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第76話 深緑の再会

 水晶のように透き通った地底湖が広がる絶対の聖域――世界樹の胎内で聖剣に触れてから、数日の時間が流れていた。

 セラは翠都エレンディルの奥深くにある大書庫で、うずたかく積まれた古い羊皮紙や石板と睨み合い、静かに息を吐いた。

 五大老の最長老から特別に許可を得て、エルフの国に伝わる『他の聖剣』の伝承を調べさせてもらっているのだ。

 だが、調査は難航していた。エルフの古い記録の大半は、人間界ではとうの昔に失われた難解な古代エルフ語で記されている。ミオに少しだけ教わった古代語の知識を総動員しても、セラの学力では解読に限界があった。

(これじゃ、全然進まないな……)

 セラは疲れた目をこすり、窓の外を見やった。

 木漏れ日が降り注ぐ美しいエルフの街。ここで過ごした数日間、彼は焦りを感じながらも、不思議と心は落ち着いていた。

 聖剣に『お前には別の運命の剣がある』と告げられたことで、自分自身の進むべき道への迷いが完全に吹っ切れたからだ。

 ただ、このまま時間をかけていては、恩人であるユリたちとの合流が遅れてしまう。

(……仕方ない。五大老の長老たちか、グレンさんに解読をお願いしてみよう)

 セラは特に聖剣の記述がありそうな数枚の羊皮紙を抱え、大書庫を後にした。

 向かう先は、世界樹の根本にある巨大な議事堂だ。


 ***


 その頃。

 五大老が座する議事堂の広間は、かつてないほどの緊張とざわめきに包まれていた。

 数十年もの間、固く閉ざされていたエルフの結界。その奥深くに、人間の使者が足を踏み入れたからだ。

 広間の中央に立つのは、フラリス王国の王女たる身分を隠し、冒険者『ユリ・クリード』として旅をするピンク色の髪の少女、リリィ・フラリス。

 その傍らには、完璧な所作で控える初老の執事セバスと、興味深そうにキョロキョロと辺りを見回す猫耳の獣人ミーア。

 そして、ユリの背後には、美しい銀色のロングヘアーを揺らすマリーと、水色のふわふわとした髪の魔術師クロエが、極度の緊張を隠せない面持ちで並んで立っていた。

「……フラリス王国の王女殿下が、自らこの翠都へ足を運ばれるとはな。して、我がエレンディルに何の用件じゃ?」

 最長老が、玉座から静かに、しかし威厳に満ちた声で問う。

 ユリは一歩前に出ると、凛とした声で応じた。

「突然の訪問をお許しください、最長老様。私は今日、フラリスの王族としてではなく、一人の冒険者として……大切な『仲間』を探しに参りました」

「仲間、とな?」

「はい。数日前、この森に向かった黒髪の少年です。彼がこの国に向かったと聞き、急ぎ追いかけてまいりました」

 その言葉に、最長老をはじめとする五大老たちが顔を見合わせる。

 傍らの壁に寄りかかっていたグレンが、「なるほどな」とニヤリと笑った。

「セラは王女様のお気に入りだったってわけか。道理でとんでもねぇ器を持ってるはずだぜ」

「あなた、セラのことを知っているのですね!? セラは今、どこに!?」

 ユリが弾かれたように問い詰めた、まさにその時だった。

「あの、最長老様。この記録なんですが、古代語が難しくて――」

 ギィィ、と重厚な扉が開き、古い羊皮紙を抱えた黒髪の少年が、ひょっこりと広間へ顔を出した。

 セラの足が、ピタリと止まる。

「え……?」

 広間の中央。

 そこに立っていたのは、すでに懐かしささえ感じる、自分にとってかけがえのない人たちの姿だった。

 ピンク色の髪の少女と真っ直ぐに目が合う。

「……ユリ?」

 セラが信じられないというように呟くと、ユリはふわりと駆け出し、セラの胸に飛び込んだ。あの日、薄暗い地下迷宮で命を繋ぎ止めてくれた彼女は変わらず、優しくて太陽のような笑顔を咲かせる。

「セラ、無事に会えてよかった」

「ユリも元気そうでよかった……こんな森の奥まで、来てくれたんだね」

「当然よ。約束、忘れたわけじゃないでしょう? セラ」

「もちろんだよ、シーレインで待ち合わせてたのに、ゴメン」

「うぅん、いいの。私達のために進んでくれてたんでしょ、ありがとう」

 アンバーガルドの夕陽の下で交わした、対等な仲間としての再会の約束。

 それを果たせた喜びに、セラの胸が温かく満たされていく。

「……ありがとう、ユリ」

 二人が再会の喜びを噛み締めた、その直後だった。

 ユリの背後に立っていた二人の女性が、たまらず前へと進み出た。

「……セラ……ッ!」

 クロエの瞳から、一瞬にして大粒の涙が溢れ出した。

 マリーも言葉を失い、その場に立ち尽くしている。

 燃え盛る陽だまりの村で、胸から血を流しながら決して生きては戻れないであろう暗黒の奈落へと落ちていった少年の姿。それが網膜に焼き付いて離れなかった彼女たちにとって、今、目の前で怪我一つなく、確かに息をして立っている彼は、この世で最も尊い『奇跡』そのものだった。

