半蔵
------------------------
シーン1 広島
------------------------
明治二十七年(1894年)――日清戦争の勃発とともに、日本の首都は一時的に東京から西へ移った。
巨大な軍靴の音がこだまする広島。大型船が接岸できる宇品港を抱え、前線へと続く兵站の要となった街には、明治天皇自らが陣頭指揮を執る「広島大本営」が置かれた。陸軍第5師団司令部の構内を中心とした一帯は、参謀本部や軍令部の官僚軍人、きらびやかな正装に身を包んだ将官たちで溢れ返り、仮初めの「帝都」として異様な熱気を孕んでいた。
豪華絢爛な御前会議が開かれ、国家の命運を賭した戦略が論じられるその華やかな表舞台。しかし、そのきらびやかな光が強ければ強いほど、濃く深い影が落ちる場所があった。
大本営の裏口、冷たい木枯らしが吹き抜ける薄暗い石畳の片隅に、半蔵は微動だにせず佇んでいた。
半蔵の血脈は、かつて中国地方を制覇した毛利家臣団に連なっている。だが、それは表立って大軍を率い、槍を振るう名門の武家ではない。世に隠れ、闇を渡り、密命を帯びて情報と工作を担った「忍び」――世鬼の一族に連なる家格であった。
毛利の地は長州藩となり、山縣有朋や桂太郎といった同郷の男たちが明治政府の政治や陸軍の中枢を牛耳り、日清戦争の指揮を執っている。しかし、それはあくまで「表の歴史」の話だ。
明治中期の日本陸軍において、大本営の参謀として作戦を練るような「軍人」「高級将校」への道は、陸軍士官学校を卒業したエリート、すなわち上級士族や名家にしか開かれていない。
下足軽や中間層から身を起こした者、ましてや江戸時代を通じて下級武士や郷士の枠に押し込められ、細々と血脈をつないできた「忍び」の末裔が、将校として大本営に名を連ねるなど、夢のまた夢だった。
(……俺たちがいるべき場所は、光の当たるところではない)
江戸時代からの主従の縁、あるいは家と家とのしがらみに縛られ、上級将校たちが気位の高さゆえに絶対にやりたがらない「汚れ仕事」や「末端の雑務」。それが、半蔵の日常だった。
天皇臨席の華やかな軍議の裏で、下働きや、誰にも知られない闇の連絡係として使い捨てられる日々。
そして、日清戦争が終結し、大本営の任務が軍の指揮統括から「台湾統治」という新たな領土の裏面処理へと移行しても、その構造が変わることはなかった。
戦火が鎮まり、新しい巨大な権益や表立った統治の美辞麗句が踊る陰で、やはり「誰もやりたがらない任務」――台湾の闇に潜む残党の懐柔、現地での隠密裏の探索、そして政治の表に出せない不都合な処理の数々が、冷たい風の吹く裏口に立つ半蔵たちの元へと、静かに、そして確実に回されてくるのだった。
------------
シーン2 台湾
------------
明治29年(1896年)抵抗勢力を一掃する作戦が終了。広島大本営は解散、
明治32年(1899年)に台湾銀行が設立されると半蔵は、その産業振興に関する裏交渉をする部署に所属する事になった。
薄暗い行燈の灯りが、古びた茶室の畳をぼんやりと照らしていた。窓の外からは、日本統治が始まったばかりの台北の街の、どこか落ち着かない喧騒が微かに漏れ聞こえている。
部屋の隅に控える半蔵の視線の先で、上座には帝国陸軍の軍服に身を包んだ参謀の将校が、腕を組んで不機嫌そうに座っていた。その対面で、青い長袍に身を包み、苦渋に満ちた表情を浮かべているのは、清朝代からの古い因習と広大な土地を守ってきた台湾の名家――旧家の長老である。
「……出て行く、と言うか」
将校は鼻で笑い、冷ややかな口調で言った。
「下関条約の取り決め通り、去来期限の二年はまだある。貴殿らが家財をまとめ、船をチャーターして福建や広東へ戻る自由は保証されているさ。だがね、老いたる当主よ。本当にそれでいいのか?」
