第74話 五大老
深い深い森の奥。人間が安々と足を踏み入れることができないとされる、不可視の結界を抜け、セラの目の前に広がったのは、息を呑むほどに美しく、そして途方もなく巨大な光景だった。
「すごい……これが、エルフの国……」
天を衝くほどの巨大な大樹――『世界樹』。その太い根や枝をそのまま土台にするようにして、無数の優雅な建造物が連なっている。自然と魔術が見事に調和した神秘の都、エルフの首都『翠都エレンディル』だ。
陽だまりの村の素朴で土の匂いがする温かい雰囲気や、冒険者の街トーファスの荒々しい熱気、シーレインの潮風香る活気とも全く違う。どこまでも澄み切った清浄な空気と、大気中に漂う濃密な魔力の粒子が、淡いエメラルドグリーンの光となって街全体を幻想的に照らし出していた。
だが、その圧倒的な清浄さは、人間であるセラにとっては少しだけ息苦しさを感じるほどの重圧でもあった。
「どうだ? 人間の街とは随分と雰囲気が違うだろう」
セラの横で、長い耳を揺らしながら歩くエルフの青年、グレンがニッと笑いかけてきた。
本来、エルフは極めて排他的な種族だ。人間が一人でこの森に近づけば、結界の幻術に惑わされ、永遠に森を彷徨うことになる。セラがこうして無事に翠都の土を踏むことができたのは、道中で出会ったこの気さくなエルフ、グレンの案内があったからに他ならない。
「はい、本当に綺麗です。でも……なんだか、みんな僕たちのことを見てませんか?」
セラが周囲を見渡すと、すれ違うエルフたちが皆、足を止めてこちらに視線を向けていた。そして、彼らが通り過ぎる際、誰もが深く、敬意を込めて頭を下げていくのだ。
排他的なエルフが、人間である自分にここまで敬意を払うとは思えない。
「そりゃあ、珍しいからな。人間の客なんて、ここ何十年も来ていないはず……たぶん」
グレンはあっけらかんと笑って誤魔化した。
やがて二人は、世界樹の最も太い根がアーチ状に絡み合う、一際巨大で荘厳な建造物の前に到着した。白亜の石と生きた樹木が融合したその扉の前には、深い緑色の意匠が施された美しい鎧を纏うエルフの騎士たちが、鋭い眼光で警備に当たっている。
「止まれ! ここから先は五大老様が座す神聖なる議事堂。何者――」
槍を交差させて立ち塞がった騎士たちだったが、グレンの顔を認めた瞬間、その表情が驚愕に染まり、次いで弾かれたように姿勢を正した。
「グ、グレン副団長!! お戻りになられていたのですね!」
「よっ、お疲れさん。じぃさん達は中かい?」
「はっ! 長老様方は全員お揃いです! どうぞお通りください!」
騎士たちがシャキッとした動作で槍を引き、重厚な扉を開け放つ。
その光景を横で見ていたセラは、完全に固まっていた。
「……え? ふ、副団長?」
セラが目を白黒させてグレンを指差すと、グレンはバツが悪そうに長い耳をかき、苦笑いを浮かべた。
「あー……言ってなかったっけ? 俺、一応この国の『深緑の幻樹騎士団』の副団長なんだ。まぁ、堅苦しいのは性に合わないから、セラはこれからもフランクに接してくれよ!」
「副団長って……エルフの国の騎士団の、ナンバーツー!? なんでそんなすごい人が、一人で森の外をうろついてたの!?」
「ははは! ちょっとした巡回と、息抜きだよ」
グレンはポンとセラの肩を叩き、悪戯っぽくウィンクをして見せた。
(だからさっきすれ違った人達は頭を下げてたのか)
気さくで面倒見の良い兄貴分だと思っていた彼が、まさかエルフの国の要人だったとは。セラは自分の見る目のなさに呆れつつも、同時に、彼が自分を信用してここまで連れてきてくれたことの重みを実感していた。
「さあ、入ろうか。セラ、お偉いさんたちの前だからって、そんなにガチガチに緊張しなくていいからな。堂々としててくれ」
そう言ってグレンは、扉の奥へと軽やかな足取りで進んでいく。
セラも小さく頷き、腰の鋼の長剣にそっと触れて気合を入れ直した。
開かれた扉の奥へ進むと、そこは外の光が差し込む広大な円形の広間だった。
床には世界樹の根が複雑な幾何学模様を描くように這い、中央には清らかな泉が湧き出している。そして、その泉を囲むように配置された五つの巨大な木製の玉座に、深い威厳と途方もない年月を感じさせる五人のエルフが座していた。
