02.日常と噂話
「はい、授業の前にかるーく小テスト始めるよ。範囲は昨日の分。後ろの人に配ってね~」
ええ~、と教室が落胆に包まれた。
聞いてねぇよ~と口々に文句を言いながら、生徒は渋々とプリント用紙を回している。
秋山志乃は前の席から紙を受け取った。
「はい。……寝不足?」
三組の吉井だ。ううん、と志乃はぎこちなく首を振った。
「俺、昨日ゲームやりすぎてさ、あんま寝てない」
聞いてもいないことを吉井は話す。志乃は紙を後ろに回した。そこで吉井は廊下側を見やった。
「白石って、いっつも消しゴムをもらってるよな」
見ると、同じクラスの白石友里が、前の席の人から消しゴムを受け取っているところだった。前の席の人というのは町下という女子で、心配性な性格なので予備の文房具をいつも多めに持ち歩いている。そのせいでテスト直前の机の上は、文房具で山盛りになっている時がある。
白石さんと相性がいいのか悪いのか……。そんなことを志乃は思う。
「あいつん家、絶対消しゴムだらけ。しかも人からもらったやつ」と、吉井。
想像したらちょっと面白かった。
「最近、なんでも、高いよね……」だから借りるのも気をつけなきゃ、と志乃は言いたかったが、教師が「お喋りはやめ!」と注意したので、会話は中断された。
その後の授業は、集中したり眠くなったりを繰り返して時間が過ぎていった。志乃の隣には小川結衣が机をくっつけて座っている。教科書を貸してくれているので一緒に見ているのだ。
教師が黒板に〈天台宗――最澄〉〈真言宗――空海〉と書いている間に、結衣が机の下で紙を手渡してきた。教師に見られないように紙を見ると、
『吉井くんと、仲良いの?』
と書いてあった。
志乃が小さく首を振って『去年同じクラスだった』と文字で返すと、結衣は笑った。なんとなくほっとしてるようだった。
「吉井君さ」
小川結衣が、授業終わりに吉井蒼太に声をかけた。ちょっと意を決して、といった感じだ。
「〈カンカン様〉って知ってる?」
生徒が教室を出ていく。白石友里は今日も町下さんに消しゴムを返し忘れている。
「ああそれ、うちのクラスで結構聞くよ。一組じゃ聞いたことない?」
「さっき……聞いた」と、志乃。
「マジ?」と吉井は言った。
「誰から?」
「うちのクラスの、夏帆って子」
吉井は皮肉っぽく笑った。
「あの話、キショくない? なんかさ、感染るらしいじゃん。俺はなんともなかったけど」
え゛、と結衣が声を上げた。
「感染るって、どういうこと?」志乃が聞く。
教室を出た吉井と結衣と志乃は、並んで廊下を歩いた。
吉井はあっさりと言う。
「呪われるんだって」続けて言う。「テロみたいじゃね? ダルいよな、この話」
「呪われ……って……?」
怖がりな結衣が恐る恐る聞くと、
「〈カンカン様〉の夢を見るらしいよ。なんか、俺の兄貴も見たって言ってた……夢の中の線路で立ってたとか言って。あんま信じてないけど」
ええ~~……と結衣がその場で立ち尽くす。三浦夏帆が言っていたことは本当だったのか。
「聞いただけじゃなんも起こんないよ。俺はなんともなかった。うちの兄貴、ウソばっかつくからさ、一緒にいると大変なんだよ」
「でもさ……」結衣は口に指をあてて暗い顔をする。
「三組ってさ、人いなくなってる……よね。三か月前に」
吉井は口を引き結んだ。
「たまたまだろ。あいつは、運が悪かったんだ」
廊下の奥で、「吉井ー! 今日のサッカー、遅れんなよ!」と男子が大声を上げた。
「俺、次があるから」
吉井蒼太は結衣と志乃を置いて、廊下を去っていった。
「頑張っ…あ……」
結衣は声をかけそこねてしまったらしい。
突然、吉井が振り返る。
「秋山! と、小川? 今度の試合、見に来いよ! 応援あると、元気がでるから」
吉井が友人と連れだっていなくなってから、結衣は無言でガッツポーズを決めた。
「ぜったい、一緒に行こうね、志乃ちゃん」
あはは……と志乃は笑った。教科書を貸してもらったから、断れなさそうだ。
カン、カン、カン、カン
カン、カン、カン、カン…
「ほらね、本当だったでしょ? 三組の吉井の兄貴は〈カンカン様〉の夢を見たんだって」
踏切で電車の通行を待つ間に、三浦夏帆が言った。暑いのか、栗色の髪を一つにまとめながらいう。
「三組って事故でいなくなったやついるじゃん? そいつも〈カンカン様〉を見てたりして」
「怖すぎだって…」
小川結衣が嫌な顔をした。
「自動車事故って言ってたよね。確か」
コンビニで買った棒アイスを食べながら、秋山志乃は言う。「橋田くん、だっけ」
「あ、よく知ってるね、秋山。そうそう、橋田直人」
――ゴゥ!
