146 町長の日記と、魔力を喰らう植物
少年と母親に別れを告げた俺たちは、町長の家に向かう。大通りを駆け抜けたが、誰ともすれ違うことはなかった。
朝独特の清々しさはなく、町全体がどんよりと静まり返っている。やがて町長の家に到着し、俺は呼吸を整えて木製の分厚い扉を叩く。
耳を澄ませて様子を窺うが、奥から足音が聞こえてくる気配はなかった。どうすべきか迷っていると、隣でヤクモがおもむろに魔法を唱えた。
「土塊は猛りて槍と成り、逃げ場なき一撃にて、敵を貫かん。アースランス」
突如、地面が盛り上がり、扉に向かって突き進む。俺はとっさに横へ飛んで避けると、土槍はそのまま扉を粉々に砕いた。
目の前を通り過ぎる土槍に、冷や汗が流れた。俺は頬を伝う汗を拭い、ヤクモを半目で睨む。
「ヤクモ、できれば一声かけてくれ」
「ん? お前なら余裕で避けられるだろ」
ヤクモは悪びれた様子もなく答えた。たしかにそうかもしれないが、声ぐらいかけるべきだろう。
だが、何を言っても無駄な気がした。俺はため息を堪え、家に入る。あれほどの音がしたのに、誰かが出てくる気配はない。
振り返ると、向かいの家の住人が物音に気づいて外へ出てきていた。すでに町長の家族は、別の場所へ避難したのかもしれない。
俺は逡巡する。このまま調べるべきか、それともここを出て他の手がかりを探すべきか――そのとき、ヤクモが二階へ上がっていく。
何も言わず歩くヤクモの姿に、嫌な予感がよぎる。俺は頬を叩き、覚悟を決めて後を追った。
二階には部屋が三つあった。ヤクモは迷うことなく、目の前の扉を開く。中は薄暗く、窓にはカーテンがかかっていた。
不安が徐々に大きくなる。そう自覚しながら周囲を見渡す。部屋の中は書斎のようだった。壁には本棚が並び、窓際には大きな机がある。
誰もいなかった。俺は安堵の息を吐き、ヤクモを見やると、やつは机に近づき、一冊の本を手に取った。
ぱらぱらとページをめくっていく。次の瞬間、ヤクモは目を見開き、本を取り落とした。俺が声をかけるより早く、やつは部屋を飛び出した。
いったい何が書いてあったのか。俺は床に落ちた本を拾い、ヤクモの後を追った。廊下に出ると、隣の部屋へ入るヤクモを見つける。俺も慌てて後に続いた。
部屋の中には、死臭が漂っていた。この部屋も窓はカーテンで覆われている。まるで外からの干渉を拒むように――。
俺はヤクモの隣に立ち、目を剥く。そこは寝室だった。部屋の中央にベッドが二つ並び、壮年の女性が静かに横たわっていた。その隣では、彼女を看取ったであろう男性が彼女のベッドに突っ伏していた。
立ち尽くす俺をよそに、ヤクモはベッドへと近づき、声をかける。だが、二人とも目を開けることはない。
震える足を動かしてヤクモに並び、視線を落とす。壮年の男の顔は、真っ白だった。その頬はこけ、薄っすらと髭が伸びていた。
ヤクモは腰を落とし、首元に手を添える。だが、男性はぴくりとも動かない。
「やはり、もうこの人は――」
最後まで言葉が出ない。そんな俺に気づき、ヤクモは小さく首を横に振った。そして立ち上がると、女性の脈も調べる。だが、やつは目を閉じるだけだった。
沈黙が満ちる。俺はいたたまれなくなり、手に持つ本を見る。それは日記だった。静かに本を開き、最近書かれたページを見つける。
そこに書かれた内容に息を呑み、手が震えた。思わず俺も本を落としそうになる。
「これはどういうことだ、ヤクモ」
もちろん、やつが知るはずはない。それは分かっているが、口に出さずにはいられなかった。ヤクモはそんな俺を無視して、男性を横に寝かせる。
次の瞬間、目に飛び込んできた光景に言葉を失い、全身から血の気が引いていく。再び震え出した足を必死に抑え込み、ヤクモに視線を向ける。
「日記に書いてあった通りだな。あの植物は人に寄生して魔力を吸い、成長するようだ」
ヤクモは男性の腹部を突き破り、青々とした葉を広げる植物を睨み、呟いた。強く握り締めた拳には、爪が食い込み、血が流れている。
俺は町長の日記を思い出す。彼は自らの食料を住民たちに配り、自分と妻は、あの植物を食べて飢えを凌いでいた。
やがて夫婦の体に異常が現れる。まず妻のほうが体調を崩した。常に倦怠感に襲われ、まともに立つこともできなくなった。
後を追うように町長にも症状が出る。そこで彼はあの植物が原因だと気づき、町の皆に伝えようとした。だが、すでに魔力は奪われ、彼の体は動かなかった。
最後の力を振り絞り、町長は日記に妻と自分の症状を克明に綴った。誰かが日記を見つけ、あの植物のことを伝え、治療法を見つけることを願って――。
最後のページ。町長の言葉を思い出す。
『すまない、アンナ。私があの植物の危険に、もう少し早く気づいていれば――』
その字は激しく震え、線が蛇のようにのたくっていた。そして、最後の一文字は力尽きたように長く尾を引き、余白へと消えていた。
アンナとは彼の妻の名だろう。俺はベッドの上で静かに眠る女性と、まさに命が尽きようとする中、彼女のもとへ向かった町長を見つめる。
悪魔のような植物しか口にしなかった夫婦。二人は魔力枯渇を起こし、激しい頭痛や眩暈に襲われていたはずだ。だが、その表情は穏やかだった。
「……魔力が一割を切るころには、脳は徐々に機能しなくなり、何も感じることはなくなる」
俺の表情を見て、ヤクモが呟く。その言葉に胸が締めつけられた。けれど、最後まで苦しまずに済んだことだけは、救いだったような気がした。
(……いや、違うだろ! もう少し早く、俺たちが来ていれば――)
視界が滲む。震えは止まっていた。胸の中を怒りと悲しみが満たしていく。気づけば、俺も拳を握り締め、血を流していた。
床に横たわる町長に毛布をかけ、ヤクモが立ち上がると、俺たちは無言で頷き合い、部屋を出た。
そして、日記を握り締め、町の人たちにあの植物の恐ろしさを伝えるべく、屋敷を飛び出した。
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