第87話 獣都レグルス
荒野にそびえ立つ巨大な要塞都市――獣都レグルス。
高く分厚い岩壁に穿たれた城門をくぐると、ジャスティア王国の熱気やフラリス王国の洗練された街並みとは全く違う、むせ返るような独特の空気がセラたちを包み込んだ。
赤茶けた岩を無骨に積み上げた建物が並び、通りには土埃と獣の匂いが立ち込めている。すれ違うのは、獅子や狼、熊など、多様な獣の特徴を持った大柄で筋骨隆々の獣人たちばかりだ。
「わぁ……なんか、みんなすっごく大きくて強そう。それに、ジロジロ見られてる気がする……」
クロエが落ち着かない様子で水色の髪を揺らし、セラの背中に隠れるように身を寄せる。
「そうね。ここは広大な大地と本能に従う多様な種族が暮らす国だもの。私たちみたいな細身の人間は、どうしても『ひ弱な獲物』に見られがちなのよ」
マリーが周囲の視線を鋭く牽制しながら、低く囁いた。
実際、通りを行き交う獣人たちは、セラやユリたち人間の姿を見ると、鼻で笑うか、値踏みするような見下した視線を向けてきていた。
「なんだなんだ、人間のガキどもが迷い込んだのか?」
「風が吹いたら飛んでっちまいそうな細腕だな。ここは俺たち強者の街だぜ?」
あからさまな嘲笑が聞こえてくるが、セラは刺激しないよう、ただ穏やかな笑みを浮かべてやり過ごしていた。
「とりあえず、情報収集の前に宿を確保しましょう。あそこの宿屋なんてどうかしら?」
マリーの提案で、通りに面した一軒の石造りの宿屋へと足を踏み入れた。
しかし、カウンターの奥から顔を出した猪の獣人の店主は、セラたちを見るなりニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。
「ああ? 人間のガキどもか。泊めてやらんこともないが、ウチは高いぜ? 一泊、一部屋で百万ゴールドだ。お前らみたいなひ弱な連中には、特別に『護衛代』も乗せてやってる親切価格だぜ?」
「百万ゴールド!? いくらなんでも高すぎるわ! 足元を見るのもいい加減にしなさいよ!」
あまりの金額にセラの後に隠れていたクロエが顔を真っ赤にして飛び出し、バンッとカウンターを叩くが、店主は全く動じる様子がない。
「嫌ならよそへ行きな。ただし、どこの宿も人間のヒヨッコには同じような値段を吹っかけるだろうがな。外で寝て、野盗や魔物に身ぐるみ剥がされても知らねぇぜ?」
獣人特有の強気な態度に、交渉の余地はないと悟ったマリーは、
「……困ったわね。この周辺は魔物も多いから野宿するわけにもいかないし」
「なら、アタイの家に来い!!」
不意に、ドンッと大きな音を立ててカウンターの前に割り込んだのは、ミーアだった。
「アタイの家ならタダだし、飯も食い放題だぞ! こんなケチくさい宿、泊まらなくていい!」
「ミーアの実家って……この街にあるの?」
セラが驚いて尋ねると、ミーアは「おう!」と力強く頷き、ふさふさの尻尾を自慢げに揺らした。
「アタイの家は、このレグルスでもちょっとばかしデカいんだぞ! ついてこい!」
ミーアの先導で街の中心部へと進むにつれ、周囲の建物は徐々に立派で重厚なものへと変わっていく。
やがて彼らが辿り着いたのは、街の喧騒から少し離れた高台に建つ、一際巨大な岩造りの邸宅だった。周囲を高い塀で囲まれ、立派な門構えには二人の屈強な獣人の門番が立っている。
「お、おいおい……なんだこのバカでかい屋敷は。ただの家じゃないだろ」
グレンが目を丸くして見上げていると、ミーアは全く臆することなく門へと近づいた。
「おーい! アタイだぞ! 帰ってきたぞー!」
「なっ……!? み、ミーアお嬢様!? おお、お嬢様がお帰りになられたぞォォォッ!!」
ミーアの顔を見た瞬間、厳めしい顔つきだった門番たちがボロボロと涙を流し、屋敷の奥へ向かって絶叫した。
数分後、屋敷の中は上を下への大騒ぎとなっていた。
「おおおっ! 我が愛しのミーア! よくぞ無事に帰ってきたなぁぁぁっ!!」
「ミーアちゃん! 怪我はない!? ちゃんとご飯は食べていたの!?」
応接間になだれ込んできたのは、ミーアの二倍以上はありそうな筋骨隆々の獣人の父親と、ふくよかで優しそうな母親だった。二人はミーアを骨が折れそうなほど強く抱きしめ、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくっている。
「ぐるひぃ……っ、とーちゃん、かーちゃん、アタイは元気だぞ! 離せー!」
「お嬢様! いつでもお食事ができるよう、最高の肉を焼いておりますぞ!」