「マリー……! クロエ……っ!」

 セラが駆け出す。

 再会を果たすまで、互いにどれほどの苦しみと絶望があっただろうか。

 クロエは愛用の杖を床に放り出し、子供のように声を上げてセラの胸へと飛び込んだ。マリーも堪えきれずにレイピアを手放し、二人を包み込むように強く抱きしめる。

「うわぁぁぁぁんっ! セラぁぁぁっ! 生きてたっ……生きてたよぉぉっ!!」

「バカっ……本当に、バカなんだから……ッ! すごく心配したのよ……っ」

「ごめん、ごめんよ……二人とも。僕のために、こんな遠くまで探してくれたんだね……」

 クロエがセラの胸に顔を埋めて泣きじゃくり、冷静沈着なマリーでさえ、セラの背中に顔を押し当てて嗚咽を漏らしている。

 ユリは一歩下がり、その光景を潤んだ瞳で優しく見守っていた。

 エルフの五大老たちも、種族の壁を越えたその深い絆の再会に、誰も口を挟むことなく静かに目を細めている。

「……これは、想像以上に深い絆のようじゃな。お前さん、本当に恵まれておるわい」

 最長老が温かな声をかけ、グレンも「やれやれ、人間ってのは熱すぎるぜ」と肩をすくめて笑った。

 やがて、ひとしきり涙を流したマリーが、ゆっくりとセラから身体を離した。

 彼女は袖で乱暴に涙を拭うと、いつも通りの――いや、かつて【正義の剣】のサブリーダーとして彼を導いていた時の、真っ直ぐで力強い瞳でセラを見つめた。

「……セラ。生きていてくれて、本当にありがとう。でも……私達は、ただ再会を喜ぶためだけにここまで来たわけじゃない、あなたに話さなきゃいけない事があるの」

「え……?」

 マリーの纏う空気が、一瞬にして真剣なものへと変わる。クロエもまた、泣きはらした瞳を擦りながら、セラの顔をしっかりと見上げた。

「セラ、よく聞いてね。あの日……トーファスのギルドで、私達があなたをパーティーから追放した、本当の理由を話すわ」

 その言葉に、セラの心臓がドクンと大きく跳ねた。

 能力不足だから……その理由で脱退勧告書を提示され、マリー以外のパーティーメンバー全員から突き放されたあの日。自分自身の責任だと、ずっと己を責め続けてきた。

「……クリスはね、あなたを嫌って追い出したわけじゃないの。むしろ……逆よ」

「逆……?」

「彼は、あなたのその『優しさ』を、誰よりも守りたかったのよ」

 マリーの口から紡がれる真実に、セラは息を呑んだ。

 Sランクに上り詰めた【正義の剣】が、これから騎士団として足を踏み入れることになる、泥と血に塗れた国家間の陰謀や魔族との過酷な殺し合い。

 敵の命すら奪うことを躊躇うほどに優しすぎるセラを、そんな修羅の道に巻き込めば、彼の魂は必ず壊れてしまう。だからこそクリスは、自分がすべての悪役を演じてでも、セラを戦いのない平和な世界へと遠ざけようとしたのだと。

「クリスは、これからの戦いで浴びるすべての返り血も、すべての罪も……自分一人で背負う覚悟を決めたの。あなたが、どこかの温かい場所で、ずっとその綺麗な手のまま笑っていられるように」

「そんな……」

 セラの目から、ポロポロと涙が零れ落ちた。

 あの孤児院の頃からクリスは何も変わっていない、不器用で、誰よりも優しくて……自分一人ですべてを抱え込んでしまう、大好きな『お兄ちゃん』のままだったのだ。

「でも……私のせいで、クリスは知らずに、あなたの居場所だった『陽だまりの村』を焼き払う任務に就いてしまった。そして、あんな最悪の形であなたと遭遇することになってしまったの……っ」

 マリーが悔しそうに唇を噛む。

 陽だまりの村での惨劇。すべてを失った怒りで真紅の闘気に呑まれ、親友に刃を向けた自分。そして、部下を傷つけられた絶望から、同じように真紅の闘気を発現させたクリス。

 お互いが、お互いを「大切なものを奪った敵」だと勘違いしたまま殺し合ってしまったのだ。

「セラ。今のクリスは、自分の手であなたを殺したという絶望で、完全に心を壊してしまっているわ。彼は今、ただ魔王を討つためだけに過酷な戦いを続けているはずよ……」

「……クリスが……」

 セラの脳裏に、あの日、ギルドの冷たい部屋で自分を突き放した時の、クリスの姿がフラッシュバックする。

 目を背け、俯いたまま微動だにしなかったあの姿。そして、燃え盛る陽だまりの村で刃を交えた時の、怒りと絶望に染まりきった顔。

 彼が今、たった一人でどれほどの罪悪感と闇を抱え込んで戦っているのか。それを想像するだけで、セラの胸は張り裂けそうだった。

「……バカだな、クリスは。……本当にいつも自分の事は後回しで、僕や皆の事ばっかり心配してさ……いや、違うな。バカなのは僕の方か」

 セラは涙を乱暴に拭い、腰に提げた鋼の長剣を強く握りしめた。

 自分の優しさが、親友を孤独な地獄へと追いやってしまったのなら。今度は自分が、その地獄から彼を引っ張り出さなければならない。

「……マリー。話してくれて、ありがとう」

 セラは振り返り、玉座に座る五大老と、傍らで見守っていたユリへと向き直った。

 その瞳には、もはやかつての迷いや弱さは微塵もない。圧倒的な魔力と、すべてを包み込むような気高い覚悟が燃え盛っていた。

「最長老様、グレン、色々とありがとうございました。……僕は、必ず聖剣を見つけ出します。……世界を救うため、そして、『大切な親友』を、助け出すために!」

 少年の力強い宣誓が、世界樹の議事堂に高く、澄み切った音となって響き渡る。

 すれ違っていた真実が繋がり、散り散りになっていた仲間たちが、今、エルフの国で再び一つの目的のために結集した。

 彼らの刃が向かう先は、魔王が潜む帝国、そして闇に堕ちた銀髪の騎士の元へと、一直線に繋がっていた。


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