎周辺、空気終わってる。戦争でもあったみたい》
《また連絡する》
俺はしばらく画面を見た。
影村学園?
知らん。
本当に知らん。
いや、名前くらいは聞いたことがある気もする。だが俺の脳内優先順位において、進学校の名前は、1980年代末の無名ADVの発売中止情報、ディスクシステム書き換えリスト、地方玩具店の店頭POP、閉鎖済み攻略サイトの魚拓、初期Flash時代の個人サイト文化より遥かに低い。
俺は偏差値表より発売予定表を見る。学校案内より中古ショップのジャンク箱を見る。だから知らなくても不思議ではない。俺の中では。
「影村学園だと? どこの学校だ?」
俺が呟くと、ナギカとミコが同時にこちらを見た。
「……アンタ、まさか影村学園知らないの?」
「知らん!!」
「嘘でしょ?」
「本当だ!!」
「天城総合と並ぶエリート校じゃん。歴史なら影村の方が長いし、地元だと普通に有名なんだけど」
「エリート校に興味はない! 天何ちゃらも知らん!」
「うわぁ、本当にゲームとジャンクしか見てないのね、人類のバグ」
ミコも少し驚いた顔をした。
「ハルトくん、影村知らないのはさすがに珍しいかもぉ。古い校舎とか、学園祭とか、昔の都市伝説っぽい話も多いよぉ?」
「都市伝説?」
その単語だけで反応してしまった。
ナギカが呆れた顔をする。
「今そこだけ反応したでしょ……キモっ!」
「当然だ。進学校という情報には価値が薄いが、都市伝説が絡むなら話は別だ」
「その基準が終わっているんだが……」
「終わっているものほど価値がある!」
ミコが小さく笑った。
「それ、ちょっと分かるなぁ」
ナギカがミコを見る。
「そこで同意するから怖いのよ、アンタ」
「えへへぇ♡」
俺はアラタのメッセージをもう一度読む。
旧校舎放送室。
LRAD。
電気が通っていない。
だが映像内には設置作業らしき画がある。
戦争でもあったような空気。
この情報だけなら、まだ現地映像の時系列違い、過去映像の流用、加工、演出、釣り、あるいは《SIREN_CITY》制作者が実在の旧校舎をロケ地として使った可能性で処理できる。だが、さっきのメールが邪魔をする。《お前をみている》。あれが脳内ログの端に引っかかり続けているせいで、すべての情報が現実側へにじみ出しているように見える。
俺は返信を打った。
《無茶な侵入はするな》
《撮影はしてもいいが、入るな》
《特に夜は行くな》
《これはネタではない》
数秒後、返信が来た。
《来たな〜》
《心配してくれる騎士ハルト、レアじゃん》
《でも了解。今日は深追いしない》
《未編集データ少し取ったらまた送る》
俺はスマホを伏せた。
「信用ならんな……」
「誰が?」
ミコが聞く。
「アラタだ。あいつは“深追いしない”と言いながら、光源が変だとか、反射がおかしいとか、風の音が違うとか言って一歩奥へ入るタイプだ」
「アンタも人のこと言えないでしょ?」
ナギカが即座に刺してくる。
「お前も“未発見イベントだァ!”とか言って触っちゃいけないフラグ踏む側じゃん」
「俺は検証手順を踏む!」
「踏んだ上で危ないところ行くから質が悪いんでしょ!」
「貴様にだけは言われたくない。閉鎖サーバを“開いてたから見ただけ”で済ませる女がなぁ!!!」
「実際開いてたし」
「その理屈で全てを突破するな!!」
「ザル認証が悪い」
「出たな……このツンデレハッカー魔女めっ!!」
ミコが楽しそうに二人を見ていた。
「ふふ、二人とも専門分野が違うのに、危ない方向に行く時の言い訳は似てるねぇ」
「似ていない!」
「似てない!」
俺とナギカの声が重なった。
その瞬間、ミコがもっと嬉しそうに笑う。
ナギカは嫌そうに顔を背ける。
俺は咳払いをして話を戻した。
「とにかく、アラタの報告で分かったことは二つだ。まず《SIREN_CITY》映像の現実側ロケーションは影村学園旧校舎放送室の可能性が高い。そして、現地にはLRADらしき装置が実在する。ただし、電気が通っていない。つまり、映像内の“設置されている”“機能しているように見える”状態と、現実の“死んだ旧校舎”との間にズレがある」
ナギカが腕を組んだ。
