サードワールド・ドライブ シーン8 イエローパトカー
「……おい、聞いてみろ」
はるか丘の向こうから、エンジンの重い低音が響いてきた。
ヘッドライトの光がうねるように近づいてくる。
「車だ……!」
俺は反射的に立ち上がり、最後の望みをかけて道路の真ん中へ飛び出し、両手を大きく振った。
ゆっくりと減速しながら、その車が目の前に滑り込んできた。
「――パトカーだ……っ!! 黄色い車体……警察だぞ!!」
俺は振り返り、震えている二人に向かって叫んだ。
車から降りてきた南アフリカ警察(SAPS)の警官に、俺は必死の形和合でこれまでの経緯――タイヤのパンク、暴漢に襲われたこと、ここまで歩いてきたことをまくし立てた。警官は俺たちのボロボロの姿を一瞥し、低く呟いた。
「……フッ、よく生きてたな。おい、後ろに乗れ」
パンクの修理は今すぐには無理だが、夜明けまで警察署のなかで寝てもいいという。どうせ俺たちを襲った連中も今はもうあの場にはいないだろうから、詳しい事情聴取は朝になってからだと言われた。
案内されたのは、パトカーの後部座席、鉄格子で仕切られた囚人護送室だった。綺麗事など言っていられない。この凍てつく寒空の野外で凍え死ぬよりは、パトカーの檻の中のほうが千倍マシだった。走り出した車の中で、巡査の男が、振り返って小さなスナック菓子と干し肉の束を投げ渡してくれた。
「ほら、腹が減ってるだろ。ニックナックだ。それからビルルトンを数切れ持っていけ」
極限の空腹に襲われていた俺たちは、その警官の思わぬ優しさに心から感謝し、
冷えた手で分け合いながら乾いた肉を噛み締めた。
――最後のタバコ1本と、温かいコーヒーが、この世の極楽とすら思えるほどの救いだった。
1時間もしないうちに、パトカーはブリッツのチャージ・オフィス(警察署の受付・拘置施設)に到着した。署に入ると、先ほどの警官がどこからか紙コップを持ってきて、俺たちに温かいコーヒーを手渡してくれた。
「お前たち、今日はもう限界だろう。手続きや事情聴取は、明日日の出からにしよう。ゆっくり休め」
その気遣いに救われた俺は、
「助かります……そうだ、レンタカー会社に連絡したいんですが」
と頼み込むと、警官は快くオフィスの電話を貸してくれた。
受話器の向こうでBUDGETの担当者が申し訳なさそうに言った。
「……申し訳ありません。お客様の居場所の特定と配車に手間取り、現地に向かったのですが、
現場にいらっしゃらなかったので、すでに引き返してしまいまして……。
とにかく、明日の朝一番に、改めてヨハネスブルクから代車を再派遣させます」
連絡を終えると、俺たちは署内の木製受付待ちベンチへと腰を下ろした。警官が「奥の留置場ならベッドが開いてるからそっちで寝るか?」と冗談とも本気ともつかないオファーをくれたが、俺たちはブンブンと首を横に振って丁重に辞退した。
――鉄格子のベンチの上で、冷たい外気からようやく解放された安心感に包まれながら、俺たちは泥のように深い眠りへと落ちていったのだった。
・・・
「……お待たせしました。こちらが代車です」
翌日の朝早く、ヨハネスブルクから手配された新しいレンタカーがブリッツ警察署に到着した。俺は昨夜車を乗り捨てたおおよその位置をドライバーに説明し、パンクした旧車の鍵を渡すと、ドライバーは「いやはや、とんだ災難でしたね」と丁重に詫びつつ、足早に去っていった。代車の後部座席に乗り込んだ俺たちは、昨日からの極限の疲労と寝不足を埋め合わせるように、車内でしばらくぐっすりと眠りこけた。
目が覚めると、すっかり日も昇り、昼前になっていた。俺たちは署の近くにあるホテルへと歩き、ようやくまともな朝食にありついた。朝食を済ませて再び警察署に戻った頃には、昨夜の恩人である警官はすでに非番になって姿を消していた。窓口に座っていた別の若いアフリカーナーの警官に事情を説明し、一応は保険やレンタカーの手続き用に被害届(調書)を作ってもらおうとしたが、警官は面倒そうに首を横に振った。
「被害届ねえ……。正直、犯人が捕まる望みなんて薄いよ。犯人の顔を詳しく描写できるか?」
「いや……」俺は言葉に詰まった。
「顔なんて見てられるわけないだろ。
暗かったし、それに……ぶっちゃけ、何族なのか知らないが、
アフリカーナの顔なんて見分けがつかないというか、みんな同じに見える」
俺が横にいる三好に小声でその旨を説明すると、彼女も疲れた顔でうなずいた。この状態で犯人特定なんて不可能だ。若いアフリカーナの警官は、半ばあきれ返った表情で大きなため息をつきながら言った。
「だろ? こっちも手一杯なんだ。気の毒とは思うが、
被害届を出したところで書類の山に埋もれるだけだ。諦めてくれ」
結局、俺たちは被害届の作成を取り下げることにした。




