第15話 不調調律
転移室の無機質な白い壁が、ヤマトとセレナの視界を圧迫するように広がった。
地上界にある防衛都市アイギスの石造りの街並みや、ガリュン・ヴァルガスの工房に満ちていた鉄錆と硬質な魔力の匂いは、天界の浄化された空気に触れた途端、急速に薄れていった。
ヤマトは、指先に残るわずかな冷たさを意識する。
彼が握りしめているのは、ただの魔石ではない。あの無愛想な職人、ガリュン・ヴァルガスが「好きにしろ」と投げ渡した、不吉な熱を孕んだ結晶だ。
「やれやれ、闇スキル関連は毎回骨が折れるわ」
セレナが背後の転移扉を閉じ、短く息を吐き出した。
彼女の端正な顔立ちには、ガリュンの工房で受けた重圧が未だ影を落としている。かつてないほどに張り詰めた空気を纏う二人は、言葉少なげに神律スキル編纂局の回廊を歩き始めた。
ヤマトは立ち止まり、掌の中で鈍く明滅する魔石を見つめる。
ガリュンの工房では、ただの石に見えた。しかし、この天界の純粋な魔力場の中に持ち込んだ今、その本性が露わになっている。
魔石の内部で、まるで生き物のように不穏な鼓動が感じられる。それは、魔力を供給する対象と同期しようとする、貪欲な拍動だ。
「せっ、セレナ先輩! こっ、これちょっと見てください! なんか気持ち悪い脈動してるんですけど!?」
顔を顰めるヤマトの問いかけに、セレナが顔を寄せた。彼女の瞳が魔石の深淵を捉え、わずかに見開かれる。
確かに、魔石の表面から零れ落ちるような黒い粒子が、神聖な空気と接触して微かに音を立てて消滅している。
「うわっ、これ闇スキルに使われた魔族の魔力だわ。通常なら瞬時に浄化されるはずなのに、それを押し返そうとしている。相当よ、これ」
セレナの声にも、わずかな驚きと焦燥が混じる。
やはりヤマトの推測通り、暴走は運用のミスなどではなかった。この魔石そのものが、最初から魔族の意志で汚染されていたのだ。
「早くヴォルク部長のところへ持っていきましょう」
「でっ、ですね!」
二人は顔を見合わせ、大急ぎで駆け出した。
向かう場所はもちろん、危険対策部だ。ヤマトは、こんな気持ち悪い魔石をそのまま持ち込んでいいものか一瞬だけ迷ったが、先輩であるセレナがお構いなしに駆け込んだのでいいのだろう。
「ヴォルク部長!」
真っ先にヴォルクの下へ駆け寄ると、彼もまた、待ちわびていたかのように表情を崩した。
「その顔を見るに、上首尾だったようだな。で、どうなんだい?」
「……これです」
ヴォルクは、山積みの機材の間から巨体を立ち上がらせ、ヤマトたちが持ち帰ったものに視線を向けた。
ヤマトは不気味な脈動をしている魔石を取り出し、ヴォルクのデスクに置いた。
「ガリュン氏の工房から譲り受けたものです。すでに闇スキルを使用した際に注がれた魔族の魔力が溢れつつあって……」
「そいつぁ難儀だな……。よし、後は任せろ。解析用のプロトコルは組んでおいた」
魔石を受け取ったヴォルクは、手際よい操作で魔石を解析用ボックスに設置した。
魔石が幾重もの魔法陣とスキャン光に包まれる。天界の解析設備がフル稼働し、魔石の深淵にある闇スキルのコードが次々とモニター上で解析されていった。
直後、ヴォルクが眉間を深く寄せて呟いた。
「おいおい……かなり厄介な闇スキルじゃねぇか」
ヴォルクはキーボードを叩き、解析データの細部を精査する。モニターには、通常ではあり得ないほど複雑に絡み合った黒い線が映し出されていく。
数分後、解析装置がそのコードを特定した。
「……やっぱ、虚実の糸か」
「うわっ、最悪じゃないですか!」
その名を聞いたセレナが、あからさまにげんなりした声を上げた。
「なんですか、その……虚実の糸って」
ヤマトだけが、初めて聞くその呼称に首を傾げる。
「こいつはゴーレムを暴走させるだけの闇スキルじゃねぇってこった」
「どういうことですか、部長?」
ヤマトの問いに、ヴォルクは解析映像を拡大した。
