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第40話 雑用令嬢、妖精に友だちを紹介してもらう⑤

 私は身の状態を見ながら、丁寧に切り分けていく。


 とはいえ、お刺身の場合はぎこぎこ包丁を動かさない。一息で引き切る。その方が断面が滑らかになり、口当たりもよくなる。


「なるほど。ただ切ればいいわけではない、と」

「はい。それとこのうっすら見える白い筋に沿って切ると、逆に食べたとき口の中に筋が残ってしまうので、むしろ断ち切るように縦に刃を入れるのもコツです」


 それにしても、まさかこの世界でお刺身が食べられる日が来るなんて……。


 半ば技術的に諦めていただけあって、とても嬉しい。


 でもこうなると、いずれ和式の出刃包丁なんかもほしくなってくるかも。

 今ある包丁でも十分に扱えるけれど、魚を捌くための専用の道具があれば、もっと綺麗に、もっと美味しく仕立てられるはず。

 どこかに売ってないかなぁ。もしくは作れる職人さんとか。


 そんなことを考えているうちに、カットが終わった。


 フロストーレ様の氷板を敷いた即席の皿の上に、クリムゾンフィッシュの赤い身が艶やかに並ぶ。


「まずはこのままどうぞ。軽くお醤油をつけてから食べてみてください」


 私が言うや否や、旦那様もフロストーレ様も何のためらいもなく箸を持つ。

 生魚自体が初めてのはずなのでもう少し慎重になるかと思っていたけど、そんなことは一切なかった。


「いただきます」

「いただこう」


 二人はそれぞれ一切れ取り、醤油をほんの少しつけて口に運んだ。


「「うまいっ!!!」」


 でもって同時に叫ぶ。


「な、なんてうまさだ。正直なところ、食べる前はシンプルな料理だからもう少し淡泊な味わいを想像していた……が、断じてそんなことはない!」


 旦那様が目を見開いたまま、手が止まらないとばかりに次の一切れを頬張る。


「くぅ……! 焼いたときや煮たときとも全然違う、このまったく新しい味わい! これが刺身か!」


 フロストーレ様も大きく頷く。


「まったくじゃ! 火を通しておらんのに臭みがない。いや、むしろ生ゆえに身の旨みがまっすぐ伝わってくる。しかもこの食感……もっちりしておるのに、噛めばすっとほどけよる!」

「これが魚を一番美味しく……ということか」

「うむ、気に入った! 今日からこの刺身とやらはワシの大好物に決定じゃ! あとで三ツ星をやろう!」


 ふふ、ですよね。


 野菜なんかもそうだけど、火を入れたときと生とで食材の味わいはまるで変わる。

 素材の鮮度も誤魔化しがきかないし、目利きを含めて、これほどシビアで奥深い料理もなかなかない。


 刺身の良さを理解し大喜びする二人に、私も自然と表情がほころんでしまう。


「そして今回はさらに……」


 取り出したのは、大量のお米の入ったおひつ。実は聖水の実験前から密かに炊いていた。


 私は器に温かいご飯を盛ると、その上へ赤身の刺身をどんどん並べていき――。


「せっかくなので、今日はとことん贅沢にいきましょう!」


 さらに残っていたクリムゾンフィッシュへ包丁を入れる。


 切り出したのは、赤身と脂のバランスが絶妙な”中トロ”。

 そして霜降り肉かと見間違うほどサシの入った”大トロ”。


 クリムゾンフィッシュは味だけでなく、身体の構造自体もマグロによく似ている。ゆえに、これらの大人気部位ももちろん存在する。


 赤身、中トロ、大トロ。


 三種類の切り身をこれでもかとご飯の上へ盛りつける。


「できました!」



 ――《クリムゾンフィッシュの豪華三色てんこ盛り丼》の完成です!



