第78話 夜風と星明かりの語らい
エルフの国『翠都エレンディル』。最長老の計らいにより、世界樹の太い枝葉に抱かれるように作られた迎賓の館が、セラたち一行の今宵の宿として提供された。
木や蔓の自然な曲線をそのまま活かしたような神秘的な広間では、豪勢なエルフの果実酒や色鮮やかな山の幸が並べられ、賑やかな宴が開かれていた。
「ハハハ! ミーア、お前人間(獣人だけど)のくせにすっげぇ食うな! ほら、俺の獲った特大の猪肉も食え!」
「肉だ肉ー! エルフの国の肉も美味いぞー! グレン! もっと寄越せー!」
「こらミーア、はしたないですよ。グレン殿も、あまり煽らないでいただきたい」
豪快に笑うグレンと食欲全開のミーアが大騒ぎし、セバスが呆れ半分にため息をつきながらも、なぜか完璧な手つきで二人に給仕をしている。その横では、クロエがマリーにべったりとくっつきながら、シーレインからここへ辿り着くまでの道中の苦労話に花を咲かせていた。
そんな温かい喧騒から少し離れるように、セラは一人、広間を抜けて広々とした木造のバルコニーへと足を踏み出した。
「……すごいな」
夜の翠都エレンディルは、息を呑むほど幻想的だった。
無数の青白い発光苔や、大気中に溶け込んだ魔力を帯びた淡い光の粒子が、まるで無数の蛍のように宙を舞っている。天を衝く世界樹の葉が月光を反射し、星空と森が完全に一体化したかのような、人間の国では決して見られない圧倒的な景色が広がっていた。
心地よい、少しひんやりとした夜風に黒髪を揺らしていると、背後から微かな衣擦れの音が聞こえた。
「セラ」
振り返ると、そこには薄いピンク色の髪を風になびかせたユリが、二つの木製のグラスを手に微笑んで立っていた。
「ユリ。……みんなとの話はいいの?」
「んー、ミーアとグレンが大食い競争始めちゃってね。お転婆な子守りはセバスとマリーに任せて、こっそり逃げてきちゃった」
ユリは悪戯っぽく可憐なウインクをすると、セラの隣に並んで立ち、エルフ特製の甘い果実水が入ったグラスを一つ手渡した。
「お疲れ様。セラも、ちょっと人疲れしちゃった?」
「いや……そういうわけじゃないんだけど。なんだか、急に大所帯になったなって思って。ちょっと前までは、一人ぼっちだったのに」
「ふふっ、そうね。でも、すごく賑やかでいいじゃない。セラの昔の仲間たちも、みんないい人たちばかりね」
バルコニーの手すりに寄りかかりながら、ユリは真っ直ぐに夜空を見上げた。
「……それにしても、驚いたな。ユリが、フラリス王国の王女様だったなんて」
セラがふと穏やかな口調でそう言うと、ユリは少しだけ肩をビクッと震わせ、不安そうに目を伏せた。
「……怒ってる? ずっと、身分を黙ってたこと」
「ううん、全然。色々と事情があったんだろうし。それに……王国の『リリィ王女殿下』でも、冒険者の『ユリ』でも、君は君だから。僕にとっては、絶望から救ってくれた大切な仲間だよ。だから、これからも何も気にしないよ」
セラの曇りのない、真っ直ぐで温かい言葉。
それを聞いたユリの瞳がわずかに見開かれ、やがて、堪えきれないようにふわりと優しい笑顔が咲いた。
「……私ね、あの真っ暗な地下迷宮の底でセラを拾った時、この人は一人で重いものを背負いすぎてるって思ったの」
「え……」
「でも、違ったわ。セラが優しくて、温かいから……みんなあなたの力になりたくて、自然と集まってくるのね。マリーも、クロエも……それに、出会ったばかりのグレンだってそう。みんな、セラのことが大好きなんだわ」
ユリは横顔を向け、少しだけ背伸びをするようにして、セラの薄い茶色の瞳を下から覗き込んだ。
その距離は、普段の仲間としての距離感よりも、ずっと近い。
夜の淡い光に照らされたユリの瞳が、宝石のようにキラキラと潤んで輝いていた。
「……僕が優しいわけじゃないよ。僕がみんなに助けられてるだけだ。ユリにも、命を救ってもらったし……こうして聖剣探しの旅にだって、僕が無理を言ってついてきちゃったんだから」
「もう……本当に、あなたって人は。謙虚なのは美徳かもしれないけれど、度が過ぎれば卑屈になっちゃうわ。もちろん、自信が過ぎて傲慢になるのもダメだけどね。……まぁ、あなたのそういう不器用なところも、放っておけないんだけど」
ユリはクスリと笑うと、コツン、とセラの肩に小さく自分の頭を預けてきた。
「……ユ、ユリ?」
急に触れた華奢な温もりに、セラは心臓がドクンと跳ね、身体を強張らせる。
