第83話 熱き戦士たちの国へ
フラリス王国東部の深い森を抜け、一行を乗せた大型の馬車は、よく舗装された街道を軽快な速度で南東へと進んでいた。
御者台で手綱を握る執事セバスの隣には、大きなあくびをしながら長い耳を掻くエルフの戦士グレンが座っている。広々とした客車内は、かつてないほどの賑やかさ――というより、心地よい喧騒に包まれていた。
「はい、セラ。このクッキー美味しいわよ、あーんして?」
「えっ、あ、ありがとうユリ。でも自分で食べられるよ……」
セラのすぐ隣の席をちゃっかりとキープしたユリが、薄いピンク色のウェーブヘアを揺らしながら、楽しそうに手作りクッキーを差し出している。その絶妙な距離感に、向かいの席からジト目を送っているのはクロエだった。
「ちょっとユリ! アタシのセラに何してんのよ!」
「アタシのって、セラは誰のものでもないわよ? それに、隣の席を先に確保したのは私なんだから」
余裕たっぷりなユリのからかいに図星を突かれ、クロエは水色のふわふわとした髪を振り乱して顔を真っ赤にした。
そしてたまらずガタッと立ち上がると、セラと馬車の壁の間にわずかに空いた隙間めがけて、強引にお尻をねじ込んできた。
「ちょ、ちょっとクロエ!? さすがにそこは狭いって!」
「ふんっ! アタシは細いからここでも平気なの! というか、ここがアタシの特等席なんだから!」
ミシッ、と窮屈な音を立てて強引に座り込んだクロエは、そのままセラの右腕にギュッと力強くしがみついて離れない。
再会を果たしてからというもの、クロエはセラがまたどこかへ消えてしまうのではないかと不安なのか、隙あらばこうしてくっついてくるようになっていた。
「わっ……クロエ、いきなり抱きついてこないでよ、腕が苦しい……!」
「うふふ、クロエってば本当に子供みたいね。じゃあ、私も!」
そう言うと、ユリもセラの左腕にギュッと抱きついた。
「あ! ちょっと!」
「なぁに? クロエもしてるし、良いわよね?」
「むーっ!」
不満気な表情でしがみつくクロエと、クスクスと小悪魔的に笑うユリ。二人に完全にサンドイッチされ、セラは身動きが取れないまま苦笑するしかなかった。
「クロエ、あまりセラを困らせないの。ユリも、からかうのはその辺にしてあげて。馬車の中で暴れると危ないわよ」
向かいの席から呆れたようにたしなめるマリーの表情も、口調とは裏腹にとても穏やかだ。窓からの風が、彼女の腰まである美しい銀髪を心地よく揺らしている。
「おーい! アタイは腹が減ったぞ! セバスー、次の街はまだかー! 肉! 早く分厚い肉が食いたいぞ!」
マリーの隣では、淡い紫色の髪の間から猫耳をピンと立てたミーアが、バタバタと短い足を揺らして抗議の声を上げている。
「ミーア様、もうしばらくの辛抱でございます。日の高いうちには、国境を越えられるかと」
御者台からセバスの落ち着いた声が返ってくると、ミーアは「むーっ」とクロエと同じように不満げな声を漏らした。
総勢七名となった、新しいパーティー。
かつての仲間であるマリーとクロエに、命の恩人であるユリ、セバス、ミーア、そしてエルフの国で出会った気さくな戦士グレン。種族も経歴もバラバラな彼らだが、不思議なほどに息が合い、馬車の中は常に温かい笑い声で満ちていた。
セラは両腕をホールドされたまま、窓の外へと視線を向ける。
(……パーティーから外されて、全部失って一人ぼっちになったと思ってたのに。こんなに温かい場所に、またいられるなんてな)
セバスから借り受けた鋼の長剣が、腰元でカチャリと鳴る。
クリスへの複雑な思いや過去が消えたわけではない。だが、今はただ、この騒がしくて優しい仲間たちと共に前へ進むと決めていた。
「さて、そろそろ次の目的地の確認をしておきましょうか」
マリーがパンッと軽く手を叩き、全員の視線を集めた。
「私たちが次に向かうのは、大陸のさらに南東……広大な大地と本能に従う多様な種族が住まう、獣人の国。首都の『獣都レグルス』よ」
