独白の残響 シーン1 宣告と決断
なんか、恒例となった舞台のオリジナル脚本原案についての打合せ
「会話劇な働く人物語でも書いてみる?」
『働く人ねー、どんなのを?』
「質問に質問で返さないでよ。そこを考えてみてよ」
『そうですねー、こんなの、どうでしょ』
・・・
事務所の空気は、鉛のように重く冷え切っていた。窓の外では、いつものように電車が単調な鉄音を響かせて走り去っていく。だが、その日常の音すら、今の西村には遠い世界の出来事のように感じられた。
資本金4,600万円。25年の歳月をかけて、職人たちと泥まみれになりながら積み上げてきた信頼と実績の結晶。それが、たった一通の「中止」という行政の通知によって、音を立てて崩れ去ろうとしている。
当面の売掛金、3,500万円。
回収不能。
「……もう、どうにもならないところまで来ている」
机の上に放置された冷め切った緑茶を見つめながら、西村は枯れた声を漏らした。保険という保険はすべて解約し、会社の延命のために資産を切り売りし、これ以上の縮小などあり得ないところまで絞り尽くした。銀行からの融資を引き出すため、自らだけでなく、わずかに残る社員や親族にまで頭を下げて保証人になってもらった。その顔が脳裏に浮かぶたび、胃の腑がえぐられるような痛みが走る。
会社組織でありながら、社会保険料の支払いを維持できず、国保への切り替えを余儀なくされたあの日の恥辱と絶望。それでも「ものづくりを続けるんだ」という意地だけで踏みとどまってきた。だが、その意地を支えていた土台そのものが、政治と役人の気まぐれによって足元から爆破されたのだ。
午後、取引先の上位企業である元請けの社長がやってきた。その顔には、隠しようのない困惑と、どこか諦めに似た冷ややかな疲労の色が張り付いていた。
聞けば、事の顛末はこうだった。
県が推進していたAI関連データセンターのシステム投資案件。それは西村たち中小企業にとって、数年先の未来を切り拓くはずの「打ち出の小槌」だった。しかし、県議会における「IT族議員」と「建設族議員」のすさまじい利権と予算の奪い合いの末、環境悪化リスクと投資回収の不確実性を口実にした建設族の巻き返しによって、IT予算はごっそり削り落とされた。
「県が決定したことだ。覆りようがない」
上位会社の社長は、準備に投じた膨大な金がすべて水泡に帰したことに対する形だけの謝罪を述べると、不自然に明るい調子でこう言い放った。
「いや、運が悪かった。
去年、アメリカ西海岸でAI事業見本市を見かけて、日本にも導入して採算がとれるという見込みで、
来年度から投資案件を立ち上げて、数年後に初期投資資金を回収。そして、我等の打ち出の小槌になるであろうというような計画であったのだけれども……。
役人と世論には勝てん。こういう事もあるさ……次の投資案件で頑張ろう。な!」
――次の、案件?
西村は、その言葉を咀嚼することができなかった。
「次」と言ったか。彼らにとっては、数ある投資ポートフォリオの一つが弾けたに過ぎないのかもしれない。しかし、西村の会社にとっては、25年の歴史のすべてであり、今夜頭を下げて回らなければならない保証人たちの人生そのものなのだ。
「……次、ですか」
西村の乾いた声に、相手は気まずそうに目を逸らし、足早に事務所を去っていった。
午後、債務会社の社長との交渉が終わる。もはや言い訳の余地はなく、ただ事実を受け入れるだけの時間だった。そして、夕闇が迫る頃には、冷徹な数字の現実を突きつける会計士がやってくる。
「社長、これ以上の延命は、法的な意味でも……」
分かっている。分かっているからこそ、この後の時間が恐ろしい。銀行の融資を引っ張るために保証人になってくれたあの人たちに、どう頭を下げ、どう事実を告げるべきか。その想像をするだけで、呼吸が浅くなる。
25年間のものづくり。
その誇りは、政治の論争と、大企業の無責任な「運」という二文字によって、一瞬で踏みにじられた。
西村は椅子から立ち上がり、窓の外の夕空を見上げた。街の灯りがひとつ、またひとつとともり始める。この街のどこかで、まだ何も知らない家族や従業員が、明日を信じて暮らしている。
「……終わらせるか」
それは敗北の宣告であり、同時に、これ以上誰かを巻き込み続けないための、最後の経営者としての決断でもあった。




