第75話 聖剣の意思
「……聖剣、じゃと」
広間の空気が、先程までの静かな重圧から、明確で鋭い『殺気』を含んだものへと温度を下げた。
世界を変える力を秘めた伝説の武具。それを求める人間が、何を意味するのか。エルフの最高指導者たちが放つ威圧感は、並の人間ならその場で泡を吹いて気絶してもおかしくないほどのものだった。
だが、セラは一歩も引かず、まっすぐに最長老の目を見つめ返した。
「はい。誤解の無いように、ハッキリ言っておきます。僕は、聖剣を手に入れたいわけじゃありません。もちろんエルフの国にある聖剣を奪いたいわけでもないです」
「ほう……?」
「……僕を絶望から救ってくれた恩人が、世界を救うために聖剣を探しているんです。僕はただ、その人の力になりたい。……大切な人たちが、理不尽な暴力で悲しまない世界にするために。だから、その手がかりを僕自身の足で見つけ出したいんです」
「世界を救うため……その恩人とやらが真に聖剣を世界のために使う保証は?」
「ありません、でも、僕は彼女を信じる」
セラの言葉には、微塵の淀みもなかった。
薄い茶色の瞳に宿る、痛いほどの純粋な祈り。
数十秒の、永遠にも似た沈黙が広間を支配する。やがて、最長老が張り詰めた闘気をスッと収めた。
「信じる……か……カッカッカッ!良い目をしておる。なるほど、グレンの言う通り 面白い人間のようだ」
最長老は白髭を揺らして快活に笑った。その笑い声につられるように、他の四人の長老たちも毒気を抜かれたように顔を見合わせ、静かに警戒の糸を解いていく。
「じぃさん達」
そこで、今まで横で静観していたグレンが、セラの肩にポンと手を置いて前に出た。
「俺が、俺の眼が保証するぜ。こいつの魂はどこまでも澄み切ってる。……もしかしたら、セラがエレンディルに眠る聖剣の『使い手』かもしれないって思ってさ」
「……この人間がじゃと?」
「ああ。セラを見て素質は十分にある気がするんだ。聖剣の理は種族を問わない。こいつの途方もない器なら、試してみる価値はあるはずだ」
グレンの突拍子もない提案に、セラは慌てて両手を振った。
「えっ!? いや、僕は別にこの国の聖剣を試しに来たわけじゃ……」
「まあまあ、そう言うな。お前だって、そうやって剣を持っている以上聖剣がどういうものか、力を求めていないにしても、多少興味はあるだろ?」
グレンがニヤリと笑いかけると、最長老も深く頷き、白髭を撫でた。
「ふむ……我が国の聖剣は長きに渡り使い手を待ち続けておる。もしグレンの言う通りなら、これも何かの縁じゃろう。……人間の少年よ。お前さんのその純粋な魂、そして我が騎士団の副団長の眼力に免じて、機会を与えよう」
「機会……ですか?」
「うむ。グレンの眼に選ばれたお前さんがどのような器か聖剣に判断してもらおうではないか」
最長老はゆっくりと玉座から立ち上がった。
「ついて参れ、人間の少年よ。聖なる刃の元へ案内しよう」
五大老とグレンに導かれ、セラは世界樹のさらに奥深く、大樹の胎内とも呼べる絶対の聖域へと足を踏み入れた。
目の前に広がっていたのは、水晶のように透き通った地底湖だった。天上からは星屑のような魔力の粒子が絶え間なく降り注ぎ、湖の中央にぽつんと浮かぶ苔生した石の台座を幻想的に照らし出している。
そして、その台座の中心に、一本の美しい剣が静かに突き刺さっていた。
「あれが、エルフの国の聖剣……」
「さあ、触れてみるがよい。ただし、邪な心を持つ者、器に満たぬ者が触れれば、その精神は容赦なく破壊されると言い伝えられておるがな」
「……え?」
あまりにも物騒な最長老の忠告に、セラの足がピタリと止まる。
「ちょ、ちょっと待ってください! 精神が破壊されるなんて、そんな話聞いてないですよ!?」
慌てて振り返り抗議するセラに対し、グレンはあっけらかんとした顔でセラの背中をポンポンと軽く叩いた。
「大丈夫大丈夫! 俺の眼を信じろって。セラなら絶対余裕だから!」
「いや、そんな軽々しく言われても……! 万が一ってこともあるじゃないですか!」
「カッカッカッ! 案ずるな。グレンがここまで太鼓判を押すのは初めてのこと、己を信じて進むがよい」
最長老までが、セラの焦りなど意に介さずカラカラと笑っている。
どうやら、もう後には引けないらしい。
セラは半ば諦めたように深いため息をつき、腹を括るしかなかった。
水を張り詰めたような静寂の中、意を決して祭壇へと歩み寄る。
緊張で少しだけ冷たくなった右手を伸ばし、聖剣の柄にそっと触れた。
――その瞬間。
セラの視界が、圧倒的なまでの真っ白な光に完全に飲み込まれた。
「……ここは?」
気づけば、セラは果てしなく広がる鏡のような水面の上に立っていた。上も下もない、ただ淡いエメラルドグリーンの光がホタルのように舞い散る神秘的な空間。