「ちょっとだけ、このままでいさせて。……こうしていると、なんだかすごく安心するの。セラがちゃんと無事で、ここにいてくれて……本当に良かった」
鈴を転がすような優しい声が、夜風に溶ける。セラの鼻先に、ユリの髪からふわりと甘い花の香りが漂った。
胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、セラは不器用な手つきで、そっと彼女の小さな肩を抱き寄せた。
二人は言葉を交わすことなく、ただ静かに、互いの鼓動を感じながらエルフの国の美しい星空をいつまでも見上げていた。
***
やがて宴がお開きになり、それぞれがあてがわれた客室へと戻った後のこと。
セラの部屋の扉が、コンコンと控えめにノックされた。
「セラ、起きてる?」
「マリー? クロエも……起きてるよ、入って」
扉を開けて入ってきたのは、どこか思い詰めたような真剣な顔をしたマリーと、その後ろに隠れるようにしているクロエだった。
セラがベッドの端に腰掛けるよう促すと、二人は並んで座った。
「……二人とも、どうしたの? わざわざ僕の部屋に」
セラが問いかけると、マリーは静かに息を吐き、セラの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「セラ。……色々と、ちゃんと話しておかなくちゃいけないと思って。アタシたちが、ここへ来た理由をね」
その言葉に、セラの表情も自然と引き締まる。
「うん。僕も、ずっと聞きたかったんだ。……あの日、僕が崖から落ちた後、何があったの?」
「アタシとクロエ、それにシグマ達も、あなたがクリスと……剣を交えて、落ちていくところを見たわ。間に合わなかったの」
マリーの言葉に、セラは小さく息を呑む。
「あの時のクリスは……本当に、魂が抜け落ちたみたいにボロボロになって泣いていたわ。自分が親友を殺したと思い込んで、壊れてしまいそうだった」
「クリスが……」
セラの胸がギリッと締め付けられる。
自分が彼を追い詰めた。お互いの「正義」がすれ違い、あんな最悪の結末を迎えてしまった。
「私達は村の瓦礫からあなたを探したけど、痕跡は何もなかった。だから、絶対にあなたが生きていると信じて、探しに行くって決めたの」
「マリー……ありがとう。でも、じゃあなんでクロエまでここに? クロエは騎士団に……クリスのそばにいてあげなくちゃいけなかったんじゃ……」
セラが不思議そうにクロエに視線を向けると、クロエはギュッと自分の膝を握りしめ、ポロポロと涙をこぼし始めた。
「私……私だって、セラのことが心配だったんだもん……っ! セラが死んじゃったかもしれないって思ったら、騎士団の任務なんて……息が詰まって、狂いそうだった……!」
「クロエ……」
「ノアがね、言ってくれたの。私が限界だって気づいて……『セラを探しに行きなさい』って」
マリーが優しくクロエの背中を撫でながら、言葉を引き取る。
「ノアの提案で、クロエは騎士団を一時的な『休暇扱い』として、アタシに同行することをクリスが許可してくれたのよ。だから、クロエは今も蒼天の天秤騎士団の一員よ」
「……そうだったんだ。クリスが、許可を……」
セラは深く頷き、クロエの頭を優しく撫でた。
「クロエ、心配かけてごめんね。探してくれて、本当にありがとう」
「うぇぇん……セラぁぁ……っ!」
クロエはたまらずセラに抱きつき、子供のように泣きじゃくった。
「でも、セラ。……一つだけ、覚悟しておいてほしいの」
マリーの声が、一段と低くなる。
「すべては、アタシがあなたを匿っていた村の名前をクリスに隠していたから起きた悲劇よ。……クリスは今、自分があなたを殺したという『罪』を一人で背負って、完全に心を殺して修羅の道を歩んでいるわ。私達と別れた時、あの人はまるで氷のように冷たかった。……きっと今も、誰にも頼らず、危うい正義を掲げて騎士団の血生臭い任務に身を投じているはずよ。……このままじゃ、いつかクリスは本当に壊れてしまう」
「…………」
セラの握りしめた拳に、強い力がこもる。
「そんなこと、させない。……僕が、絶対に止める。聖剣を見つけて、今度こそ僕の言葉で……クリスに追いついてみせる!」
セラの迷いのない力強い宣言に、マリーはフッと安堵の微笑みを漏らし、クロエも涙を拭って笑顔を見せた。
彼らの絆は、過去の傷を乗り越え、再び強く、決して切れない糸で結びついたのだった。




