158 市場の苦境、警戒の眼差し
皆さま、熱中症には気を付けてくださいね<(_ _)>
俺はソウケンさんを見つけると、駆け足で向かった。ヤクモの呼び止める声が届いたが、足を止めることはなかった。
「おはようございます、ソウケンさん。昨日はご馳走様でした!」
ソウケンさんは一瞬、目を見開いた。だが、すぐに笑顔へ戻り、深々と頭を下げる。
「おはようございます、ソウガ殿。こんな朝早くから、このような場所へ来るとは、どういった目的で?」
彼は顔を上げ、じっと俺を見つめた。後ろに立つ漁師たちも、無言でこちらを見ている。その瞳には、わずかな警戒の色が浮かんでいた。
今の状況を考えると、仕方ないのかもしれない。不漁は続き、災厄もあった。殺気立つのも理解できる。俺はなるべく笑顔を崩さず、答えた。
「目的って、そんな仰々しい。俺たちは、ただ大型船を見に来ただけです。あと、もし市場が開いているなら、そちらも見たいな、と――」
その瞬間、漁師たちの肩が跳ねた。その反応に首を傾げ、ソウケンさんを見る。彼は微笑みながら答えた。
「そうですか、分かりました。ならば、急いだほうがいいでしょう。市場の朝は早い。案内しますので、ついてきてください」
彼は穏やかな表情とは裏腹に、足早に歩いていく。
有無を言わせぬその態度に、俺は眉を曇らせた。振り返ってヤクモに声をかけようとしたが、やつはすでに後ろに立っていた。
その表情は険しく、何かを探るような眼差しをしていた。かすかに不安がよぎる。だが、今は市場の様子を確かめるほうが先だ。
かなり前を歩くソウケンさんを見つけ、俺は慌てて駆け出した。
――――――――――――
ソウケンさんに案内された市場は、静まり返っていた。
ほとんどの店は閉まり、辛うじて開いている店も、店先に並ぶ魚の数は数えるほどしかない。しかも、それは一般人が手を出せるような値段ではなかった。
結局、売れないなら安くすればいい――そんな考えが頭をよぎる。俺が眉をひそめ、活気のない市場を眺めていると、ソウケンさんが静かに口を開いた。
「みんな苦しいんですよ、ソウガ殿。漁に出るだけでも莫大な燃料代と命の危険が伴う。この値段でも、経費を引けば手元には雀の涙ほどしか残りません」
俺は息を呑み、顔を向ける。ソウケンさんの瞳は悲しげに揺れていた。己の浅慮を恥じ、頭を下げようとしたとき、ヤクモが言葉を引き継いだ。
「それに、ひとりが勝手に値下げをすれば、市場全体の相場が崩れ、他の漁師たちの首を絞めることになるだろう。高く売りたいんじゃない。高く売らなければ、明日、海に出ることもできない」
二人の視線の先には、客の来ない店で、干からびそうな魚をじっと見つめる店主の姿があった。
俺が唇を噛みしめ、視線を落とすと、ヤクモが優しく肩を叩く。俺たちは静かに市場の奥へと歩き出した。
やがて一軒の店の前で立ち止まり、俺は目を剥く。軒先に置かれた魚台には、立派な鯛が一匹だけ置かれていた。
だが、製氷の魔導具がないのか、鯛の周りに氷はなく、すでに鱗は乾き始めていた。俺がじっと見ていると、ヤクモが口を開いた。
「おい、店主。その鯛をもらおう。釣りはいらん」
やつは金貨を一枚手渡し、こちらを見る。俺は口元を綻ばせ、店主から鯛の入った箱を受け取ると、魔法を唱えた。
「なおす」
眼前の空間が穿たれ、奈落が生まれる。俺はその中へ箱ごと入れ、すぐに閉じた。目を見開く店主とソウケンさん。そんな二人に、俺は苦笑いを浮かべる。
「この中に入れておけば、大丈夫です。時間が流れていないみたいなんです」
店主は口を開けたまま、呆気に取られていた。
(まあ、驚くよな。時間を止めて保存できるなんて。……これ、生きている物にも使えるかもな)
危険な考えがよぎり、首を振る。
ふと隣を見ると、ソウケンさんの目には、わずかに警戒の色が滲んでいた。さきほどの漁師たちと同じ目だ。
得体の知れない魔法。そう思われても仕方がない。だが、それでも少し傷つく。
俺が方言魔法について説明しようとしたとき、ヤクモがすっと俺たちの間に滑り込んだ。
「こいつは宮廷魔導士で、数少ない空間魔法の使い手だ。今は身分を隠して、ここに来ている。深くは詮索しないでくれ」
――意味が分からない。だが、ヤクモの視線は鋭く、問いかけることを許さない。俺は口を閉じ、ソウケンさんたちから距離を取った。
(こいつにも何か考えがあるのだろう。余計なことは言わないほうがいい)
そのとき、ソウケンさんと視線が重なる。彼はヤクモを無視し、こちらを見ていた。その瞳の奥には、さきほどとは比べものにならないほど強い警戒の色が宿っていた。
背中に冷たい汗が伝う。俺は彼に何かしたのだろうか。恨まれるようなことも、疑われるようなこともした覚えはない。
市場に沈黙が満ちる。俺はその緊張に耐えきれず、視線を泳がせた。ふと、店の奥で目が止まる。そこには小魚の入った木箱があった。
そして、その隣には鋭い背びれが立つ、鱗のない巨大な魚――鮫が横たわっていた。
「すいません、奥の魚は売らないですか?」
「あれは売れないよ。小魚は骨が多く、すぐに傷むし、鮫なんて臭くて食べられたもんじゃない」
店主は苦笑いを浮かべ、首を横に振りながら答えた。その言葉に口角が上がる。もしかしたら、この環境を少しだけ改善できるかもしれない。
俺は店主に小魚と鮫を売ってほしいと頼む。彼は目を見開き、一拍置いてから、笑いながらただで譲ると言ってくれた。
俺は小魚と鮫を『なおす』で収納し、すぐにヤクモとソウケンさんを連れて、シロエのいる屋敷へと向かった。
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