第11話 魔族の暗躍
休日が明け、ヤマトとセレナはいつものように並んで調律室の扉を開けた。
週末の穏やかな余韻を胸にしまいデスクへ向かう。ヤマトはふと、昨日の家事修行を思い出し、小さく口元を緩めた。
隣で荷物を置いていたセレナがヤマトの顔を覗き込み、わずかに眉を寄せる。
「ちょっとヤマトくん。今、何を思い返してニヤニヤしてたの?」
「いえ、別に」
ヤマトは短い言葉で誤魔化したが、その反応はセレナにはすべて筒抜けだったらしい。彼女はふふんと鼻を鳴らすと、ヤマトの肩を小突いた。
「あのね、私にだって苦手なことはあるの! それよりもほら、地上のスキルログのチェックを始めるわよ」
「了解しました、先輩」
ヤマトは背筋を伸ばし、スクリーンに表示された膨大なスキル使用ログを追っていった。
この調律室での業務は、基本的に地道なチェック作業の連続だ。
地上で人々が使っているスキルログは、まず神律スキル編纂局の巨大なシステムが自動で検閲し、健全に稼働しているスキルは〝異常なし〟としてそのまま流れていく。
ヤマトたちの手元に届くのは、その網に引っかかって引き上げられた、何かが噛み合っていないログだけだ。
ヤマトは端末を操作し、次々と届く記録と魂とスキルの固有波形を照合し、ズレがないかを確認していく。
わずかなズレは重要度が低いものと判断し、経過観測として記録して、それ以上の介入はしない。
深刻な事態と判断したものだけが直接地上へ降り立ち、調律を施す対象となるのだ。
無機質な数字の羅列から、早急な対処を要する〝歪み〟だけをいち早く発見して抽出する――その選別作業こそが、世界の均衡を支える要となっていた。
「……あれ?」
そんな作業を進めていく中で、ヤマトは奇妙なエラーログに行き当たった。
防衛都市の職人、ガリュン・ヴァルカスのスキル使用記録。
魂とスキルの波形は完璧に整合しているにもかかわらず、何故か生成されたゴーレムが指示通りの行動を取らずに暴走しているようだ。
「セレナ先輩、これ、ちょっと妙じゃないですか?」
「え、どれ?」
ヤマトから回ってきたログデータに、セレナも目を通した。次第に、その眼差しが険しくなる。
「これは……なるほど、かなり怪しいわね」
「でもこれ、魂とスキルの一致はかなり高密度で整合していますよね? スキルそのものに、最初から不具合があった――ってことですか?」
「その可能性はないわね。人類に授けられたスキルに間違いなんてありえないわ。そのために、フィオたち開発部は二重三重の厳しいチェック体制を敷いているのよ。問題が出るとすれば、それはスキルを授けられた人類側の問題よ」
セレナの言葉は、神律スキル編纂局の誇りそのものだった。しかし、ヤマトの端末に表示されたログは、その絶対的な前提を根底から否定している。
「整合性は完璧です。魂とスキルの波形や出力も、すべてが正常な範囲に収まっている。なのに、生成された結果は本来のものとは真逆ですよ」
「そうよ。だからこれは……そうね、まずは室長の判断を仰ぎましょう」
「はい」
二人は端末を閉じると、椅子から立ち上がった。そこには、背もたれに深く体重を預け、コーヒーカップを片手に薄っぺらな報告書を眺めているマージン室長の席がある。
その姿は、周囲の張り詰めた空気とは対照的に、まるで午後の陽だまりにいるかのような脱力感を漂わせていた。
「おや、二人してどうしたんだい?」
マージンはとぼけた口調で二人を見上げたが、すぐに何かを察したらしい。持っていたコーヒーカップをテーブルの上に置き、居住まいを正した。
「何かあったかい?」
「担当区画のスキルログに異常が生じてまして……手順と出力は正常に記録されていますけど、最終的な結果のみが理論値と反転してるんですよ」
「ほう……その該当ログを見せてもらえるかい?」
セレナはワールド・コードを開いて、該当ログをマージンに転送した。それを確認したマージンは、「ああ、間違いないね」と呟いた。
「これは確実に闇スキルの影響だね。セレナくん、すぐに危険対策部へ報告に行ってくれるかい?」
「やっぱりそうですよね。わかりました、直ちに向かいます。ヤマトくん、行くわよ」
「え? あ、はい」
二人はマージンに軽く会釈をすると、その場を離れた。
フロアの境界を抜け、神律スキル編纂局の巨大な廊下へと足を踏み入れる。無機質な白の壁が延々と続くその通路を、二人は早歩きで突き進んでいった。
「危険対策部へ向かうのは初めてね。あそこは、局内でも汚染に近い異常スキルを専門に扱う場所なのよ」
歩調を緩めることなく、セレナは初めてヤマトが向かう場所の説明をしてくれた。
「今回検知したような結果の反転は、魔族が介入した際によく見られる闇スキルの兆候の一つなの。スキルに干渉して本来の仕様を捻じ曲げる……。通常の不調調律では手に負えない厄介な代物よ。魔族の闇スキルについては前に軽く説明したけど、覚えてる?」
ヤマトは彼女の背中を追いながら、その言葉に「はい」と短く返した。
魔界側の闇スキル。それは、天界側が人類に与えるスキルと同様に、魔界側が魔族へ与えるスキルのことだ。
