第84話 暁の都ソラリス
フラリス王国の隣国であり、友好国として知られるジャスティア王国。
その首都『暁の都ソラリス』は、熱気と活気に満ちた大都市だった。建物の多くは太陽の光を思わせる暖色の赤レンガで統一されており、大通りには武具屋や巨大な闘技場が立ち並んでいる。
夕刻を過ぎた今、街のあちこちから香ばしく焼かれた肉の匂いと、強いスパイスの香りが漂い、一日の鍛錬や仕事を終えた戦士たちの豪快な笑い声が夜空に響き渡っていた。
セラたち一行が腰を下ろした宿屋の広々とした食堂もまた、そんなソラリスの熱気をそのまま凝縮したような賑わいを見せていた。
「うぉーっ! アタイ、この街サイコーに気に入ったぞ! この骨付き肉、めちゃくちゃデカくて美味ぇ!」
自分の顔よりも大きな肉の塊に齧りつきながら、淡い紫色の猫耳をピコピコと嬉しそうに揺らしているのはミーアだ。その傍らには、すでにいくつもの空いた大皿が山のように積み重なっている。
「 全くだ! ジャスティアの飯はどれも豪快でいいな! 酒も最高に美味ぇぜ!」
エルフの戦士であるグレンも、その長身を揺らしながら、ジョッキになみなみと注がれた強いエールを水のように喉へ流し込んでいた。エルフといえば少食で果実や自然のものを好むという伝承を完全にぶち壊す、見事な呑みっぷりである。
「ちょっと二人とも、落ち着いて食べなさいよ。周りのお客さんが引いてるじゃないの」
呆れたようにため息をつきながら、マリーが手元のレイピアを椅子の横に立てかけつつたしなめる。
「セバスも、ミーアにそんなに次々と食べさせて大丈夫なの? お腹壊すわよ」
「マリー様、ご案じなく。ミーア様の胃袋は底なし沼のようなものでございますからな。それに、これからの長旅に備え、英気を養っていただくのも私の務めゆえ」
完璧な執事の所作で、次々と新しい肉料理をミーアの前にサーブしていくセバス。その口元には、孫娘を見守るような穏やかな笑みが浮かんでいた。
そんな騒がしいテーブルの反対側では、別の意味で賑やかな攻防が繰り広げられていた。
「あ、セラ! このスープ、すっごく魚介のダシが出てて美味しいよ! ほら、あーんしてあげる!」
「えっ!? あ、いや、クロエ、自分で食べるから大丈夫だよ……! スプーンこぼれそうだし!」
クロエが身を乗り出してセラの口元へスープを運ぼうとする。セラは顔を真っ赤にして後ずさり、必死に両手でガードしていた。
「もう、セラったら照れなくてもいいのにー! マリー姉ぇにはお世話焼かれるくせに、私には遠慮するんだから!」
「遠慮っていうか、ただ恥ずかしいだけで……っ!」
二人の微笑ましいやり取りを眺めながら、薄いピンク色の髪を揺らす少女――ユリは、上品にナイフとフォークを使いながら、クスクスと楽しそうに笑っていた。
「ふふっ、こうして美味しいご飯をみんなで囲めるのって、すごく幸せよね」
お転婆でありながらも、ふとした瞬間に見せるその食事の所作は、やはり隠しきれない気品に溢れていた。
だが、その『隠しきれない気品』が、思わぬ事態を引き起こすことになる。
「――失礼。そこの、薄桃色の髪の美しいお嬢様」
不意に、テーブルの横から深く、よく通る声がかけられた。
振り返ると、そこには白地に暁の太陽を意匠とした立派な鎧を纏う、一人の屈強な騎士が立っていた。彼が身につけているのは、この国の象徴である『暁光の勇剣騎士団』の制式装備だ。
「え……? 私、ですか?」
ユリが不思議そうに小首を傾げると、騎士の顔に驚愕の色が広がり、彼はその場でハッと息を呑んだ。
「その輝くような薄桃色の髪……そして、何よりもその高貴で慈愛に満ちたお顔立ち……! も、もしかして、フラリス王国の王女、リリィ・フラリス殿下ではございませんか!?」
ピタッ。
その言葉が響いた瞬間、テーブルを囲んでいた全員の動きが完全に停止した。
ミーアの口から肉がポロリと落ち、グレンのジョッキが宙で止まり、セラとクロエも目を丸くして固まる。
「え、えーと……人違いでは?」
