ジロー物語 シーン1 母の人生が終わった日
格式ある寝室で、母がジローの目前で静かに眠っている。
それは死という運命に贖おうとしてからの諦めというよりは
自分が家から居なくなっても家の中が回っていくように
全てを処理し終ったあとの安心から来る心の平穏であった。
冷たい現実と時の流れが、死を感じさせる空気を作り上げ
母が死に近づきつつあるのをジローは感じていた。
その日の昼過ぎ、医者が遺族となる人々の前で
親族の死への覚悟を心に持つように語りかけ
母の子供であるジロー達も兄弟全員が集まったが、
幸いにして何事も無く一日が過ぎた。
母は体調が最悪で眠れないほどに苦しいはずなのに
眼をさましている間は周囲を見まわし
訪れた子供に安らかな笑みを浮かべた。
兄弟は誰も口を利かなかった。
何かを語ってはいけないような感覚に支配された室内で
座って黙らざるを得なかった。
そんな中、長男である兄に母が語り掛ける
「この領地を統括する存在である領主と成るのに
領地での公務を投げ出しては
領内の者どもに示しがつかないのでは在りませんか?
こんな所へと来ていないで
貴方は同じ公務に就く者どもと過ごすべきなのでは?
というような事を言う。
それに対し兄が言葉を返す
「領主と成る存在である前に
家の家長として親族の面倒を見る存在
親族内で頼られる存在でなくては、ならない
そう仰せになってきたのは母上でしょう」
そう語り周囲の静かな空気を壊すような声で言う
その言葉は自分に言い聞かせる呪文のように室内に響いた。
そして、母は自分の人生の終わりを悟ったかのように
寂しそうに笑った。
その後、2日間は同じような容態がつづき
領内にいる古くからの父の知人が集まって来て
広い屋敷も、病室以外は、それらの人たちで、ごったがえし
色んな交渉事とも受け取れるような世間話が飛び交いだした。
叔父は、今まで
家と家との つきあい事は、女の仕事だ
と家の事に無関心だったが
病に倒れるまで母がしていた事を引き継いだ。その内容は
領内外の人間との婚姻による家と家との血縁関係を
無理にでも作り上げる世話役
様々な世間話が語られる集会での
領内の掟や、迷信めいた暗黙の了解の形成をする領内三役
領内が現状を維持し今まで通りとするための領内世論操作
そんな3つの役割をするものであった。
ジローは大広間に集まり食事をする領内の人々と
そういった事に関する話しあいをする叔父の様子を見て
今まで通り、いつもの叔父であり
今まで通り、いつも通りとは違うようにも感じた。
「我が家の一族は強く雄々しい存在として
領内の人々を率いる存在で、あらねばならぬ」
そんな自分が親に言われたのであろう事を
そのまま語り、何故に、このような事も出来ないのだと
苦言を語ってくる煩わしい存在、子供心に
何故に、このような事を言われなければならぬのだ?
そう感じる不愉快な存在であったが
何を語っていたのかを理解する年齢になり
今では、不愉快な存在では無くなっていた。
相変らず領主一族の威厳と品格を誇示する態度で
関わった相手に本音を読ませないような無愛想な表情
ジローには、まだまだ理解できない部分の多い存在ではあったが
その無愛想な態度や煩さに、ジローは慣れてしまっていた。
病に苦しむ母の枕元に坐っていると
彼女の魂が、もうじき、この世から消えてしまう事を感じる
一族の誰かが消えても、我等は代わりを見つけ続いていく
と言い聞かされ、領主となるために
それを当たり前と受け入れた父や兄とは比較にならないほどに
ジローにとって、母の存在が消えてしまう事での
喪失感・・喪失予想感は深刻なものであった。
しかし、一方で、ジローは不思議なほど落ちついていた
未来への悲観や、自意識の錯乱をするような心持りは無かった。
それは、強くあるために物心ついた頃に家から離れ
幼くして親離れを強制され
そして自立と成長を認められ家へと戻ってから
同じ家で、家の運営をする人間として過ごし
領主一族としての訓練を受けていたからでもあった。
また、永らく母の病床に附添い、
いつかは自分より先に消えてしまう存在という事を
毎日のように感じて来たせいもあったのだろう。