長老はわずかに眉をひそめ、震える声で言い返す。
「我らは先祖代々、清国皇帝の臣民。祖先の骨が眠る土を捨て、見知らぬ島国(日本)の軍門に下るなど、士気の誇りが許さぬ。それに、本土へ帰れば……」
「帰れば、どうなる?」
将校の言葉を遮るように、低い声が茶室に響いた。
控えていた半蔵が、ゆっくりと顔を上げたのだ。
「……何奴だ」と長老が身構える。
半蔵は表情を変えず、淡々と、しかし容赦のない現実を突きつけるように言葉を紡いだ。
「本土へ渡ったところで、貴方方の居場所はありません。今の清朝末期の上層部がどうなっているか、ご存じないわけではまいりますまい。腐敗しきった官僚どもは私腹を肥やすことに夢中で、外敵の脅威にもただおろおろするばかり。やがてはその体制すら崩壊し、新たな権力を狙う者たちの泥沼の抗争に巻き込まれる」
「なっ……勝手なことを!」
「勝手と切り捨てるのは自由ですが、現実です」
半蔵は一歩、静かに踏み出した。
「本土へ戻れば、持ってきたなけなしの資産も、現地の役人や革命勢力の買収、あるいは混乱による経済的困窮で、みるみるうちにすり潰される。祖国への忠義などという美名の裏で、一族みな野垂れ死にするか、没落していくのが関の山だ。……それが、清国の末路に寄り添う者たちの行く末です」
茶室に重く冷たい沈黙が落ちた。長老の顔から血の気が引いていく。
台湾を離れ、本土に「故郷」を求めた者たちが待ち受ける過酷な未来。
それは、幕末に腐敗した江戸幕府がフランスに軍事支援。薩摩藩や長州藩がイギリスに軍事支援され内戦に陥り。あわや植民地となってしまう危機を迎えても・・長く続く江戸幕府においての伝統を守る事や支配層である自己保身に囚われ。国の事なんか考えていない内戦状態になるまで無策だった幕府重鎮のような存在が清国においても存在する事と、欧米の植民地獲得競争を見越しての事だった。
日陰の身として数々の裏事情を見てきた半蔵の目には、台湾から清国本土へと行くのは破滅の道に映っていた。将校がすっと立ち上がり、冷徹な目を長老に向けた。
「我が大日本帝国と台湾総督府は、社会インフラを整備し、産業を興し、秩序を築く。そのために、貴殿のような才覚と財力を持つ者たちの力が必要なのだ。……言っておくが、これは慈悲ではない。実利の話だ」
将校は懐から一通の書類――日本統治下での新たな権利や、
貿易・産業振興における特権を保証する契約の草案を並べた。
「祖先の亡霊にしがみついて本土の泥舟と一緒に沈むか。それとも、この新しい時代の実利を掴み取り、新たな近代財閥、真のエリートとしてこの島に根を張るか。……選ぶのは、一族の当主である貴方だ」
林立する軍靴の音と、変わりゆく時代のうねり。台湾の有力者たちが「日本統治への適応」という苦渋の、現実的な選択を迫られる歴史の裏面で、半蔵は再び無言の影へと戻り、次の「説得」の標的を見据える。
------------------------
シーン3 大正バブル
------------------------
そして、時は流れて大正時代。
台湾の気候・風土に適した高品質な日本米の品種「蓬莱米」の育成、基幹産業となる製糖業の近代化、日本国内の自由主義的な大正デモクラシーとも連動して台湾経済は発展。第一次世界大戦の対岸の火事景気もあって、台湾に残った長老の一族は繁栄する事となり、第一次大戦後の展開についての密約を語り合う。
大正の半ば、台北の高級料亭の奥座敷。窓の外には、かつて寂れていた街並みが嘘のように変貌を遂げ、近代的なインフラと活気に満ちた台北の街が広がっていた。
かつて日本軍の脅しと冷徹な現実論に屈し、本土への引き揚げを断念して台湾に残る道を選んだ旧家の長老――いまや「新興の近代財閥」の頂点に立つ老当主は、絹の羽織に身を包み、グラスに注がれたウイスキーを静かに傾けていた。
その障子の外、気配を殺して控えるのは半蔵である。