「虚実の糸って闇スキルはな、ゴーレムのような人造生命の核──魔石に忍ばせて、本来の命令とは違う行動を取らせる闇スキルだ。だが、こいつの真の恐ろしさは、やりようによっては人間という生き物の精神にもその魔の手を伸ばせる点にある」
ヴォルクは手元を操作し、解析結果の深部を拡大した。
映し出されたのは、魔石から溢れ出した黒い糸が、魔石の細部に至るまで食い込んでいくおぞましい光景だ。
「この糸を頭の中に注ぎ込めば、闇スキルの使い手が対象者を思うままに操れちまうのさ」
ヤマトは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
ゴーレムを暴走させる闇スキルと思っていたものが、その実、人間の心と体をも乗っ取る恐ろしい性能まで隠し持っていたのだ。
「さらにタチが悪いのは、虚実の糸による干渉は不可がデカすぎるってことだ。糸が絡みついている間、対象の脳神経は絶え間ない負荷を受け、致命的な損傷を負って確実に命を落とす。かなり凶悪な闇スキルだぜ」
そこまで聞いて、ヤマトはガリュンの姿を思い浮かべた。
ガリュンのようにスキルでゴーレムと自らの魂を深く繋げて制作するような職人であれば、虚実の糸がゴーレムを伝って浸食してくる可能性もあるのではないか。
「だからね、ヤマトくん。ガリュンのスキル〝無機物の命動〟に、虚実の糸に対抗するパッチを当てるだけじゃ意味がないのよ」
本来であれば、スキルに異常を来す闇スキルが判明した時点で、対処すべき闇スキル用の対抗パッチを、ワールド・コードで追加すれば事は済む。
しかし、虚実の糸の場合はそれだけで済むものではなかった。スキルは対処できても、スキルを持つ人間そのものに害を及ぼす闇スキルには、別の手が必要だ。
「……あれ? でも、虚実の糸っていう闇スキルの情報を解析してわかったってことは、過去にも虚実の糸を持つ魔族がいた──ってことですよね?」
「おっ、鋭い」
ヤマトの閃きに、セレナが声を弾ませた。
「虚実の糸は、大きい分類で言うと浸食型の闇スキルなの。なので、その対応策として神聖秘術開発局の方に、浸食を除去する神聖秘術を作ってもらって地上に広めたのよ」
セレナの説明を受けて、ヤマトは納得した。今回の闇スキルはすでに過去で確認されているものであり、その対応策もすべて揃っているから、セレナはここまで気を緩めているのだろう。
だが、危険対策部の部長であるヴォルクの表情は険しいままだった。
「どうやら、そんな簡単な話じゃねぇみただぞ」
ヴォルクは、モニターに映る複雑な波形を指で弾きながら不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「今の時代、その神聖秘術を施せば、精神汚染だろうが無機物への浸食だろうが、大抵のものは霧散する。だが、今回の虚実の糸は、秘術の干渉を逆手に取るようにコードが組み替えられているみたいだ。よりタチの悪い進化を遂げてるな」
「進化……つまり、広まっている神聖秘術じゃ通用しないということですか?」
ヤマトの問いに、ヴォルクは解析結果を過去の記録と重ね合わせて見せた。
画面上では、神聖秘術の光が虚実の糸を消し去るどころか、それを栄養にするかのように黒い紋様を広げていくシミュレーションが流れている。
「昔の手法をそのままぶつけたシミュレーションだが、神聖秘術が魔石の核に浸食した虚実の糸を活性化させ、ゴーレムのリミッターまで外しちまう結果が出てるんだ」
「事態が悪化してるじゃないですか……」
「ああ。仮に人類が魔石に虚実の糸が仕込まれていることを見抜いて、過去の例にならって神聖秘術を使おうものなら、より被害はでかくなっちまうな」
ヴォルクは、モニターに映し出された黒い紋様の拡大図を睨みつけ、忌々しげに吐き捨てた。
「これはまず、地上のどこかで虚実の糸を操っている魔族そのものを排除しなけりゃならんな。元を断たなきゃ、糸の供給は止まらねぇ。特務を使うか……」
