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第85話 武王の微笑み

第85話 武王の微笑み

 ジャスティア王国の首都『暁の都ソラリス』の頂にそびえる王城は、フラリス王国の白亜の城のような優美さとは趣を異にしていた。

 無数の戦火を退けてきたであろう赤茶色の堅牢な城壁と、装飾を極限まで削ぎ落とした質実剛健な造り。まさに「熱き戦士たちの国」を体現したかのようなその威容は、近づく者すべてに無言の重圧を押し付けてくる。

 そんな王城へと続く緩やかな坂道を、一台の馬車が重々しい車輪の音を立てて進んでいた。

 広々とした客車内は、街の喧騒が嘘のように、胃が痛くなるような重苦しい沈黙に包まれている。

「……僕、本当に行っていいのかな。ただの冒険者なのに、一国の王様に謁見なんて……」

 セラが、借り物の鋼の長剣の柄をギュッと握りしめながら、顔面を蒼白にして呟いた。

「セラだけじゃないわよ……。私だって、前に遠目で王族の方を拝見したことはあるけど、まさか直接お話しする日が来るなんて思わなかったもの」

 頼みの綱であるマリーでさえ、美しい銀髪をかき上げながら、引きつった笑いを浮かべている。

「マ、マリー姉ぇ……私、お腹痛くなってきた……ノアがいれば治してもらえるのに……」

 クロエに至っては、水色の髪を振り乱して完全に涙目になっていた。

 そんなガチガチに緊張しきったフラリス組に対し、エルフの戦士であるグレンは腕を組んでカラカラと笑っていた。

「お前ら、ガチガチすぎだろ! 」

「グレンさんは緊張しないんですか?」

 セラが落ち着かないソワソワした様子で尋ねる。

「まぁ、いきなり王様に会うなんて急展開で俺も戸惑っちゃいるが……一応、俺もエルフの国じゃ『深緑の幻樹騎士団』の副団長を任されてる身だからな。他国の王様に会うくらいで気後れはしねぇよ。俺たち冒険者は普段のままでいいだろ?」

 堂々と言い放つグレン。その隣では、全く空気を読まない者たちが約二名ほど存在していた。

「セバスー! お城のご飯、楽しみだなー! アタイ、昨日よりでっかいお肉が食べたいぞ!」

「ええ、ミーア様。ジャスティアは武勇の国ゆえ、猪や竜種の豪快な肉料理が振る舞われることでしょう。マナーの復習はよろしいですかな?」

「おー! 丸呑みしない! 骨はちゃんと残す!」

「……合格点としておきましょう」

 ふさふさの尻尾を揺らして肉の妄想に涎を垂らすミーアと、どこまでも完璧な所作で微笑む初老の執事セバス。彼らにとって、これから向かう先が王城だろうと、いつもの日常の延長でしかないらしい。

「みんな、そんなに緊張しないで。ジャスティアの王様は、とっても話のわかる良い方なんだから」

 鈴を転がすような声と共に、クスクスと笑い声が響いた。

 そこには、冒険者『ユリ』の装いとは全く違う、一国の王女としての威厳と気品に満ちた豪奢なドレスに身を包むリリィの姿があった。

 セバスがこの事態を見越して密かに手配していたものだというが、薄いピンク色の髪を結い上げ、背筋をピンと伸ばした彼女の姿は、セラたちが知るお転婆な少女と同一人物とは思えないほど神々しい。

「と、とてもそんな風には思えませんけど……。力と武勇がすべての国の王様ですよ? 気に食わなかったらその場で斬り捨てられそうで……」

 クロエが不安げに呟くと、リリィは悪戯っぽくウインクをして見せた。

「大丈夫よ。私に任せておきなさい」

 やがて馬車は王城の正門に到着した。

 リリィが窓からフラリス王家の『翡翠の紋章』を提示すると、屈強な門番たちは一瞬で顔色を変え、慌てて道を開けた。

 案内されたのは、王城の最奥に位置する謁見の間。

 天井まで届く巨大な真紅の柱が何本も並び、壁には歴代の王たちが討ち取ってきた巨大な魔獣の首の剥製や、無骨な武具がズラリと飾られている。そして部屋の両脇には、百戦錬磨の『暁光の勇剣騎士団』の精鋭たちが、微動だにせず立ち並んでいた。

 その最奥、大階段の上に据えられた黄金の玉座。

 そこに座していたのは、まるで年老いた獅子を思わせるような、筋骨隆々の巨大な体躯を持つ初老の男――ジャスティア国王その人だった。

 顔には無数の歴戦の傷跡が刻まれ、その鋭い眼光は、放たれるだけでセラたちの息を止めさせるほどの凄まじい覇気を帯びている。

「……フラリス王国の王女がお忍びで参ったと聞いたが」

 腹の底を震わせるような、地響きに似た低い声。

 セラ、マリー、クロエの三人は、その圧倒的な武王のプレッシャーの前に、思わず片膝をついて押し潰されそうになった。グレンだけは涼しい顔で立っていたが、それでも王の放つ覇気には内心で感心していた。