ユリが引きつった笑顔で誤魔化そうとするが、義理人情と真っ直ぐさを重んじるジャスティアの騎士の目は誤魔化せなかった。
「いえ! 間違いございません! 以前、フラリス王国との親善式典の折、私は護衛任務として遠目ながらその輝かしいお姿を拝見いたしました。我が暁光の勇剣騎士団の誇りにかけて、見間違いなどあり得ません!」
騎士は感極まったように片膝をつき、周囲の視線を集めかねない勢いで深々と頭を下げた。
ここまできたら、もう隠し通すのは不可能だ。ユリは諦めたように小さくため息をつくと、それまでの「冒険者ユリ」の顔から、フラリス王女「リリィ」の気高く凜とした顔へとスッと表情を切り替えた。
「……ええ、その通りです。よく私のことを覚えていてくれましたね、勇敢なるジャスティアの騎士よ」
「ははっ! 光栄の極みに存じます!」
「でもね、聞いてちょうだい。今私達はお忍びで旅をしているの。大事な目的があってね。……だから、私がここにいることは、どうか秘密にしてくれないかしら?」
リリィは騎士の目を見つめ、唇に人差し指を当てて、可愛らしく、かつ王女としての威厳を持ってウィンクをして見せた。
その完璧な振る舞いに、情に厚いジャスティアの騎士は顔を真っ赤に染め、ドンッと胸を叩いた。
「ハッ! リリィ殿下のお忍びの旅! この胸に固く、墓場まで秘めておきます! どうか、我がジャスティア王国での旅が素晴らしいものとなりますよう!」
騎士は満足げに立ち上がると、再び深く一礼し、颯爽と食堂を去っていった。
――数十分後。
食事を早々に切り上げた一行は、借りていた宿の広い大部屋に全員で集まっていた。
「びっくりしたね……。まさか、ジャスティア王国に入って初日で王女ってバレるなんて」
セラが窓の隙間から外の様子をうかがいながら、冷や汗を拭う。
「ホントよ。というか、ユリ」
腕を組み、マリーが呆れ果てたようなジト目をリリィに向けた。
「街中でミーアがハンマーを振り回した時の騒ぎでも誰一人としてあなたの正体に気づかなかったのに……普通にご飯食べてるだけで身バレするって、どういう理屈よ」
「うっ……そ、それは……」
マリーの鋭すぎるツッコミに、リリィは図星を突かれたように目を泳がせた。
「そ、そう!式典の時は私、ずーっとお淑やかに座って微動だにしなかったから……逆に、あんな風に普通に上品にご飯を食べてる姿が、騎士さんの印象に強く残ってたんじゃないかしら? 」
「え?ちょっと意味がわからないんだけど」
「私も自分が何言ってるのか、わからなくなってきたわ!とにかく!私の気品は隠せるものじゃないってことよ!」
「自分で言うか、それを」
グレンが笑い飛ばす。
「まぁ、あの騎士の兄ちゃんは義理堅そうだから黙っててくれそうだけどよ。問題は、他にもお姫さんの顔を知ってる奴がいる可能性が高いってことだ」
「ええ。グレン殿の仰る通りでございます」
セバスが顎に手を当てて静かに頷いた。
「友好国とはいえ、フラリスの王女が護衛の騎士団もつけずに勝手にウロウロしていて、万が一のことがあれば、重大な国際問題になりかねません。このままコソコソと身を隠している方が、逆に怪しまれ、良からぬ疑いを招くやもしれませんな」
「じゃあ、どうするの? ここでの情報収取は諦める?」
クロエの問いに、リリィは少しの間考え込み……やがて、パチンと両手を打ち合わせた。
「いいえ、良く考えたらコソコソ隠れるより、堂々としていた方が手っ取り早いわね」
「堂々とするって……まさか、お姫さん」
グレンが目を見開く中、リリィは王女としての自信に満ちた笑みを浮かべた。
「ええ。明日の朝、国王陛下に、直接ご挨拶に伺いましょう! 友好国の王族として筋を通しておけば、この国での情報収集もずっと動きやすくなるはずだわ」
「こ、国王陛下に直接!?」
セラの驚きの声が、夜の宿屋の部屋に響き渡った。
思いがけない身バレから一転、彼らの旅は、一国の頂点に立つ王との謁見という、新たな局面へと転がり出そうとしていた。