快速の電車が猛烈な速さで通過していく。
最後尾がすっかり過ぎていった後、しばらくすると、遮断機が上がり始めた。
三人揃って線路を横断する。
「かわいそうだよね」と結衣は言う。
「そういう子、たまにいるよ」
夏帆がスクールバッグから食べかけのグミを取り出した。
「私が中学生の時だって、病気で死んじゃった子がいたし。卒業式、えぐかったよ。うちらの卒業式じゃなくて、その子を見送るための式だったもん。その子の両親とか、号泣しすぎて、引きつけ起こしてた。葬式会場、シーズン2」
こんなこと、人に言えないけどね、と夏帆は悪びれもせず言う。
「うちらだって普通に中学を卒業したかった。その子のこと、忘れたいわけじゃなかったけど――わ!」
原付が一台、夏帆の真横を唸りを上げて抜けていった。車道側にいたので、肘がかすめる寸前だった。原付は素知らぬ様子で車両の間をぐいぐい抜いていく。
夏帆は前方を睨み、
「なにあれ……最ッ悪! 轢かれるところだった! 志乃、ありがとね」
志乃は、ぱっと夏帆の手を離す。ううん、と言った。
「ほんっとに、もう。バチ当たれよ!」夏帆が怒っている。
「あんなの、いつか事故ってどうにかなるよ」
結衣が志乃を振り向く。その顔は感心していた。
「志乃ちゃん、よくわかったね。今の早かったよ」
「三浦さんがこけそうに見えちゃって、つい」
結衣はスクールバッグを肩にかけ直して、場の雰囲気を切り替えるように明るい声を出す。
「聞いて、三組の吉井くんがね、今度試合に来てって誘ってくれたの。ね、志乃ちゃん?」
「あ、うん。そういえば、いつどこであるか聞いてなかったよーな……」
「お願い! 志乃ちゃん、代表で吉井くんに聞いて!」
結衣が志乃の前に回り込んで、パン、と手を合わせる。セミロングの黒髪が揺れている。
「同じクラスだったなら、連絡取れるでしょ?」
「別にいい、けど……。でも、小川さんが聞いた方が良くない、かな? 連絡先も交換できるだろうし」
志乃は首を傾げた。
小川結衣は、でも、でも、という。
「そんな急に距離詰めるなんて、ちょっと無理すぎて……」
「えー、小川は吉井みたいなのがいいの? 意外ー」
夏帆は軽い口調でからかった。
「いいじゃん、別に! 背、高いし。夏帆ちゃんも、来るよね?」
んー、と夏帆は言い、
「あ、あたし、今日はこっちだわ」と道を曲がっていく。
「そうなの?」と志乃。
「ドラストに寄りたいんだよね」
志乃は、そっちに行くならコンビニアイスはやめておけばよかった、と思った。最近はスーパーで物を買うより、ドラッグストアで用事を済ませることが当たり前になっている。断然そっちの方が安い。
「私も行くー」
小川結衣は三浦夏帆についていくことにしたらしい。
「じゃーね、志乃ちゃん! 吉井くんに聞いておいてね!」
二人は手を振って志乃と別れた。
よし、帰るか。志乃は一人、気合を入れる。
家に帰るのは大変だ。志乃の家は、ちょっとした山の中にあるからだ。リュックを背負い、走る準備を整えた。




