第14話 雑用令嬢、辺境のさらに辺境へ②
夕方、無事に依頼を終えた私と旦那様は、ベンゼルさんとリタちゃんに案内され、そのままピット村へと向かった。
村は人口こそ少なそうだったけれど、周囲には広い牧草地帯がどこまでも続き、平地よりも地平が少し高く見えるせいか空も近く感じる。風がよく通り、草がさらさらと揺れている様子は、どことなく前世で見たアルプスの少女が駆け回る有名アニメを思い出させる景色だった。
「お姉ちゃん、こっちだよ!」
「あ、うん。ありがとう、リタちゃん」
先ほどからリタちゃんは、ずっと私のそばを歩いている。お昼にカツレツサンドを一緒に食べてから、すっかり懐いてくれたみたいだ。
「ここがワシの家ですじゃ。どうぞ、中へ」
ベンゼルさんに案内された村長宅は、豪華ではないけれど清潔で、きちんと手入れが行き届いていた。使い込まれた木の家具も、棚に並べられた茶器も、大事に扱われているのが分かる。
「ただいまー!」
リタちゃんが元気よく声を上げると、奥のほうから男女が姿を見せた。リタちゃんのお父さんとお母さんらしい。二人とも仕事を終えて戻ってきたばかりらしいが、私たちを見るなり慌てて姿勢を正した。
「りょ、領主様……! このたびは誠にありがとうございました」
「こんな遠い村のためにわざわざお越しいただいて……」
「いえ、当然の務めです。被害が出る前に対処できて何よりでした」
恐縮しながら何度も頭を下げるリタちゃんのご両親に、旦那様が穏やかに答える。
「あのね、お母さん! お姉ちゃんのお弁当、すっごくおいしかったの!」
「あら、そうなの?」
「うん! “カツ”ってお料理で、お肉がサクサクでふわってしてて、すごかった!」
両手を使って一生懸命説明するリタちゃん。お母さんはそんな娘の様子に目を細めてから、改めて私に頭を下げる。
「なにやら娘にまでご馳走していただいたそうで、本当にありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ、喜んでもらえたみたいでとても嬉しいです」
そんなやり取りをしながら、私たちはリビングへ通された。
卓を囲むように座ると、ベンゼルさんが湯気の立つお茶を出してくれる。
「これは村で採れる茶でしてな。村の名産でもあります。どうぞお召し上がりくだされ」
「ありがとうございます」
カップを手に取ると、ふわりと良い香りがした。ひと口飲んでみると、味は前世でいう麦茶に近い。香ばしくて、それでいて後味は軽く、喉をすっと通っていく。
「あ、おいしい」
麦茶をホットで飲む習慣はなかったが、これはいい。
私が思わず呟くと、ベンゼルさんはにこにこと笑った。
「ほほ、そうですか。そう言っていただけると嬉しいですじゃ」
「はい。すごくほっとする味です」
隣では旦那様も静かにお茶をすすり、リタちゃんは相変わらず私のお弁当がいかにおいしかったかという話を楽しげにお父さんとお母さんに語っていた。
ゆったりとした空気。窓の外を流れる夕方の風。手の中には温かいお茶。
ああ、たまにはこういう時間もいいなぁ。
思えば王国から追放されて以来、旦那様に拾ってもらってからも屋敷の掃除や騎士団の任務に同行したりで慌ただしい日々が続いていた。だからこの村ののどかな空気は、私にとっても久しぶりに肩の力を抜けるものだった。
――はじめ、それはちょっとした違和感だった。
会話が一段落したところで、ベンゼルさんがカップを置いた。そして手を合わせる。
「ふぅ……ごちそうさま」
……ん?
続けてリタちゃん、それにリタちゃんのご両親も同じように両手を合わせた。
「ごちそうさま!」
「ごちそうさまでした」
あれ?
