第2話 セレナ先輩
流線型の美しい通路を、マージン室長は気の抜けた足取りで進んでいく。
新しく手に入れた健康な足でその後ろを追いかけながら、ヤマトは周囲を行き交う他の職員たち──〝御使い〟たちの姿を眺めていた。
誰も彼も普通の人間と変わらない見た目をしている。もし、元の世界の街中ですれ違ったとしても、それが実は女神様の下で働いているとは思わないだろう。
「しかし驚いたよ」
ヤマトは女神様から授けられた新しい肉体で歩く感覚を楽しんでいると、マージン室長が声を掛けてきた。
「普通、女神サマに『何でも願いを言ってみろ』って言われたら、無敵の能力とか地上のハーレム王権とかを要求するもんだ。君、なんでまた『女神様の役に立ちたい』なんて言っちゃったの?」
「俺、前世ではずっとベッドの上で、お医者さんや看護師さん、家族……本当にたくさんの人にお世話になりっぱなしの人生だったんです。だから、もし自由に動ける体があるのなら、今度は俺が誰かのお世話をする側になりたくて。それなら、転生のチャンスをくれた女神様の役に立ちたいって思ったんです」
ヤマトの濁りのない真っ直ぐな瞳を見て、マージン室長は「……ふーん」と、どこか得心のいったような声を漏らした。
「なるほど、お世話、ねぇ」
「それでマージン室長、俺からも聞いていいですか?」
「ん? なんだい?」
「マージン室長は神律スキル編纂局ってところの室長なんですよね? 俺もそこで女神様のお役に立てることをするみたいですけど……具体的に、一体何をするところなんですか? 女神様のところでチラッと見えたエラーログと、関係があるんですよね?」
「お、察しが良い。大ありさ」
マージン室長はポケットに手を突っ込み、気怠げに言葉を続ける。
「女神様がお創りになった世界の人間たちには、〝スキル〟っていう特殊な能力が一人ひとつずつ授けられるんだけどね、そのスキルを作るのが神律スキル編纂局の仕事ってわけさ」
「スキルを……作る……?」
「けどまぁ、スキルを作るったっていろいろ問題も起きるわけで……ま、詳しい話は他の人に聞いてちょーだいよ」
そんな世間話をしながら辿り着いたのは、一軒の重厚な扉の前だった。
「さあ、着いたぞ。ここがうちの編纂室だ」
マージン室長がノックもせずに、その重厚なドアを勢いよく開け放った。
「おぉ……」
開かれた空間を目にしたヤマトは、思わず圧倒されて足を止めた。
そこは、外の静謐な廊下からは想像もつかないほど、圧倒的な情報量に満ちた大空間だった。
天井は遥か高く、そこにはやはり、世界の歯車とおぼしき黄金の機構が静かに駆動している。しかし、ヤマトの目を引いたのは、床から宙に向かって幾重にも張り巡らされた、淡い半透明の魔導スクリーンの群れだった。
それぞれのスクリーンには、まるで生き物のように絶え間なく膨大な文字列が流れ、明滅している。
よく見ると、それらはすべて何かしらのスキル名と、その構成要素らしき数式や術式であるようだ。ある画面には、大きく赤字で【警告:属性不一致】と表示され、また別の画面では、複雑に絡み合った光のラインがパズルのように組み替えられている。
神聖な大聖堂のようでありながら、その本質は、まるで最先端のシステム開発室か、あるいは巨大な書物の編纂現場のようだ。
部屋のあちこちには機能的なデスクが並び、数人の職員たちが、空中に浮かぶキーボードのような光の文様を忙しなく叩いている。床の隅には、エラーを吐き出して弾かれたらしい魔導結晶の残骸が、まるで丸めた書き損じの原稿用紙のように転がっていた。
世界の人間たちに授けられる〝スキル〟──その奇跡の数々が、ここでは文字通り、泥臭く「製造」され、「校正」されている。