時代は明治から大正へ移り、世の中はデモクラシーの空気に包まれていたが、半蔵のまとう「影」の色が変わることはなかった。ただ、主人が仕えるべき対象と、交わす密約の規模だけが異なっていた。
座敷のもう一人の人物――それは、かつて冷徹に現実を突きつけた陸軍の男からバトンを受け継いだ、総督府の経済官僚、台湾銀行の幹部である。
「お見事でしたな、当主殿。あのとき、あの方の進言を受け入れて本土へ渡らなかった判断が、今日のこの繁栄を生んだ」
官僚が皮肉とも賛辞ともつかない笑みを浮かべてグラスを置いた。当主は苦笑を漏らし、しかしその瞳には揺るぎない自信の色が宿っていた。
「……あの日のあなたの言葉は、若造の脅しにしてはあまりに正確で、そして残酷だったよ。案の定、大陸の清国は滅び、中華民国が生まれたところで終わりのない内戦と混乱の泥沼だ。あちらへ戻った一族は今や見る影もないという。それに比べれば……」
当主は眼下の街を指さした。
「この島は変わった。磯永吉たちが苦心の末に生み出した『蓬莱米』は、いまや内地の人々の口を唸らせる極上の米となり、我が一族が関わる製糖業も、新渡戸氏が撒いた種が芽吹いて一大産業となった。 第一次大戦の特需――いわゆる『大戦景気』の波にも乗った。我が一族は本土の混乱を逃れ、この台湾の土で、かつてないほどの莫大な富を手に入れたよ」
「ええ。そして、世界は第一次大戦の終結という新たな局面を迎えている。これからの台湾に求められるのは、ただの原材料の供給地ではない。さらに高度な金融、工業、そして……政治的・社会的なバランスだ」
官僚がふっと表情を引き締め、懐から一通の非公式な覚書を取り出した。
「東京では大正デモクラシーの風が吹いている。台湾でも、林献堂らが『台湾議会設置請願運動』などという合法的な自治運動を活発化させている。……分かっていますね? 我々総督府と、あなた方のような特権的財閥が、これ以上摩擦を起こす得はない」
当主は静かにうなずき、その密約の書面に目を落とした。
「表向きは、彼らの運動を適度に泳がせ、ガス抜きをさせる。だが、実利の根幹――製糖、銀行、米の流通、そして台湾の産業を牛耳る経済のパイプラインは、我々総督府とあなた方財閥がしっかりと握り続ける。そういう密約だ」
「そうだ。帝国はあなた方の富と影響力を保証する。あなた方は、この台湾経済の屋台骨として、帝国に忠実に、かつしたたかに儲け続けるがいい」
利害の一致。
それはかつて「脅迫」に近い形で行われた生存の選択が、いまや強固な共犯関係へと昇華した瞬間だった。障子の向こう、冷たい夜風が吹き抜ける廊下で、半蔵はそのやり取りをすべて聞き届けていた。
本土の混乱から逃れ、台湾の地に根を張った者たちは、時代の波・・戦争景気やデモクラシーを乗りこなし、富と権力を手に入れている。
しかし、どれほど華やかな近代財閥の当主になろうとも、帝国の裏側で結ばれる「密約」の糸を引くのは、いつの時代もこうした隠密たちの見えない手なのだ。
半蔵は音もなく姿を消し、再び歴史の闇へと溶けていった。
・・・・
「舞台が台湾ってのはなー、ちょっとねー どうしても政治的になるし、台湾に関して語ると おかしな事になるみたいだし どうせ、空想作り話なら、同じような島国って事にして書き換えない?」
『空想上の国?』
「そう、空想上の国の空想上の財閥な上級国民な人々と、それに協力する忍者っぽい男って感じで」
『実際には、1985年から1945年までの50年間で消えて無くなってしまった部分の象徴みたいな存在と、その後も存続して現在のAIバブルに至るまで繁栄している部分って感じを対比して書くって事っすか?』
「ま、そういう事だね、時代が御呼びじゃないじゃないって存在と、時代の波に乗り切った存在を書くって感じで、よろしいのではないかと思うよ」




