第3話 下界へ
神律スキル編纂局の奥、いくつかの重厚な気密扉を抜けた先にドーム状の部屋がある。
その中には巨大な魔法陣がいくつも刻まれ、ヤマトにとっては現実とは思えない幻想的な景色が広がっていた。
「ここは〝転移室〟よ。地上との行き来をするための場所ね。さて、それじゃあヤマトくん。地上へ降りる前に、まずはお着替えね」
先頭を歩くセレナが振り返り、ヤマトの胸元をチョンと指差してきた。
「お着替えですか?」
「下界に降りるのに、天界の制服を着てたら浮いちゃうでしょ。だから、この制服には現地の文化に馴染むための擬態機能が組み込まれているの」
そんな説明をヤマトにしながら、セレナはすっと空間を指先でなぞり、「ワールド・コード、展開」と小さく呟いた。
すると、彼女の目の前の空間に、編纂室で見たのと同じ淡い半透明の魔導スクリーンがパッと浮き上がった。セレナがそのタッチパネル式のホログラム画面を小気味よくタップすると、彼女が身に纏っていたカチッとした制服が、淡い光の粒子となって弾けた。
光が収まったあとに現れたのは、動きやすそうな革の胸当てに、しなやかなマントを羽織った、どこからどう見ても熟練の女性冒険者の姿だった。
その背には、上質な木で作られた立派な魔導杖が括り付けられており、彼女が百戦錬磨の魔法使いであることを物語っている。
「おおっ、凄い! 一瞬で変身しましたね」
「ふふ、便利でしょ? はい、ヤマトくんのぶんのデータも転送するわね。今回の案件は、冒険者の少年が対象だから──よし、これで同期完了!」
セレナが画面をスワイプした瞬間、ヤマトの身体も柔らかな光に包まれた。
驚いて自分の手元を見ると、さっきまでの綺麗な制服は消え去り、少し使い込まれた風合いの丈夫な布服と、腰に小ぶりな短剣を帯びた駆け出し冒険者風の格好へと切り替わっていた。
さらに、肩からは支給品とおぼしき小ぶりな木製の軽弩を斜め掛けにした、新米狩人の佇まいだ。
「動いても触っても違和感がない。本当に地上の冒険者みたいな服になってますね、これ」
「でしょ? 地上の人間に私たちが女神様の御使いってバレたら一発で始末書ものだから注意してね。あ、それから。開発部の連中みたいに仕様書をいじる仕事じゃないから、あくまで私たちは『調律』の専門家として振る舞うこと。現地では私のことも先輩付きじゃなくて、〝セレナ〟って呼んで。その方が冒険者のパートナーっぽいでしょ?」
「分かりました。セレナせんぱ……じゃなくて、セレナ、ですね」
「ま、〝さん〟付けでもいいわよ。それじゃあ行こうか、ヤマトくん。──転移システム、起動!」
セレナが空中の画面を押し込むと、足元の魔法陣が連動して駆動し、部屋全体が眩い純白の光で満たされていく。
視界が強烈な純白に染まり、浮遊感のあとに、ぐっと足の裏へ大地の感触が戻ってきた。
光が引いていく。ヤマトがゆっくりと目を開けると、そこは天界の白亜の空間ではなく、年季の入ったレンガの壁に囲まれた、薄暗い路地裏だった。壁の隙間からは、どこか賑やかな人間の話し声や、馬車の車輪が軋む音が聞こえてくる。
「──到着。ここが地上の街よ。体調は大丈夫、ヤマトくん?」
隣でマントを翻したセレナが、周囲を油断なく見回しながら声をかけてきた。
「はい、問題ありません。……ここが、地上なんですね」
路地裏から一歩外へ踏み出すと、目の前には中世ヨーロッパを思わせる活気あふれる街並みが広がっていた。
行き交う人々、出店の美味そうな匂い、そして青い空。
前世では病室の窓からしか外の世界を見られなかったヤマトにとって、五感に飛び込んでくる地上の空気のすべてが新鮮で、胸が熱くなるのを感じた。
「これが世界か……」
思わず零れ落ちた呟きとともに、ヤマトは深く息を吸い込んだ。
前世の彼にとって、世界とは四角い病室の天井と、真っ白なベッド、そして窓の向こうに見える切り取られた空の青さだけだった。歩くことも、風を感じることも、ただ生きてそこに立つことすら、あの頃の自分にとっては遠い奇跡だったのだ。
だが、今は違う。
自分の足が、確かに地上の土の硬さを捉えている。肌を撫でる風は少し冷たくて心地よく、行き交う人々の騒がしい声は、彼らが全力で生きているという熱量そのものとして鼓膜を震わせた。
(俺は本当に、生きているんだな……)
胸の奥から湧き上がる込み上げるような歓び。五感のすべてが、自分はもうあの窮屈な檻にはいないのだと告げていた。
「……ふふ、いい顔するじゃない」
そっと隣に並んだセレナが、悪戯っぽく、けれどどこか温かい眼差しでヤマトを見上げていた。
「初めて地上に降りた時のみんなのリアクションを見るの、結構好きなのよね。その中でもヤマトくんは別格ね」
「そうですか? まぁ……俺、前世は病気で寝てばかりでしたから、自分の足で立つって経験がほとんどなくて」
「えっ、そうなの?」
「ええ、まぁ。病室の天井や、窓の外の変わらない風景ばかりでしたからね。こうして自分の足で移動して世界が見られる──それだけで最高ですよ」
「そっかぁ~……」
セレナは何を思ったのか、少し表情を柔らかくしてヤマトの背を叩いた。
