狂信 シーン4 転生
三十年という月日は、かつて世界を揺るがした男の肉体から、容赦なく若さと精悍さを削ぎ落としていた。
伊地知誠——かつて『浄化の剣』と恐れられ、数々の暗殺と破壊、そして凄惨な「見せしめ」を冷徹に完遂してきた男は、今や湿気と油の臭いが充満する、東南アジアの路地裏の雑居ビルに身を潜めていた。
白髪の混じった頭髪、深く刻まれた刻印のような皺、そしてかつて銃を寸分の狂いもなく構えていた右腕は、慢性の神経痛で時折小さく震える。
部屋の暗がりで、誠は古びたモニターを見つめていた。画面に映し出されているのは、かつて自分が教義を吹き込み、戦場へと送り出した「次の世代」の若者たちの姿だ。彼らの瞳には、かつての自分と同じ、澄んだ、しかし底知れない狂信の「熱」が宿っている。そして今、その熱源が自分へと向けられていることを、誠は皮膚感覚で理解していた。
「……老いた犬は、神の兵士ではいられない、か」
誠は自嘲気味に呟いた。
組織の若き新指導者は、半身が効かなくなり、かつてのような鮮やかなテロリズムを実行できなくなった誠を「無価値な過去の遺物」とみなした。それだけではない。教義の純粋性を保つため、かつての幹部や英雄たちを「日和った不信心者」「神の威光を削ぐ存在」として粛清し、新たな信者たちの忠誠心を煽るための「絶好の見せしめ」にしようとしているのだ。
かつて自分が無数の人間に行ってきたこと——ターゲットを社会的に死に追いやり、恐怖で大衆を支配し、最後は見せしめとして血祭りにあげること。その「牙」が、今度は完全に自分へと向けられていた。
ギィ……
階段を上ってくる、足音を殺した複数の足足音。洗練された動作。自分がかつて若者たちに叩き込んだ、完璧な「排除の足音」だった。誠は乾いた笑いを漏らし、デスクの引き出しから一丁の古い自動拳銃を取り出した。残された弾丸は、わずか数発。
「私が教えた通りに……上手に近づいてくるな」
かつて不信心者たちの命乞いを「無価値な雑音」として聞き流した自分が、今や死を待つ側として、暗闇の中で震えている。神の使命だと信じて疑わなかった自らの過去が、巨大な因果の濁流となって自分を呑み込もうとしていた。
ドアが激しい音を立てて蹴り破られる。
暗闇の中に滑り込んできた黒い影。その銃口が自分に向けられた瞬間、誠の脳裏に浮かんだのは、神の祝福でも真理の光でもなかった。ただただ冷たく、虚無に満ちた、かつて自分が奪ってきた数多の「命の重み」だった。
「我等の神にとって必要とされなくなった者どもへの見せしめとなって死ね」
若い刺客の冷酷な声とともに、撃鉄が起こされる音が静寂に響き渡った。
・・・・
銃口から放たれた一弾は、伊地知誠の胸の中央を正確に穿った。
衝撃と、燃えるような熱。そして、途方もない寒気。
地面に崩れ落ちた誠の視界の端で、若き刺客が小型カメラを掲げているのが見えた。かつて自分が幾度となく繰り返した光景——老いた元幹部の惨めな死を動画に収め、新世代の信者たちへの「見せしめ」とするための記録だ。
「……こんな最後が、私の人生なのか……」
血を吐き出しながら、誠の意識は底なしの闇へと落ちていった。
かつて自分は、無機質な企業社会の虚無から逃れるために「絶対の真理」を求めた。神の法に従い、不信心者を殺し、見せしめによって世界を浄化することこそが「絶対の善」なのだと信じて疑わなかった。だが、最後に自分を撃ち抜いたのは、自分が育て上げた狂信の連鎖だった。
不信心者どもを殺すことが善だったのか?
かつて自分が踏みにじった奴等の日常こそが善だったのか?
世界を浄化していたはずの自分は、ただの狂った殺人鬼だったのか?
……善悪とは、一体何なのだろうか?
