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第9話 王都の門

 セラとマリーの二人が、住み慣れた街を徒歩で出発した、ちょうどその頃。

 クリスたちはすでに、王都へと続く舗装された街道を、一刻も早く辿り着かんと早馬を飛ばしてひた走っていた。

 蹄が硬い地面を叩く規則正しい音が、周囲の静寂を切り裂いて響き渡る。

 顔を打つ風は刃のように冷たく、速度を上げるほどにその鋭さを増していく。王都が近づくにつれて、街道を行き交う人々の目つきは険しくなり、立ち並ぶ検問所の空気はピリピリとした、刺すような緊張感を帯びていった。

 不意に、クリスは手綱を握る手をわずかに緩めた。

 視線を落とした先には、幾度となくセラや仲間たちと共に振るい、数え切れないほどの魔物を討ち倒してきた相棒、『無銘の長剣』が腰に提げられている。

(……セラ。お前は今頃、どこで何を思っているんだろうな。……お前のことだ。きっと、全部自分のせいだから仕方ないって、無理に笑って自分を納得させているんだろうな)

 脳裏を掠めるのは、追放を告げられた直後、震える背中を丸めて部屋を出て行った、セラの寂しげな後ろ姿。そして、自分がサインを強いた、あの血も涙もない残酷な内容が記された一通の羊皮紙だ。

(大事な親友に裏切られても、お前は決して俺を恨んだりしない。……いっそ、激しく俺を恨んでくれた方が、罵声を浴びせてくれた方が、どれだけ楽だったか……。いや、最初から俺に楽になる権利なんて、あるはずもないな)

 クリスは自嘲気味に口角を歪め、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 手綱を握る拳には、血が滲むほどに力が込められている。

 あの時、セラを突き放すことしか道はなかった。それだけは、今も確信している。

 冒険者として若くして最高ランクに到達した【正義の剣】。その名声が上がれば上がるほど、これからは国家間の争いや、貴族たちの醜い権利闘争、血生臭く理不尽な暗部での戦いに巻き込まれることは火を見るより明らかだった。

 誰一人として傷つけたくない。敵対する魔族の命ですら、奪うことを躊躇うほどのセラの圧倒的な『優しさ』。

 それは美しく尊いものだが、これから足を踏み入れる泥沼のような過酷な世界では、致命的な弱点にしかならない。それどころか、その美しすぎる優しさは、彼自身の心を修復不能なまでに壊してしまうだろう。

(お前のその、綺麗すぎる心と手を、これ以上の血で汚させるわけにはいかないんだ。……だから、これから浴びるすべての返り血も、すべての罪も汚れも、俺が被る。それが、親友を裏切った俺への罰だ……でも、もしいつか、すべてが終わって、本当に平和になった時……その時にもし許されるなら、またお前と笑い合えたら……)

 そのために、自分の最愛の人であるマリーにすら、悪役の泥を被ってもらった。

 彼女なら、誰よりもセラの傍で彼を護り抜き、再び光の当たる場所へと導いてくれると確信しているからこそ、断腸の思いで彼女をセラの元へと送り出したのだ。

 これこそが、クリスが選んだ『正義』の形だった。

 やがて、視界の先に、王国最高峰の武力と権力の象徴――『蒼天の天秤騎士団』が本拠を構える王都の、巨大で悍ましいほどにそびえ立つ城門が見えてきた。

 クリスはその瞳から一切の感情を消し去り、凍てつくような冷たい決意だけを宿して、その門を鋭く睨みつけた。

「……行くぞ」

 クリスが低く、非情な騎士のごとき声を絞り出した、その直後だった。

「ねぇ。そういえばクリス、騎士団からの招集書、ちゃんと持ってるわよね?」

 真後ろを走っていたクロエが、ふと思い出したように、あどけない声を上げた。クリスは馬を止め、凛としたリーダーの表情を崩さないまま答える。

「……もちろんだ。肌身離さず、ここに……」

 そう言って、彼は腰に提げた上質な皮袋へと手を伸ばした。

 ……しかし、指先に触れるはずの、あの重厚な羊皮紙の感触がない。

 平然とした表情を保とうとしながら、クリスの指先が忙しなく袋の奥を弄る。だが、どこをどう探しても、あの厳格な封蝋が押された書状は見つからなかった。

 数秒の、永遠のようにも感じられる沈黙。

 クリスは視線を泳がせながら、先ほどまでの威厳はどこへやら、蚊の鳴くような声でポツリと呟いた。

「……ギルドの、机の上に……置いてきた」

「「はぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?!?」」

 街道の静寂を、クロエとシグマの魂の底からの絶叫が突き破った。

「ちょっと! 何やってんのよクリス!!」

「おいおいおいおい! あんなに格好つけて『振り返るな』とか言って出発したのに、目の前で門前払いかよ! しまらねぇなぁ〜おい!」

 シグマが顔に手を当てて天を仰ぎ、クロエは顔を真っ赤にして今にも殴りかからんばかりの勢いで詰め寄る。

 だが、ノアだけが呆れたように小さくため息をつき、首を左右に振った。

「まったく……クリスは、セラと一緒でどこか抜けてますよね。マリーがいなくなったら、すぐこれなんですから」

 そう言いながら、ノアは自分の荷物の中から、一通の羊皮紙を無造作に取り出した。

「ほら。……私が持ってきましたよ。あのままだったら、今頃ギルドに戻る羽目になって、マリーにこっぴどく叱られてる最中でしたね」

「ノア! ナイスー!! ほんと助かったぁ……!」

 クロエが隣の馬に飛び移らんばかりの勢いでノアに抱きつき、絶望の淵から救われた喜びを爆発させる。

 ノアは、冷や汗を拭うクリスをイタズラっぽく見つめながら、少しだけ口角を上げた。

「これは、『リーダー失格』かもしれませんね?」

「……面目ない。面目次第もない……」

 かつての威風堂々としたリーダーの姿はどこへやら、クリスは馬上で小さくなって、絞り出すように答えるのが精一杯だった。

「っははは! ま、いいじゃねぇか! これでこそ俺たちのリーダーだ!」

 シグマが豪快に笑い飛ばし、先ほどまでの刺すような緊張感は、どこか懐かしい、あの賑やかだったギルド部屋のような温かさへと塗り替えられていく。

 クリスは改めてノアから招集書を受け取り、愛剣を握り直した。

 そして、苦笑いを飲み込んで、仲間の顔を一人ずつ、愛おしそうに見渡した。

「……ああ。そうだな。助かった、ノア。……よし、今度こそ、本当に行こう! 俺たちの、新しい戦場へ!」

「「おー!!」」

 活気ある返事とともに、若き騎士たちは再び馬の腹を強く蹴った。

 夕陽に照らされた彼らの背中には、もう先ほどのような悲壮感はない。

 目指すは、王国最高峰『蒼天の天秤騎士団』。

 彼らの新しい戦いの日々が、今、賑やかに、そして力強く幕を開けようとしていた。


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