無論、これが旦那様の発言だったら私も特段気にならなかったと思う。客人として招いてもらって、そこで振る舞われたお茶を飲み干した。だから「ごちそうさま」。ある種自然な流れだ。
が、ここはベンゼルさんの家であり、彼らはホスト。つまり普段のティータイムとさほど変わりない時間だったはず。だからちょっとだけ不思議な感覚がしたのだ。
でもまあ、ベンゼルさんは初対面からずっと腰が低くて、年下の私にも丁寧な人だ。きっと礼儀正しい人なのだろう。その彼の家族も然り。
それにここは私が育った王国ではなく、帝国である。しかもひと口に帝国と言っても国土は広いし、ここはその中でも地方の村。私の常識と合致しない習慣があるのは当然と言えば当然だ。
ゆえにこれはあえて指摘するほど変なことではなく、私は何も言わずに納得しようとしたのだけれど……。
「あの、そういえばそろそろ日が暮れますけど、みなさんお夕飯の準備などは? よろしければ、私もお手伝いさせてください。任務のお礼とはいえ、やっぱりただ泊めてもらうだけでは申し訳ないですし……」
話題を変えるように切り出しつつ、私は腰を上げて台所はどこかと周囲を見渡した。
が。
「…………」
なぜかベンゼルさん一家は、全員そろってきょとんとした。それから互いに顔を見合わせる。
え。私、何かおかしなこと言ったかしら?
旦那様も茶器を持ったまま、私と村の皆さんを見比べている。どうやら旦那様にも、この空気の理由は分からないらしい。
やがて代表するように、ベンゼルさんが口を開いた。
「ほっほっほっ、そうじゃったそうじゃった。すみませぬ。こんな辺鄙な村ゆえにお客人が来ることが少なく、すっかり失念しておりましたわい」
失念? なにを?
「この村ではもう長いこと、誰もこのお茶以外口にしておらんのですじゃ。言うなれば、このお茶こそが“夕飯”なのです」
…………はい?
「ゆ、夕飯? お茶が……ですか?」
「ええ、そうですじゃ」
「あ、あの、それって今日の夕飯が、ということですよね? まさか何日も、ってわけじゃ……」
内心の動揺を抑え込むように、努めて冷静に尋ねる。
しかしそんな私に向かって、ベンゼルさんはさも当然のように頷いた。そう、当然のように。
「いいえ。朝も昼も夜も、三食すべてですじゃ。それを毎日続けております」
「三食すべて!? しかも毎日!?」
思わず声が裏返った。それぐらいの衝撃だった。
「そ、それっていったいいつから……」
「はて、いつからじゃったかのう。少なくとももう数年は経っているでしょうな」
……ほわぁああ。
私は今度こそ本当に固まってしまった。だが幸か不幸か、決してベンゼルさんに冗談を言っている様子はない。
それどころか、隣ではリタちゃんのお父さんとお母さんも大真面目に「たしか3年くらいだったかなぁ」「え、5年前じゃなかったかしら?」などとやり取りしている。
いやいや、3年だろうと5年だろうと……!
「え、でも、それで栄養とかは……」
そう、そこが疑問である。聞きたいことは山ほどあったが、まずはそれが一番。
だって普通に考えれば、お茶だけで人間の身体がもつはずない。それは食欲とか満足感とか、そういう以前の問題だ。
が、ベンゼルさんはこれにも穏やかに頷いた。
「ああ、それについては大丈夫ですじゃ。このお茶は薬草の一種でして、体力や魔力の回復効果がありますので栄養失調の心配はありませぬ」
「へ~、そうなんですね」
それはすごい……。
「いやだからとて!」
ダメだ、耐えきれなかった。一瞬だけ「ならまあいっか」と思おうと頑張ってみたけど、ツッコまずにはいられなかった。
え、どうしよう。ということは、今日はこれでもう食事は終了ってこと? ウソでしょ……?
いやまあ、そりゃあもちろん私だって人様の食文化を無遠慮に否定したくはない。これはこの村の生活であり、外から来た私がいきなり「おかしいです」と言うのは良くないことだと思う。
しかし、現実問題として今夜いっぱい何も食べないで過ごすということが可能だろうか?
まあ私は一日くらいなら全然かまわないけれど、問題があるとすれば――。
私はチラリと隣に視線を送ってみた。
「……………………」
……あ、ダメそう。
そこにいたのは、カップを持ったまま白目を剥いている旦那様。
どうやら想像を絶する食文化に脳がショートしてしまったらしい。食べることを心から愛している旦那様にとって、やはり三食すべてがお茶という生活はあまりにも理解の外側だったようだ。
しょうがない。こうなったら、ここは私がなんとかしないと!




