第7話 ギルドにて
宿を出て、冒険者ギルドへと続く石畳の道を歩く。
三日ぶりに浴びる外の空気は、肺の奥が痛くなるほど新鮮で、同時にどこかよそよそしく感じられた。隣を歩くマリーの足取りは普段と変わらないように見えるが、セラの歩幅はどうしても小さくなってしまう。
やがて、見慣れた冒険者ギルドの大きな建物が見えてきた。
セラは一度深く深呼吸をしてから、その重い木製の扉をゆっくりと押し開けた。
――ギィィ、と。
軋む音が、いつもよりやけに大きく鼓膜を打つ。
冒険者の街『トーファス』の中枢であるこの場所は、昼夜を問わず酒と汗の匂いが入り混じり、荒くれ者たちの怒声や笑い声で満ち溢れているのが普通だ。
いつもなら、扉を開けた瞬間に「おっ、【正義の剣】のお出ましだぜ!」「セラ! 今日も一丁派手に頼むぞ!」と、あちこちから陽気な声が飛んでくるはずだった。
しかし、今日に限って、ギルドの中は奇妙なほど静まり返っていた。
まるで、舞台の最中に突然音楽が鳴り止んだかのように。
セラとマリーの姿を見るなり、談笑していた冒険者たちがピタリと口をつぐみ、ひどく気まずそうに視線を逸らした。手元のジョッキを見つめる者、わざとらしく依頼書に目を落とす者。
その不自然な沈黙の隙間から、潜めるようなヒソヒソ声が波紋のように広がっていく。
「……おい、セラ君だぞ」
「マリーさんも一緒か……。にしても、クリスがあんな事やるなんて信じられないぜ」
「いくらなんでもやりすぎだよな……。まだ子供のセラ君を、よりによって誕生日に追い出すなんてよ」
その囁き声には、二人を嘲笑うような悪意は一切含まれていなかった。
あるのは純粋な同情と、理不尽に捨てられた彼らを憐れむような優しさだけだ。王国の英雄として持て囃されるようになったクリスたちに対する、かすかな憤りすら混じっている。
しかし、その「同情」こそが、今のセラにとってはどんな鋭い刃よりも深く心を抉った。
(……やめてよ。クリスは悪くない。僕が、弱いから……僕が未熟だからいけなかったのに)
自分はパーティーに必要な基準を満たせなかっただけの、ただの役立たずだ。
それなのに、自分のせいで、かつて憧れを共有した親友が悪者のように言われている。ギルドの皆にまで、こんな悲しい顔をさせて、気を遣わせている。
申し訳なさと情けなさで息が詰まり、セラは思わずギュッと俯いて、その場に立ち止まってしまった。
視界の端で、床の木目がぐにゃりと歪む。また、不甲斐ない涙がこぼれそうになった。
「……セラ」
――バンッ!
不意に、マリーの手のひらがセラの背中を力強く叩いた。
痛いほどのその衝撃に、セラはビクッと肩を震わせて顔を上げる。
マリーは俯くセラの横に並び立つと、周囲の冒険者たちをぐるりと見渡し、ギルド中に響き渡るような凛とした声を張り上げた。
「皆、心配かけてごめんなさい! でも大丈夫よ、私たちはもう次に向かって前を向いているから。……クリスたちの事は気にしないで! 私たちは私達のペースで、また一からやっていくわ!」
堂々としたマリーの宣言。
周囲の同情的な空気を一蹴するような、その力強くて明るい声に、ギルドの張り詰めた空気が「ふぅ」と安堵の息を吐くように緩んだ。
「そうか、なら良かった」「マリーさんがいれば安心だな」と、あちこちから控えめな安堵の声が漏れ始める。
「……ほらセラ, 下を向かない。受付に行くわよ」
「あ, うん……っ」
マリーはセラの背中に手を添え、優しく前へと押し出した。セラは彼女の背中に半分隠れるようにして、受付カウンターへと向かった。
「……セラ君、マリーさん。あの、大丈夫……ですか?」
カウンターの奥から身を乗り出してきたのは、いつも【正義の剣】の依頼の手続きをしてくれていた、顔馴染みの受付嬢だった。
彼女の目元はうっすらと赤く、今にも泣き出しそうな顔で二人を見つめている。ギルドの職員である彼女は、あの『脱退勧告書』が正式に受理された経緯をすべて知っているはずだ。
「ええ、平気よ。あなたまでそんな顔しないでちょうだい。……それより、当面の路銀を稼ぎたいの。今の私たち二人でも無理なく受けられそうなクエスト、何かあるかしら?」
マリーが努めて明るく、いつもの調子で振る舞うと、受付嬢は少しホッとしたように微笑み、涙ぐんだ目を擦った。そして、カウンターの下から数枚の依頼書を取り出し、手元で選別を始めた。
「セラ君とマリーさんの実力なら、お二人だけでもAランククラスの魔物討伐や、中層までのダンジョン探索なども十分に可能かと思いますが……」
彼女が提示した数枚の羊皮紙を、マリーは軽く目で追ってから、小さく首を振った。
「そうね……。でも、ちょっと今は討伐とか、暗いダンジョンより、ゆっくりできるクエストの方がいいかもしれないわ」
マリーはチラリと隣のセラを見た。
まだ心に深い傷を負っているこの少年に、命のやり取りをさせるのは酷だ。今はただ、穏やかな時間が必要だった。
「それなら……これなんてどうでしょう」
受付嬢が、束の一番下から一枚の依頼書を抜き出してカウンターに置いた。
「街から少し離れた辺境にある『陽だまりの村』への、簡単な手紙と物資の届け物。それと、ついでにその周辺での薬草採取のクエストです。報酬は高くありませんが、期限は特に設けられていません」
「陽だまりの村……?」
聞き馴染みのない地名に、セラが小さく呟く。
「はい。王都からも離れた辺境の小さな村なんですが、名前の通り、とても長閑で、村の人たちも家族みたいに温かい素敵な場所なんですよ」
受付嬢は、慈しむような優しい眼差しでセラを見つめた。
「……今のセラ君たちには、少し街の喧騒から離れて、そういう場所でゆっくり羽を伸ばす時間が必要なんじゃないかって思って」
その言葉に含まれた、心からの気遣い。
自分は最高ランクのパーティーを追い出された役立たずの落ちこぼれなのに、彼女は、そしてギルドの皆は、こんなにも優しく自分を気にかけてくれている。
セラの胸の奥が、温かさと申し訳なさでギュッと締め付けられた。
「……ありがとう、お姉さん。僕たち、それ受けるよ」
セラが無理に口角を上げて、不器用な笑顔を作ってみせると、受付嬢は「気をつけてね。いってらっしゃい」と、満面の笑みで依頼書を渡してくれた。
ギルドを後にし、街の正門へと向かう。
背中を照らす太陽の光は、少しだけ、本当に少しだけだが、朝よりも温かく感じられた。
こうして二人は、人々の温かい善意に背中を押されながら。
運命の舞台となる『陽だまりの村』へ向けて、街の外へと新たな一歩を踏み出したのだった。