「お! アタイの産まれた国だー!」
ミーアが嬉しそうにふさふさの尻尾をパタパタと振る。
「エルフの国で教えてもらった『聖剣』の伝承と情報だけど、詳細はわからないから、獣都レグルスでの情報収集が必要ね」
「でも、獣人の国まで行くには、どうしても隣の国を横断しないといけないんだよね」
セラが手元の地図を指差すると、御者台のグレンが肩越しに顔を出した。
「おうよ。フラリス王国の友好国でもある隣国、『ジャスティア王国』だな」
「ジャスティア王国……」
「あそこは血気盛んで情に厚い、義理と人情を重んじる熱き戦士たちの国だぜ。エルフの森みたいな静かな場所とは真逆の、年中お祭り騒ぎみたいな国さ。冒険者や傭兵もウヨウヨしてるから、退屈はしねぇと思うぞ!」
グレンの楽しそうな説明に、セラは少し圧倒されたように苦笑した。
「……なんだか、すごく熱量の高そうな国ですね」
「ふふっ、セラには少し騒がしすぎるかしら? でも、活気があって美味しいものもたくさんある良いところよ!」
ユリが明るくフォローするが、その直後、マリーは僅かに表情を引き締めた。
(……とはいえ、油断はできないわね。私たち全員が正体を知っているとはいえ、彼女はフラリス王国の『リリィ王女殿下』なのだから。身分を隠したお忍びの旅の最中に、もしジャスティア王国で騒ぎになれば、面倒な外交問題になりかねないわ。私たちがしっかりお守りしないと)
マリーは密かに気を引き締め、いざという時にユリのサポートへ回れるよう覚悟を決めた。
――数時間後。
馬車は無事に国境の検問を抜け、ジャスティア王国の首都、『暁の都ソラリス』へと到着した。
巨大な城門をくぐった瞬間、セラたちは圧倒的な熱気と喧騒に包み込まれた。
街の建物はフラリス王国のような洗練された石造りとは違い、無骨で力強い堅牢な造りが多い。大通りには夜明けの太陽を思わせる暁色の旗があちこちに掲げられ、行き交う人々の活気は、あの冒険者の街トーファスをさらに数倍熱くしたような凄まじさだった。
あちらこちらの広場からは、鍛錬のために剣を打ち合わせる乾いた金属音や、気合いの入った怒号、そして肉を豪快に焼くスパイスの香りが絶え間なく押し寄せてくる。
「す、すごい活気だね……! みんな、そこら中で手合わせしてるよ」
馬車から降りたセラが、目を丸くして周囲を見渡す。
「ここでは力と武勇が何よりも尊敬されるのよ。この国の騎士団である『暁光の勇剣騎士団』も、情に厚く勇猛果敢なことで有名だわ」
マリーが周囲を警戒しつつ解説する。
「にゃはは! 肉を焼くいい匂いがするぞ! セラー! あっちの屋台に行こうぜ!」
「わっ、ちょっとミーア、引っ張らないで!」
ミーアに腕を引かれ、セラが屋台の方へよろめいた、その時だった。
ドンッ! と、前方から歩いてきた筋骨隆々の戦士風の男が、わざとらしくセラに肩をぶつけてきた。
普通なら弾き飛ばされるほどの強い衝撃だったが、セラは日々の過酷な旅で培った持ち前の体幹とバランス感覚でピクリとも動かず、その場に留まった。
「……いてぇな。おい、よそ者か? ジャスティアの戦士にぶつかっておいて、ただで済むと思ってんのか?」
男がニヤニヤと笑いながら、腰の大剣に手をかける。明らかな因縁、強者ぶりを誇示するための洗礼だ。
「あ、すみません。怪我はありませんか?」
だがセラは、溢れ出る男の殺気などそよ風程度にしか感じておらず、全く敵意を見せない穏やかな笑顔で頭を下げた。
「はぁ? 謝って済む問題じゃ……」
「おいおい、ジャスティアの戦士様が、こんな細っこい兄ちゃん相手に随分とケチくせぇ絡み方をするじゃねぇか」
男の言葉を遮るように、長槍を肩に担いだグレンが一歩前に出た。その長身とエルフ特有の冷たい眼光に、男がわずかに怯む。
「なんだテメェ! エルフが人間の街でデカい顔すんじゃねぇぞ!」
「ガタガタうるせぇな。力がすべての国なんだろ? だったら――」
ズンッ!!
