132 潮風の街と、青髪の青年
第二章が始まりました。
学園総体が終わった二日後、俺はヤクモに呼ばれた。向かった先は冒険者ギルドの居酒屋。昼間から酒の匂いが充満していて、王太子が来る場所じゃない。
一番奥の席にヤクモがいた。いつもの強気は影を潜め、指先だけが落ち着きなくグラスをいじっている。
「珍しいな。お前が俺を呼ぶなんて。……で、何の用だ」
俺に気づいたヤクモは、口を開きかけて閉じた。嫌な予感が背中を撫でる。
「ソウガ。頼みがある。俺とアクアクサ領に来てくれ」
この言葉が俺たちを、あの『内乱』へ引きずり込むとは――このときの俺には知る由もなかった。
――――――――――――
俺とヤクモは、見慣れない街並みに視線を彷徨わせた。潮風が頬を撫で、港町特有の匂いが鼻を掠める。
俺たちはアクアクサ領の中心地ファンドウを歩いている。市場に魚はなく、路上には腹を押さえて座り込む子供たちもいた。
「ここも一緒だな。いや、今までで一番ひどいかもな」
王都とはまるで違う風景にヤクモは眉をひそめる。俺は頷き、周囲を見渡した――そのとき、一人の少年が店から飛び出してきた。
「誰か、そいつを捕まえてくれ。泥棒だ!」
痩せこけた少年の腕の中には、カビの生えたパンがあった。こんなものまで並ぶのかと驚きながら、どうすべきか迷う。
刹那、ヤクモが動いた。すっと少年の前に立ち、行く手を塞ぐ。少年が目を見開き、立ち止まると、店から壮年の男が飛び出し、棒を振り上げた。
「やめろ、許してやれ!」
ヤクモの声ではなかった。凛とした声に振り向く。そこには青い髪をなびかせ、金色の瞳で男を射貫く、美しい青年が立っていた。
「その棒を下ろせ。ここはお前の憂さ晴らしの場所じゃない」
青髪の青年は少年と男の間に割って入り、銀貨を一枚差し出した。その手は絹のように白く、細かった。
(……青年?)
俺は首を傾げる。その間にも事態は進み、男は銀貨を受け取り、店へ戻っていった。やがてパンを抱えた少年は地面に座り込む。
「大丈夫だった。怪我はないか?」
青年は優しく少年に語りかける。その横顔に目を奪われていると、ヤクモが口を開く。
「おい、こんなことは偽善だ。やめろ。見ろ、他の者たちはどうする」
正論だ。ヤクモが指さした先には、空腹で座り込む子供や老人がいた。彼らは恨めしそうに、こちらを見ている。
その視線を受けた青年は、悲しげに首を横に振った。その姿に、少しだけ胸が痛む。この状況を作ったのは彼じゃない。その責任を背負う必要はないはずだ。
俺はヤクモの肩に手を置き、その厳しい視線を遮るように前へ出て、振り向く。
「ヤクモ、お前の言葉も分かる。だが、街がこうなったのは彼のせいじゃない。それに、大勢を救えないからといって、目の前の子供を見捨てていいわけでもないだろう」
じっとヤクモを見つめる。こいつも青年に罪がないことは分かっている。ただ、目の前の理不尽に憤っているだけだ。
俺は微笑みながら、ポンとヤクモの肩を叩く。ふと視線を感じて前を向くと、青年が紺碧の髪の隙間から、射抜くような金色の瞳をこちらに向けていた。
「俺はソウガ。こいつはヤクモだ。アクアクサ領には観光で来た」
微かに頬が熱くなる自分に戸惑いながら名乗ると、青年は自嘲気味に笑みを浮かべた。だが、その瞳の奥には疑惑の色が宿っていた。
俺はちらりとヤクモを見る。
(……この男、少し身なりが整い過ぎだ)
つい背中に冷や汗が伝う。
「僕はシロウだ。ここには観光で来たんだね。なら、あまり長居しないほうがいい。何もない場所だ。治安も悪いしね」
そう告げて青髪の青年――シロウは少年を立たせると、その場を後にした。なぜか、彼の背中から目が離せなかった。
(あまり長居、か。内乱が起きることを知っているのか……?)
考えすぎだと首を横に振る。だが、再び彼の背中を見つめた。ふいに磯の匂いが鼻をかすめる。それは、よそ者を拒むような重い気配を滲ませていた。
そのとき、遠くで神に祈りを捧げる声が聞こえた。それは俺が知る神の名とは、少しだけ響きが違っているようだった。
――これが俺とシロウの最初の出会い。そして、悲劇の始まりでもあった。
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