166 災厄だけでは止められない
知り合いの家の水道が復旧しました!
暑い中、懸命に働く方々に感謝です<(_ _)>
俺は地面にできた穴へと飛び降りる。深さは三メートル。日差しはまだ届くが、このまま進めば、いずれ何も見えなくなる。
そっと穴の側面に手を当てる。俺がいる場所は、正門から東に十メートルほど離れている。ヤクモがどこにいるかは分からないが、まずは屋敷に侵入することを優先する。
目指す場所は決まった。『竹輪』を作った厨房だ。あそこはわずかに地上より低い半地下になっていた。うまくいけば、壁から出られる。
それに厨房を警備している可能性は低い。また、近くに排水を溜め込む浄化槽を設置した地下室があるかもしれない。
これほど大きな屋敷だ。可能性は高い。俺は屋敷の配置を思い出す。厨房は屋敷の北側の東端――。
たいていの屋敷は日当たりを避けるため、厨房を北側に作る。加えて、朝早くから使うため、東側の窓から差し込む陽光は、照明の魔導具の節約にもなる。
色々と理屈を並べたが、これ以上考える時間はない。俺は穴に差し込む陽光を頼りに方角を定め、魔法を発動した。
目の前に横穴ができる。その大きさは直径七十センチほどだ。あまり大きくすると崩落する恐れがあるし、小さすぎると匍匐前進になり、進む速度が遅くなる。
四つん這いになって中に入ると、すぐに周りが見えなくなった。分かっていたことだが、ため息が口元から漏れる。小さく首を横に振り、魔法を唱えた。
「ちと、あつか」
眼前に小さな魔法陣が浮かび上がり、一匹の炎の小竜が現れる。まるで意思を持つかのように先を照らし、飛び始めた。
目を輝かせ、嬉しそうに見ていたシロエの顔がよぎった。俺は唇を噛み、前へと進み続けた。
――十五分ほどが過ぎた。
俺は必死に手足を動かす。雨の日を思い出させる独特な匂いが鼻を掠め、湿った土が掌や膝にべったりとまとわりつく。
時折、頭上から振動が伝わり、ぱらぱらと土が崩れるたびに鼓動が跳ねる。それでも進み続けると、火竜が行き止まりを照らした。
俺は火竜を後ろに下げ、土に触れる。ひんやりとした冷たさが掌から伝わってきた。もう一度、方言魔法『ほぐる』を発動しようとしたとき、かすかに声が聞こえた。
まだ先かと思ったが、すぐ近くまで来ていたようだ。俺は汚れることもいとわず、耳を押し当てた。
「……結局、お前たちに反乱を止めるという選択肢は、最初からなかったということか」
その声に眉が跳ね上がった。ヤクモの声だ。俺は顔を離し、火竜を消すと、人差し指を土に突き刺す。
「ちと、ほぐる」
細く短く穴を穿つ。この先がどういう状況なのか分からない。慎重に行動する必要がある。いきなり大穴を開けることはできない。
それでも、できるだけ情報は欲しい。俺がもう一度、魔法を唱えようとしたとき、真っ暗な空間に一筋の光が差し込む。
俺は安堵の息を吐き、その穴を覗き込んだ。そこは厨房ではなかった。縛られて石床に横たわるヤクモの姿が見える。その隣には巨大なタンクがあった。
(おそらく、あれは貯水槽だ。ならば、ここは管理するための地下室ということか)
一センチほどの穴では、周囲までは見渡せない。だが、これ以上大きくすると、気づかれてしまう可能性が高い。今もヤクモは誰かと話を続けている。
俺は息をひそめ、聞き耳を立てる。
「なんと思われても結構です。王家による無茶な増税、そして数々の理不尽な勅令……。おかげで我が領は見る影もございません。そのせいで先代もお亡くなりになった」
その声に息を呑む。ソウケンさんだ。そして、告げられた内容に指先が冷たくなっていく。先代とはシロエの父親のことだ。
彼女の父は体が弱く、それでも妻の思い出が詰まったこの地を守るために、激務をこなし続けて倒れたと言っていた。
シロエは、このことを知っているのだろうか。いや、知らないはずがない。領主として、王家から届く苛烈な督促と、身勝手な勅令をその目で見ているのだから。
今に始まったことではなかった。王家への恨みはずっと前から積み重ねられ、住民たちにまで広がっていたのだ。
冷たい汗が頬を伝い落ちる。災厄を振り払っただけでは、止められるものではなかった。己の浅はかな考えに怒りを覚える。
それはヤクモも同じだったようだ。鋭い眼差しに動揺の影が宿る。何も言えず、じっと前を見つめている。
「……もう、十分でしょう。恩義ある先代を、私はみすみす死なせてしまいました。だからせめて、その忘れ形見であるシロウ――いえ、シロエ様だけは、何に代えてもお守りせねばならないのです」
ソウケンさんの言葉が静かに響き渡る。俺には、彼を否定することができなかった。シロエの父とソウケンさんの間に、何があったのかは知らない。
だが、シロエのことを大事にしていることだけは分かった。俺は拳を握りしめ、俯きそうになる。
「……気持ちは分かる。だが、無謀だ。この枯れた土地が独立したところで、自滅するだけだ」
「ふっ、そうですか。もし私たちの反乱が成功すれば、周囲の貴族たちも、一斉にあなたたち王家に牙をむきますよ。そうなれば、私たちに援助や支援をする人たちも多いでしょう」
たしかにそうかもしれない。独立の旗頭になれば、王家への謀反を企む貴族たちは、きっとアクアクサ領を支え、多くの貴族を扇動するために利用する。
「甘い考えだ。俺に人質の価値はない。父は容赦なくお前たちを潰しに来る。そうなれば、一瞬で制圧されるぞ」
その通りだ。大型船の建造で魔導車も魔導具もない。王都から軍が派遣されれば、ひとたまりもない。勝ち目があるとは思えない。
「……王太子のあなたに心配してもらう必要はありません。それに少し喋り過ぎました。いずれにせよ、すでに王家に、あなたを人質にしたことは通達しています。どのような返事が来るのか、ここで待っていてください」
ソウケンさんは静かに語り終える。やがて地下室に足音が響き、パタンと扉が閉まる音が聞こえた。
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