社内御客様
「今回の御題は、イヤミスならぬ、イヤ泥
嫌らしいミステリーじゃなくて 嫌らしい泥沼劇の原案
適当に書いてみて、同じ御題で出したのを寄せ集めるから」
そんな連絡があり、とりあえず書いてみた。
・・・・
どこにでもある、しかし、どこにもない街の片隅で、橋田は途方に暮れていた。
50代半ばという年齢は、再出発を切るにはあまりにも重かった。長年身を捧げてきた業界は、昼夜を問わず、土日も平日もなく働き続ける過酷な世界だった。その代償として彼の血管はボロボロに傷つき、いつ心筋梗塞や脳梗塞で突然死してもおかしくないという爆弾を抱えている。若い頃のように体力勝負の現場で、若い者たちに混じって働くことはもはや不可能だった。
これまでの経験が使えないとなれば、未経験の職種を探すほかない。しかし、現実は冷酷だった。50代の未経験者を好んで雇う会社などどこにもなく、かろうじて見つけた「未経験者歓迎」の求人さえ、病弱な彼を絶望させた。「言われた仕事ができない場合のペナルティ」が、体力も免疫力もない高齢の身にはあまりにも過酷すぎたのだ。働くことイコール、自らの寿命を縮めること――。そんな矛盾に行き詰まり、橋田はアスファルトの地面を見つめたまま、ただ立ち尽くしていた。
その時、曇天の空の下でふと視界に入った1枚の求人広告が、彼の足を止めた。
古びた掲示板に貼られたその紙には、見慣れない奇妙な文言が踊っていた。
【社内御客様 募集】
年齢不問・経験不問。特別なスキルや体力は一切必要ありません。
「社内御客様……?」
耳慣れない言葉だったが、その下には「年齢も経験も不問」と力強く書かれていた。崖っぷちに追い詰められた人間は、蜘蛛の糸をも掴む思いでそれにすがる。橋田は震える手でスマートフォンを取り出し、引き寄せられるように応募ボタンを押した。
ピコン、と軽快な通知音が響く。それは、橋田の絶望的な仕事探しの終わりであり、そして、誰も予想しなかった奇妙な世界の始まりを告げる音だった。
「社内御客様」という謎の肩書に惹かれて入社した橋田が配属されたのは、一般消費者向けの金融・投資商品を扱う販売会社だった。
入社後の最初の2年間は「販売研修員」という名目で、現地採用のプロの販売員たちに混じり、営業所で最前線に立つことになっていた。区切りはこうだ。最初の1ヶ月、次の2ヶ月、そのまた次の3ヶ月、次の半年、そして研修期間最後の一年。トータル2年間の過酷なサバイバルがスケジュールされていた。ひらたく言えば、それは泥臭いセールスの現場だった。
そして、最初の1ヶ月目の最終日、その前日のことだった。
営業成績の締め切り時刻が迫る中、橋田は一軒の契約も取れずにいた。当たり前だ。金融の「き」の字も知らず、血管病の体を騙しながら営業所を回るだけの50代未経験者に、顧客がほいほいと高額な商品を契約してくれるはずがない。
「橋田くん、ゼロだね」
営業所長は冷ややかな目で告げた。
「販売員なんだから、客から契約を取れないのは仕方ない。だがね、君は『社内御客様』でもあるんだ。営業ノルマをクリアするために、今月はうちで扱っている商品を買ってもらうよ」
「……買う、ですか?」
「そうだ。買わなくてもいい。だが、社内御客様にならないなら、販売員契約を解除して明日からこの営業所に来なくていい。……クビだ」
選択肢など最初から用意されていなかった。血管病の体にこれ以上の無茶はできない。ここで放り出されれば、彼の人生は完全に詰む。橋田は青ざめた顔でうなずくしかなかった。
目の前に差し出されたのは、入社してから猛勉強させられたという名の、複雑怪奇な金融商品のパンフレットだった。どれもこれも、これまで金融商品なんて見たことも聞いたこともない橋田の頭を混乱させるものばかりだった。
歴史の波に翻弄された、いわくつきのラインナップが並んでいた。
インターネット黎明期を支えた「ツルハシとシャベル(基幹インフラ機器)」を売る企業の社債。
ネット流行後の戦争による軍需・防衛予算拡大で注目されたものの、
一本足打法ゆえの危うさを抱える某国のカントリーファンド。
その戦争後の不動産融資緩和策で一度は高騰したものの、
のちに大暴落を引き起こした不動産債権。
不動産暴落のあとの経済再生ブームで流行し、
