04.広がる悪夢
なんで……
足ががたがた震えている。
なんで、この夢を見るの……?
カン、カン、カン、カン
カン、カン、カン、カン
――ゴォォ!
夕闇迫る田園風景に、銀色の快速電車が走り抜ける。赤色灯が絶え間なく明滅していた。
いつからそうしているのかはわからないが、遮断機の前で立ちすくんでいる。
踏切の奥では、黒い山並みに一本道が続く。そこにいる、汚れた髪の女。ボロボロのワンピース。擦り切れたパンプス……。
何をするわけでもない。その女はただ踏切の奥で後ろ向きに立っている。微動だにせず、直立といってもよい姿勢だが、少し足を開いているのが気になった。
夕闇の中、影のようにたたずんでいる。
無性に腹が立ってきた。思いっきり叫んだ。
「お前、なんなんだよ! 何がしたいんだよ!」
――ゴォォ!
突風にあおられ、体が揺らいだ。う、と思わず呻き、うつむく。
なんで、私なんだよ……。強烈にそう思った。
長い時間をかけて快速電車が通り過ぎ、後部ライトがその場を置き去りにしていく。
顔を上げると、女は一段と距離を詰めて立っている。
咄嗟に振り向いて、その場を走り出した。怖くてたまらなかった。
早く覚めてよ――もう嫌だ! 覚めろ!
夕闇の田園風景を必死で走った。
走って、走って、走って、走って……
カン、カン、カン、カン
カン、カン、カン、カン…
なんで……。
よろけて、その場に座り込んだ。反対側に走ったにもかかわらず、踏切が行く手を阻んでいた。前に進んでも後ろに進んでも、黒と黄色の棒が下りている。
対面では、女が踏切の手前まで近づいていた。
必死の思いで立ち上がり、踏切を無視して、今度は線路沿いに走った。砕石のごろごろとした感触に足を取られながら、覚めろ、覚めろと心で叫んで走り続けた。
女はついてきていない。ふり返ると、先ほどの場所から一ミリだって動いていなかった。
もっと、遠くに行かないと!
肺が熱い。息切れを起こしながらも、死に物狂いで疾走する。喉から悲鳴のような音が漏れていた。
その時だった。
――パァァァ!
背後が眩く輝いている。そのまま全身が光に呑み込まれた。無人の快速電車が眼前に迫っていた。
“ばん!”
◇
「いってきまぁす――」
玄関でスポーツシューズを履き、秋山志乃は大声で言った。
そろそろ暑くなってきたなぁ、と緑の濃い木々を振り仰ぐ。木漏れ日がきらきらと降りそそいでいた。
「お~い、志乃。ちょっと待て」
少し歩いていると、祖父の秋山修二がスーパーカブで追いかけてくる。志乃の少し前の位置で、キッと停止した。
「送るから、乗れ」と、修二はヘルメットを志乃に投げる。
「ええ~……」
もうそういう年じゃないんだけどなぁ、と志乃はヘルメットを見下ろす。山の下まで降りたら、みんなにも見られるし……。じいちゃんと二人乗りは、この年だとだいぶきつい。
シフトチェンジをして修二は振り返る。
「乗らんのか」
「乗りまぁす……」
とはいえ、通学距離が長いので、送ってもらえるのはありがたかった。ヘルメットを被りシートに座った。
ぐいん、とスーパーカブが走り出す。
おい、志乃、と修二が尋ねる。エンジン音と風の音に負けないよう、大きな声で、
「お不動様んとこ、寄ってくか?」
「んー、そうする」
「そういやお前、ちゃんと友達はできとるんか?」
「できてるよー」
「そうか。お前は入学早々、半年も休んじまったからな。勉強は、追い付いてるか?」
「だいじょーぶ。今の授業、日本史が面白いんだ」
「そうか。そりゃよかった」
そうして、本道を逸れて小道に入っていく。
日差しが木立に隠れ、時々差し込んでくる。森の香りが鼻をくすぐった。どこからともなく小鳥がさえずり、風で木々が揺れている。涼しい空気を浴びながら、ここは清浄な場所だなぁと志乃は思った。
「ほら、着いたぞ」
志乃は今、ちいさなお堂の前にいる。屋根や周辺に落ち葉が散っている。雑草もかなり生えてきた。
スーパーカブから降りた志乃は修二にヘルメットを渡す。
「行ってこい。ここで待ってるから。線香はつけるなよ。消す時間がねぇ。火事になっちゃ大ごとだ」
「うん!」
小走りでお堂に走り、階段を上る。
物置小屋サイズの建物の中に鎮座していたのは、火炎後背した不動明王の仏像だった。
右手に倶利伽羅剣を掲げ、左手には羂索というぶっとい縄を握りしめている。肌は青色に塗られ、厳しい顔でこちらを見下ろしている。その口元には牙が上下に生えているのが印象的だった。
ひゃー、相変わらず、こわいお顔だなぁ……
志乃はそう思いながら、賽銭箱に小銭を入れて不動明王の仏像に手を合わせた。そばには信仰者が手書きで不動明王の〈真言〉を刻んだ板が立てかけてある。それを小さく唱えて挨拶をした。
志乃は心の中で、思いついたことを好きなだけ仏像に話しかけた。
「学校、行ってきます」
厳しい顔が、少しだけゆるんだような気がした。
「お~い、遅刻すんぞ!」
修二の声に急かされたので、志乃は慌ててお堂を出る。
「じいちゃんは参らないの?」
「明日掃除しに行くから、そんときで、いい」
スーパーカブは山を駆け下り、街まで走っていく。
ちらほらと登校する生徒の姿が見えてきた。
