145 母を蝕む病、飢えの植物
町外れの浜辺で一夜を過ごした俺たちは、ウシブルッカの町の入口近くにある少年の家へ向かう。
途中、町長の家にも寄ってみたが、やはり誰も出てくる様子はなかった。
町の大通りを抜け、少年の家に着く。扉を叩くと、少年の母親が出迎えてくれた。その姿に目を剥く。
昨日まではベッドから起き上がることもできなかった女性が、今は普通に立ち、歩いている。思わずヤクモに視線を向けるが、やつは何も言わず、中に入るよう促すだけだった。
「……どぎゃん」
母親に悟られぬよう小声で鑑定魔法を唱えると、彼女の隣に数値が現れる。俺は母親の魔力が完全に回復していることを確認し、頭の中で秒を刻んだ。
昨日は『86秒』で魔力が『1』減っていたが、二分が経っても、数値が減少することはなかった。相変わらず頬はこけ、痩せ細っているが、顔色は悪くない。
どうやら昨日の症状は出ていないらしい。俺はヤクモへ、彼女の魔力が安定していることを目配せで伝えた。
「そうか、予想は合っていたか。ちょっと来い、ソウガ」
ヤクモは顎に手を当て、笑みを零す。どうやら、こいつも母親が助かったことが嬉しいようだ。
俺がにやりと笑うと、ヤクモは鼻を鳴らし、そそくさと家から出ていった。その背中に眉を下げ、俺も後に続いた。
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「――つまり、シロウが渡した特効薬の正体は、解毒の薬草と整腸の木の実を混ぜただけの、ありふれた薬に過ぎなかったということか!?」
俺はヤクモの説明を聞き終え、呆然とする。魔力が奪われ続ける病気が、そんな普通の薬で治るとは思えなかった。
「ああ、だが、俺が渡された紙にはそう書かれていた。つまり、あの薬は食中毒を起こしたときに処方されるものと、ほぼ同じだ。細かな割合は違うかもしれないがな」
肩をすくめるヤクモ。だが、彼女は食中毒を起こしていなかった。吐くこともなく、腹痛を訴えた記憶もない。
「結果論だが、魔力枯渇の症状は食中毒よりも重い。一割を切れば意識不明の重体になるほどだ。その状態まで追い込まれた体には、毒を排泄する力は残っていないだろう」
そこで納得する。希釈した魔力ポーションで魔力を回復させ、体力が戻った母親に薬を服用させることで、体内の毒を外へ出したのだ。
思わず俺は頭を掻きむしる。この疫病の正体に近づけたかもしれない。だが、まだ決定的な部分が分かっていない。
どこで病にかかったのか、あるいは何を食べたのか見当がつかない。何より魔力を奪い続ける毒なんて聞いたことがない。
ふと視線を上げると、ヤクモがじっとこちらを見ていた。
「何に悩んでいる? とりあえず、母親たちのところに戻るぞ。いつまでも外にいると不審に思われるからな」
正論かもしれないが、ヤクモも少しは考えてほしい。とはいえ、彼女を救ったのはやつだ。あまり責められない。
せめて原因だけは俺が突き止めないと気が済まない。俺は短く息を吐き出し、母親たちのいる家へと入っていった。
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中に入ると、母親が朝食の準備をしていた。せめてもの礼のつもりなのだろう。だが、あんなに痩せ細っている二人を差し置いて、食事をいただくことはできなかった。
「気持ちは嬉しいですが、受け取れません。まずは貴女と、それにお子さんが食べるべきです。俺たちはもう食事を済ませたので」
俺たちは丁重に断り、少年に視線を向けた。久しぶりの、ちゃんとした食事なのだろう。彼は目を輝かせていた。
母親は眉を下げながらも、口元を綻ばせる。その顔に笑みを返し、俺は方言魔法を唱える。
「きなっせ」
空間が小さく穿たれ、亜空間が現れる。俺はその中に手を入れ、桃を取り出した。ある実験のために王都から持ってきたものだ。
俺はそれをじっと見つめる。薄紅色に染まった肌には、細かな産毛がびっしりと生え、まだ取り出したばかりだというのに、甘い香りがふわりと鼻先をかすめた。
俺は少年に皿を持ってくるよう頼み、桃にナイフを入れて二つに割り、まずは片方を皿に置いた。
手に持つ半分を手際よく皮を剥いて切り分け、皿へと並べていく。もう片方も同じように済ませ、テーブルの中央に差し出した。
「よかったら、食べてください。その、少しは栄養のあるものを食べたほうがいいと思うので……」
母親が台所で調理していたのは、小さな木の実や、痩せ細った人参や大根だった。それでも、この親子にとっては最大限のもてなしなのだと分かる。だが、栄養が足りない。
彼女は顔を赤らめ、頭を下げる。だが、俺は手を上げ、それを止める。困っているときはお互い様だ。彼女が悪いわけではない。この環境こそが憎むべき相手だ。
俺は唇を噛み、視線を落とす。ふと台所の隅に、見たことのない植物を見つけた。葉は厚く、裏は塩を吹いたように白い。
「あの植物は何ですか?」
「ああ、あれですか。塩害で作物が枯れた畑に生えていたんです」
母親は食事をテーブルに運びながら答えた。俺はその言葉に頷きながらも、どこか毒々しく見えるその植物をじっと見つめる。
俺の視線に気づき、彼女は苦笑いを浮かべて言葉を続けた。
「誰も食べませんでしたが、食料が底をついたとき、町長が毒見役を買って出てくれて……。味はともかく、食べられなくはないので、今は非常食にしているんです」
恥ずかしげに笑う母親を見て、後悔の念がよぎる。誰も好きで食べているわけじゃない。俺は頭を下げた。そのとき、少年の声が耳に届く。
「俺、あれは嫌いだ。あんなの食べるくらいなら、水だけでいい」
その言葉に母親は困った顔をすると同時に、俺とヤクモはアマビエの言葉を思い出し、目を見開く。
『――この病、食べ物だめ。みんなに伝えて』
母親だけが病にかかった理由が分かったかもしれない。俺たちは彼女たちにあの植物を食べないよう約束させる。
そして、誰よりも早くこの町で、あの植物を口にした町長の家へと走り出した。
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