136 誓いの口づけ
俺たちは門を抜け、玄関の前に立つ。扉は静かに開かれ、迎えてくれたのは、銀髪を整えた老練な執事と、二人のメイドだけだった。
屋敷の大きさと比べ、数が少なすぎる。だが、出迎える者が少ないのは、招かれざる客であることを暗に示しているのかもしれない。
俺は平静を装い、失礼がない範囲で周囲を見渡す。綺麗に掃除はされているが、あまりにも調度品や家具が少なかった。
「ただいま、ソウケン。彼らを僕の書斎まで案内してくれ。僕も着替えたら、すぐに向かう」
恭しく日傘を受け取り、音もなく一礼する銀髪の執事。その淀みのない所作には一分の隙もない。かなりの武術の使い手であることは明白だった。
(どう見ても、執事というより暗殺者か、手練れの武官だろ)
背筋が冷たくなり、喉が渇く。ちらりとシロウに視線を向けると、とくに気にした様子はなかった。
ため息をつき、仕方なく一歩踏み出そうとしたとき、ヤクモが横を抜けて先に屋敷に入った。その背中から強い覚悟を感じる。
鋭い視線で射貫くソウケンさん。ヤクモはそれを正面から受ける。一触即発の雰囲気に、空気がぴんと張り詰めた。
俺は黙って二人に眼差しを注ぐ。その瞬間、ソウケンさんはにこりと笑い、優雅に頭を下げた。
「失礼しました。最近は、この辺りも物騒でして――。シロウ様のお客様とはいえ、初めての方。つい警戒してしまいました」
俺は安堵の吐息を漏らす。だが、あの一瞬で何を感じたのか――老練の戦士にしか分からない。ただ、敵意を向けられるよりはいい。
握り締めた拳を解き、ヤクモを見る。その頬に一筋の汗が見えた。それが暑さからなのか、緊張からなのか、俺には分からなかった。
――――――――――――
ソウケンさんの案内でシロウの書斎へと通された。ここに来るまで、調度品はほとんど見なかった。
その代わりに、ステンドグラスやクムァムーン様を彫った柱や壁を多く見かけた。
(……シロウはクムァムーン様の敬虔な信者なのだろうか)
どこか違和感を覚える屋敷。それが何なのか分からず、思考の海に沈む――そのとき、扉を叩く音が耳に届く。
顔を上げて扉に視線を向けると、ソウケンさんが静かに開く。風が流れ込み、微かな磯の香を運んできた。
青髪をなびかせ、金色の瞳を輝かせて入ってくるシロウを見つめる。さきほどより薄着ではあるが、やはり露出は控えてある。
「待たせて、すまない。それじゃ話そうか。でもその前に、これから聞くことは誰にも口外しないと誓ってもらっていいかな?」
俺たちと向かい合うように座るシロウ。彼は真剣な表情で問う。だが、そんなことは当然だ。俺は頷き、隣を見る。
「誰に誓えばいいんだ?」
ヤクモは腕を組んだまま冷たく尋ねた。何を言いたいのか分からず、シロウに視線を移す。彼は表情を崩すことなく、短く放った。
「クムァムィ様だ」
シロウは胸元のペンダントに触れる。それはクムァムーン様を象ったものだった。だが、表面は摩耗し、顔が消えていた。
それだけで、このペンダントが長い年月引き継がれてきたものだと分かる。やはりシロウは――いや、アクアクサ侯爵家は敬虔な信者なのだろう。
そこで俺は気づく。シロウは王家よりも、クムァムーン様との誓いを重んじている。――そしてそれは、王太子のヤクモにとって見過ごせないことなのだとも。
ごくりと喉が鳴る。一気に空気が変わる。シロウの後ろに控えるソウケンさんの眼差しが鋭くなる。
「分かった、誓おう。クムァムーン様に」
「クムァムィ様だ。間違えるな」
ヤクモの言葉を即座に否定したシロウ。その瞳には暗いものが宿っていた。そっと隣を見る。視界の端に、わずかに口角を上げるヤクモを捉える。
(くそ、ヤクモのやつ。わざと間違えて試したな!)
指先が冷え、頬に冷たい汗が伝う。
「……クムァムィ様に誓おう。口外しないと」
ヤクモはシロウから視線を外すことなく、感情を削ぎ落とした声で告げた。シロウは静かに頷き、ペンダントを外して突き出す。
「……誓いを」
何をすればいいのか分からず、呆然とする。すると、ヤクモが顔のないクムァムーン様のペンダントに唇を押し当て、呟いた。
「クムァムィ様。我が沈黙を捧ぐ。この誓い、命を賭して違えまじ」
その姿に目を見開く。そんな作法は知らない。少しも間違うことを許されない空気に、言葉が出ない。
三人の視線が俺に集まる。緊張でペンダントをうまく掴めない。震える指で顔に近づけ、俺も唇を押し当てた。そして、口を開く。
「ク、クムァムィ様。我が沈黙……命を……守る」
命を賭す――その言葉だけが喉に引っかかった。唇が渇いて張り付き、うまく喋れない。俺はペンダントを離し、恐る恐る顔を上げる。
目の前には、満面の笑みを浮かべるシロウの姿があった。それだけで、胃の奥がゆっくり沈んだ。
読んでくださり感謝です<(_ _)>
ブクマor★で応援いただけると励みになります!