 だが、リリィは一切の臆病風を吹かせることなく、優雅な足取りで玉座の前へと進み出た。

 そして、両手でドレスの裾をふわりとつまみ、この上なく美しく完璧なカーテシー(臣従の礼)を行ってみせた。

「突然の訪問、お許しくださいませ。フラリス王国王女、リリィ・フラリスにございます。……ご無沙汰しております、国王陛下」

 凜と響き渡る少女の声。

 その直後だった。

 玉座に座る獅子のようなジャスティア王の表情が、ピクリと動いたかと思うと――。

「おおおおおおおっ!! リリィちゃん!! 大きくなったなぁぁぁ!!」

 先程までの威圧感はどこへやら。王の顔が一瞬にしてデロデロに崩れ、顔を真っ赤にして満面の笑みを浮かべたのだ。

「「「「……えっ?」」」」

 セラたちは、あまりの急展開に全員で間抜けな声を揃えてしまった。

 王は玉座から立ち上がると、重い足音を響かせながらドスドスと階段を駆け下り、リリィの前で大きな体を丸めるようにしてしゃがみ込んだ。

「いやあ、よく来てくれた! 最後に会った時はまだこんなに小さくて、ワシの膝の上で遊んでいたというのに! フラリスの親父殿は元気か? 全く、あいつはこんな可愛い娘を放っておいて何を考えておるのだ!」

「ふふっ、お父様も相変わらず元気ですよ。国王陛下も、お変わりなくお元気そうで何よりです」

「陛下なんて堅苦しい呼び方はいい! 昔みたいに『おじ様』と呼んでおくれ!」

 完全なる『親バカ』――いや、他国の王女を自分の娘や孫のように溺愛する、ただの好々爺がそこにいた。

「……マリー姉ぇ。ジャスティアの王様って、あんな感じなの?」

「……知らないわよ。アタシたちの常識が音を立てて崩れていくわね……」

 クロエとマリーが、背後でヒソヒソと顔を見合わせる。

 ひとしきりリリィの成長を喜び、目尻を下げていた王だったが、やがてその後ろに控えるセラたちへと視線を移した。

「……して、リリィちゃん。その後ろの者たちが、此度の旅の供というわけか?」

 王の目が細められる。

 先程までの好々爺の顔から一転、一国の武を束ねる者としての鋭い視線がセラたちを射抜いた。

「ふむ。エルフの戦士に、凄腕の執事と獣人の娘。……そして」

 王の視線が、マリーとクロエ、そしてセラでピタリと止まった。

「フラリスのSランクパーティー【正義の剣】の『風刃』のマリーに、天才魔術師のクロエだな。……そして、そこの黒髪の少年。お前が、魔力を持たない異端の剣士、セラか」

「えっ……どうして、僕たちのことを……」

 セラが驚いて目を丸くすると、王は豪快に鼻を鳴らした。

「我が国は武を重んじる。他国の強者の噂くらい、とうに耳に入っておるわ。しかし、なぜフラリスの期待を背負うSランクのお前たちがパーティーを離れ、リリィちゃんの護衛をしている?」

 鋭い追及に空気が張り詰める中、リリィがスッとセラたちの前に立ち塞がるようにして告げた。

「おじ様、彼らは私の護衛ではなく、大切な仲間です」

 リリィは真っ直ぐに王の目を見据える。

「私がお忍びで旅に出た時、偶然出会い、共に旅をすることになりました。彼らは私の意思を尊重し、助けてくれる……かけがえのない仲間なのです」

 堂々と宣言するリリィの言葉に、セラたちの胸が温かくなる。

「今、私は世界を救うための『聖剣』の手がかりを探して、旅をしております。このまま獣人の国……獣都レグルスへ向かいたいのです。どうか、ジャスティア王国の通行許可と、情報収集のお許しをいただけないでしょうか」

 懇願するリリィ。

 王はしばらくの間、彼女の真剣な瞳と、その後ろで彼女を支えるように立つセラたちを交互に見つめていた。

 やがて、王はフッと口角を上げ、再び豪快な笑い声を謁見の間に響かせた。

「ガッハッハ! よい覚悟だ、リリィちゃん! お前さんの頼みとあらば、この国のどこをどう調べてもらっても構わん! 獣都レグルスへの通行許可証も、特別に最上級のものをすぐに手配させよう!」

「ありがとうございます、おじ様!」

 リリィが満面の笑顔を向けると、王は嬉しそうに目を細め、ドンッと自身の厚い胸板を叩いた。

「だが、せっかく我が国へ来てくれたのだ。急ぎの旅であろうが、今夜だけは城で歓迎の宴を開かせてくれ! リリィちゃんの冒険譚を、ワシにも聞かせてほしい!」

「宴! お肉だ! やったー!!」

 空気を読まないミーアの歓声が響き、セバスが静かに微笑み、グレンも「こりゃ美味い酒が飲めそうだな!」と笑う。

 胃が縮むような極度の緊張から一転、事態は嘘のように和やかな歓迎モードへと変わっていた。

 セラはホッと肩の力を抜きながら、改めてリリィの背中を見つめる。

(ユリは、本当にすごいな)

 ただ守られるだけの王女ではない。自らの足で歩き、交渉し、道を切り開いていく強さ。

 獣人の国レグルスへの強力な通行許可と、この国での温かい後ろ盾を手に入れた一行。

 熱き戦士たちの国での予想外に温かい夜が、彼らのこれからの過酷な旅路へ向けた、束の間の休息として幕を開けたのだった。


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