第2話 雑用令嬢、命を救われたお礼に料理を振る舞う
それから数週間後、私は隣国に向かう馬車の荷台の上にいた。
護衛の騎士はわずか数名。見たところ全員が新人のようで、雰囲気もさほど強そうとは言い難い。
……そりゃそうよね。所詮は下級貴族の国外追放。国からすれば、そこまで優秀な人員を割くまでもない雑用仕事という認識なのだろう。
ちなみに追放までの間はずっと牢屋に収監されていた。与えられるのは粗末な食事だけで、夜はベッドもないので冷たい石畳の床に直接横になるしかなかった。
おかげで私の身体や精神はすでにボロボロで、そんな中の吹きさらしの荷台の旅路は非常にこたえた。
やがて馬車は人通りの少ない山道に入る。
周囲は不穏な気配を纏った森で、なんだか薄気味悪いな……なんて思っていたところで。
――グオオオオオッ!
山中に轟く咆哮とともに、木陰から巨大な影が飛び出してきた。
「も、モンスターだぁあああ!」
現れたのはとても大きな熊のようなモンスター。
騎士たちの顔色が一斉に変わる。
「こ、こいつ……“タイラントベア”じゃねぇか! Aランクだぞ!?」
「ふざけんじゃねぇ! こんなバケモノ相手にできるか!」
「て、撤退だ! 早く逃げろ! 死ぬぞぉお!!」
隊列はあっさりと崩れ、騎士たちは次々と逃げ出した。
さらにはそんな彼らに置いてかれまいと、御者までもが慌てて馬と荷台をつなぐロープを切り離す。
「へへ、わ、悪く思うなよ嬢ちゃん! 俺だってまだ死にたくねぇんだ!」
それだけ言い残し、御者のおじさんはそのまま馬で走り去ってしまった。
残されたのは武器も防具も持たない私、ただ一人。
「そ、そんな……」
遥か見上げた先で、モンスターの巨大な爪がギラリと光る。
――私、ここで死ぬの?
そう思った、まさにその瞬間だった。
鋭い剣閃が空気を裂いた。
「……え?」
目の前にいたタイラントベアの太い腕が宙を舞う。と同時、視界に飛び込んできたのは、ひとりの青年の後ろ姿。
王国製とは違う甲冑を纏った金髪の騎士が、馬を駆って戦場へ躍り出る。
「はぁ!」
「グオオオオッ!!?」
目にも止まらない速度の剣筋が、タイラントベアの肉体を切り刻んでいく。
巨体はあっという間にドスンとその場に倒れた。
「す、すごい……」
あまりの圧倒っぷりに、私は身動きも取れないまま呆然とした。ただ一つ理解できたのは、どうやら私は助かったらしい。
静かになった森で、その騎士様は馬を降りるとホッと溜め息を吐いた。
「よかった。ギリギリ間に合ったか」
「あ、あの……助けていただいて、ありがとうございます。あの、あなたは?」
「俺はこの辺りの警備を担当している者でな。見回りの途中で悲鳴みたいな声が聞こえて、誰か襲われてるのかと思って急いで駆けつけたんだ」
そう言って、彼は周囲を見回す。
「さて、とりあえず危機は去ったが、また他のモンスターが来ないとも限らない。君も早くここを離れたほうがいい」
「あなたはどうするのですか?」
「俺は引き続き義務を果たす。周囲に残ったモンスターがいないか確認しなければ。……ん? そういえば連れはどうしたんだ? まさか女性一人でこんなとこに来るわけないだろうし、他の者たちはどこに――……うっ!」
苦しそうな呻き声とともに、彼は言葉の途中でその場に膝をついてしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
いけない! もしかしてどこか怪我を……!?
そう思って私が慌てて駆け寄ると。
ぐぅぅぅううううううう……!
「……え?」
まるでモンスターの咆哮のごとき腹の虫の音。
ほんのり顔を赤くした騎士様が苦笑する。
「……お、お恥ずかしい。今日は朝からどうにもモンスターたちの動きが活発でな。ろくに食事を取る暇もなかったんだ」
「いえ、そんな……」
恥じる必要なんてない。これだけ広い森を休まず動き回っていたんだもの。さぞ大変だったでしょうに。
むしろお腹が空くのも当然だし、それでも駆けつけてくれたことに余計に感謝の気持ちが強まったくらいだ。
……あ、そうだわ!