使用人たちも涙ぐみながら集まり、ミーアを完全な『愛され末っ子』として溺愛しているのが痛いほど伝わってきた。
「……ミーアって、すごく大事にされてるんだね」
その微笑ましい光景に、セラは毒気を抜かれたように笑う。
「それにしても、立派なご実家ですこと」
マリーが感心していると、落ち着きを取り戻した父親が、ふとセラたちの後ろに控えていた二人の人物に目を留め、ハッと息を呑んだ。
「おお……っ! もしやそちらにおわすのは、フラリス王国のリリィ王女殿下と、名高き執事のセバス殿ではございませんか!」
「えっ?」
驚くセラたちをよそに、父親と母親は慌てて姿勢を正し、二人の前で深く、恭しく頭を下げた。
「我が娘が、いつも大変お世話になっております。獣人の習わしとはいえ、立派な戦士になると息巻いて旅に出たは良いものの、まだまだ未熟な娘ゆえ、親としては心配でなりませんでした。その過酷な旅の途中で王女殿下たちに拾われ、こうして手厚くお世話になっていると知った時は、本当に安堵いたしました」
真っ白なカイゼル髭を撫でながら、セバスが静かに微笑み返す。
「ご丁寧なご挨拶、恐縮でございます。ミーア様は持ち前の明るさとその類まれなる腕力で、私共の旅を大いに助けてくださっておりますゆえ」
「私共は王族ではございませんが、代々このレグルスの武を支えてきた一族。王女殿下のような気高きお方に我が娘を導いていただき、これ以上の誉れはございません」
「今は身分を隠したお忍びの旅だから、どうかお気になさらないでください。それと、今はリリィではなく、ユリと呼んでください」
リリィが優雅に微笑むと、両親は恐縮しきりで何度も頷いた。
「娘の友人たちよ、我が家でいくらでも羽を伸ばしてくれ!」
「あらあら〜。ミーアが帰ってきたって聞いて、急いでお城から戻ってきたんだけどぉ。お客さんも一緒だったんだねぇ」
不意に、部屋の入り口から、春風のようにおっとりとした声が響いた。
そこに立っていたのは、ミーアと同じ淡い紫色の髪を長く伸ばした、一人の美しい女性だった。ピンと立った猫耳と、しなやかな尻尾。だが、ミーアの活発さとは対極にある、清楚で儚げな見目麗しい容姿をしている。
「姉ちゃん!」
「おかえり、ミーア。立派な戦士になるための旅、頑張ってるみたいだねぇ。また背が伸びたんじゃない〜?」
ふわりと微笑みながらミーアの頭を撫でる彼女を見て、グレンが思わず「美人だ……」と息を呑んだ。
「紹介するぞ! アタイの自慢の姉ちゃん、メイだ!」
「初めましてぇ。ミーアの姉のメイだよぉ。……あ、リリィ殿下とセバスさん。妹が、ご迷惑かけてないかなぁ? 本当にありがとねぇ」
メイはペコリと上品に頭を下げた。そののんびりとした口調に、セラたちも自然と緊張が解けていく。
その夜。
長机に並べられた豪快な肉料理の数々を囲みながら、セラたちはこれまでの旅の経緯と、レグルスを訪れた目的を包み隠さず家族に打ち明けた。
「なるほど……世界を救うための『聖剣』の手がかりを探して、この国へ来たというわけか」
父親が腕を組み、真剣な表情で頷く。
「はい。もし可能なら、この国の頂点に立つ『獣王』様に直接お会いして、伝承についてお話を伺いたいんです。でも、私たちのような人間の冒険者が、簡単に謁見できるとは思えなくて……」
ユリが悩ましげに言うと、メイが「ん〜」と首を傾げながら口を開いた。
「それならぁ、私が王様に会えるように取り次いであげられるかもしれないよぉ?」
「えっ? メイさんがですか?」
驚くセラに、メイはえへへと照れくさそうに笑った。
「うん〜。実は私ねぇ、これでもレグルスの王城で『宮廷魔術士』として働いているんだよぉ。だから、王様には直接お話しできる立場にあるの」
「宮廷魔術士!? す、すごい……!」
クロエが目を輝かせる。力と本能を重んじるこの獣人の国で、人間のように魔術を極め、宮廷で重用されているというのは極めて異例なことだ。
「明日、私が王様にお願いしてみるからぁ、みんなは一緒にお城まで来てくれるかなぁ?」
「もちろんです! メイさん、本当にありがとうございます!」
セラが力強く頷くと、ユリやマリーたちも安堵の笑みを浮かべた。
翌朝。
メイの案内のもと、セラたちはレグルスの中心にそびえ立つ巨大な王城へと足を踏み入れた。
荒々しい巨岩を積み上げて造られたその城は、周囲の街並みを圧倒するほどの武骨な威厳を放っている。
「ここが、獣王の城……」
見上げるような巨大な城門を前に、セラはゴクリと息を呑んだ。
荒野の足音を越え、たどり着いた獣たちの本拠地。ついに、この国の頂点に立つ王との謁見が始まろうとしていた。




