第68話 交差する乙女たち
フラリス王国の大陸東部に広がる、果てしなく深い森。
その奥地に存在するとされる、自然と古代魔術を継承する長命なる種族の秘境――『翠都エレンディル』。
「……マリー姉ぇ。この森の結界、ただの魔力障壁じゃないよ。何重にも編み込まれた高度な幻術と迷込みの陣が組み合わさってて……私の火力で強引に吹き飛ばすことはできるかもしれないけど、それやったら確実にエルフの国と戦争になっちゃう」
鬱蒼と茂る巨大な古樹を前に、水色のふわふわとした髪を揺らしながら、クロエが愛用の杖を構えたまま泣きそうな声を上げた。
彼女の規格外の魔力をもってすれば、森の一部ごと結界を破壊することはたやすい。だが、エルフは極めて排他的な種族だ。力ずくで侵入すれば、間違いなく敵とみなされ、セラを探すどころではなくなってしまう。
「……クロエ、発想が物騒すぎるわ……でも、そうね……他国の領土に不法に侵入するのはさすがにね」
マリーは美しい銀髪をかき上げ、深いため息をついた。
港町シーレインでギルドマスターのミオから詳細な地図を受け取り、早馬を乗り継いでここまでやってきた。だが、いざ国境である森の入り口に立たされて、二人は完全に足止めを食らってしまっていたのだ。
どうやって平和的に接触を図るか。マリーが腰の美麗なレイピアの柄に手を当てて思案していた、その時だった。
ガタゴト、ガタゴト――。
背後の街道から、一台の立派な馬車が土煙を上げて近づいてくる音が聞こえた。
「マリー姉ぇ、誰か来たよ?」
「……こんな辺境の森に、商人かしら? え、あの馬車の紋章……」
マリーが目を細めて警戒する中、馬車は二人の少し手前でゆっくりと停車した。
御者台から軽やかな身のこなしで降り立ったのは、真っ白なカイゼル髭と片眼鏡が特徴的な、漆黒の燕尾服を隙なく着こなす初老の紳士だった。
「おや。このような深い森の入り口に、美しいご婦人がお二人。……道にでも迷われましたかな?」
紳士――セバスが、純白の手袋を胸に当て、優雅に一礼する。
「いいえ。私たちは……」
マリーが警戒心を解かずに応えようとした、その瞬間。
バンッ! と馬車の扉が勢いよく開き、中から淡い紫色の髪をした猫耳の幼女が元気いっぱいに飛び出してきた。
「おーっ! ここがエルフの森か! アタイ、エルフ見るの初めてだぞ! 」
「こら、ミーア。静かに開けないと扉壊れちゃうでしょ!……あら、先客がいらっしゃるみたいね」
幼女の背後から、鈴を転がすような愛らしい声が続く。
馬車からふわりと降り立ったのは、薄いピンク色の髪をセミロングのウェーブに整えた、小柄な少女だった。
「こんにちは、冒険者さん。私たちは……」
少女が人懐っこい笑顔で挨拶をしようとした、その刹那。
彼女の顔を正面から見たマリーの顔色が一瞬にして変わり、信じられないものを見るように目を見開いた。
「り、リリィ王女殿下……ッ!?」
その言葉に、今度はクロエが「へっ!?」と間抜けな声を上げてマリーと少女を交互に見比べた。
「マ、マリー姉ぇ!? 王女って、フラリス王国の王女様……!?」
「控えなさい、クロエ!」
マリーは慌ててクロエの腕を引っ張り、その場に片膝をついて深々と頭を垂れた。
かつてギルド最強として持て囃された【正義の剣】のサブリーダーであるマリーは、王宮での式典の際に、遠目ながらも王族の顔を拝見したことがあったのだ。
まさか、こんな辺境の森のど真ん中で、国で一番尊い身分であるはずの少女と出くわすなど、想像すらしていなかった。
「お、お忍びとは存じ上げず、大変失礼いたしました……! 私たちは……」
「ストォォォォップ!!」
突然、ピンク髪の少女が大慌てで両手を振り回し、マリーたちの前へ駆け寄ってきた。
「ちょっと! その名前で呼ばないで! 今の私はしがない冒険者の『ユリ・クリード』なんだから! ほら、二人とも早く立って立って!」
「えっ、でも……」
「ユリ! わかった? 私はユ、リ! いいわね!?」
「は、はい……ユリ、様……」
あまりの勢いに押され、マリーとクロエは恐る恐る立ち上がった。
「もう、びっくりさせないでよ。……でも、私の顔を知ってるってことは、あなたたち王都の人間ね?」
