第18話 再起動
ヴェロニカが各所のゴーレムを巡回し、その一体目を無力化するまでの時間は数分もかからない。
そもそも、地上に住まう人類と天界に居を構える御使いは身体的な構造が段違いだ。加えて、特務として地上に降り立ち、冒険者として常にあらゆる対象と戦闘を繰り広げているヴェロニカは、イスルギとパーティを組み、二人揃って第一級の冒険者として名が広まっている。
彼女はイスルギのような前衛とは違い、隠密や諜報など、斥候に近い技術を持っている。
「さてさて……」
ヴェロニカが待機状態のゴーレムの背後へ忍び寄る。その背面に手を触れ、魔力を流し込むと、鉄鋼の皮膚に刻まれた魔力伝達路が蒼白く浮かび上がる。
「……ふ──ッ!」
四肢から中心部である核までの経路を見極めたヴェロニカは、自身の魔力を流し込んだ。
バリバリッ! と魔力の火花が散り、魔眼の光が霧散する。
破壊したわけではない。そもそも、そんなことをすれば目立つ上に、ゴーレムがどんな挙動を取るかわからないからだ。
ヴェロニカがやったのは、動力源たる核と、核から送られる指示を四肢に伝達する魔力回路の接続を強制的に焼き切ったのだ。
今はただ、都市の守護者に対して一時的にその牙を抜く。
それだけで十分だった。
「まずは一体目、沈黙……っと」
あまりにも鮮やかなヴェロニカの手腕に、ヤマトとセレナはただただ見蕩れるだけだった。
「さすが、特務御使いですね」
「ただ慣れてるだけよ」
ヤマトが素直な感想を口にすると、ヴェロニカはなんてこともないように肩をすくめた。
「それより、まずは一体目を無力化したわ。ここは誰が残る?」
「ここは、ヤマトくんに残ってもらいましょう」
「俺ですか?」
ヴェロニカの問いに間髪入れず答えたセレナへ、ヤマトが驚きと戸惑いの声を上げた。
「ええ。まだフィオから完成したパッチは届いてないでしょう? 届いたらすぐに私とヴェロニカに送ってちょうだい。移動しながらじゃ気づきにくいでしょ?」
「なるほど。そういうことなら。セレナ先輩、気をつけてくださいよ」
「わかってる。あなたの方こそ、油断しないようにね」
軽く手を振って次のゴーレムへ向かうセレナとヴェロニカを見送り、ヤマトは沈黙したゴーレムの背に目を向けた。
ワールド・コードを立ち上げてみる。まだ、フィオから無機物の命動の修正パッチは届いていない。
「このまま無事に事が進めばいいんだけど……」
一抹の不安を胸に、ヤマトは誰にともなく呟いた。
■□■
軍の中枢、厳重に管理された補佐官室は今、防音と気配遮断の術式によって外部から完全に切り離されていた。
部屋の隅に追い詰められた男――補佐官に化けていた魔族は、最早その仮面を保つことすらできていなかった。影が淀み、禍々しい黒い角が螺旋を描きながら生え揃う。かつて人類であった面影は、内側から噴き出す闇の奔流によって完全に塗り潰されていた。
対するイスルギは、無造作に剣を提げて立っていた。だが、その背後に漂う殺気は、この部屋そのものを圧殺せんばかりの重さで満たしている。
「おまえはやり過ぎだ。これ以上は看過できん」
イスルギの感情を排した言葉に、魔族は喉を鳴らして笑った。
「ほざけ、天界の狗め! 貴様らが守ろうとしているこの矮小な世界は、停滞に喘ぎ、腐り落ちるのを待つだけの林檎だ! 私がやっているのは破壊ではない。旧い理を焼き払い、より強固な淘汰の螺旋へと世界を導こうとしているに過ぎん! この革新を〝悪〟と断じる貴様らこそ、真に世界の均衡を害する癌に他ならんのだ!」
「……世の道理も知らん小物か」
これ以上、言葉は必要ないとばかりに、イスルギは剣を構える。
その瞬間、魔族の瞳に冷酷なまでの愉悦が宿った。
「道理だと? 歴史という名の塵を積み重ねるだけの貴様らに、何が──ッ!」
その瞬間、魔族は本能的な恐怖に支配された。
目の前の男が、ただ剣を向けるという動作だけで逃げ場という概念そのものを消し去ったからだ。
魔族にとって、イスルギの存在は対話など無意味な、ただの理不尽な災害に他ならなかった。
「ひ、ひぃぃっ……やめろ、寄るな!」
魔族は獣のような悲鳴を上げ、部屋の隅へと這いずり逃げる。だが、イスルギの足音はまるで死神の刻む秒針のように正確で容赦がない。