ヴォルクは深く息を吐き、通信端末を手に取った。
「特務……?」
「ちょっとヴォルク部長!」
首を傾げるヤマトを他所に、セレナが身を乗り出さんばかりにヴォルクへ詰め寄った。
「特務御使いを動かすつもりですか!? それはさすがに荒れますよ!」
「それだけ虚実の糸って闇スキルは厄介だってことだ」
特務御使い。
それは、神聖秘術の新規開発や対策スキルの開発、あるいはパッチ処理だと解決に時間が掛かると判断された時、対象闇スキルを持つ魔族を物理的に殲滅・排除する役目を負った御使いのことだ。
女神が創造した地上──いや、地上のみならず、天界や魔界も含め、すべては絶妙なパワーバランスで成り立っている。
どちらか一方に天秤が傾くようでは、世界は成り立たない。最悪、何もかもが消滅してしまう。
故にこそ、やり過ぎた魔族──いや、魔界側に対して、天界側の明確なレッドラインを示す必要がある。
そのための特務御使いだ。
ただ、そうやって特務御使いが地上での出来事に直接介入するのは、魔界側にとってもタブーの側面がある。
セレナが言う『荒れる』というのは、特務御使いが虚実の糸を持つ魔族を強制排除した後のことだ。魔界側からの反発は免れない。
「特務を動かす以上、おまえたちの仕事はここまでだ。この魔石はさらに詳しく調査し、後々、虚実の糸の対策案を神聖秘術局に出しておく。おまえたちの今回の調律任務はこれにて終了だ、ご苦労さん」
ヴォルクは、解析データを収束させながら、有無を言わせぬ調子で告げた。
「……あれ? ちょっと待ってください」
話を聞いていたヤマトが、そこでふと声を上げた。
「部長、一つ確認したいんですが……ガリュンさんが工房でゴーレムを制作している際、彼が込めていた魔力の量が思ったより多かったんですけど」
「……どういう意味だ」
「あんな荒っぽい使い方をしなくても、彼のスキル、無機物の命動は発動するはずなんですよ。それなのに過剰な魔力を注ぎ込んでいて、おかしいなと思って……」
セレナもハッとして言葉を継ぐ。
「それだわ、ヤマトくん! ガリュンは無意識のうちに、闇スキルが魔石を食い荒らすスピードよりも速く、魔力を注ぎ込んでいたんだわ。まるで穴の空いたバケツに、底が抜けないように必死で水を注ぎ続けるみたいにね。今のゴーレムの核になっている魔石は、闇スキルとガリュンの過剰な魔力で奇跡的にバランスを保っているのよ」
セレナは一気に捲し立てた。
「でも、特務が魔族を倒して闇スキルを消し去ったらどうなる? 魔石の中には、行き場を失った過剰な魔力だけが残るわ。それが、魔石を内側から突き破って大爆発を起こしかねないのよ!」
セレナの言葉に、ヴォルクは解析結果を凝視した。
「完成したゴーレムの核である魔石に注ぎ込まれた魔力と、そこに巣くっていた虚実の糸が極限のバランスで癒着しているってことか……なるほど、確かに爆発しかねない状況だ。だが、どうする? おまえたちの仕事はスキルの調律だろう。問題なのはすでに稼働しているゴーレムだ。それに手出しする理由がない」
「いえ、ありますよ」
ヴォルクの問いに、ヤマトが即座に返した。
「魔石にはガリュンさんのスキル、無機物の命動が虚実の糸と混ざり合って残っているじゃないですか。それは正しいスキルの効果とほど遠い、不調状態です。スキルの効果に不調があるのなら、それを正しく調律するのが不調調律室の仕事です。ですよね?」
「……なるほど。スキルの不調を正すのがおまえたちの仕事──か。ふっ……ははははは!」
ヴォルクはヤマトの真っ直ぐな視線と言葉を受けて、呆れを通り越し、心底楽しそうに笑い声を上げた。
「確かにそれは紛れもなくおまえらの仕事だ。よし、わかった。その理屈が通るなら、俺の管理下で特務と連携してこい。話はこちらで付けておく」
ヴォルクは冷徹な視線を二人へ向け、最後に短く告げた。
「上手くやれよ?」
「任せてください」
ヤマトとセレナはヴォルクに一礼し、危険対策部を後にした。