美しくもどこか慌ただしい天界の舞台裏に、ヤマトはただただ息を呑むばかりだった。
「おーい、セレナくん! セレナ・フロウレイラくんはいるか!」
「はぁ~い! なんですかぁーっ?」
重なり合う半透明のスクリーンの隙間から、ひょっこりと顔を出した女性がいた。
袖をまくり、手元の魔導キーボードを叩きながら、大きな瞳をヤマトへと向ける。ハキハキとした快活な美しさを持つ、まさに頼りがいがありそうな人だ。
「この忙しい時にどこに行ってたのかと思えば……見慣れない顔ですね」
と、彼女――セレナは怪訝そうに言った。
「女神サマからの紹介でね。新人のヤマトくん。セレナくん、彼のことは君に任せるよ。よろしく」
「えっ、新人!? 嘘、うちの部署にまともな人員が補給されるなんて、天変地異の前触れじゃ……!」
セレナは慌ててホログラムの画面を払いのけると、スタスタと小気味いい足音を立ててヤマトの前に歩み寄ってきた。
「初めまして、ヤマトくん。私はセレナ・フロウレイラ。この神律スキル編纂局『不調調律室』の室員で、まぁ、ここ最近はいろいろやらされてるわ。あ、制服の襟、ちょっと曲がってるわよ?」
セレナはごく自然な手つきで、ヤマトの襟元をトントンと整えてくれた。
「えっ、あ、ありがとうございます。白瀬ヤマトです。これからよろしくお願いします」
勢いよく頭を下げたヤマトに、セレナは一瞬だけ驚いた表情を見せた。
この部署にいるのは、やる気のない室長か、激務に追われてピリピリしている職員ばかりだ。こんな風に真っ直ぐで、挨拶ひとつとっても丁寧な新人が来ることなど、予想もしていなかったのだろう。
「真っ直ぐな子が入ってきたわね。お姉さん、嬉しくなっちゃう」
セレナの唇から、自然と柔らかな笑みがこぼれた。
「よろしくね、ヤマトくん。そんなに畏まらなくて大丈夫よ。うちの部署、仕事は山積みだけど、人間関係までギスギスさせたら室長の怠惰に負けちゃうもの。ね、室長?」
「おっと、流れ弾。俺はいつも心穏やかだよ?」
「サボってるだけでしょうが」
ジロリと室長を睨みつけてから、セレナは再びヤマトに向き直り、その肩をポンと優しく叩いた。
「ま、立ち話も何だし、私のデスクへ行きましょう。室長、彼の席は私の隣でいいんですよね?」
「そうだね。彼の世話は君に一任するから」
「了解です。それじゃヤマトくん、こっちへいらっしゃい。この神律スキル編纂局の仕事を手取り足取り教えてあげる」
ヤマトはここでマージン室長と別れ、セレナに誘われるまま、彼女のデスクへと付いていくことになった。
セレナのデスクは、周囲の画面が集約された管制塔のようになっているが、よくよく見れば食べかけの軽食や空のボトルなども散見された。なるほど、ゴミを捨てる暇もないほど忙しそうだ。
気を引き締め、促されるまま隣の椅子に腰掛けたヤマトに、セレナは空中に浮かぶ複数の魔導スクリーンを器用に整理しながら語りかけた。
「さて、それじゃあ改めてお仕事の説明ね。室長からなんか聞いた?」
「軽くですけど。『女神様が創造した世界の人間たちに授けるスキルを作るのが仕事』だと伺いました」
「あはは、やっぱり。あの人、いっつも新規開発のことしか言わないのよね」
セレナは呆れたように小さくため息をつくと、悪戯っぽく微笑んだ。
「まぁ、それは正解なんだけど、それだけじゃないの。私たちの神律スキル編纂局の主な業務は、大きく分けて三つあるわ」
セレナが指先で画面を叩くと、三つの光る項目がヤマトの前に並んだ。
「一つ目は、『新しいスキルの開発』。これは主に開発部の担当なんだけど、時代や世界の変化に合わせて、人間に授ける新しいスキルを構築する仕事よ。私たちの花形業務の一つね」