答えのない問いが、失われゆく意識の中で冷たく渦巻いていた。自分が命を賭して捧げたはずの教義も、神の御名も、消えゆく間際の虚無の前には何の意味もなさなかった。
——そうして、すべてが途絶えた。
◇
「……おい、大丈夫か? しっかりしろ!」
不意に、強い日差しと、草と土の濃密な匂いが誠の感覚を叩き起こした。
(……死んで、いない……?)
胸の痛みはない。息を呑んで体を起こすと、視界に飛び込んできたのは、見たこともない巨木がそびえ立つ深い森と、澄み渡る青空だった。そして、自分の手を見る。そこにはシワも、慢性の神経痛の震えもなく、かつてサラリーマンだった頃のような若々しい皮膚が戻っていた。
「よかった、息を吹き返した……! 怪我はないか?」
声をかけてきたのは、粗末な革の胸当てをつけた、一人の少年だった。腰には安物の短剣を挿している。その瞳は、誠がこれまでの人生で嫌というほど見てきた「狂信」とも、ビジネスマンたちの「冷笑」とも違う、純粋でまっすぐな善意に満ちていた。
「俺はレオン。森で倒れている君を見つけて……何があったんだ? 行商人の生き残りかい?」
誠は立ち上がり、己の体を見回した。
異世界。転生。
かつてネットの片隅や若者の会話で見聞きしたような非現実的な現象が、いま自分の身に起きている。
少年——レオンは、誠が返答に窮しているのを見て、無防備で温かな笑みを浮かべた。
「喋れないならいいんだ。集落まで一緒に行こう。うちは貧しいけど、温かいスープくらいなら出せるからさ。困っている人を助けるのは、当たり前のことだろ?」
「困っている人を助けるのは、当たり前のこと」
そのあまりにも愚直で、純粋な言葉が、誠の胸を強く突いた。組織では、異教徒への情けは「悪」であり、殺戮こそが「善」だった。グローバル企業では、利益こそが「正義」であり、弱者は「淘汰される対象」だった。そしてこの世界では、見知らぬ他者に手を差し伸べることが「当たり前」として語られている。
(善として信じていた全てが間違っていたのか?悪として消去してきた中にも正しい事があったのか……いや、やめよう。もう自分の信じる正しさを証明するために、それ以外を悪しきモノとして生きるのは、やめよう。この新しい人生では、前世みたいな生き方は、したくない)
かつて数多の命を奪い、自らも狂信の果てに殺された男は、若返った自分の手を見つめた。この手は、人を殺すための銃も、人を欺くためのキーボードも握ることができる。そして今、目の前の少年の手を握り返すこともできる。誠は深く息を吐き出すと、泥を払い、少年の方へと一歩を踏み出した。
己が犯してきた血塗られた罪の記憶と、答えの出ない「善悪」への問いを抱えたまま、男の二度目の人生が始まっていく。
・・・・
そして、試しに書いてみない? と言ってきた人に初稿を見せてみる。
「こんな感じで、どうでしょうか? OKなら舞台での上演サイズに膨らまして引き延ばしますが」
『えー、転生ラスト? いやー、小劇場でやる舞台だよ? ちょっと転生した後の子供役が、いないからさー、転生じゃなくてタイムリープで殺し屋になる前の会社員時代に戻って、やり直そうとするけれども、結局、何度タイムリープしても、同じ過激な宗教原理主義テロリストな奴等の抗争に巻き込まれてしまうとかっさ。』
「それじゃ某少年漫画じゃないですか、あの不良少年抗争タイムリープ物語でメディア化された」
『んー、別に同じような題材でも、いいんじゃないかなー、表現の自由って事で』
「二番煎じは結局ダメな場合が多いですけどね。そういやーですね、殺し屋同志のアクション・シーン。基本的に、どんな感じにするんです? アメリカ西部劇パターン? 時代劇パターン? それとも、香港カンフー映画パターン?」
『あー、それね、そりゃぁ、ガンアクションをする殺し屋が主人公なんだから、アメリカ西部劇パターンでしょ。』
「おのれ、卑劣な悪漢ガンマンめ、この正義のガンマンが決闘で退治してくれる・・・てなパターンすか?」
『そだね、結構に古い一騎打ちガンファイト好きなスポンサー主催による公演なんで、それで』