闇スキルは、天界側のスキルとは全く違うロジックで組まれており、抜本的な対策が必要になる。
「その対策に特化してるのが、これから向かう危険対策部ってわけ」
「なるほど……あれ? そうなると、俺たちの仕事って何をするんですか?」
「それはまぁ、ケースバイケースね」
それはどういう意味だろう──と、考えていると、目的の危険対策部までたどり着いた。
「失礼します」
セレナが危険対策部の扉を開くと、不調調律室とは違う慌ただしさと早足で駆け回る御使いの面々が右往左往していた。
そんな御使い達がせわしなく行き交う中、セレナは周囲を見渡すと、一人の人物に向かって歩を進めた。ヤマトも慌ててその後を追う。
「ヴォルク部長、よろしいですか?」
「おう、マージンのとこのセレナじゃねぇか。わざわざウチに来るってことは、また面倒な案件か?」
危険対策部のヴォルク・ヴァルデンは、山積みの機材に囲まれたデスクで大きな身体を窮屈そうに折りたたんで座っていた。
長身を持て余すようにして座る姿は、まるでこの場所に合わせて身体を作り替えることを諦めたかのように見える。少し丸まった背中は、長年この場所で端末と向き合ってきた彼の日常を物語っていた。
「ええ、まぁ……こちらのログを見てください」
セレナは魔導スクリーンにワールド・コードを展開すると、ガリュン・ヴァルカスが持つスキル『無機物の命動』の使用ログを表示した。
「見てください。この人、魂とスキルの一致は完全に近いんですが、それによってもたらされている結果──彼の場合はゴーレムですが、魔石に刻まれた指示とは真逆の行動を取っているんです」
「ああ、こいつは間違いなく闇スキルの影響だな。魂に組み込まれたスキルをどう改竄しているか、その実態を正確に把握する必要がある」
「やっぱりそうですよねぇ~……」
専門部署のお墨付きが出たことで、セレナはがっくりと肩を落とし、深く長いため息をついた。
「ところで、そちらのあんちゃんは?」
ヴォルクからの視線を受けて、ヤマトは姿勢を正した。
「不調調律室の白瀬ヤマトです。セレナ先輩の下で仕事を学んでいます」
「ああ、おまえさんが白瀬ヤマトか。噂は聞いてるぜ。女神様からの転生を断って御使いになった酔狂な元人間だろ? そういうヤツは嫌いじゃねぇ。ガンバレよ」
「あ、ありがとうございます」
思わぬ好意的な反応に、ヤマトは深く一礼した。
「それじゃセレナ、あとの調査は任せたぞ。こっちはこっちで準備をしておく」
「よろしくお願いします」
ヴォルクが再びモニターへと向き直るのを見届け、二人は危険対策部を後にした。
廊下に出ると、セレナは軽く肩を回し、気を取り直したように言った。
「さて……それじゃヤマトくん。まずは闇スキル対策の手順をレクチャーするわね」
「普通の異常スキルの調律と何が違うんですか?」
不調調律室へ戻る最中、セレナの言葉にヤマトは率直な疑問をぶつけた。
「基本的な確認は同じよ。でも、普段の調律が機能不全を治す作業だとしたら、闇スキルへの対応は外部から侵入したロジックの解明に近いわね」
セレナは歩みを止めず、要点を整理するように淡々とした口調で説明を続ける。
「前にも話したけど、闇スキルはこちら側のスキルと全く違うロジックで組まれているの。だから、地上から上がってくるログを見ても、どういう手段でスキルを狂わせているのか、痕跡は残らない。コードが違うからね。なので、実際に現地へ赴いて確認する必要があるってわけ」
「確認?」
「使われている闇スキルのコードの確認よ。それさえわかれば、危険対策部で対応パッチを構築して、ワールド・コードから該当の闇スキルを無力化できるってわけ」
そんな話をしながら、二人は重厚な気密扉の前で立ち止まった。先にあるのは、地上へ降り立つための転移室だ。
セレナが認証を通し、扉の先に踏み入れる。中央に刻まれた魔法陣が、微かな律動を刻むように淡く発光していた。
「さて。それじゃあヤマトくん、地上へ降りるわよ」
セレナは空間を指先でなぞり、慣れた手つきでワールド・コードを展開した。転移室の魔力濃度が上がり、足元の魔法陣が眩い光を放ち始める。
「前回は冒険者でしたけど、今回はどうします?」
「対象のガリュン・ヴァルカスは、防衛都市のゴーレム制作者でしょ? 前回と同じ冒険者の方が、近づきやすいんじゃないかしら?」
「わかりました」
ヤマトはワールド・コードを展開し、使い込まれた丈夫な布服と、腰に小ぶりな短剣を帯び、木製の軽弩を斜め掛けにした狩人の佇まいに変身した。
対するセレナも、前回同様、熟練の冒険者スタイルになっている。
「準備はいい?」
ヤマトは深く息を吐き、足元の魔法陣へと視線を落とした。
地上の土の感触、人々の騒めき、そして風の冷たさ――それらを思い出し、ヤマトは静かに頷いた。
「いつでもいけます」
「よし。――転移システム、起動!」
セレナの声と同時に、純白の光が視界を塗りつぶしていく。天界の静謐な空気が急速に遠ざかり、代わりに地上の喧騒と、微かな土の匂いが鼻腔をかすめた。
視界が明転した先には、都市の路地裏が広がっていた。




