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カンカン様  作者: 幽雀


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03.クラスメートの記憶

 ――吉井蒼太の前で、その友人は、ビクッと体をふるわせた。


「なあ、聞こえなかったか?」


 何が、と聞くと、そいつは顔を白くさせて、「踏切の音」と言った。

 よく見たら体が小刻みに震えている。


「聞こえなかったけど……」吉井は怪訝な面持ちで聞いた。

「直人、大丈夫か?」


 橋田直人はテーブルに頭を抱えて突っ伏した。

 窓からさす夕日が、橋田の丸まった背中を赤く染めている。

 

 

 

 誰が言い出したのかは覚えていないが、部活前にラウンジで課題を終わらせようとして集まった時のことだった。

 突然、橋田が踏切の音が聞こえると言い出した。その日の外の空気は乾いていたから、もしかしたら遠くの音が学校まで届いたのかもしれないが、それにしても、


「直人……?」


「腹でも痛いのか?」と仲間が言う。


 橋田はテーブルの下から、震える手で漫画を一冊取り出した。スポーツ物の最近人気の漫画だ。表紙の主人公が不敵な笑みでこちらを見ている。


「吉井……これ、読みたいって、言ってたよな?」

「えっと……」

「言ってたよな!」


 うわ、と吉井蒼太は身体を引いた。


「大声上げるなよ」


 橋田はゆっくりと顔を向け、にこぉっと笑った。額に脂汗が浮き、口元が引きつっている。


「これ、やる」


 吉井と友人たちがとまどっていると、橋田は漫画を、ぐいっとこちらの体に押し付けてきた。


「明日、感想聞かせてくれよ。すっげえ面白いから、それ」

「あ、うん……わかった」


 釈然としない心持ちだったが、吉井は「ありがとな」と言った。

 橋田は、にっと歯を見せる。さっきよりは自然な笑い方だ。


「いいって。トモダチ、だろ?」


 「俺にもそれ、貸してくれよなー」と仲間は口々に言い合っていた。

 橋田に絡んでいた一人がふと気づく。


「なんかお前、十円禿げができてね?」

「ちげえよ。剃ったんだよ」と橋田。

「直人、不眠症か? クマがやべえって」


 ……。

 部活が終わり、吉井蒼太は橋田直人の住むマンションの下まで来ていた。

 あれから数日経つが、橋田は学校を休んで姿を見せなかった。ポケットには買い取るつもりだった漫画一冊分の小銭を入れ、病気だと聞いていたので、ビタミン入りの炭酸飲料を差し入れとして買ってきた。

 橋田とはチャットアプリでやり取りしていたものの、それも既読が付かなくなった。最後には「お前ん家、行くわ」と吉井が送信したままになっている。

 駐輪スペースに自転車を止めて、ビニール袋を籠から取り出し、もう一度、橋田に電話をかけた。その時は、繋がった。


「直人か? 今、そっちのマンションまで来ててさ……」


〈吉井……〉


 電話口の直人はうつろだった。


「もしもし? 直人?」


 風がびゅうびゅうと吹き抜けて、聞き取りづらい時がある。

 どこか遠くで、踏切の警告音が聞こえたのは気のせいだったろうか。


〈吉井……これ……〉


「え?」


〈おまえのせいだからな〉


 ――がちゃあああん!


 大音響とともに地面が揺れた。反射的に振り返ると、奇怪な肉の塊が今しがた乗っていた吉井の自転車に絡み合っている。


 あ、ああ、あ……

 

 か細い呼吸の音だった。

 全身が血塗れで体がぐちゃぐちゃになっていたが、かろうじてその顔が橋田だとわかった。橋田は落下した衝撃のせいか顎が外れ、異様なほど口を開けている。その真っ黒な喉の奥から、大声が上がった。


 カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン!

