190 <閑話>白亜の墓標と金色の瞳
今回はエピローグ的な閑話です。
ここまで読んで頂き、本当に感謝です(iДi)
次話から幕間となります。
ファンドウの街並みが一望できる丘の上。そこには、百年前に起きた反乱で亡くなった人々が眠る墓地があった。
その片隅に、一基の白亜の墓石がひっそりと佇んでいる。
そこに刻まれた名は、『スズエ・シグナール』。それは、百年前に王都から派遣された女性文官の名だった。
反乱、不漁、疫病、塩害――。様々な災厄と不幸によって困窮したアクアクサ領を復興するため、彼女はその生涯を捧げた。
だが、当初、王都から来たスズエの言葉に耳を傾ける者など、誰ひとりとしていなかった。
それでも彼女は、アクアクサ領の復興を諦めなかった。ある日、彼女は反乱で亡くなった人々の墓前で、静かに祈りを捧げた。
そのとき、彼女が口にした神の名は――『クムァムィ様』。
それは王によって禁じられた名だった。住民たちが言葉を失い、じっとスズエを見守っていると、彼女はそっと立ち上がる。
「クムァムィ様も、クムァムーン様も、同じ神です。どちらの名で祈ろうとも、その祈りに違いなどありません。もし、それを罪と咎める者がいるのなら、私が許しません」
集まった住民たちを一人ひとり見つめながら、彼女ははっきりと告げた。目元を隠す色眼鏡の奥で、金色の瞳がかすかに輝く。住民たちは、その力強い眼差しを受け、息を呑んだ。
――だが、それだけだった。
その後も、彼女の指示に従う者は、しばらく現れなかった。
そんなある日、スズエは一人の少女に出会う。彼女の名はアキエ。ファンドウで最も有名な宿屋の娘だった。
この二人の出会いは、アクアクサ領を大きく変えた。
いまだ不漁が続く中、アキエは領内で普及し始めた非常食『竹輪』を、宿の食堂に出せないかと悩んでいた。
そんな彼女の相談に、スズエは親身になって乗った。そして、二人は動き始める。
まず、彼女たちは竹輪の調理法を見直した。反乱が収まり、冷蔵用の魔導具も各家庭に戻り始めたため、保存性を高めるための塩分を抑えることにしたのだ。
その結果、味は格段に良くなり、焼きたてであれば、それだけで立派な売り物になるほどだった。だが、彼女たちはそれだけでは満足しなかった。
竹輪を刻んで混ぜ込んだフィッシュケーキ。トマトをベースにした温かなスープ。そして、中央の穴に様々な食材を詰めた、竹輪のファルシ。彼女たちは様々なアレンジを加えた。
中でも竹輪のファルシは、調理が容易で、店ごとに工夫を凝らせることから、瞬く間に領内へ広がっていった。
とりわけ人気を集めたのが、ゴリョックの村で生産が始まったキュウリを使ったファルシだった。
新たな井戸の完成を記念して植えられたキュウリは、甘味が強く、瑞々しい。その評判は王都にまで届き、やがて献上品として送られることになった。
記録によれば、それを口にした王太子ヤクモは、満面の笑みを浮かべ、ただ一言、『カッパ』と呟いたという。
その意味を理解できる者はいなかった。
だが、なぜか耳に残るその言葉は人々の間に広まり、いつしか竹輪にキュウリを詰めた料理は、『カッパキュウリ』と呼ばれるようになった。
それをきっかけに竹輪は王都でも評判となり、多くの観光客がアクアクサ領を訪れるようになる。領地の復興は、ゆっくりと、しかし確かに進んでいった。
そして、キュウリを献上した折、スズエは王太子ヤクモとの謁見を許された。
その場でどのような言葉が交わされたのか、詳しい記録は残されていない。ただ、その後、アクアクサ領には税率の軽減をはじめとする復興支援が次々に施された。
また、一連の出来事の陰には、名も残らぬ一人の黒髪の青年がいたとも伝えられている。だが、彼が何者であったのかを示す文献は、現在まで一つも見つかっていない。
その後も、領民のために身を粉にして尽くした彼女は、やがて多くのアクアクサ領の人々から慕われるようになった。
そうして、幾年もの月日が流れた。
今ではアクアクサ領の海は豊漁に転じ、恵まれた海の幸を求めて、各地から多くの人々が訪れる土地となっている。
数多くの功績を残したスズエだったが、彼女が生涯、誰かと婚姻を結んだという記録は残されていない。
その理由を、彼女が語ることもなかった。多くの男性から結婚を申し込まれても、ただ静かに首を横に振るだけだったという。
それでも、彼女と生涯の友となり、その最期まで寄り添ったアキエの日記には、毎年必ず訪ねてくる黒髪の旅人がいたことが綴られていた。
スズエは、その旅人と会うときだけは、普段、帽子の奥に隠していた青い髪を下ろし、色眼鏡を外したという。
そして、その旅人が訪れるようになって数年が過ぎた頃、彼女の傍らには、黒髪と金色の瞳を持つ一人の少年の姿が見られるようになった。
その頃からだろうか。時折、王都から美しい二人の貴婦人が、彼女を訪ねてくるようになった。
三人は人目のない礼拝堂で長く語らい、帰り際には決まって、黒髪の少年の頭を優しく撫でたという。
多くの人々で賑わう街並み。その先には、青く煌めくアクアクサの海が広がっていた。
今日も、白亜の墓石はファンドウを静かに見守っている。
その墓前に、一人の若者が立っていた。彼は膝をつき、クムァムィ様とクムァムーン様――二つの名を告げ、祈りを捧げる。
やがて立ち上がると、白亜の墓石に優しく指を這わせ、刻まれた一文を口にした。
「我が命、シロエを守るために捧ぐ。この誓い、命を賭して違えまじ――か」
そのとき、潮風が丘を吹き抜け、白亜の墓石に刻まれた文字を撫でた。
若者は青い花束を墓前に置くと、そっと背を向け、歩き出す。
その胸元には、古びたクムァムィ様のペンダントが揺れ、陽光を受けた彼の瞳は、深い金色に輝いていた。
貴重な時間の中、読んでくださり感謝です(//Д//)
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