忙しなく走る車が増えてきたところで、志乃は修二のカブから降り、学生の人波に混ざっていった。
◇
教室に入ると、いつもと雰囲気が違うことに志乃は気が付いた。
クラスメートが遠巻きになり、部屋の中心を見守っている。志乃は人をかき分けて前に進み、何事かと様子を探った。
「夏帆のせいだからね! 昨日、変な話をするから!」
金井陽菜が猛抗議している。相手は三浦夏帆だった。金井の隣では高田澪が、おろおろとしており、近くでは小川結衣が困り顔で突っ立っている。
志乃は驚いて、隣の男子生徒に聞いた。
「何があったの?」
「よくわかんねぇけど、怖い夢を見たんだってさ」
小馬鹿にしたような言い方にかちんと来たのか、金井は志乃と男子生徒をキッと睨んだ。それからまた夏帆に顔を向けて吐き捨てる。
「最悪なんだけど!」
「そんなこと言われても……そもそも、あんた、信じてなかったじゃん」
と、夏帆は言う。その顔は「こいつ、何言ってんだ?」という表情がありありと浮かんでいた。
「ただの夢っしょ?」
金井はますます怒りを増幅させる。
「はぁ? そういうこと言う? 昨日はあれだけ、『ウソじゃない!』とか言ってたくせに!」
バン、と机を叩く金井に、高田澪が制服の袖を引っぱった。
「ちょっと、陽菜、落ち着いてよ……」
金井は腕を振ってそれを無視した。
「せめて謝れよ! 毎日毎日、つまんない噂話してさぁ!」
金井は続けた。
「あんたのせいで〈カンカン様〉の夢、見ちゃったじゃん!」
沈黙とともに見守っていたクラスメートたちが、途端にざわざわと囁き始めた。
「どういうこと?」
「〈カンカン様〉ってなに?」
「やばくね?」
「あの噂、本当だったんだ」
志乃は戸惑った顔で、口々に言うクラスメートたちを見まわした。嫌な雰囲気だった。その時、反対側で青ざめた顔をしている白石友里が目に入った。かたかたと体を震わせている。
渦中の中心にいる夏帆は、クラスメート全員から一斉に視線を浴びている。
はー、とため息をついた。
「じゃあさ、聞くよ。澪と結衣は、昨日、その夢を見た?」
二人は顔を見合わせて、首を横に振った。
「――志乃は?」
夏帆が振り向いてくる。
その目に射抜くような真剣さがあったので、答えるのに少し間ができてしまった。志乃は言う。
「見てない……」
「だからなんだっていうんだよ! じゃあなんであんな夢、見るんだよ!」
「知らない」
「ざけんな!」
半ば掴みかかる勢いの金井の間に、小川結衣が甲高い声で割って入った。
「まあまあまあ――喧嘩はもうやめよう? 夏帆ちゃんもさ、こう言ってるけど、本当は悪いことしたなーって思ってるんだよ。ね? そうでしょ? ほら、夏帆ちゃんって意地っ張りだから、言いたくても言えない時があるんだよね。ね? 夏帆ちゃん?」
金井は夏帆を睨みつけ、夏帆は反省の色のない顔でそれを見返している。要はばちばちである。
それでも結衣はめげずに仲裁を続けるので、志乃は尊敬の念を心から抱いた。
「――あ、そうだ! はい、みんな注目ー!って、もう見てるか。えっと、実は、」
結衣はスマートフォンを掲げてみんなに見せた。画面には、今朝志乃が送信したテキスト画面が映っている。
「今度! うちのサッカー部の対抗試合がありまーす! 応援に来てほしいそうです! 私と一緒に行く人ー! はーい!」
結衣は元気よく一人で手を挙げた。反応が悪かったので、きょろきょろと教室を見回す
「はーい、はい! ……あれ? 私だけ? 相手はライバル校の那岐高だよ~? 皆で応援して那岐高を負かそうよ。向こうは応援がいっぱい来るんだって」
志乃はびしっと手を挙げた。
「さっすが志乃ちゃん! わかってるぅ」
結衣は指をさして、にこっと笑った。味方を見つけ、どこか安心したような面持ちだった。
「キッチンカーとか屋台とか出るんだよね! みんなで行くと楽しいだろうなぁ」
しばらくすると、ぱらぱらと腕が上がりはじめた。
友達がサッカー部だとか、ちょっと前からイベントが気になってたとか、なんとなく楽しそうとか、中には那岐高にだけは負けるのは嫌だとか、そういう理由のようだった。
なんだかんだ、クラス仲は悪くなかった。
澪が金井の腕を引っぱる。
「陽菜も一緒に行こう? そんな変な夢、忘れちゃってさ」
金井が大声で言った。
「私は行かない!!」
「陽菜……」
金井は自分の机まで行き、どんと座った。そのまま突っ伏して何も聞かない態度を貫いた。
高田澪が慌てて金井に駆け寄り、小声でなだめている。澪は途中で顔を上げて首を振った。口には出さないが「私も行けない」と言っていた。
小川結衣はそれを見て肩を落とした。仲直りは難しそうだった。
「おがわー、引率してくれるんだよな?」と、誰かが言った。
「え? あ、うん! 後でメンバーリスト作成するよ。待ち合わせ場所も教えるね……」
「それって、電車で行ける距離?」
「試合はいつあるの?」
結衣はクラスメートの対応に忙しくなって金井陽菜の方に気にかける余裕がなくなってしまった。
そうこうしているうちに朝のホームルームの時間になり、クラス担任が教室に入ってきた。