「通信的に見るなら、現実映像をゲームデータに取り込んだ時点で、撮影日時、加工履歴、メタデータ、圧縮痕跡、全部見る必要がある。けど、その元映像がどこから来たのか分からない。誰が撮ったのか、誰が加工したのか、誰がゲームに入れたのか。そこが見えないのが気持ち悪い」
ミコが少しだけ声を落とした。
「私は、誰がそれを残したかったのかが気になるなぁ。ゲームにするくらいなら、ただ怖がらせたいだけじゃない気がする。誰かに見てほしかったのかも。忘れられたくなかったのかも」
俺は二人の言葉を聞きながら、心の中で少しだけ笑った。
レトロゲーム解析。
通信解析。
感情ログ観測。
やはり、この三人の観測方法は違う。
俺はゲームの挙動として見る。ナギカは接続の挙動として見る。ミコは残された感情として見る。アラタは現実と映像のズレとして見る。四人がそれぞれ違う角度から同じ未確認ログを見ている。これは強い。かなり強い。
だからこそ、俺はディスクライターの前に立った。
「よし。アラタの現地ログは一旦保存だ。今は黒zip側を進める。まずディスクライターを確認するぞ」
ナギカが露骨に身構えた。
「本当に動くの、それ」
「分からん!」
「分からないのに堂々としてるの何なの」
「壊れている可能性があるからこそ検証する。電源が入らない理由など山ほどある。ケーブル断線、ヒューズ切れ、電源スイッチ不良、接点酸化、基板腐食、コンデンサ死亡、ドライブ固着、ベルト劣化、過去の雑修理による配線ミス。原因が一つとは限らない。こういうものは順番に潰すしかない」
「……そこは普通に専門的なの腹立つ」
「つまり、褒めているな?」
「褒めてない。腹立つって言ってる」
「同義だ」
「違う」
ミコが俺の隣に来る。
「ハルトくん、楽しそう」
「当然だ。壊れている機械は、まだ直る可能性がある。読めない媒体は、まだ読める可能性がある。消えた記録は、まだ戻せる可能性がある。可能性がある限り、これは死体ではない」
言ってから、少しだけ自分の声が静かになったことに気づいた。
ナギカも気づいた。
ミコも気づいた。
古い機械を前にした時、俺はよくこうなる。高笑いして、騒いで、キモいだの何だの言われながら、それでも最後の部分だけは本気になる。なぜなら、壊れたものを「終わった」と決めつけられるのが嫌いだからだ。古いゲームも、失われたログも、読めなくなったフロッピーも、誰も来なくなった掲示板も、全部まだ復元できるかもしれない記録だ。そこに誰かの時間があったなら、完全に消えたことにはしたくない。
ミコが小さく笑った。
「そういうところ、ハルトくんらしいねぇ」
「何だそれは」
「褒めてるよぉ」
ナギカがぼそっと言う。
「……まあ、そこだけは少し分かる」
「ほう?」
「調子乗るな。ほんの少し。ナノ単位」
「ナノ単位でも記録は記録だ。保存しておく」
「保存するな、燃やすぞ!」
俺は工具を並べた。
プラスドライバー、テスター、接点復活剤、エアダスター、予備ケーブル、作業用ライト。ディスクライターの背面パネルを確認し、外装に歪みがないかを見て、電源ラインの状態を確認する。店主は「壊れている」と言った。だが店主の言う「壊れている」は信用できない。素人にとって、電源が入らないものは全部壊れている。だが俺にとって、電源が入らない状態はまだ症状でしかない。原因ではない。
ナギカは横でじっと見ていた。
その目は、いつもの罵倒モードではない。コードを見る時の目に近い。書いた人間の思考の残骸を読む時の目だ。今はそれを、基板と配線に向けている。ナギカはネットワークの女だが、構造を読む能力自体は異常に高い。物理媒体が専門外なだけで、配線や回路の論理を理解できないわけではない。
「……この線、後から触られてない?」
「ん? どれだ?」
「ここ。束ね方が他と違う。あと結束の位置が妙に新しい」
「ほう」
「何よ」
「貴様、見えているな」
「別に。コードの癖読むのと同じでしょ。人間が触った部分は、だいたい不自然になる」
「いい観察だ」
「べ、別に褒められても嬉しくないし」
「顔面温度上昇しているが?」
「死ね」
ミコがふふっと笑った。
「ナギカちゃん、嬉しそう」
「嬉しくない!」
「かわいいねぇ」
「かわいくない!」
「はいはい」
「その余裕が怖い!」