グレンが言い終わるより早く、ミーアが自身の身長の三倍近い巨大な戦鎚を背中から抜き放ち、男の目の前の石畳に軽々と叩きつけた。
凄まじい地響きと共に、硬い石畳がクレーターのように深く陥没し、周囲に細かい破片が弾け飛ぶ。男の顔から一瞬にして血の気が引いた。
「なんだお前、アタイのセラにいちゃもんつける気か!? アタイが相手になってやるぞ!」
「ひっ……! バ、バケモノ……ッ!」
小さな幼女が振り回す規格外の暴力に、戦士の男は情けない悲鳴を上げ、腰を抜かさんばかりの勢いで一目散に逃げ出していった。
「あーあ、逃げちった。つまんねーの」
ミーアが不満げに巨大なハンマーを背負い直す。
その信じられない光景を目の当たりにして、マリー、クロエ、そしてグレンの三人は完全に言葉を失い、石像のように固まっていた。
「お、おいおい……冗談だろ……!?」
最初に沈黙を破ったのは、エルフの戦士であるグレンだった。
数多の死線を潜り抜け、強者を見てきた彼でさえ、今の光景は規格外すぎた。
「何をデカいもん背負ってるのかと思ってたが……まさか、あんなバカでかいハンマーとは……エルフとして、それなりに生きてきたが、あんなデタラメな腕力を持つ奴は見たことねぇぞ! こんな小さな身体のどこに、あんなバケモノみたいな力が隠れてるってんだよ……! 物理法則をガン無視してやがる……俺の槍のフルスイングより重いんじゃねぇか……!?」
グレンは引きつった笑いを浮かべながら、ミーアの細い腕と巨大なハンマーを交互に見比べて目をひん剥いている。
「う、うそ……ありえない……」
クロエもまた両手で口を覆って絶句していた。
「魔力による身体強化の兆候なんて、これっぽっちもなかった……! 純粋な物理の力だけで、石畳をあそこまで粉砕するなんて……私の爆発魔法でも、あんな大穴はなかなか空かないよ!? あの子、一体何者なの!?」
天才魔術師としての常識が根底から覆され、クロエの大きな瞳はパニックでぐるぐると回っている。
そして、お姉さん的存在であるマリーも、今回ばかりは目を丸くして唖然としていた。だが、彼女の驚きはすぐに別の現実的な問題への『懸念』へとスライドしていく。
「ちょっと……信じられない怪力ね。でも、それより……」
マリーは深いため息を吐き出した。
「ただでさえ私たちは目立つ大所帯だって言うのに、こんな街のど真ん中で派手に暴れて……衛兵がすっ飛んできたらどうするのよ。入国早々、捕まったりしたら目も当てられないわ。大事にならないといいけど……」
マリーは眉をひそめて周囲を見回す。
しかし、そんなマリーの切実な心配を他所に、ユリはケラケラと明るく笑い飛ばした。
「あはははっ! 大丈夫大丈夫、マリー! 気にしすぎよ!」
「気にしすぎって……これのどこが大丈夫なんですか!?」
「だって、ここは熱き戦士たちの国だもの! 売られた喧嘩を力で跳ね返すくらい、彼らにとっては日常茶飯事の挨拶みたいなものよ。その証拠に、見てみて」
そう言うと、ユリはマリーに周りを見るよう促した。
ミーアの一撃の直後は若干ざわついていた周囲の人々も、今は何事もなかったかのような日常に戻っている。
「……ウソでしょ、あんなに派手に暴れたのに」
その光景にマリーが絶句する。
「ね、大丈夫でしょ! それに、向こうが先に手を出そうとしてきたんだし、これくらい派手に実力を見せつけておいた方が、次から変な輩に絡まれなくて済むわ!」
ユリは全く気にした様子もなく、むしろ「これでスッキリした!」と言わんばかりのあっけらかんとした笑顔を浮かべている。
その隣で、初老の執事セバスも「お嬢様の仰る通り、見事な一撃でございましたな」と涼しい顔で頷いていた。
「もう、ミーアったら。壊しちゃダメでしょ?」
ユリがクスクスと笑いながら、呆れたようにミーアの頭を撫でる。
「えへへ〜、ごめんなさいだぞ!」とミーアは尻尾を揺らして嬉しそうに笑った。
そのあまりにもマイペースで大物感漂う主従のやり取りを見て、マリーは毒気を抜かれたように小さく息を吐き、呆れ交じりに微笑んだ。
「ふふっ。でも、そうね、ユリの言う通りこれで絡まれる心配はなさそうね。さぁ、まずは宿を確保しましょうか。長旅になるわよ、セラ」
マリーが微笑みかけ、これまで唖然と見守っていたセラも力強く頷いた。
「うん! 行こう、みんな!」
熱き戦士たちの国、ジャスティア。
獣都レグルスへの道程となるこの暁の都で、新たな冒険の幕が騒がしく、そして力強く上がったのだった。