ユリは目を細め、二人の容姿と武装をじっと観察した。
洗練された銀髪の凄腕剣士。そして、規格外の魔力を内包する水色髪の魔術師。
その特徴が、彼女の持つ国内の最高機密情報とカチリと結びつく。
「……なるほど。元Sランクパーティー【正義の剣】のマリーと、クロエね」
ユリの纏う空気が、先ほどまでの明るい少女のものから、氷のように冷たく気高い『王族』のものへと一変した。
「……はい。ですが、今はワケあってパーティーを離れております」
マリーが静かに答えると、ユリの瞳がスッと細められ、静かな光を放った。
「そう。……じゃあ、あなたたちがここへ来た目的は、一つしかないわね。セラを、追ってきたのね」
「――――ッ!?」
ユリの口から飛び出したその名前に、マリーとクロエは息を呑んだ。
「な、なんでユリ様が、セラのことを……!?」
「知ってるに決まってるわ。彼が私に『セラ・ウッドベル』と名乗った瞬間からね。今のあの子は、私の大切なパーティーメンバーよ」
ユリはマリーとクロエを真っ直ぐに見据えたまま、静かに、けれど確かな悲しみを込めて言葉を紡いだ。
「あの子、夜中にうなされて、震えながら泣いていたわ。……あんなに優しくて不器用な子を、身勝手な理由で切り捨てたというのは、間違いないのかしら?」
「それは……っ!」
「正直に言うと、最初はあなたたちのことをすごく怒っていたの。あんなにボロボロになるまで彼を追い詰めたんだから。……でも」
ユリはふっと表情を和らげ、マリーたちの顔を覗き込んだ。
「あなたたちの今のその顔を見たら……ただ見捨てたわけじゃないってことくらい、私にもわかるわ。セラを心配して、自分たちの身も顧みずにこんな辺境まで追いかけてくるような人が、彼を憎んで追い出すはずがないもの。……何があったのか、理由を聞かせてもらえる?」
頭ごなしに否定するのではなく、自分たちの真意を汲み取ろうとしてくれるユリの知性と深き慈愛に触れ、マリーの瞳から堪えきれずに涙が溢れ出した。クロエもまた、顔を覆って泣きじゃくり始める。
「……ユリ様の仰る通りです。私たちは、あの子を裏切った。彼を……騎士団に入り、魔王を討伐するという、これから泥と血に塗れる修羅の道から遠ざけるために、彼を突き放しました」
「……え?」
「ですが、私のついた嘘のせいで……彼が安息を得たはずの村が、騎士団によって焼き払われてしまった。彼とクリスは、最悪の形で再会し、殺し合ってしまったんです」
マリーは涙を流しながら、すべてを打ち明けた。
「私達は、ちゃんと伝えなきゃいけない、クリスの気持ちも、私達の気持ちも……セラとちゃんと話をしたくて、彼を助けたくて、ここまで来たんです……っ!」
マリーの悲痛な告白と、本物の涙。
それを聞いたユリは、少しの間沈黙し……やがて、小さくため息をついて、いつもの柔らかな笑顔に戻った。
「……セラがうなされながら呼んでいた名前……『クリス』って、そういうことだったのね」
ユリはマリーとクロエの肩にそっと手を置き、優しく微笑んだ。
「……あなたたちも、不器用なのね。セラにそっくり」
「ユリ様……」
「いいわ。セラを助けたいっていう気持ちが本物なら、ここで立ち止まっている場合じゃないものね」
ユリはそう言うと、懐から一つの美しい『翡翠の紋章』を取り出した。
それは、フラリス王家の直系のみが持つことを許される、エルフの国との古の不可侵条約を示す『王家の証』だった。
「エルフは人間を拒絶するけれど、我がフラリス王国とは古くから限られた外交ルートを持っているの。この紋章があれば、結界は私たちを『国賓』として迎え入れてくれるわ」
ユリが翡翠の紋章を森の結界にかざすと、空間が水面のように波打ち、深く生い茂っていた木々が左右に道を開けるようにして、一本の美しい獣道が現れた。
「さぁ、行きましょう。……セラのところへ」
かつてセラを護ろうとしながらも彼を傷つけてしまった『過去の仲間』と、絶望の淵にいた彼を救い出し、共に歩み始めた『現在の仲間』。
セラという一人の少年を想う五人の不思議な旅団は、開かれた深緑の扉の向こう――神秘のエルフの国へと、確かな足音を立てて足を踏み入れていくのだった。