だが、それでも
まだ幼さの残るジローには、母との別れは悲しいものだった
2度と、その口から言葉が出るのを聞く事が無くなる時が訪れるのは
2度と、その顔を見る事が無くなる時が訪れるのは
人は会う事が無くなると数年で声を忘れ
また、更に数年が経過すると顔を忘れ
最後に存在を忘れると言うが
母の声を顔を忘れる事は無いだろうと感じていた。
”男子は強く育てる” という家の方針により、
産みの母親は厳しさを教えるのに邪魔だという判断で
ジローの世話を誰かに任せきりだった事への懺悔に似た心から
人生の最後に、母親としての情愛を示す言葉をかけ続けた母は、
今やジロー自身の心の一部とすら思えていた。
もはや彼から引き放せないまでに固く結ばれた
母子の絆というものであったのであろう。
ジローの一族に対する気持は、急激に変化していた。
彼はこれまで、乳母をのぞいては、
ほとんどすべての人に対して、警戒心や競争心を抱えて来た
兄や弟に対してすら、競争相手のような心を抱えていたのである。
互いに愛を抱える者に対しても、悪意を抱える者に対しても
常に何らかの技巧を用いていた。
それらの人々と、共通の何かを抱えて過ごす技巧は
いわば一緒に生きていくための本能というべきものだった。
ところが、この数日は全く技巧を忘れたかのようになっている。
もはや、何人に対しても警戒心を抱えず
無理やりに共通の話題を作り語り合うような事も、していない。
あの腹黒さに関しては一族で一番な叔母に対してすら、
無防備に無邪気な子供として話していた
客観的に見て危うく見えるほどである。
すべての人が、今や彼と彼の母にとって親しみ深い人のように思える。
それは皆の眼が母の寝顔に集中して、
そのかすかな一つの動きにも一喜一憂しているからばかりではない。
彼は自身で知らない間に、心から永い間の猜疑心をとりのぞいたのである。
そしてその奇蹟が、彼の生命の根である母の、
真実のこもった、わずかの涙と言葉との結果でなかったと誰が言い得よう。
母の臨終は、領主である父さえも公務を休んで屋敷に来るようになってから
四日目の午前九時ごろだった。
それは極めてしずかな臨終だった。誰もさほどはげしい動揺を見せなかった。
かすかなタメ息と、すすり泣きと、祈りの声とが、
あるかなきかに吹き入って来る初秋の風の中に、しずかに漂った。
臨終の少し前に、ジローたち兄弟は年の順に死水をとってやった。
ジローは鳥の羽根を母の唇にあてながら、
母が何かを悟り、魂が何処かへ出かけて行くのを見るような気がした。
不思議に涙が出なかった。
左右に、兄と弟とが、しきりに鼻をすすっている音を耳にしながら、
ただ一心に母の顔を見つめていた。
母のすべてを深く心に刻みつけていたいと想っているようであり
両腕は棒のように膝の上につっ張っていた。
いよいよ臨終が宣言され、周囲がざわめき出しても、
ジローは石像になったかのように坐っていた。
兄と弟とが両方から顔をのぞいたのにも気がつかない。
「ジロー――」
フジワーラの始祖である祖父が、うしろから、そっと肩をたたくと
やっと我にかえって、眼を母の顔から放した。
そして、その時はじめて、消えた全てを理解したかのように、
眼に涙がこみあげて来て、いきなり畳の上につっ伏して声をあげた。
「ジ……ジロー――」
祖父のふるえを帯びた声が、頭の上にきこえ、
その手が再び彼の肩にさわった。
「坊ちゃん――。」
悲鳴に似た乳母の声がつづいてきこえた。
そしてその瞬間に、彼の顔は乳母の膝に、
乳母の顔は彼の背中に、ふるえながらつっ伏していた。
周囲から嗚咽の声がくずれるようにきこえ出した。
その声の中を、ジローは乳母に抱かれるようにして部屋を出た。
遺体は間もなく座敷にうつされた。
ジローは、乳母や叔父に慰められ涙がとまると、
母の枕元に、默々として坐りこんだ。
そして母の遺体を、一人でじっと見つめていた。
彼には、まだ生きていて息をしているかのように見えた。
しかし、生気のある弔問客の顔と、氷のような母の死顔が並ぶたび
彼の眼に映るものは、生者と死者の違いであった。
祖母は午後になってから、ようやっと遺体の前に来た。