イスルギが一歩踏み出すたび、魔族の周囲に展開していた防御術式が、ガラス細工のように音もなく粉砕されていく。
魔族は自らの身を守る術がすべて無効化されていることに気づき、絶望に顔を歪めた。
「なぜだ……私の呪詛が、私の術が、この男には通じない!?」
「貴様の小細工はノイズにもならん」
淡々とした声とともに、イスルギの剣が冷徹に一閃する。魔族が防御の意思を抱くよりも速く、その右肩が切り飛ばされた。結界の破片が飛び散り、魔族が床を転がる。
慈悲はない。
追撃の一撃が、魔族の逃げ道を塞ぐように床を穿つ。
「や、やめろ! 頼む、消さないでくれ……!」
威厳も狂気も剥がれ落ち、ただ死を恐れる卑小な生き物へと成り下がった──ように、見えた。
だが、違う。
魔族の身体を包んでいた闇の奔流が、不自然なほど静まり返った。先ほどまでの醜い悲鳴が、あきれるほど滑らかに止む。
魔族は地を這う姿勢のまま、ゆっくりと顔を上げた。
そこに浮かんでいたのは恐怖に歪んだ表情ではない。自分の死という終着点を通り越し、その先の破滅を視界に捉えた者だけが持つ歪な充足感だった。
血に濡れた指先で、隠し持っていた最後の術式を床に叩きつける。震えていたのは恐怖からではなく、魂を削って「起爆の結界」を編み上げるための共鳴だったのだ。
「一歩、遅かったな!」
魔族は血を吐き出しながら、勝ち誇ったように声を張り上げた。
「我が命を賭して、守護者たるゴーレムの防衛回路を焼き切り、この町を殺戮の檻へと変えてやる! さぁ、暴れろ守護者たちよ!」
その咆哮とともに、魔族の肉体が黒い炎を纏い、凄まじい魔力の波紋が部屋を揺らした。
直後――街のあちこちから、重苦しい石の擦れる音と大地を揺らす轟音が響き始める。
ゴーレムが暴走を開始したという確信が、ヤマトたちからの連絡を待たずとも大気の振動で伝わってくる。
「ちっ」
イスルギは舌打ちをした。
今、外では相棒のヴェロニカのみならず、不調調律を担うヤマトやセレナがゴーレムの核にパッチを当てるため、無力化している最中だ。その状況でゴーレムの暴走を招いてしまったのは失策だったと認めるしかない。
おまけに、この状況で魔族を倒せば、暴れるゴーレムが数秒のうちに大爆発まで引き起こしてしまう。
少なくとも、ヤマトたちが暴走したゴーレムを沈黙させるまで、魔族を殺すことはできない。
(……まぁ、あいつらならなんとかするだろう。問題は──)
いつ、どのタイミングで魔族を排除するか。
その一瞬を、イスルギは冷静に見極める必要があった。
■□■
「そんな……嘘だろ!?」
ヤマトが思わず声を上げたのと同時に、目の前のゴーレムが不気味な音を立ててその四肢を稼働させた。核から奔流する紫の魔力が、焼損していたはずの回路を強引にバイパスし、動力を無理やり再接続している。
ゴーレムの紅蓮の眼が、ヤマトを正確に捉える。無機質な巨躯が、逃げる間もなくその巨大な拳を振り下ろしてきた。
風圧が石畳をえぐり、ヤマトはとっさに身を低くして回避するが、その衝撃だけで壁に叩きつけられ、肺から空気が弾き出される。
「かはっ!」
いったい何が起きてるのかさっぱりわからない。
だが、状況が最悪なことになっていることだけはわかった。
(こいつを止めないと、パッチを当てることなんてできない……!)
通信機からは絶え間ないノイズと、遠くでヴェロニカやセレナがゴーレムと交戦しているであろう金属音が漏れ聞こえる。状況は最悪だった。
『全員、聞こえるか』
その時だ、ワールド・コードを介した通信から、イスルギの声が聞こえてきた。
『状況が変わった。魔族が虚実の糸を介してゴーレムを暴走させた』
『暴走させたじゃないわよ!』
通信を介して聞こえた女性の声は、ヴェロニカだろうか。交戦しているであろう金属音が漏れ聞こえている。状況は向こうも最悪のようだ。
『ヤマト、修正パッチはまだ!? 一刻の猶予もないわよ!』
「まだです!」
ヤマトはそう叫ぶのが精一杯だった。トドメの一撃を見舞おうと、眼前のゴーレムが再びその巨腕を振り上げた。
(パッチが届いていない状態で、この暴走をどうやって止めればいいんだ……!)
ヤマトは石壁を蹴り、瓦礫を盾にして強引に懐へと飛び込む。
こうなれば、パッチが届くまでの時間を自らの手で作り出すしかなかった。




