忍者漁村 シーン6 破滅工作
険しい山道を抜け、隣接藩の領内へ足を踏み入れた
俺とゲンゾウがたどり着いたのは、
想像以上に活気に満ちた、
しかしどこかピリついた空気を漂わせる大きな集落だった。
ここは、単なる田舎の集落ではない。
村を束ねる庄屋の一族、この地域一帯を統括する領主の武家、
そして集めた年貢米を舟に積み、遠く大坂の堂島米会所へと回送して
現金に換える商取引を取り仕切る藩の役人たちが、
一堂に会する藩内経済の要衝だった。
街の辻には米俵が山と積まれ、着飾った商人と武士が行き交い、
農作物や米相場の現物米や帳合米についての
アレコレについて喧しく議論を交わしている。
「……ここが、奴等の肝心要な町か」
道の隅で木負子を下ろしながら、俺は小声で呟いた。
この街の経済や政治を内側から崩し、統括する武家を失脚させる。
そのための最初の歯車が、今日の密会だった。
「初日は余計なことをするな。徹底的に『普通の物売り』に徹しろ
どこに町奉行の手下、与力や同心がいるか、わからない
ここらへんは特に、よそ者に気をつけているようだしな」
ゲンゾウは周囲に目を光らせながら、低い声で釘を刺す。
「お前は朝から夕方まで、街の通りで声を張り上げて干物を売り歩け。
誰もがお前を『ただの行商人』と認識するくらいにな。
午後になり、日陰が長くなった頃を見計らって、指定された場所へ行け。
……分かったか?」
「……分かりました。物売りに混ざって、目立たぬよう歩きます」
それが、一日の始まりだった。
朝の冷気の中、俺は道行く町人や農民に混じり、
「ひもの、干物はいらんかねぇ……」
と単調な声を上げながら、泥まみれの足で街を歩き回った。
米の相場について大声で議論する商人たちの脇をすり抜け、
荷物を売り、時には値切られ、
徹底して「どこにでもいる冴えない行商人」を演じ続ける。
太陽が傾き始め、街の喧騒が少しだけ
夕暮れの気だるさに変わり始めた午後遅く。
俺は町へと入ってから最初に約束の場所と指定された、
古い稲荷神社の裏手にある寂れた井戸の脇へと足を向けた。
周囲に不審な人間がいないことを確認し、
木負子を地面に下ろして息を潜める。
「……遅かったじゃない」
背後から掛けられた、かすれた低い声に、
思わず心臓が跳ね上がりそうになった。
だが、そこには頭に手拭いを被り、古びた麻の着物をまとった、
いかにも年は若い村の女――以前、子供組で会った事のある
屋敷に「飯炊き女」として潜入している同じ村のクノイチが立っていた。
顔には、目立たぬように、くすんだ化粧が施されている。
「すれ違いを装うのが精一杯だったんでね」
周囲に目を配りながら、懐からそっと小さな和紙の包みを取り出した。
「これ?」
クノイチが細く尖った指先でそれを受け取り、ちらりと中身を確認する。
「ああ。上忍様のお墨付きだ。『自然死に見える毒』だそうだ。
じわじわと内臓を侵し、まるで急性の病に倒れたかのように見せかけて、
あの家を仕切る当主か、あるいは屋敷で最も影響力のある
重要人物を、あの世へ送り跡目争いを起こせとのことだ」
クノイチは冷ややかな笑みを浮かべ、包みを素早く着物の懐へと滑り込ませた。
「……あの家は今、米取引と年貢のことでピリピリしているからね。
誰も料理の毒になど気づきやしないさ」
「悪評のバラマキは俺たちがやる。お前は内側からその家をぶっ壊せ。
失敗すれば、お前も俺も、そして相模の村の家族もどうなるか分かっているな」
「言われなくても。……じゃあね、干物売りさん」
彼女はそれだけ言い残すと、
夕闇のなかに溶けるように消えていった。
静まり返った井戸の脇に一人残された俺は、深く息を吐き出し、
再び干物の木負子を背負い直した。歯車は回りはじめた。
謀略は、まだ始まったばかりだ。