俺はナギカが指摘した配線を確認しながら、ディスクライター内部の状態を頭の中で組み立てていった。埃はあるが、致命的な水没痕はない。基板表面にひどい腐食も見えない。コンデンサに膨張は少ない。電源周りの汚れはあるが、焼けた匂いはない。つまり、部品破損というより、接触不良、ケーブル、ヒューズ、あるいは単純な保管中の劣化の可能性が高い。
俺は息を整えた。
「……行けるかもしれん」
「本当?」
ミコの声が弾む。
ナギカは腕を組んだまま、やや前のめりになっている。
「まだ断定はしない。だが、少なくとも絶望的ではない。これはクソゲーで言えば、序盤から説明不足で殺しに来るが、内部処理を読めば突破口があるタイプだ」
「その例えやめなさいよ! わかりにくい!」
「分かりやすいだろう?」
「分かりたくない」
俺は接点を清掃し、電源ラインを確認し、慎重に通電準備を進めた。ここで雑にやれば終わる。古い機械の通電は、ただスイッチを入れる作業ではない。眠っていた記録へ電気を流す儀式に近い。失敗すれば、救えるかもしれなかったものを殺す。だから慎重にやる。高笑いしていても、手元だけは冷静に。
「通電するぞ」
ミコが少し息を呑んだ。
ナギカがスマホを構える。
「何をしている」
「記録。変な煙出たら止める。あと配線状態も撮る」
「貴様、やはり優しいな」
「違う。お前が感電死したら後味悪いだけ」
「保存した」
「保存するな」
俺はスイッチに指をかけた。
その瞬間、差出人不明メールの文面が脳裏をよぎった。
《お前をみている》
見ているなら見ていろ。
俺は心の中でそう言った。
これは俺の領域だ。
壊れた機械を前にして、怯えている場合ではない。
俺はスイッチを入れた。
一拍。
二拍。
低い駆動音。
ランプが点いた。
「……」
ナギカが固まる。
ミコが目を見開く。
俺は、ゆっくり息を吸った。
「……フ」
「ちょっと待って、始まる?」
「フハ」
「始まるねぇ♡」
「フゥーーーーーーッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
ガレージに高笑いが響いた。
「見たか邪悪な設計者!! 騎士ハルト、昭和の怨念筐体を起動確認だァ!!」
「うるさっ! でも……動いた……本当に……」
ナギカの声には、珍しく素直な驚きが混ざっていた。
ミコはそのまま俺へ抱きついてきた。
「ハルトくんすごい! すごいよぉ!」
「待てミコ! 胸部装甲が! 胸部装甲が呼吸経路を圧迫している!」
「えへへぇ♡」
「窒息する! 文化財修復者が幼馴染に圧死する!!」
「何言ってんのよキモ騎士!」
「久羅木! 笑ってないで助けろ!」
「いや無理。絵面が面白すぎる」
ナギカがそう言いながらも、口元を隠していた。喜んでいる。完全に喜んでいる。だが絶対に認めない顔だった。
ディスクライターは動いた。
黒zipの中身は一一二KB。
空のディスクカードへ書き込む準備が整いつつある。
《SIREN_CITY》は、もう画面の向こうだけの都市伝説ではなくなりかけていた。
俺はミコから何とか解放され、息を整えながら空ディスクを取り出した。手が少し震えていた。恐怖ではない。興奮だ。いや、恐怖もある。だがその二つは時々似ている。未発見イベントの入口に立った時、人間は笑うしかない。
そして俺たちは、黒zipから出てきたデータを、ディスクへ書き込み始めた。
ここから先は、もう戻れない気がした。
だが戻る気もなかった。
ディスクライターは動いた。
それだけなら、ただの修理成功ログで終わる。
だが、今回の問題はそこではない。
黒zipから出てきた一一二KBのデータ。
ファミコンディスクシステム。
現実の旧校舎映像。
差出人不明のメール。
そして《SIREN_CITY》。
すべてが、少しずつ同じ盤面へ集まり始めている。
ナギカは気づいている。
ミコも気づいている。
そして俺も、当然気づいている。
これは、ただ古いゲームを起動するだけの話ではない。
失われた記録が、こちら側へ戻ってこようとしている。
だったら、受けて立つしかない。
たとえそれが、電子化された悪意の迷宮だったとしても。
――騎士ハルト検証ログ:保存後




