188 クムァムィ様への誓い
第二章も残り3話です。
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俺は屋敷の前に立ち、扉に触れた。鍵はかかっておらず、静かに開く。無言で玄関へ入り、周囲を見渡した。
(……誰もいないようだな)
しんと静まり返った屋敷。さきほどの戦いが嘘のようだ。ソウケンさんの最期を思い出す。
搭乗席にソウケンさんを残し、清正二式から飛び降りる。その直前、モニター左上に映る彼の魔力量が『1%』から『0%』へと変わった。
命を懸けて託されたソウケンさんの言葉が、胸を締め付ける。拳を固く握り、前を向いた。残された時間はあまりない。
二階へ上がり、シロエの執務室を目指す。誰かいるかと思ったが、廊下にも部屋にも、人の気配はなかった。
油断なく歩いていくと、やがて執務室が見えてきた。部屋の前に立ち、優しく扉を叩く。
外ではヤクモが反乱軍を抑えているはずだ。だが、屋敷は静寂に包まれていた。防音装置でもあるのかもしれない。
乾いた音が廊下に響き渡る。だが、返事はなかった。
俺はそっと扉に手をかけ、開いた。目に飛び込んできた光景に息を呑む。
真っ白な壁に囲まれた部屋には、アクアクサ侯爵家の紋章が刺繍された大きな旗が飾られていた。
その下には豪奢な執務机があり、半分に割れた仮面を被ったシロエが座っていた。彼女は手をかざし、その先には淡く輝く魔法陣が浮かんでいる。
「……シロエなのか?」
自然と言葉が零れた。
一瞬、彼女は目を見開く。だが、かざした手を下ろすことはなかった。俺は一歩、前へ足を踏み出す。
「動かないで、ソウガ。僕に魔法を使わせないでくれ」
彼女の声は震えていた。仮面に刻まれた涙が、わずかに揺れて見える。足を止め、じっとシロエを見つめた。
「もう終わったんだ。シロエ」
そっと語りかける。だが、彼女は首を横に振った。何を拒絶しているのか分からない。俺には、次にかける言葉が見つけられなかった。
「終わっていないよ、ソウガ。終わらせるには、誰かが責任を取る必要がある」
たしかに、その通りかもしれない。だが、それはシロエでなくてもいい。
それに、ソウケンさんは死んだ。それでもなお、シロエがひとりで責任を取らなければならないのか。
「……ソウケンさんは、死んだよ」
シロエの肩が跳ねた。
次の瞬間、彼女は椅子から立ち上がり、慌てて窓辺へ駆け出す。シロエが展開していた魔法陣は光の粒子となり、霧散する。
どうやら、彼女は外で起きていることを、何も知らされていなかったらしい。この異様なほど静かな部屋にも、ようやく納得がいった。
ソウケンさんは、これ以上、彼女に背負わせたくなかったのだ。
屋敷の外で起きている戦いも、燃え広がる炎も、傷ついた者たちの姿も、できる限り彼女から遠ざけ、自ら背負うつもりだったに違いない。
だから、この屋敷に防音装置を設置したのだろう。
分厚いカーテンを捲り、外の様子を見たシロエが、膝から崩れ落ちた。俺は黙って、彼女の背中を見つめる。その肩は小さく震えていた。
あまり時間は残されていない。午後になれば王都軍の後衛が到着し、クロメたちが制圧に乗り出す。その前に、シロエを説得するしかない。
それでも、今はそっとしておく。両親を亡くし、ずっと傍で支えてくれていたソウケンさんまでいなくなったのだ。かける言葉などなかった。
やがて彼女は立ち上がり、こちらを向くと、半分に割れた仮面を外し、執務机の上に置いた。
「……もう、この屋敷には僕と君しかいない。ソウケンには黙って、裏口から全員逃がした。戦いが激しくなれば、ここも危険になると思ったから」
シロエは視線を落としたまま、仮面に指を這わせ、小さく呟いた。
「それは、お前も一緒だろ。シロエ」
「違うよ、ソウガ。僕はここの領主だ。反乱を起こした首謀者でもある。本当なら僕が率先して危険な場所に立ち、指揮を執らなければならなかった」
それは、ソウケンさんへの謝罪の言葉だった。俺は俯いたままの彼女の横顔から、目を離せなかった。
シロエは小さく息を吐き出し、仮面を見つめたまま尋ねる。
「ソウケンを討ったのは、君かい?」
部屋に響く彼女の声に、胸を抉られる。俯きそうになるのを必死に耐え、彼女の横顔をまっすぐ見つめ、口を開いた。
「ああ、そうだ。俺がソウケンさんを討った」
「……そうか」
部屋に入ってから初めて、シロエは俺の顔を真っすぐ見た。その眼差しに怒りの色はなく、深い悲しみだけが満ちていた。
そのとき、屋敷が大きく揺れる。俺は窓辺へ駆け寄り、カーテンを開いた。屋敷の周囲を囲む森は炎に包まれ、屋敷にも火の手が迫っている。
もはや一刻の猶予もない。どうすれば説得できる。何も思いつかない。俺は彼女のもとまで近づき、その手を握ろうとした。
だが、シロエはそれを拒むように後ろへ下がり、手をかざした。まだ魔法を詠唱してはいない。だが、すでに魔力は込められていた。その証拠に、掌がかすかな光を帯びている。
「近づかないで、ソウガ。もう何もかも終わりなの。私のことは放っておいて」
彼女の金色の瞳から涙が零れ、頬を伝う。そんな彼女に激しく心を揺さぶられ、胸が熱くなった。
まっすぐ彼女を見つめ、告げる。
「終わりじゃないし、放っておくつもりもない。シロエ、これはソウケンさんに頼まれたからじゃない。俺の願いだ。頼む、生きてくれ!」
その言葉に、シロエが目を見開き、儚げに笑う。
十六歳の俺にできることは少ない。だが、王都の人間すべてを敵に回しても構わない。その覚悟だけはあった。
「信用できないかもしれないが、必ず俺がシロエを守る。今だけは信じてくれ!」
それでも、彼女が首を縦に振ることはない。シロエは首に下げたクムァムーン様のペンダントを、そっと握り締めた。
その姿を見た瞬間、俺の中で何かが弾けた。強引に彼女へ近づく。魔法で攻撃されても構わない。
目の前まで来ると、そっと手を伸ばし、ペンダントを握る彼女の手を掴んだ。
そして、禁じられた神の名を口にする。
「クムァムィ様。我が命、彼女を守るために捧ぐ。この誓い、命を賭して違えまじ……」
目を閉じ、ペンダントを握り締めるシロエの手に、そっと唇をつけた。
静かに顔を上げ、彼女を見つめる。
そこには、大粒の涙を流しながら、こくりと頷くシロエの姿があった。
貴重な時間の中、読んでくださり感謝です(//Д//)
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