「スキルの新規開発……。それだけで、なんだかワクワクします」
「でしょお~? で、二つ目が『授けられたスキルの不調調律』。どれだけ完璧に設計されたスキルでも、実際に人間が使うと環境の変化や魂の個性で予期せぬ不具合やエラーが起きることがあるのよ。そういう〝綻び〟を、私たちのような専門部署が現地に赴いて診察し、調整するのがこの仕事。例えばこれ」
セレナが指さしたのは、先ほど女神様のところにあった魔導スクリーンに表示された、エラーログだ。【警告:属性不一致】と書かれている。
「こういうバグが発生していたら、現地に赴いて対象スキルを所持している人物と出会い、診察して正しく直してあげるの」
「なるほど……」
とヤマトは深く頷いた。まさに世界の裏方のメンテナンスと言えるだろう。
「そして三つ目が……ちょっと物騒なんだけど、『魔界側への対策と対応』ね」
「魔界、ですか?」
「そう。この世界はね、私たちの女神様がお創りになった唯一絶対の世界なんだけど……強い光があれば影ができるように、女神様の意図とは関係なく、自然の摂理として生まれてしまった闇の領域があるの。それが魔界。その魔界に属する魔族たちへの対応よ」
セレナはいくつかのスクリーンをスワイプし、禍々しい紫色のログが流れる画面をヤマトの前に引き出した。
「魔界にはね、私たちのこの部署と似たような場所があって、そこでも独自にスキル開発や修正がされてるのよ。それが、魔族にしか授けられない闇スキル」
「魔族側の、スキル……。じゃあ、それに対抗するための武器を作ったりするんですか?」
「武器作りは別部署かな。どっちにしろ、本質はもっと複雑よ。闇スキルは、私たちが作る天界側のスキルとは全く違うロジックで組まれているの。魔族がこちらのスキルに似た効果の能力を発揮することもあるけれど、システム的には完全な別物。だからこそ、相手のロジックを解析して、対策を編纂する専門の知識が必要になるってわけ」
セレナは画面を指先でくるりと回し、ヤマトを真っ直ぐ見つめた。
「新規開発、エラー修正、そして魔界の闇スキル対策。この三つが、私たちが日々泥臭くこなしている業務の全貌よ。どう? ちょっとワクワクしてきた?」
セレナは顔を覗き込むようにして、悪戯っぽく微笑む。
「やることがたくさんあって大変そうですけど……それ以上に、凄くやり甲斐がありそうです」
ヤマトがまっすぐにそう答えると、セレナは満足げに目を細めた。
「ふふ、いい返事。やっぱり仕事に向かうなら、それくらい元気がなくっちゃね」
セレナは手元の魔導キーボードをトントンと叩き、自身のデスクの画面をいくつか整理すると、ヤマトに向き直った。
「それじゃあ手始めに、百聞は一見に如かずってことで……さっそく実地研修に行ってみましょう」
「えっ、もう現場に行くんですか?」
「まずは私が隣について、二つ目に説明した〝スキルの修正業務〟の基本を教えてあげる。ちょうど地上で、アラートを吐き出したばかりの初期微動があるのよ」
セレナが指さした画面には、小さな黄色い文字で【警告:軽度出力不良】と表示されている。
「これくらいなら、私が横にいれば安全に修正できるわ。スキルが地上でどう作用しているのか、目で見て覚えるにはうってつけの案件ね。……準備はいい?」
「はい! よろしくお願いします!」
ヤマトはゴクリと唾を飲み込みながらも、力強く頷いた。
健康な身体を手に入れ、誰かの役に立つために。
白瀬ヤマトの天界での新生活──世界の裏側を支える神律スキル編纂局での初仕事が、いよいよ始まった。