彼らこそが、この翠都エレンディル、ひいてはエルフという種族全体を総括する最高指導者『五大老』だ。
広間に入った瞬間、空気がビリッと張り詰めたのが分かった。
ユリが放つ洗練された大魔術とも、クリスとの死闘で感じたあの息苦しい闘気とも違う。ただそこに存在しているだけで、世界そのものが彼らにひれ伏しているかのような、静かで圧倒的な重圧。
「よっ、じぃさん達。ただいま戻ったぜ」
その張り詰めた空気をぶち壊すように、グレンが広間の中央で片手を上げて、まるで近所のお年寄りに挨拶するような気安さで声をかけた。
「……相変わらず、礼儀というものを知らん奴じゃな、グレンよ」
中央の玉座に座る、雪のように白い長い髪と髭を蓄えた最長老が、呆れたように深く重い溜息をついた。
口調こそ咎めているが、その眼差しには確かな信頼と、身内に対する温かい呆れが混じっている。グレンのこの態度は、今に始まったことではないのだろう。
「堅苦しいのは苦手なんだよ、俺は。それより、今日はじぃさん達に面白いヤツを連れてきたんだよ」
「面白い、じゃと……? グレン、その後ろに控えるは、人間の子供ではないか」
右側に座る、厳しい顔つきをした女性の長老が、柳眉を吊り上げて咎めるように口を挟む。
「人間をこの神聖なるエレンディルに招き入れるとは。深緑の幻樹騎士団の副団長ともあろう者が、我が国の掟を忘れたわけではあるまいな?」
「え、本気で聞いてないよな?いくら俺でも掟は重々承知してるよ。でもな、こいつはただの人間じゃない」
グレンはいつもの飄々とした態度を少しだけ引き締め、真っ直ぐに五大老たちを見据えた。その言葉には、決して揺るがない強い意志が込められていた。
「俺が保証する。こいつには、かつてこの世界を救ったという英雄たちと同じ、一切の濁りがない光がある。だから、俺の責任で連れてきた」
グレンの迷いのない言葉に、五大老の間に微かなざわめきが走った。
「……グレンが見て、判断した人間か……面を上げよ、人間よ」
最長老の声に促され、セラはゆっくりと顔を上げた。
五人のエルフの指導者たちの刺すような視線が一斉にセラに突き刺さる。彼らはセラの身なり、腰に提げたありふれた鋼の長剣、そして何より、その薄い茶色の瞳の奥に宿るものを値踏みするように見つめた。
(すごい威圧感だ……でも、ここで目を逸らしちゃダメだ。僕は、『聖剣』の手がかりを見つけるって決めたんだから)
セラは震えそうになる膝に力を込め、五大老の視線を真っ直ぐに受け止めた。
かつて自分が無力だと剣を置いた日。陽だまりの村で、大切なものを護るために再び剣を取った日。そして、親友と互いの正義をぶつけ合い、奈落へ落ちた日。
そのすべての経験が、今のセラの瞳に、決して折れることのない静かな強さを宿させていた。
「……なるほど。確かに、グレンが豪語するだけのことはある。ただの人間ではないようじゃな」
最長老が微かに口角を上げ、白髭を撫でた。
「その若さで、幾度もの死線を越え、深い絶望を知りながらも……なお、その眼の奥にある『優しさ』を捨てておらん。我が騎士団の副団長が、掟を破ってまで連れてきた意味が、少し分かった気がするわい」
「だろ? 俺の目に狂いはないって」
グレンがニヤリと笑う。
「して、人間の少年よ。名を何と申す? そなたが我がエルフの国へ足を運んだ目的は何じゃ? 」
最長老の問いに対し、セラは静かに、けれど広間の隅々にまで響き渡るはっきりとした声で答えた。
「セラ・ウッドベルと言います。……僕が探しているのは……この国に眠っているかもしれない、『聖剣』の手がかりです」
その言葉が広間に落ちた瞬間。
五大老たちの表情が、一斉に硬く、そして極めて険しいものへと変わった。
「ま、そりゃそうなるわな。単純なのか、素直なのか、話の進め方がストレートすぎるんだよな」
グレンはやれやれと首を左右に振る。
「……聖剣、じゃと」
広間の空気が、先程までの静かな重圧から、明確で鋭い『警戒』と『殺気』を含んだものへと温度を下げた。
世界を変える力を秘めた伝説の武具。それを求める人間が、何を意味するのか。
セラは一歩も引かず、エルフの最高指導者たちと真っ向から対峙した。