「それじゃ、その気持ちを大事にして、早速お仕事に取りかかりましょ。新人の初仕事だし、先輩がバシッとサポートしてあげるからね」
「はい、よろしくお願いします」
二人は大通りへと歩き出し、ヤマトは周囲の賑わいに目を輝かせながら、セレナの隣を進む。
セレナは周囲の人間に見えないよう、自身のすぐ手前で小さく指先で宙をなぞった。
「──ワールド・コード、展開」
空間にパッと現れた半透明の画面をスクロールさせながら、セレナが声を潜める。
「それじゃあ、今回の対象者の情報を共有するわね。名前はレオン・ベルトラム、十六歳。職業は新米の冒険者よ。本人は『いずれ勇者や英雄と呼ばれる存在になって、魔族を壊滅させてみせる!』だそうよ」
「それはまた、随分と志が高いですね」
「そうね。志が高いのはいいんだけど、彼が授かっているスキルは【光波の加護】なのよ」
「光波の加護、ですか。それってどういうものなんです?」
「ああ、じゃあここで実技研修といきましょう。ヤマトくん、自分の手でその【光波の加護】の仕様書を開いてみて」
「えっ、俺がですか?」
「そう。あなたの制服にもシステムへのアクセス権が同期されてるはずよ。空間を指先でなぞりながら、〝ワールド・コード、展開〟って唱えればいいだけだから」
「分かりました、やってみます」
ヤマトは息を呑み、天界でセレナが見せてくれた動きを思い出しながら、周囲の邪魔にならないよう自分のすぐ手前で空間を指先でなぞった。
「──ワールド・コード、展開」
その瞬間、ヤマトの目の前の空間に、淡い半透明の魔導スクリーンがパッと浮き上がった。自分の手で初めて天界のシステムを起動できたことに、胸の奥が少し高鳴る。
「うん、バッチリ! じゃあ、そこに出てるレオンくんのログをタップしてみて」
「これですね……あ、仕様書が出ました。『武器や身体に薄い光の衣を纏わせ、攻撃力や速度を十から二十パーセントほど微増させる』、ですか。扱いやすい、堅実な補助スキルですね」
「そう、良いスキルなのよ。特に冒険者になったのなら、尚更ね。だけど現在、彼から編纂室に届いているのは【警告:軽度出力不良】のエラー。ヤマトくん、その下の詳細ログはどうなってる?」
ヤマトは画面をスクロールさせ、明滅する黄色い文字を読み上げる。
「ログの数値を見る限り、とにかく『出力が想定数値を大幅に下回っている』ってことしか分からないですね……」
「だから、実際に本人に会って問診をする必要があるの」
「問診、ですか?」
「スキルっていうのは魂と結びついているものだからね。魂とスキル効果が一致したときにこそ、最大限の効果を発揮するものなのよ。でも、『出力が想定数値を大幅に下回っている』っていうのなら、それは魂とスキルがシンクロしてないってことになる。その原因を探るためにも、本人と直接会って話を聞く必要があるでしょ?」
「なるほど」
仕様書から目を離し、ヤマトは前を歩くセレナの背中を見つめた。
文字データだけでは分からない、人間の心とスキルのズレを紐解く。
セレナの言う〝問診〟とは、つまりそのズレを解消してあげることなのだろう。
「──と、噂をすれば。ちょうど現場に居合わせたみたいね」
不意にセレナが足を止め、大通りから少し外れた、ギルドの裏手へと続く路地へと視線を向けた。
「え?」
ヤマトもつられて目を向けると、そこには数人の冒険者たちが集まり、ピリピリとした不穏な空気を漂わせていた。
「おいおい、勘弁してくれよレオン。お前、ギルドじゃあれだけ大口を叩いてただろ」
きつい口調で少年を責め立てているのは、リーダーらしき剣士の男だ。周囲のメンバーたちも、呆れたような、あるいは苛立ったような視線を一人の少年に注いでいる。
「それは……」
責められている少年──レオンは、泥に汚れた革鎧のまま、拳を固く握りしめて俯いていた。その手には、刃こぼれした一本の鉄剣が握られている。
「蓋を開けてみりゃお前の【光波の加護】、まともに維持すらできてねえじゃねえか。今にも消えそうな弱々しい光が数秒チラついただけで、すぐに消えちまう。お前が前衛の強化をトちったせいで、どれだけ危ない目に遭ったと思ってんだ!?」
「それは……すまない、と思っている。でも、次こそは必ず──ッ!」
「次なんてねえよ!」
強い意志をもって口にした言葉は、しかしリーダー格の剣士の怒気に封じられた。
「悪いが、臨時とはいえ、お前みたいな足手まといとは二度と組まねえ。ほら、今回の依頼の分配金だ。さっさと受け取って消えな」
足元にジャラリと投げ捨てられた、わずかな銅貨の袋。
冒険者たちは吐き捨てるようにそう言うと、レオンをその場に置いて、ギルドの方へと歩き去っていった。
静まり返った路地裏で、レオンは悔しさに唇を噛み締めながら、地面の泥に汚れた財布を拾い上げる。その背中は、十六歳の少年にはあまりにも小さく、そして酷くへこんでいるように見えた。
「……あれがレオンくんですか」
ヤマトが隣のセレナへ静かに尋ねると、彼女は手元の画面を確認しながら、小さく頷いた。
「ええ。間違いないわ。まずはあの子と接触を試みるところからがスタートね。さぁ、お仕事の時間よ」
セレナは魔導スクリーンを消すと、ポンとヤマトの肩を叩いた。