 

 吉井は地面に尻もちをつき、悲鳴を上げた。

 通りがかった誰かが、


「人が落ちたぞ! 救急車呼べ! 救急車!」


 辺りは騒然として、大慌てになっていた。



 



 ぱっと目が覚める。瞼を擦った。母親の車の中で眠りこけていたらしい。

 窓の外はいつもの夜の街並みだった。帰宅途中の車両でごった返している。


「蒼太ー? 起きたの?」


 ハンドルを握りながら、母親が聞いてくる。部活のあとの送迎だった。


「あんたも、お疲れだね。ここ最近いろいろあったもんねー」


 うん…と吉井は後部座席に深く沈んだ。あんまり母親と話したい気分ではなかった。

 と、ポケットが振動する。広告だらけのつまらない通知かと思ったが、手持無沙汰だったのでそれを取り出した。


 ――秋山?


 短縮されたメッセージが画面に表示されている。送信者は、秋山志乃。


「蒼太、マック行く?」と母親。


 親なりに思うところがあるのか、ここ最近は、いろいろ気にかけてくる。小うるさいぐらいだ。


「いや、いいよ。風呂入りたい……」

「はいはい」

 



 ◇




 ああ、やっぱり、これ疲れる。

 秋山志乃は玄関の前でぜえぜえと肩で息をした。手で汗をぬぐい、乱れた髪を結びなおした。山を駆けあがることは、毎日の運動としては、いいんだけど。


「ただいまー」

「おう、帰ったか」


 祖父の秋山修二が台所から顔を出した。


「今日、カレーだぞ」


 えーまたぁ? と志乃は口を尖らせた。


「仕方ねえだろ、母さんは仕事で忙しいんだから」

「牛?」

「猪。隣の、あれだ、信一郎んとこから分けてもらった」


 ぐえー、と志乃は目を回す。たまには牛が食べたい。


「ほれ、手伝え」と祖父が手をこまねく。「うんまいぞ、俺のカレー」

「はあい…」


 志乃は観念して、手を洗い、エプロンをつけて台所に入った。

 食卓の準備をしていたら母親が帰ってきた。これで秋山家は全員揃った。

 いただきます、と手を合わせてカレーを食べる。

 背後の仏壇には、父親の遺影があった。


「ねえ、お母さん」


 うん? と聞く。腹ペコで帰って来たのか、母親はスプーンに載せた大きな肉の塊にかぶりついているところだった。


「〈カンカン様〉って聞いたことある?」


 ん~と考えながら、じっくりと咀嚼している。猪肉が筋張っているのだ。ごくっと飲み込んで、母親は答えた。


「〈パラパラ様〉なら聞いたことあるけど」

「〈パラパラ様〉ってなに?」

「その話を聞くと、死ぬまで踊り続けるっていう。ママが高校生の時に聞いた話」


 なんか時代を感じるな……と志乃は思った。


「そんで? なんなんだ、その〈カンカン様〉ってのは?」

「都市伝説っぽい。うちの学校で流行ってるんだって」

「都市伝説ねぇ……」


 祖父は鼻で笑った。


「それもいいが、ちゃんと勉強しろよ、志乃。親父みてぇにはなるんじゃねえぞ」


 またその話かと、志乃はうんざりした。カレーを急いで平らげ、ごちそうさまでした、と手を合わせた。


 風呂と勉強をそこそこに済ませた志乃は今、真っ暗な部屋で天井を見上げている。古臭い吊り下げ式の蛍光灯が、薄ぼんやりと浮かび上がっていたる。


 カン、カン、カン、カン――何故だかその音が無性に気になってくる。

 静かな部屋。

 頭の中で、ゴゥ、と通過する快速電車。カンカン。

 次第に意識がうとうとし始めた時――


 ふと、志乃は目を開く。


 窓の外に何か影がいたような……気がした。カーテンに映り込んだ。いや、気がしただけだ。そんなものいるはずはない。ここは二階の、父親の部屋だった。

 枕もとでスマートフォンが振動した。画面の明かりが志乃の顔を白く照らす。

 吉井蒼太。メッセージには、試合の日程が簡単に書かれている。

 志乃は、ぱたっとスマホごと手を落として、明日結衣に伝えようと思った。志乃が深い眠りに落ちていくのに、さほど時間はかからなかった。

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