「あの、騎士様? もしよろしければなんですけど、私に食事を作らせていただけませんか?」
命を救ってもらったせめてものお礼。
いろんなものを失ってしまった私だけれど、ギルドの仕事で培った料理の腕は失っていない。
「食事? いやしかし、それはありがたいが、食材がないだろう」
「いいえ、あります」
「え」
もっともな意見を述べる騎士様に、私ははっきりと言い切った。
そしてその視線の先に横たわっていたのは、先ほど討伐されたばかりの――。
「ま、待った! まさか……そいつを食う気か?」
「ええ、まあ」
「なっ……わ、わかっているのか!? そいつはタイラントベアだぞ。モンスターだ! モンスターの肉は瘴気を含んでいる。食べれば重い中毒を起こす! 下手を打てば死ぬことだって……!」
この世界じゃ子どもでも知っている常識。
けれど私は落ち着いたまま答える。
「ええ、もちろん存じ上げておりますとも。これまで“何度も”調理したことがありますから」
「……なに?」
私は戸惑う騎士様をよそに森からいくつかの薬草を摘み取って戻ると、逃げていった御者が忘れていったであろう短剣でタイラントベアの腹肉をブロック状に切り分けた。
そして細かく刻んだ薬草をお肉に擦り込み、そのまま水を張った鍋へと放り込んで焚き火にかける。
すると程なくして、どす黒く淀んだモヤのような気体が染みだしてきた。
「こ、これは……瘴気!?」
背後で覗き込んでいた騎士様がギョッとする。
が、私は構わず集中する。詳しい説明は後にしましょう。あんまり茹ですぎると肉が堅くなってしまうからね。
「よし。もう充分かな」
やがて黒いモヤが完全に出なくなったところで、私は鍋から肉を取り出した。その後は串に差し込んでいき、今度は直で焚き火にかざす。
じゅっ、と脂が炎に落ち、香ばしい煙がふわりと広がる。
ごくり……。
背後で喉を鳴らす音が聞こえた。
「な、なんだこのウマそうなニオイは……これが本当にモンスターの肉なのか……?」
私は仕上げに岩塩と乾燥ハーブを振り、獣脂を薄く塗った。
それだけでお肉はつやりと輝く。
その姿はまるでドレスで着飾った淑女のように艶やかだ。
ちなみに鍋や調味料については、さっき乗り捨てられた馬車の積み荷から拝借したものである。護送は数日間に及ぶ予定だったため、野営装備が一式揃っていたので助かった。
そして焼き色がちょうど良くなったところで、私は串を掲げる。
「できました!」
――《タイラントベアの岩塩ハーブ焼き》の完成です!
「むぅ……!」
差し出された皿を前に、騎士様が唸る。
そこにはもはや魔物肉への恐怖心など微塵も残ってなった。
むしろその目はすでに期待感で溢れており、「もう一秒たりとも待ちきれない」「とにかく早く食べてみたい」――そんな心の声が聞こえてくるようだった。
「いただきます」
礼儀正しく両手を合わせると、騎士様は切り分けた肉を口へ運んだ。
「……ぬぉおおおおおっっっ!!!!」
その瞬間、ルビーのような赤い瞳がこれでもかと大きく見開かれた。
「な、なんだこれは!!? ウマい、なんてもんじゃないぞ……ウマすぎる!!!」
心の底から弾けた感想とともに、恍惚の表情を浮かべる騎士様。
ほっぺたが落ちそうとはまさにこのこと。
「いやはやとんでもない料理だ! 噛めば噛むほど内側から肉汁が弾けて、野性味のある旨味がこれでもかと押し寄せてきて……! そしてそれを岩塩とハーブの香りがさらに引き立てて……ううぅう!!」
興奮とともにガツガツと夢中で食べ進めていく。ナイフとフォークを動かす手が止まらない。
気がつくと、お皿の上はあっという間にきれいさっぱり空になっていた。
ふふ、よかった。
どうやらちゃんと喜んでもらえたみたい。




