第72話 円卓会議
フラリス王国の象徴である白亜の城。
その最深部、地下深くの岩盤をくり抜いて造られた国家存亡の危機にのみ開かれる最高機密の空間――『円卓の間』。
クリスたちが帝国から帰還し、シュウ団長へ報告を上げてから、ちょうど一週間が経過していた。王国全土の各地へ任務に散っていたすべての隊長たちが、王都へと集結するために最低限必要な時間である。
窓一つない薄暗い石造りの部屋を、魔力で灯された蒼い炎が静かに、そして冷たく照らし出している。
部屋の中央には巨大な円卓が鎮座し、十五の豪奢な椅子が等間隔に配置されていた。すでに十二名の隊長たちがそれぞれの席に着いており、王国最高峰の武力を誇る彼らが無意識に放つ闘気と魔力が複雑に絡み合い、常人ならばこの場に足を踏み入れただけで呼吸すら困難になるほどの凄まじい重圧を生み出している。
「よォ、新米の英雄殿。帝国帰りでえらく顔色が悪いじゃねェか。魔王軍相手に尻尾を巻いて逃げ帰ったらしいな?」
張り詰めた沈黙を破ったのは、円卓に両足を投げ出して座る十一番隊隊長、シオン・オンズ・アークライトだった。
クリスと同世代でありながら隊長にまで上り詰めた若き天才肌の彼は、新参者でありながら異例の出世を遂げたクリスへ強烈なライバル心を隠そうともしない。
だが、クリスは氷のように虚ろな瞳をシオンへ向けることもなく、ただ静かに自分の席――六番目の椅子に腰を下ろしたままだ。
「……言葉を慎め、シオン。彼は極秘任務を見事完遂し、確かな情報を持ち帰った。それに、円卓の間でのその態度は感心しないな」
重々しい声でシオンを窘めたのは、一番隊隊長、レオン・アン・クラウゼル。シュウ団長に次ぐ実力を持つとされる、厳格な大剣使いであり、騎士団の兄貴分的な存在だ。
「ちぇっ、堅苦しいおっさんだぜ」と、シオンが不満げに舌打ちをして足を下ろす。
「レオンの言う通りですわ。全く、野蛮な男ばかりで頭が痛くなります」
優雅に扇で口元を隠してため息をつくのは、五番隊隊長、オリヴィア・サンク・ロゼンダール。気高き魔法剣士である彼女は、隣に座る三番隊の巨漢、ガンツ・トロワ・バルバロスを胡乱な目で見やった。
「ガハハ! 細けェこたぁいいんだよ! それより、早く帝国に攻め込ませてくれよ。俺の戦斧が血を吸いたがって疼いてんだ!」
「うるさいぞガンツ。貴様の怒声は耳障りだ」
巨漢の言葉を静かに、だが鋭く切り捨てたのは、七番隊隊長のアーサー・セット・グレイグ。弓を扱う遠距離のスペシャリストである彼は、冷ややかに目を細めている。
「……血の匂いがするなぁ。六番の席に座ってるアンタ、いっぱい殺してきたんだろ? いいなぁ、俺も混ぜてくれよ。魔族の肉を引き裂きてぇ……」
八番隊隊長のザガン・ユイット・ボルゾイが、野生の獣のように目を血走らせながら喉を鳴らす。
「まぁまぁ、ザガン。血の匂いなら僕も嫌いじゃないけど、今は情報収集が先決だよ。ねぇ?」
四番隊隊長、ファルク・キャトル・ルミエールが軽業師のように椅子の背もたれに座りながら、飄々とした笑みを浮かべる。
その異様で騒がしい空気を、二番隊隊長、ギルベルト・ドゥ・ローランが氷のような声で切り裂いた。
「静粛に。……それにしても、クリス・フィンリード。先日の陽だまりの村の件といい、今回の帝国潜入といい、ずいぶんと血生臭い任務が続いているようですね。まだ正式な隊長の名すら授かっていない新参者が、我々と肩を並べてこの円卓に座ること自体、本来であればあり得ないことなのですが」
エイル副団長の右腕とも称されるギルベルトは、細身のサーベルの柄を指先で弄びながら、クリスへ冷酷な皮肉を投げかける。規律を重んじる彼にとって、クリスの異例の抜擢と、その底知れない危うさは不快なものでしかなかった。
だが、クリスの心には、彼らの挑発も皮肉も、一切届いていなかった。
あの日、自らの手で親友を暗黒の深淵へと突き落とし、更に四天王との戦いでオメガを失った絶望。その罪の意識と後悔、そして、エイル副団長への不信感。それらが、彼を一週間の間、ずっとどす黒く塗り潰している。生きた屍のように、ただ虚空を見つめているだけだ。
「……」
無言を貫くクリスを見て、十番隊隊長、カルラ・ディス・フロレンティアが妖艶な笑みを浮かべた。内部の異端審問を担当する彼女は、他者の絶望を好む。
「あらあら、すっかり心を壊してしまったのね。可哀想に。……でも、そういう空っぽな目、私嫌いじゃないわよ?」
「やれやれ、相変わらず血の気の多い連中じゃのう。少しは落ち着かんか、若者たちよ」
歴戦の老兵、九番隊隊長ダグラス・ヌフ・オズワルドが、白髭を撫でながら深くため息をつく。
