164 奪われた祈り
穏やかな夏に戻りますように<(_ _)>
魔法で空に浮かぶ俺たちは潮風に運ばれ、港に辿り着く。周囲を警戒するが、人影ひとつない。
昨日、訪れたときは、少なからず漁師や市場の人たちがいた。だが今は、波が岸壁を叩く音だけが響いていた。
誰にも見つからず、争いを避けられたことには安堵した。だが、それにしても静か過ぎる。潮風に流されながら、視線を落とす。
ちょうどそのとき、ずらりと並んだ倉庫街の屋根が見えてきた。
「ロクロウさん、降りようと思います。しっかり掴まってください」
声をかけると同時に魔法を解除する。次の瞬間、地面に引っ張られる。突然の重力に体勢を崩しそうになるが、必死に堪え、なんとか着地した。
ふたり分の体重が両足にかかる。まだ疲労が残る俺は膝をつきそうになる。だが、ロクロウさんが素早く下りて、支えてくれた。
「大丈夫ですか、ソウガさん」
「助かりました、ロクロウさん」
礼を述べると、彼は首を横に振り、周囲を見渡して呟く。
「どういうことでしょうか。港に誰もいないなんて」
彼の視線をなぞる。空から眺めていたときから気づいていたが、それにしても、この静けさは異常だ。不安が大きくなる。
「とりあえず、ここから降りましょう。いつまでも屋根にいたら、見つかってしまう」
そうは言ったが、人の気配はまったくない。むしろ誰かに見つかり、騒ぎになったほうが安心するぐらいだ。
俺は屋根を歩き、小さな露台を見つけると、そこへ飛び降りた。
――――――――――――
倉庫を出て、周囲を見渡す。だが、やはり誰もいない。ロクロウさんも異常な空気を感じ取ったのか、表情が固い。
どうすべきか、考える。すでに昼は過ぎ、太陽は傾き始めている。夜になるまでじっとしていたほうがいいとも思うが、この静けさが判断を迷わせる。
「ソウガさん。すいませんが、ここで別れましょう。幼馴染が気になるので」
ロクロウさんが頭を下げ、はっきりと告げた。たしかに、この状況が港だけだとは限らない。彼が心配する気持ちはよく分かる。
俺としても、宿屋に置いてある荷物は気になる。ただ、ソウケンさんが見逃すとは思えない。それでも、確かめる価値はある。俺はロクロウさんを見つめる。
「俺も一緒に行っていいですか。もちろん、少し離れて歩きます。ロクロウさんが町の人と会ったら、そこで別れましょう。でも万が一、あなたに――」
そこで言葉を止める。考えすぎだ。まだ、俺を助けてから半日も経っていない。彼が狙われている可能性は低い。
無事に幼馴染と会えたら、そこで本当に別れよう。俺は小さく首を横に振る。ロクロウさんも何かを察したようだ。真剣な表情を浮かべ、こくりと頷くと、街中へ歩き始めた。
倉庫街を抜け、すぐに大通りへ出た。しかし、やはり人の気配はない。俺は、かなり先を歩くロクロウさんの背中に眼差しを向ける。
少し緊張しているようだ。わずかに肩は上がり、歩幅も大きい。俺は角に隠れ、様子を窺う。誰もいない大通りを前に、どうすべきか迷う。
ロクロウさんとは離れているとはいえ、ここには誰もいない。目立ちすぎる。足を止め、思考を巡らすが、いい考えは出てこない。
仕方なく俺も通りへ出ようとしたとき、遠くで何かが倒れる音がした。続けて、悲鳴が上がる。それはひとりのものではなかった。
先を歩くロクロウさんが、顔を上げて目を見開く。そして、突然走り出した。
一気に胸の中の不安が膨らむ。もはや迷っている時間はなかった。俺は角から飛び出し、ロクロウさんの後を追った。
――――――――――――
俺は全力で走り、角を曲がる。目に飛び込んできた光景に、言葉を失った。大勢の住民が、たったひとりの男性を殴り、蹴っている。
あれはたしか、クムァムーン様に祈りを捧げていた住民を監視していた兵士だ。意味が分からず、一瞬立ち尽くす。
そのとき、宿屋の少女の手を握り、こちらに駆け寄るロクロウさんを見つけた。
「どういうことですか、ロクロウさん」
「ソウガさん。とりあえず、ここを離れましょう。話はそこで」
それだけ言って、彼は足早に去っていく。その後ろ姿を見つめるが、彼は振り返らなかった。不穏なものを感じながらも、俺は後に続いた。
やがて、俺たちは商店街の路地裏に入り、身を隠した。
「いったい、あそこで何があったんですか?」
肩で息をするロクロウさんに詰め寄る。彼の表情は固く、どこか敵を見るような眼差しをしていた。思わず、たじろぐ。
「……ソウガさんは、知っていたんですか?」
ロクロウさんが睨みつける。意味が分からず、頷くことも否定することもできない。ただ黙って彼を見つめていると、隣に立つ少女が口を開いた。
「王様からの命令があったんです。クムァムィ様と呼ぶことを禁止するって」
頭が真っ白になり、言葉が出てこない。
あまりにも馬鹿げている。
重税と災厄で身も心もボロボロの住民たち。その最後の拠り所である信仰すら奪う暴挙だ。
おそらく、あの兵士は王都から派遣されたのだろう。怒り狂った住民たちの顔がよぎり、手で口元を覆う。
これでは、ヤクモが必死に反乱を阻止しようとしてきた意味がなくなってしまう。俺はコイズミ陛下に怒りを覚えた。
だが、今はこの状況をどうにかしなければならない。俺は二人に頭を下げた。
「俺は何も知らない。だが、本当にすまない! 王都にいながら、何もしなかった。俺たち王都の民が真っ先に声を上げ、陛下の暴走を止めるべきだった」
学生の俺に、大した力はない。だが、声を上げることはできた。実際に学園総体では、謁見する可能性もあった。
どれほど自分が何も知らずに生きてきたのか、痛感させられた。拳を握り締め、唇を噛む。ロクロウさんと彼女の顔を見る勇気がなかった。
ずっと頭を下げたままの俺に、少女の声が届く。
「よかった。やっぱり、あなたたちは悪い人じゃなかった」
小さく震える声だった。だが、その言葉は温かく、胸の奥に勇気が湧いてくる。俺が静かに顔を上げると、彼女は魔力ポーションをすっと差し出した。
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