144 アマビエの警告、死にゆく海
ヤクモが目に見えない存在に『アマビエ』と告げた途端、視界の端に刻まれていた数値が跳ねた。『82100』あった魔力残量が、一瞬で『48900』まで転落する。
超特急魔法でも、ここまでの負荷はない。強引に魔力を引き抜かれた衝撃が、疑似的な魔力枯渇を引き起こした。ヤクモは頭を押さえ、その場で膝をつく。
慌てて駆け寄り、その体を支える。ヤクモは顔を上げたが、その視線は水平線の遥か先を見据えていた。
「……精霊は、消えたのか」
ヤクモは眉間に皺を寄せたまま、頷いた。魔力量を見るが、これ以上数字が下がる気配はない。安堵の息が口元から漏れる。
「そうか。よかった――か、どうかは分からんが、とりあえず少し横になれ。魔力をかなり消費している」
そう告げてヤクモを寝袋の上に座らせ、水筒を差し出した。
「すまない、助かる。さっきの言葉だが、『よかった』かもしれん」
ヤクモは水筒の水を一気に飲み干し、そのまま倒れ込んだ。どうやら限界だったらしい。疑似的な魔力枯渇だ。しばらく安静にしていれば回復する。
だが、ヤクモの言葉が気になった。それが何を意味するのかも、すぐに分かるはずだ。俺はヤクモをその場に残し、ひとり海辺の探索へ向かった。
しばらく歩き、岩場を見つけて振り返る。砂浜に横たわるヤクモの姿が小さく見えた。ここなら大丈夫だろう。何があってもすぐに気づける。
俺は足元にできた潮だまりを見る。だが、小魚どころかカニの姿もなかった。その後も、いくつか潮だまりを見つけて確認するが、どこも同じだった。
岩場を下り、波打ち際の砂浜を掘る。いくつか貝を見つけ、中身を調べたが、すべて空だった。
水平線に目を向ける。波は穏やかだったが、海鳥は一羽も飛んでいない。波打ち際には、見たことのない海藻や貝殻が転がっているだけだ。
不漁の原因を探ろうとしたが、やはり素人では難しいようだ。俺はため息をつき、大した成果もないまま戻ると、すっかり顔色のよくなったヤクモと目が合う。
「どうした、俺よりも浮かない顔をして」
「ああ、少し周りを見てきた。俺なりに不漁の原因が分かればと思ってな」
肩をすくめ、砂の上に腰を下ろした俺は、鞄から携帯食を取り出し、ヤクモに渡すと、自分も口に放り込んだ。
ドライフルーツや栄養の高い豆などを混ぜて焼いたクッキーだ。味は悪くないが、とてつもなく固い。
なんとか噛み砕き、水を流し込む。口の中でクッキーが少しだけ解け、乾いた喉を通っていく。
隣を見る。ヤクモも同じように水筒に口をつけ、確かめるようにゆっくりと顎を動かしていた。
朝食をとるのも一苦労だ。俺は苦笑いを浮かべ、魔法を発動する。
「きなっせ」
朝の陽光が煌めく中、漆黒の奈落が生まれる。俺は躊躇うことなくその中へ手を入れる。
「ヤクモ、返すぞ。傷ひとつつけてないから安心しろ」
やつは、そこで自分が眼鏡をかけていないことに気づき、指先で頬を掻いた。
「ありがとう、ソウガ。昨夜から色々とありすぎて、忘れていた」
俺はヤクモに眼鏡を手渡して立ち上がり、水平線を見つめる。遥か先には世界の壁が見えた。その向こうに別の世界があるらしい。
そこは不漁や疫病など、関係のない場所なのだろうか――。
考えても仕方ないと分かっていても、ふと脳裏をよぎってしまう。俺は首を左右に振り、ヤクモに視線を向ける。
「よかったら、教えてくれないか。お前が見た精霊のことを」
その言葉にヤクモはわずかに眉を上げる。だが、すぐに真剣な表情に戻り、語り始めた。アマビエと、その彼女が告げた言葉について――。
――――――――――――
「――というわけだ。彼女の名前『アマビエ』を告げたら、一気に視界が開け、言葉が届くようになった。彼女は言っていた。『この病、食べ物だめ。みんなに伝えて』と」
語り終えたヤクモは遠くを見つめる。その横顔には恐怖も嫌悪もなく、静けさだけが漂っていた。
ヤクモの中で何かが変わった。そう思いながらも、口にすることはなかった。俺はアマビエが伝えた言葉を反芻する。
だが、何も思い浮かばない。食べ物といっても、そもそも不漁と塩害で、まともなものなどほとんどない。昨日会った親子も痩せ細っていた。
いくら考えても答えは出ない。ならば行動あるのみだ。俺は起き上がり、ヤクモを見る。
「アマビエが言った言葉は覚えた。だが、何も分からん。まずは昨日の親子の家に行こう。母親の容体が気になる」
砂粒を払いながら告げると、ヤクモがやれやれと首を振り、立ち上がった。
「ふっ、お前らしいな。たしかに海ばかり眺めていても仕方ない。それに俺の考えが間違っていなければ、母親の容体はよくなっているかもしれん」
俺は思わず凝視する。だが、ヤクモはそれ以上語らず、革袋を腰に結ぶと、颯爽と歩き出した。
できれば、すぐにその言葉の意味を教えてほしいところだが、親子に会えば分かることだ。
俺を置いてさっさと歩くヤクモの背中を半目で睨みつけ、ため息を堪えて大きく足を踏み出した。
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