グリーンITや電気自動車、データセンター関連として持てはやされた
次世代エネルギーファンド。
そして、次世代エネルギーが落ち着いた直後、
某国の細菌兵器流出によるパンデミックで
特需を生んだ対応ヘルスケア企業や、リモートワーク関連ファンド。
今の時代は「AIバブル」と呼ばれているらしい。しかし、素人の橋田に、過去の遺物のようなこれらの一群の中でどれが「ウイナー」と呼ばれて高騰し、どれが「ルーザー」と呼ばれて暴落するのか、見分けがつくはずもなかった。
「おい、橋田。悩んでる暇はないぞ」
見かねて声をかけてきたのは、同じ営業所の営業班長だった。
「班長、これ、どれが当たりなんでしょうか……?」
「バカだな、自分で考えるな。営業業績に計上されるポイントが一番高いやつにしておけ。会社が今、一番売りたがっているやつだ。どうせお前が自分で運用するわけじゃない、数字の帳尻合わせの『社内御客様』なんだからな。もし、こんな風に買わされるのが嫌なら来月度から自分の代わりに 金を払って金融商品を買ってくれる御客様を探せ。そうすりゃあ、自分が一方的に客されて払わされる側から抜け出せるぞ」
班長に言われるがまま、橋田は言われるがままに会社が最大限を得られる仕組みのポイントの高い仕組債ファンドを買った。自分の財布から消えていく大金を直視しないようにしながら、指示された通りに金融商品の購入操作を営業所端末でした。
こうして、橋田は文字通り「社内御客様」としての第一歩を刻んだ。
それが会社という巨大なシステムに絡め取られる終わりの始まりだとも知らずに。
研修期間が過ぎ、入社から2年が経過する頃には、橋田がこれまでの人生で蓄えてきた貯金は綺麗さっぱり底をついていた。毎月のように「社内御客様」としてのノルマを買い支え続けた代償だった。もはや自腹を切って金融商品を買い増すことは物理的に不可能になったのだ。それを知った途端、それまで「大事な御客様」として丁重に扱っていた営業所長の態度は、一変して冷酷なものになった。
「金を払えない客に、用の済んだ御客様の席はないんだよ」
そう吐き捨てるように、営業所長の毎日のような過激なパワハラが始まった。朝から晩まで怒鳴り散らされ、人格を否定される日々。精神的にも追い詰められていく橋田に、かつてアドバイスをくれた営業班長が、冷ややかなトーンでさらなる提案をしてきた。
「おい橋田、まだ分かんねぇのか? 家賃が払えなくなってアパートを追い出された奴らはな、別の誰にでもできる底辺の住み込みバイトを掛け持ちして、そこから這いずりながら通勤してこのノルマを維持してんだよ。お前も他の仕事で泥水をすすってでも金を作って、社内御客様を続けるしか無いだろ? 御前みたいなのを雇ってくれる会社なんか他に無いんだからな」
これ以上、どうやって生きろと言うのか。血管病のボロボロの体で昼夜働き、その金をすべて会社のノルマに消し飛ばせという悪夢のような要求。
そして、ついにその限界は訪れた。過労とストレスで橋田の健康状態は急激に悪化し、いつ心筋梗塞や脳梗塞が起きてもおかしくない発作の予兆が全身を襲うようになった。もはや、社内御客様を続けるどころか、まともに立っていることすらできない。
「……もう、続けられません」
震える声で営業所長にそう告げた日、引き止められることもなく、冷たい視線だけが投げられた。しかし、辞めたところで待っていたのはさらなる地獄だった。日々の生活費どころか、緊急入院するための費用すらない。手元には一文の銭もなく、病院のベッドすら借りられない絶望の中、橋田はプライドを捨てて絶縁状態だった遠縁の親戚に泣きついた。土下座する思いで頭を下げ、どうにか入院費を立て替えてもらう。退院した後は自活する能力もなく、その親戚の家の狭い一室へと惨めに転がり込むしかなかった。
こうして、橋田の奇妙で過酷な「社内御客様」としての2年間は、
全財産を失い、ボロボロの肉体と深い傷跡だけを残して、幕を閉じた。
世の中、やらない方が人生が幸せというものがあるようだ。
・・・
泥沼劇という事で書いてみましたが、もっと極悪な営業所長や営業班長にした方が、よろしいと言うのであれば書き直しますので、また、ご連絡、お待ちしております。
敬具