「こ、これは……!」

「なんという眺めじゃ……!」


 旦那様とフロストーレ様のテンションがさらに跳ね上がる。そして二人は私から器を受け取ると、勢いそのままに食らいついた。


「「うおっほぉおおお……!!」」


 ご飯のほどよい温かさで刺身の脂がほんの少しゆるむ。

 赤身のキリッとした旨みと、中トロ、大トロのまろやかな甘みが重なり、醤油の香りが全体をきゅっとまとめる。


 お二人とも、もはや感想を言う余裕すらないらしい。旦那様とフロストーレ様はどんぶりを手にとにかく一心不乱にかきこんでいた。


 うんうん。これぞマグロパワー――もとい、クリムゾンフィッシュの力ね。


「…………」


 けれどそんな二人の背後にて、アグニール様だけはいまだに空中で腕を組んだまま動かない。

 まるで「そんなものには一切興味がない」と言わんばかりにそっぽを向いている。


 ただ、よく見ると視線だけはちらちら動いていて――。


「こらこら、この期に及んでつまらん意地を張るでない。どうせおぬしも食べてみたいんじゃろう? ほれ、遠慮せず食ってみぃ」


 見兼ねたフロストーレ様が刺身の乗ったお皿を差し出す。


「う、うるさい。オレは意地など張っていない。お前らのガツガツと品のない食べ方を笑っていただけだ」

「ふん、その割には耳が燃えておるぞ」

「なっ!?」


 アグニール様が慌てて耳を押さえる。その手の端からはちりちりとオレンジの炎が揺れていた。


「おぬしは昔から嘘を吐くとき耳から火が出る体質じゃからのぅ。わかりやすい奴じゃわい」


 ああ、あれってそういう意味なんだ。たしかにわかりやすい。


 フロストーレ様は箸で赤身の刺身を一切れつまみ、アグニール様の口元へ差し出した。


「ほれほれ。うまそうじゃろう?」

「ぐぬぬ……。……ひ、一切れだけだぞ」


 アグニール様はなおも抵抗しかけたものの、最後には観念したようにぱくりとお刺身を食べた。


 ――で。



「………………しゅごい」



 しゅごい?


「えー! なにこれしゅごーい! 超おいしーんですけどー!」


 そこには満面の笑みで頬を押さえるアグニール様がいた。


「え……え?」


 ど、どゆこと? これはいったい……。

 この感じ、もしやアグニール様ってフレット様……いえ、エルフのラッセル様と同じタイプ?


 いつぞやのエルフ御一行の訪問を思い出す。

 あのときも王族の近衛兵長だというラッセル様は最後まで私の料理が王様の口に入ることを拒んでいたが、いざ自分で食べた際は一瞬で陥落した。


 もっとも、あのときでさえここまで大崩れはしてなかった気がするけど……。


 などと私が戸惑っていると、今度は旦那様が残っていたご飯と刺身をどんぶりに盛りつけて差し出す。


「アグニール様。こちらもどうぞ」

「わほーい!」


 アグニール様はそのまま飛びつき、さっきまであれだけ非難していた旦那様やフロストーレ様と同じようにがっつき始めた。


 そこへフロストーレ様が尋ねる。


「どうじゃ? もしアイカが連れ去られでもしたら、こんなにうまいものがもう食えなくなるんじゃぞ? おぬしはそれでもよいのか?」

「えーやだやだ! オレっちそんなのゼッタイやだもん! もっとお刺身食べたいもん!」


 ギャル?


 私は一瞬そんなことを思ってしまったが、旦那様は平然と頷いていた。


「うむ。あの大妖精さえも料理一つでへにゃへにゃにしてしまう。さすがアイカだな」

「いえ、決してあんな感じにしたかったわけではないんですけど……」


 ただ、気に入ってもらえたのは間違いないらしい。



 ひとしきり夢中で食べ続けたあと、アグニール様はふと我に返ったように咳払いをした。


「……こほん。いや失礼した。オレとしたことが、少々取り乱してしまった」


 少々?


「まあなんだ、無制限に人間同士の争いへ関わるつもりはない。そこは変わらん」

「アグニール様……」

「だが、本当にこの領地に危機が迫るなら話は別だ。この地で魔素を整える者として、無用な争いで自然界のバランスが崩れるのを見過ごすわけにもいかんからな」


 そしてアグニール様は、ちらりと丼の方を見た。


「…………あと、刺身が食えなくなるのも困るし」

「それが本音じゃろ」

「うるさい」


 フロストーレ様が笑い、アグニール様の耳からまた小さく火が出る。


 ともあれ。


 こうしてアルグレイン領に、強力な新助っ人が加わったのだった。


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