そして死人の前に坐るなり、いかにも絶え入るような声で、
いろいろと、くどく喚きだした。
臨終の間にあわなかった詫びが、先ず最初に口から出た。
それから、
「何という美しい精霊に、おなりだろう。」 とか、
「子供を三人も、この老人に投げかけて、
一人で先に行ったのが恨めしい。」 とか、
「どうして世の中には、こうさかさま事が多いのだろう。」とか、
芝居じみた態度で喚き立てた。
父は、それを聞きながら困っていたが、とうとう、たまりかねて、
「お母さん、――お母さん――そのくらいにして下さい」
と声をかけた。
それでもまだ彼女が死人のそばを離れそうにないので、
いきなり立上ると、彼女の肩をゆすぶり、叱るように言った。
「そんなに喚かれては、魂が迷います。
それより祈りを唱え、今まで生きた魂を賛美して下さい。」
すると祖母は、
「ほんとうに、まあ、老人甲斐もなく、取りみだして申し訳ない。」
と、茶席の主のような威厳のある顔を取り戻して死人のそばを離れた。
そして、それからは「魂よ静かに安らかに」という祈りを呟いていた。
ジローは祖母の乱入によって、ひどく気分をみだされた。
しかし彼はもう、これまで彼女から受けていたような強い圧迫を感じなかった。
「この一族に生まれたからには老獪な「意地の悪い敵」と
戦わなければならぬ、ワシが、その敵として対峙してやろうぞ」
と家に戻ってから、理不尽な訓練を強要してきた「意地の悪い敵」な彼女が、
いつの間にか「みじめな、一人ぽっちの老婆」に見えていたからである。
葬式の諸々に関して祖母は世間体を気にして語っていたが、
家の当主であり家長な父に言いきかされ納得させられていた。
まだ暑い季節だったため墓への入棺は、その晩のうちにすまされた。
子供たちは、代る代る石で棺の蓋を打ちつけたが、
ジローは、力をこめてそれを打ちおろす気には、どうしてもなれなかった。
釘の頭に石がふれた瞬間、彼は全身が弾きかえされるような気がした。
入棺が終ると、彼は、何もかも最後だという気がして、急に力がぬけた。
彼はもう何も見たくなくなった。
全てが終わり真夜中となった真暗で静かな場所で、
一人で考えたい心持ちになり座を立ち庭におりた。
木立をくぐって築山のうしろまで行くと、そこから星空が広々と仰がれた。
かつて祖父に教わった星、――「いつまでも動かない星」――
をその中に見出した。一心にそれを見つめた。
見つめているうちに、その光は次第にうるんだ母の眼の輝きに見えて来た。
そして心の中に生きている母の顔全体が、
いつの間にかその周囲にはっきりとあらわれた。
同時に心の中に今までの記憶が絵巻物のように繰りひろげられはじめ
この時、ジローの心を支配したのは悲しみでも憤りでもなかった。
その絵巻物が終わると、心に一文字の言葉も無くなり
誰の声も心の中に響きわたらない
不思議で奇妙なほどの完全なる静寂が心に訪れた。
彼の幼なく未成熟な心の中に
「運命」は何を与えられたのだろう?
「愛」は何を心に注いだのだろう?
そして「永遠」に向かって流れて行く時の中
まだまだ続いていくジローの人生物語は
どのような物語になっていくのだろうか?
・・・
「モノローグってナレーションと
それにあわせた演技って事になるんでしょうけど
原作通りだと、ジローって子役がやるんですよね
こんな、繊細な心情変化を表現できる子役。みつかります?」
『いや、子役でやる気は無いみたいだよ
一番、童顔で子供っぽいのが演じる予定らしい』
「士族の面目に捕らわれた一族の家って感じが
どこにも書かれていないんですけど
どの役の人が表現するんですか?」
『やっぱ、次郎の父と祖母、それから祖父だな
というか魔物農場の続編だよ?
士族の意地とか、英語で単語自体が無い感覚じゃなくて
保守支配層たる名門貴族の家訓
とかいう感覚にするのが正解だろ』
「でもまた、これってナレーションを語る人の
朗読劇に近いシーンになってますけど
そんなにモノローグが上手な人? いましたっけ?」
『そこは、うまくなってもらうしかないだろ!』
「気合いと根性で? ですか?」
『そう、気合いと根性と大和魂でだぁ!』
「そうっすかー」




