173 <閑話>涙の仮面
地震に、大雨に、ゲリラ豪雨。皆さま、本当にお気をつけて<(_ _)>
カーテンの隙間から差し込む朝日に目を細め、僕はゆっくりと上半身を起こした。もう七月も半ば。初夏は終わり、本格的な夏の季節に入っている。
まだ朝だというのに気温は高く、汗ばんだ身体に寝間着がまとわりつく。僕は襟を掴んで前後に揺らし、湿った布の隙間に無理やり空気を送り込んだ。
わずかにできた隙間から、ちらりと胸元が見えた。二つの膨らみがかすかに揺れ、その存在を主張する。
(……さすがに寝るときまで、さらしを巻くわけにはいかないよね)
僕はベッドから立ち上がり、窓辺へと歩くと、カーテンを勢いよく開いた。眼下に広がる景色にため息が漏れる。
美しかったファンドウの街並み。そのあちこちに見慣れない機人が立ち、大きな建物の上には櫓が組まれていた。
(まさか、これほど多くの機人を用意しているとは思わなかったな)
カーテンを握り締め、視線を落とす。中庭には三体の機人がいた。
一体は紺碧の装甲をまとい、下半身には魔導車のような車輪がついている。そして、肩ではなく、背中に大きな魔導砲が備え付けられていた。
ソウケンが『天草砲式』と呼んでいた、大きく改造された魔導機人だ。
その隣に並ぶ紅蓮の機体は右腕が異様に太く、足はあったが短く大きい。脛には盾が付けられ、膝から突き出ている。
その姿は、アクアクサ領のナガラウラ島に生息するシオマネキを思い出させた。あれは『天草槍式』。こちらも改造が施され、原型をほとんど留めていない。
残り一体の機人を見つめる。ソウケンの武導機人――清正二式だ。右手には槍を持ち、左腕に盾を付けている。
屋敷を守るように中央に立つ深紅の機体は、異形の機人に挟まれ、逆に目立っていた。
街へ伸びる道をなぞるように見る。不規則に天草砲式が配置され、その砲口を街の正門へと向けていた。
――――――――――――
着替えを終えた僕は、食堂へと向かう。途中ですれ違う見慣れない者たち。彼らは床に膝をつき、臣下の礼を取った。
不自然な忠誠心に眉をひそめそうになる。だが、ぐっと堪え、手を挙げて応えると、足早に通り過ぎた。やがて食堂に着き、安堵の息を吐く。
テーブルには質素な料理が並ぶ。いつもと変わらないそれだけが、僕を安心させた。クムァムィ様に感謝を述べて、食事を始める。
食欲はなかったが、パンをちぎって口元に運ぶ。すると、かすかに香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、お腹が鳴った。
現金なものだと、苦笑いを浮かべ、瞬く間に食べ終えると、何も載っていない真っ白な皿を見つめる。まだ少し物足りなかった。
「悪いが、この前、作った『竹輪』を持ってきてくれ。保存の状態を確認したい」
我ながら苦しい言い訳だと思うが、背に腹は代えられない。じっと給仕を見つめると、彼女は深々と頭を下げて、部屋から出て行った。
しんと静まり返った食堂には、僕だけだ。束の間のひとりの時間。つい気が緩み、涙が零れそうになる。
どうしてこんなことになったのか。
ソウケンの言い分は分かる。このままでは、アクアクサ領は衰退の一途を辿るだけだ。王都からの増税の督促は、日増しに苛烈さを極めている。
いずれそれは、抱えきれぬほどの巨額な負債となって伸しかかるだろう。その責任を問われ、アクアクサ侯爵家は取り潰され、当主の僕は処刑される。
だからといって独立しても、未来が切り開けるとは思えなかった。だが、ソウケンは海を隔てて隣接するヤッツシロウエル領の協力をすでに取り付けていた。
僕たちが王都からの侵攻を一週間凌ぎきれば、ヤッツシロウエル侯爵が同胞の貴族たちに呼びかけ、手薄になった王都を急襲し、王都の軍を引かせる。
そして、その後は最初に独立を果たした貴族として、アクアクサ領に支援をしてくれると――ソウケンはそう言っていた。
彼を疑うわけじゃないが、にわかには信じられなかった。だが、先日届いた王家からの勅令を読み、僕の心は大きく揺らいだ。
『クムァムィ様。その呼び名は禁止する』
それにどんな意味があるのか、理由は何も書かれていなかった。その紙に書かれていたのは、冷たい命令文だけ。僕は指先が震え、息が詰まった。
目を閉じ、深く長く息を吐き出すと、給仕が扉を叩き、入ってきた。彼女は頭を下げ、僕の前に竹輪が載った皿を置いた。
自然とソウガの顔を思い出す。彼はアクアクサ領を救うために汗を流し、走り回っていた。ヤクモも同じだ。
そんな二人を裏切るようなことをしてしまった。竹輪を噛みしめるたびに涙が零れそうになる。だが、給仕の前でそれは許されない。
僕は竹輪を食べ終えると、すぐに席を立ち、執務室へと向かった。
廊下を進み、やがて執務室が見えてくる。途中で多くの者から臣下の礼を取られ、そのたびに手を挙げて応えた。
もう誰にも会いたくなかった。足早に歩き、扉を開く。すでに部屋の中には、ソウケンが待っていた。彼は恭しく頭を下げる。
もうどこにも逃げ場などないと悟る。
ふと視線を書斎机の後ろの壁に向ける。そこには、我が侯爵家の紋章が刺繍された旗が飾ってあった。
僕が当主になったときに作ったものだ。左半分は、海と竜を象った代々受け継がれてきた紋章。だが、右半分は、半分に割れた仮面に覆われている。
あのころは希望に満ち、必ず領地を立て直すと息巻いていたことを思い出した。力なく笑みを浮かべ、机へ近づく。その上には、紋章と同じ半分に割れた仮面が置かれていた。
「シロウ様。すでに準備は整っております。皆が貴方を待っています」
ソウケンが静かに告げた。だが、その言葉には拒むことを許さない強い意志が滲んでいた。
僕は仮面を手に取り、そっと付け、紋章が刺繍された旗をじっと見つめる。もう後戻りはできない。
ゆっくりと背を向け、歩き出した。部屋を出ると、廊下の脇には多くの者が並び、膝をついて頭を下げていた。
彼らの前を無言で進む。やがて屋敷を出ると、強烈な夏の日差しに眩暈を覚える。だが、歯を食いしばって堪え、壁に組まれた櫓へ向かい、見上げた。
昨夜、こっそりと登り、ファンドウの街並みを眺めた櫓だ。登ろうとしたとき、目の前に機人の手が伸びる。
ソウケンの清正二式だ。何も言わず、その掌の上に立つ。すると、ゆっくりと持ち上げられ、櫓の展望台へ運ばれた。
機人の掌から下りて、前へと進む。その瞬間、耳を劈くほどの歓声が上がった。眼下には多くの住民が集まり、僕に手を振り、叫んでいた。
時折聞こえるクムァムィ様に救いを求める声に、胸が締め付けられる。僕はそっと仮面に指を這わせると、さらに一歩踏み出した。
歓声は大きくなる。それに応え、僕は手を挙げた。一拍の間のあと、住民たちは絶叫した。異様なまでの光景に言葉を失う。
それでも手を下げることはできない。太陽が容赦なく僕を照らす。仮面の頬に刻まれた「涙」が鋭い日差しを受け、内側から光が零れるように、僕の頬を熱くした。
僕はその光に目を細め、縋るようにじっと見つめた。
貴重な時間の中、読んでくださり感謝です(//Д//)
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