139 奪われる『1』
意識を取り戻した母親に、涙を浮かべて喜ぶ少年。そんな二人を眺めていると、ヤクモの声が届いた。
「おい、どういうことだ。なぜ魔力ポーションを希釈した水を飲ませた?」
いつになく鋭い視線を向けるヤクモを、じっと見つめる。
「ああ。俺の魔法で彼女の状態を見たら、少しずつ魔力が減っていた。あのとき、彼女の魔力は、すでに二割を切っていたんだ」
その言葉に、ヤクモが目を見開いた。何をそんなに驚いているのか分からない。だが、その表情から嫌な予感がした。
「二割か……。その魔法は、魔力や体力――そういったものが数値として見えるのか?」
少年と母親に聞こえないよう、ヤクモが声を潜めて尋ねる。どうやら、あまり周囲に知られたくないらしい。
俺は少年に、あとで様子を見に来ると伝え、ヤクモを連れて家を出た。
通りには誰もいなかった。ここで話しても問題ないかもしれないが、注意深く周囲を見渡すと、人の気配を感じた。
扉を細く開け、こちらを覗く目。カーテンの隙間から窺う暗い顔。粘りつくような視線が、あちこちに潜んでいた。
疫病が流行っている町に、突然訪れた人間に向ける態度としては間違っていない。俺は苦笑いを浮かべ、いったん町の外へ出た。
――――――――――――
俺とヤクモは町の入り口から少し離れた丘の上へ向かった。俺は地面に腰を下ろし、方言魔法『どぎゃん』について説明した。
木に背中を預け、険しく眉を寄せていたヤクモだったが、話を聞くにつれ、ゆっくりと表情が解けていった。
そして、最後には諦めを含んだ溜息をつき、落ち着きを取り戻す。
「……そうか。お前の魔法は、やはり体力や魔力量を数値化して見られるのか」
自らを納得させるように声に出すヤクモ。なぜそこまで身構えるのか、意味が分からず首を傾げた。
「簡易に魔力を測定できる紙があることは知っているだろ。だが王家は、詳細に魔力量を測定できる魔導具を持ち、管理している。滅多なことでは貸し出さない、王家の秘宝のひとつだ」
その言葉に息を呑む。市販の魔力測定紙は、魔力量に応じて赤、黄、緑と表示を変えるだけのものだ。
正確に魔力を測定できる魔導具は、王家しか持っていなかった。
鑑定魔法なんて、前世で読んだ小説では当たり前にあったから、当然この世界にも存在すると思っていた。
だが、この世界にはない。唯一その情報を管理しているのは王家だけだった。俺の方言魔法『どぎゃん』は、その優位性を脅かす存在だと気づかされる。
「ソウガ、俺の魔力量を見てくれ。頼む」
真剣な表情に、頷くしかなかった。俺は魔法を唱え、ヤクモを見据える。
「すごいな、ヤクモ。魔力量が『82100』だ」
口元から吐息が漏れた。これまで人を鑑定したことはなかった。個人の情報を盗み見るようで、どうしても気が引けた。唯一見たことがあるのは、両親と魔物ぐらいだ。
宮廷魔導士並みの魔力があると言われていた母でも『9850』だった。その九倍近い魔力量。さすが王家の血だ。それともヤクモが特別なのか。
「『82100』か……。入学したときに測ったときより、わずかに増えているな。本当に測定できるのだな――」
ヤクモはこめかみを押さえ、小さく首を振った。ひとりでは抱えきれない問題に直面し、困惑しているようだ。
さすがに気の毒になった俺は、無理にでも空気を変えようと明るく声をかけた。
「いや、凄いなヤクモ。その若さで八万を超えるなんて、宮廷魔導士の平均が一万らしいから、怪物並みだな」
その瞬間、ヤクモの瞳に影が差した。触れてはいけないことを言ってしまった。俺はすぐに頭を下げる。
「す、すまん。誰もいないとはいえ、口を滑らせた。お前の魔力量なんて、王家が秘匿している最重要情報に決まってる」
地面を見つめる俺の背中に鋭い視線を感じ、冷たい汗が伝う。王太子の魔力量なんて、気軽に口にすべきじゃなかった。
「まあ、いいさ。魔力量なんて、力を測るためのひとつの情報に過ぎないからな。それより怪物か。昔から俺は――」
ヤクモが自嘲気味に笑みを浮かべ、気にしていないと告げる。そして、続きを話そうとしたとき、丘を駆け上ってくる少年が視界に入った。
「ここにいたんだね、兄ちゃんたち。母ちゃんがお礼を言いたいから、連れて来てって」
肩で息をする少年に笑みを浮かべる。ちらりとヤクモを見ると、開きかけた口を閉じ、肩をすくめた。思いがけない少年の乱入のおかげで、張り詰めた空気が解ける。
俺は心の中で少年に感謝し、水を飲ませて落ち着かせた。やがて息を整えた少年は、額の汗を袖で拭い、再び俺たちを町へと招いた。
――――――――――――
「本当にありがとうございます。息子から聞きました。貴方たちが治してくれたと。このような有様で、何もお返しできず、どうやってお礼をすればいいか……」
目に涙を浮かべ、深々と頭を下げる女性。その隣には少年が並び、同じく頭を下げていた。
だが、俺たちは特別なことはしていない。備えの魔力ポーションを、少しだけ与えただけだ。
「気にしないでください。ここには疫病の調査に来たんです。あなたを助けたのも、その一環です」
手を振り、礼は不要だと告げる。ポーションの蓄えは十分にある。内乱を事前に止めるため、武力行使も想定して準備してきた。
俺は魔力ポーションが入った鞄に視線を落とす。隣に目を向ければ、ヤクモもポーションを収めた革袋に手を当てていた。
俺の言葉に安堵の表情を浮かべる親子。二人とも痩せ細り、頬がこけている。痛ましい姿に、俺は眉をひそめる。ただ、母親のほうが顔色が悪いように見えた。
小声で方言魔法を発動し、二人を見つめる。少年の魔力は変わっていない。
だが、回復したはずの母親は、わずかに減っていた。思わず目を見開いた瞬間、彼女の隣に浮かぶ数値――魔力から『1』が奪われた。
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