チャプ、チャプと微かな水音を立てて、光の奥から『誰か』が歩み寄ってくる。
『――よく来ましたね、優しき魂の持ち主よ』
鈴を転がすような、それでいて深い慈愛に満ちた女性の声だった。
光が形を成し、美しい女性のシルエットがセラの前に現れる。
「あなたは……聖剣の、意思?」
『ええ。私はこの森で長きに渡り、真なる使い手を待つ者』
女性の姿をした聖剣の意思は、セラの顔を覗き込むようにして、優しく微笑んだ。
『驚きました。あなたの内側には、まるで世界を飲み込むような途方もない魔力と、熱く激しい力が眠っているのですね』
セラはハッとした。クリスと殺し合ったあの日、自分を支配し、すべてを壊してしまったあの禍々しい『真紅の闘気』のことだ。セラの顔に、過去のトラウマからくる暗い影が落ちる。
しかし、聖剣の意思は、セラの頬にそっと温かい手を触れた。
『恐れることはありません。それほどの強大な力を持ちながら、あなたの心はどこまでも透き通っている。その力は、誰かを護るためにしか振るわれない、気高く優しい刃です』
温かい光が、セラの心を包み込んだ。自分が恐れていた力を、この神聖な存在が完全に肯定してくれたのだ。
『あなたには、私を扱うに足る十分な素質があります』
「本当ですか……! じゃあ、僕と一緒に――」
『――ですが。あなたは、私の使い手ではありません』
静かな、けれどはっきりとした拒絶だった。
セラは目を見開いた。
「どうして……」
『悲しい顔をしないで。あなたが劣っているからではないのです。聖剣とは、魂の波長が完全に合致するたった一人の運命の相手としか共鳴できない。……私の魂が待っているのは、あなたではない。ただ、それだけのこと』
聖剣の意思は、少し寂しそうに、けれど優しく微笑んだ。
『それに……あなたの魂は、すでに別の『大いなる運命の剣』と結びついているようですね』
「別の、剣……?」
『ええ。いつか必ず、あなただけの刃に出会う時が来ます。その時まで、どうかその優しさを失わないで』
光の女性の姿が、少しずつ水面に溶けるように薄れていく。
『あなたに出会えてよかった、優しき少年よ。……私の本当の使い手が現れるまで、もう少しだけ、ここで眠ることにします』
「待って! 最後に一つだけ教えてください! 恩人が探している聖剣の手がかりは――」
セラの叫びは、再び溢れた真っ白な光の中に吸い込まれていった。
「……はっ!」
セラが目を開けると、そこは元の世界樹の胎内だった。
柄にかけていた手が弾かれ、セラは数歩後ずさる。息が少し乱れていたが、精神に異常はない。
「……どうやら、選ばれはしなかったようじゃな」
最長老が、すべてを悟ったような穏やかな顔で頷いた。
「はい。……僕は、彼女の使い手じゃないそうです」
「彼女……? おいおい、セラ。お前、今なんて言った?」
横で見ていたグレンが、目を見開いてセラに詰め寄った。
「え? 彼女って……聖剣の意思のことです。すごく優しそうな女性の声で、少しだけ話をしました。僕には別の運命の剣があるからって……」
「なっ……!?」
セラの言葉に、五大老たちが一斉に息を呑み、広間がシンと静まり返った。
最長老すらも、驚愕に目を見開いて白髭を震わせている。
「マジか! 聖剣に拒絶されなかっただけでもすげぇのに、聖剣と『対話』したって!?」
「はい、え?試した人達は皆そうなんじゃ?」
「そんなわけねぇだろ! 聖剣は持ち主以外には冷酷な鉄の塊だぞ! 精神を壊されず、ましてや言葉を交わすなんて……建国以来の伝説でしか聞いたことがねぇ!!」
グレンが頭を抱えて叫ぶ。
ただの人間が、聖剣と対話し、あまつさえ認められて帰還した。それはエルフの歴史上でも類を見ない、完全な規格外の出来事だった。
「……なんということじゃ。我らの想像を遥かに超える器を持っておるのか、この少年は」
最長老が、深い畏敬の念を込めてセラを見つめた。
聖剣を手に入れることはできなかった。だが、セラの心は不思議と晴れやかだった。
(僕には、僕の運命の剣がある……)
聖剣が教えてくれた言葉が、胸の奥で温かく光り続けている。
「名はセラと言ったか。……セラよ。聖剣の使い手になる事は叶わなかったが、我がエレンディルに眠る聖剣が、お主を認めたのは事実。それ程の人間を、ただ手ぶらで森から帰すような真似は、エルフの長としての誇りが許さぬのぅ」
最長老が真剣な顔つきでセラに向き直った。
「お前さんが恩人のために探しているという、他の聖剣についての伝承。我が国に伝わる古の記録を、特別に閲覧することを許可しよう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
セラは深く、深く頭を下げた。
恩人の探し求める手がかりに、今、確実に手が届こうとしていた。




