163 届いていた優しさ
もう一つの作品でも告げましたが、こちらでも。
地震の影響により、しばらく更新をお休みしていました。
家族も私も無事ですので、本日から少しずつ更新を再開します。今後ともよろしくお願いいたします。
――まだ、疲労で頭がはっきりとしない。
俺は水平線をぼうっと眺めていた。
「すいませんでした! 俺には、こうすることしかできませんでした」
振り返ると、青年が頭を下げていた。小さな船は、波を受けて大きく揺れる。それでも彼は頭を上げようとはしなかった。
「……気にしないでください。あなたは俺を助けてくれた」
いまだ、思考はまとまらない。だが、彼が敵ではないことだけは分かった。俺は力なく笑う。
すると、青年はおずおずと頭を上げ、こちらを見る。その顔は、わずかに歪んでいた。彼にとっても苦渋の選択だったのだろう。
父を裏切り、俺を助けた。だが、彼にとって、そんな単純なことではないのかもしれない。俺は目を閉じ、長く息を吐き出した。
「できれば、名前を教えてくれませんか。知っているかもしれませんが、俺はソウガです」
青年は一拍の間のあと、静かに口を開いた。
「……俺はロクロウです。あなたを海に落としたのは、俺の親父です」
俯きながら、声を振り絞るロクロウさん。俺は彼の肩に手を置き、穏やかに笑みを浮かべる。
「親に背いてまで助けてくれて、本当にありがとうございます」
ロクロウさんが、はっと顔を上げる。俺は小さく頷き、そのあと深々と頭を下げた。やがて彼は口元を押さえ、嗚咽を漏らした。
会話が途切れる。小さな船には、寄せては返す波の音だけが響いていた。俺たちはそれに合わせるように、身を任せていた。
濡れた服は乾き始めると同時に、俺の体温を奪っていく。体が冷える。それに海水を飲み込んだせいで喉が渇き、たまに咳き込んだ。
だが、おかげで意識がはっきりとしてきた。俺はロクロウさんに声をかける。
「どうして、俺を助けたんです」
その言葉に彼の肩がぴくりと跳ねた。
あまり聞いてほしくないことかもしれない。俺が前言を撤回しようとしたとき、彼は口を開いた。
「……親父の気持ちも分かるんです。でも、あなたを殺すことが、俺たちの領を救うことにはならないって、そんな気がしたんです」
ロクロウさんは遠くに見えるファンドウの港に眼差しを向ける。
「それに昨日の夜、幼馴染が来て、食事に誘われたんです。そこで立派な鯛のソテーを食べました。……本当に美味しかった。そこで聞いたんです。ソウガさんたちのことを」
穏やかな表情を浮かべたまま、彼は口を閉ざすと、港を見る目を細めた。俺は今朝、朝食を運んで来てくれた宿屋の少女を思い出した。
「そうですか。教えてくれてありがとうございます」
ヤクモの優しさが、彼に届いた。つい口元が綻ぶ。おかげで少しだけ気持ちが軽くなった。俺は頬を叩き、周囲を見渡す。
小さな船体には何も積まれていなかった。漕ぐためのオールすらない。どうやって戻ればいいのか分からず、眉を下げる。
「すいません。咄嗟のことで、漁船に積んであった小舟を落として、飛び込んだんです」
「いいえ、気にしないでください。それよりも、お父さんの漁船は追ってこなかったんですか?」
ロクロウさんは悲しげに笑い、首を横に振った。気まずい空気が流れる。俺が口を開くより先に、彼が告げた。
「どうやら、ソウケンさんに呼ばれたようです。俺が船にいたとき、緊急時に使う通信用の魔導具が鳴っていました」
嫌な予感がした。海に飛び込んだ息子を放っておいてまで、港に戻る必要がある事態が起きている。急いで戻らなければならない。
俺は腕を組み、思考を巡らせる。そのとき、潮風が頬を撫でた。空を見上げると、日は傾き始めていた。俺は覚悟を決める。
「ロクロウさん、俺にしっかり掴まってください。どんなことがあっても、離さないで」
「で、でも、俺まで背負ったら――」
「いいから、早く!」
正直、体は重い。魔力もどこまで戻っているか分からない。だが、ここで漂っている時間はなかった。
俺の声に、彼は目を見開くが、すぐに頷いた。俺は後ろを向き、ロクロウさんを背負うと、魔法を唱える。
「ういとるたい」
その瞬間、体が浮き上がる。俺たちはふわふわと十メートルほどまで上がると、風に流され始めた。
昼間の潮風は、陸地へ向かって吹く。『ういとるたい』は、飛ぶことはできず、ただ浮遊するだけの魔法だ。
あまり使い道がないと思っていたが、ここで役立つとは――口元から笑みが零れる。ふと視線を落とすと、海に浮く小舟が小さくなっていく。
俺はファンドウの港を見据える。そのとき、潮風が強く吹きつけ、力強く俺たちを押し出した。
読んでくださり感謝です。
執筆できることにも感謝です。