「ふふっ……魔力炉の構造……帝国の技術……解剖して、調べてみたいですねぇ……」
十二番隊隊長、イリア・ドゥーズ・マクシミリアンは、周囲の会話など意に介さず、一人でブツブツと不気味な笑いを漏らしている。
個性も実力も、すべてが規格外の化け物たち。
これが、王国最高峰の武力を誇る『蒼天の天秤騎士団』の隊長たちだった。
――その時。
円卓の間の重厚な扉が、音もなく開いた。
瞬間、部屋に充満していた十二人の隊長たちの覇気が、まるで霧のように完全に掻き消された。
入ってきたのは、三人の男たち。
先頭を歩くのは、副団長エイル。
その後ろから、現騎士団長シュウ。
そして、その横に並び立つ、前団長にして生きた伝説――『剣聖』ランドルフ。
カツ、カツという足音だけが響く中、十二人の隊長たちは一斉に席を立ち上がり、正対のまま腰を四十五度に傾け、深く頭を下げる『正しい騎士の敬礼』をとった。被り物をしていない状態での、最高位の礼節だ。クリスもまた、機械的な動作でそれに倣う。
ランドルフが杖代わりの剣を床に突く音は、まるで心臓を直接叩かれているかのような、恐ろしい重圧を伴っていた。
シュウが円卓の最も奥、最も豪奢な席へと静かに腰を下ろす。隣でランドルフが重々しく着席したのを確認し、立ったままのエイルが静かに口を開いた。
「着席を」
副団長の一声で、十二人の隊長たちは一糸乱れぬ動きで同時に席についた。
張り詰めた静寂の中、シュウの深く青い瞳が、円卓の六番目の席に座る銀髪の青年へと真っ直ぐに向けられた。
「会議を始める前に、一つ済ませておくべきことがあったな。クリス・フィンリード。前へ」
「……はっ」
クリスは静かに立ち上がり、シュウの御前へと進み出て再び片膝をついた。
「此度の帝国への潜入調査、並びに魔王軍幹部との接触による情報収集。さらに遡れば、辺境での国家反逆者の拠点制圧など……お前のこれまでの過酷な任務の完遂と貢献は、この円卓に連なる者として十分に相応しいものだ」
シュウの厳かな声が、円卓の間に響き渡る。他の隊長たちも、無言でその儀式を見つめていた。
「よって、本日この刻をもって、お前を正式に蒼天の天秤騎士団・六番隊隊長に任命し、その証となる名を授けよう」
「……ありがたき幸せに存じます」
「今日からお前は、クリス・シス・フィンリードだ。その名に恥じぬよう、王国の剣として大いに振る舞うが良い」
シス。古き伝承において『六』を意味するその名を授かることは、名実ともに王国最高峰の武力の一角を担うことを意味している。
だが、クリスの心はどこまでも冷え切っていた。どれほど名誉な名を授かろうと、親友と仲間を失った虚無感が満たされることはない。彼はただの殺人者であり、修羅の道を歩むためにこの名を利用するだけだ。
「……御意」
クリスが深く首を垂れ、再び自分の席へと戻ると、シュウは改めて円卓全体を見渡した。
「では、本題に入ろう。今回の円卓会議の議題は、二つある。一つは、六番隊が帝国から持ち帰った情報……魔王復活の鍵となる『宵闇の珠』と、それを動力とする巨大な『魔力炉』への、我が騎士団の武力介入の是非についてだ」
その言葉に、シオンやガンツ、ザガンといった好戦的な隊長たちの顔に、再び獰猛な笑みが浮かぶ。
だが、シュウの言葉はそれだけでは終わらなかった。
「そして……もう一つ」
シュウの声が、一段と低く、冷たく沈み込んだ。
「我々、蒼天の天秤騎士団の内部に……敵と通じている『内通者』が潜んでいる可能性についてだ」
その言葉が落ちた瞬間。
円卓の間の空気は、氷点下まで凍りついた。
「……内通者、だと?」
一番隊のレオンが、信じられないというように眉をひそめる。
「ふふっ……それは、誰のことかしら?」
十番隊のカルラが目を細め、獲物を探すように周囲の隊長たちを舐め回すように見渡した。
隊長たちの間に、一瞬にして疑心暗鬼とヒリヒリとした殺気が蔓延し始める。誰もが互いを牽制し合い、少しでも不審な動きを見せた者を即座に斬り捨てる準備を整えていた。
そんな息の詰まるような空間の中で、エイル副団長だけは、眼鏡の奥で誰にも悟られない冷酷な笑みを浮かべている。
そして、クリスは。
『シス』の名を授かり、感情を失ったはずの虚ろな瞳の奥で、ただ一人、エイルの横顔を静かに、そして鋭く見つめ続けていた。
もし、こいつが俺からすべてを奪った元凶であるならば。
もし、こいつの策謀でセラが奈落へと落ちたのだとすれば。
氷の騎士の胸の奥底で、決して消えることのない復讐の黒い炎が、静かに、だが確実に燃え上がっていた。




